Eat Much, Learn Slow (& Don't Ask Why)

calender entry comment trackback category archive link
スポンサーサイト
スポンサードリンク

一定期間更新がないため広告を表示しています

-
-
-
仁義の誕生
Posted by: 鈴木並木 SUZUKI Namiki (→Profile)
まだかろうじて新婚と呼ばれる夫婦であればおそらく世界中どこでもそうであるように、この家でも、配偶者以外との性交渉はどの程度まで認められるべきかについての話題が食卓に登場することがある。とはいえ、そうそう頻繁にそんな話をするはずもない。せいぜい2日に1回くらいのものだ。

もし許されない理由があるとしたら、結局のところ、仁義に反するからだとしか言いようがないだろう。この家では、夫がそのような事態を引き起こしてしまった場合、固い板の上に置かれた指に向かって刃物を下げおろすことはしなくてもよい。そのかわり、夫が妻に15万円を現金で払いさえすれば、すべて水に流される決まりになっている。しかしほんとのところなにが起きるのか、あるいは起きないのかは、その段になってみないとわからない。

いずれにしてもそのとき、妻の顔は、比喩的な意味でつぶされることになるだろう。もともと、物理的には比較的平たく、たいしてつぶしようもない形状であるからこそ、せめて真ん中でフルヘッヘンドしている部分くらいはつぶさないよう、よく気をつけないといけない。とはいえ肝心のその部分があまりフルヘッヘンドしていないのが妻の積年の悩みであって、だから妻と話をするとき、夫はいつも、親指と人差し指でもって妻のそれをつまむ。そしてまず手前に向けて引っ張り、次に垂直に下げおろす。しかるのちに手を離し、またつまんでは引っ張り、下げおろす。この繰り返しの動作によって、仁義は日々、確認され続ける。

−−−

ここから先は本当の話。仁義と聞いて考えるのはある種のロック・バンドのこと。曲ごとにピンポイントで適材適所、ゲストを招くよりも、気心の知れた仲間と音を鳴らすことを優先する集団。それが夫の考えるロック・バンドの定義だ。そうやって出てくる音が最高であれば申し分ないし、最高の何歩か手前だったとしても、さしあたりよしとしようじゃないか。たとえばNRBQ。ラモーンズ。エレファントカシマシ。スピッツ。ローリング・ストーンズ……は少し違うか。

しかし最近いちばん仁義を感じさせてくれたのは、前述のバンド連中ではない。では誰か。カール・ロスマンだ。それ誰だ。ストローブ=ユイレの映画「階級関係」の主人公である。どうして“&”ではなく“=”なのかは後述するとして(ふたりの階級=関係?)、女中を妊娠させて故郷を追われたカールくん、船の中からして、たしか他人の傘かなんかを心配して自分の荷物の見張りがおろそかになっているし、アメリカで働き出してからも、折に触れてやたらと不思議な義侠心を見せている。単なる親切の段階を超えた、弱い立場の移民同士のシンパシー。労働者たちの連帯。武器なき民の闘争。

昔は「アメリカ」と呼ばれていて、いまは「失踪者」というタイトルになっているカフカの原作は、だいぶ以前に何度か読んだだけなので記憶はあいまいだ。こんな人情ものだったっけ? たしかにロード・ノヴェル=股旅ものではあるだろうけど。むしろ原作は長谷川伸ですよと言われたほうが腑に落ちる。

夫=妻の今後のよりよい結婚生活のためにも、説明不可能な仁義の謎をいくらかでも解き明かしたい。もしかしたらカフカが長谷川伸を読んでいたってことはないものか。調べてみる。カフカの生まれは1883年7月、長谷川伸は明治17年3月。現代日本風に言えば、ふたりは同学年にあたる。ここで勝手に合点がいって、なにかを証明したつもりになって調べるのをやめてしまう粘りのなさが悪い癖だ。しかし言いたいことだけを言いっぱなしにするために、わざわざ私財をなげうってつくったのがこの冊子なのだから、これ以上フォローするつもりはない。逆に、独学でいろいろ本を読むタイプの勉強家だったらしい長谷川が、老眼鏡をかけて股火鉢でカフカを読んでいる図を想像してみる(難しい)。

−−−

結婚前から妻が夫にしばしば言う台詞が「○○(←家庭内でのみ使われる夫の呼ばれかた)は自分のことをおびやかさないような女が好きなんだもんね」であった。それに対して夫は、拗ねたように黙ってみたり、「そんなの当たり前じゃん!」と逆ギレしてみたり、無言で腹パンチを喰らわしてみたり、いつも困窮している妻のサイフにいっそこっそり2000円くらい足してみたりする。そうした夫の反応を総合して振り返ると、自分自身のことながら「かわいい」以外の形容をすることはきわめて難しい。

しかし、己のかわいさやけなげさにうっとりしているだけでは、夫として能がない。同じ台詞を繰り返すばかりの妻の芸の乏しさも糾弾されるべきとはいえ、その言葉を発するたびに、妻の顔は、比喩的に、少しずつしかし確実に、つぶれつつあるのではないだろうか。ふたりには今一度、仁義が必要だ。

夫から妻に対するリクエスト、あるいはいちゃもんは、基本的にはあまりない。ときおり一緒に出かけて、アース・ミュージック&エコロジー系統の店の前を通りかかるたびに、バカのひとつ覚えで「こういう服は着ないのか」と訊くくらいである。そう訊いたときの、夫をバカにしきったような妻の顔が好きなのだ。顔だけではない。「古い!」と口に出して言いさえする。妻本人はといえば、隙あらばZARAなどに立ち寄りたがるのだが、あれは顔の彫りの深い西洋人向けの服なので、顔の真ん中がかろうじて薄ぼんやりとフルヘッヘンドしているだけの妻は、薄ぼんやりとした色や形の服をふんわりと着ていればよいと思うのだ。

兄貴分と姉貴分に立会人の血判をもらった紙で杯を折り、酒を酌み交わして、ふたりは夫婦になった。それから2年がたって、兄貴分は下総国は柏の在に、姉貴分は相模の藤沢郷へ、それぞれ処払いになって江戸を去って行った。もっとも、休みの日になれば電車に乗っていつでも会いには行ける。

紙っ切れ1枚でなにかが変わるのかと妻になる前の妻は訊いた。ほんとのところなにかが変わるのか、あるいは変わらないのかは、その段になってみないとわからない。わたしはこう答えた。紙に書かれた文字やパソコンの画面上の文章や液晶画面の音や光が原因で、一喜一憂したり、わけもなく興奮したり怒り狂ったり落ち込んだり、友達ができたかと思えば絶縁したり、お客様同士のトラブルの原因となったり、そういうのが現代人の振る舞いってもんだ。もっと信じてもいいんじゃないのか。俺をじゃなくて、言葉を。口からでまかせを言うときの夫の顔は、たぶん生き生きとしているはずだ。

−−−

ザ・コレクターズのライヴに通っていたのはもう20年くらい前の話だから、なにか言う資格はもうあんまりない。それでもドラムス阿部耕作の脱退には驚いた。本人のコメントの中の「私のバンドに対する情熱、創造性、技術の不足等々、足並みが揃わないこと、心が揃わないことが原因だったのではないでしょうか。」の一文に、さすがにしんみりとした気分になる。25年も一緒にいて、いまさら熟年離婚みたいなことを言わなくてはならないってのはどんな状況なのか。検索していたらベース小里誠の行状についての各種のタレコミも出てきた。事実かどうか知らないが、これこそ知らなくてよい情報の最たるものだった。

どんなロック・バンドだって岩のごとく磐石ってわけにはいかない。ましてや紙の仁義を交わしただけの男と女においておや。などと考えながら、妻の顔の真ん中のフルヘッヘンドをまず手前に向けて引っ張り、次に垂直に下げおろす。手を離し、またつまんでは引っ張り、下げおろす。

*「トラベシア」Vol.1に掲載(2016年8月)
雑記
comments(0)
-
スポンサーサイト
スポンサードリンク
-
-
-









calendar :::: entry :::: comment :::: trackback :::: category :::: archive :::: link admin :: profile :: RSS1.0 :: Atom0.3 :: jugem