Eat Much, Learn Slow (& Don't Ask Why)

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神様のシャッフル
Posted by: 鈴木並木 SUZUKI Namiki (→Profile)

A ひさしぶり。

B なにが。

A この、どこでもない空間における会話だよ。

B ああ。

A それはそうと、来て早々で悪いけど、ちょっとこれ聴いてみて。カーティス・メイフィールドの「イン・ユア・アームズ・アゲイン(シェイク・イット)」。(→☆

B いやーこれいいね。抑制されたエモーション……ボキャ天でいえば「シブ知」かな。

A たとえが古いよ! じゃあ今度はこっち。(→☆

B これ、同じじゃない? ほんの少し違う?

うん、最初のやつ、これを仮にZbI4cZzt7sQと呼ぶことにする。2番目のはvHohgaLDVX4ね。2度目のブラスが入ったすぐあとの、2分31秒あたりを聴き比べると、ZbI4cZzt7sQに入っている音が、vHohgaLDVX4には入ってない。

B も一回、聴かせてもらっていい? ……あ、ほんとだ。Windowsで、手前に画面が開いているのに、順番を無視して奥の画面を先に閉じようとして怒られるときの警告音みたいな。ポン、っていう音。

A これ、1976年の『ギヴ、ゲット、テイク&ハヴ』の曲だから、そもそも録音当時には存在していなかった音なんだけど、CDにするときに間違って混ざっちゃったのかな。

B あったよね、レベッカのLPに心霊の声が入ってる、みたいな。

A いつの話だよ! あと、それとはちょっと違うけど、坂本慎太郎の『できれば愛を』のタイトル曲の間奏のマリンバのフレーズが、iPhoneの着信音みたいに聞こえるって、誰か書いてた、あれ、安田謙一だったっけ。

B いま、っていうのは2018年9月7日のことだけど、アマゾン見たら、このアルバムの通常盤、50%オフになってるんだな。お買い得。……なんか、話が要領を得ないけど、ここからどういうふうに話題が展開されるのかな?

A あのアルバムが出たときはたしかにあれがiPhoneの着信音みたいに聞こえたんだけど、このあいだ聴き直してみたらそうは聞こえなかったんだよ。

B うん?

A ていうのは、濱口竜介の「寝ても覚めても」の、曲名あるのかないのか知らないけど、最初に流れる「麦のテーマ」、あれ、iPhoneの着信音っぽくない?

B 似てるっちゃあ、似てるかも。

A 最初の川べりのところで流れて、次に、すぐあと、国立国際美術館からエスカレーターで麦と朝子が外に出ていくところでも流れるでしょう。その、2度目のとき、すでに直前に耳にしていたのにもかかわらず、あ、客席の誰かがiPhoneの電源切り忘れたな、と、素で思ったからね。

B まだ話が要領を得ない。

A 中之島の国立国際美術館に行ったことはたぶん一度だけだけど、あの長いエスカレーターは忘れようがないっていうか、その連想で言うとぼくはいまでも、竹橋の東京国立近代美術館のあの、高さの違うフロアとフロアを斜めにつないでいた、空中を渡る階段とその機能を、懐かしく思い出すことがあるんだけどさ。

B どんな階段も、その機能は、たいていは高さの違うふたつのフロアを斜めにつなぐことだよ。ハマリューの新作について、言いたいのはそんなことなの?

A 今回のは「よくわからないほうのハマリュー」だったから、2回見たので、一応、感想はいくつかあるよ。高さの違うふたつ以上のものの頻出とか。東京に来てからの朝子がほんとに表情に乏しいなとか。東出君には荷が重すぎるというのは別にしても、麦と亮平は別の役者がやったほうがいいんじゃないか、とか。似てないものを似てると言い張ってなんとなくその気にさせるのが、映画なわけでしょう。

B 東野英治郎が石原裕次郎の父親役やってたりね。どういうDNAだよ。

A しかも、麦と亮平が、たいして似てなくて、もちろん、東出君が二役だってもともと知ってるから、あれだけど。それよりも、震災後の上野駅近くのロング・ショットで、呼び止められて立ち止まる東出君を早足で追い越して遠くに行ってしまった派手なマフラーの男が、その次の階段のところで、幽霊のようにまた現れるのが、限りなく編集ミスに近いというか、ドッペルゲンガーの主題に呼応してるっていうか。

B 似てないものを似てると言い張るってのは、「SUNNY 強い気持ち・強い愛」のことでしょ。広瀬すずが長じて篠原涼子になるもんかなあ。

A いや、それはいいんだよ。広瀬すずより篠原涼子のほうがかわいく見える瞬間があるって、すごくない? 余命短い板谷由夏が病室でダイナソーのTシャツ着てる謎設定にも、ぐっと来たし。あ、ダイナソーってダイナソーJr.ね。

B 知ってるよ! こんなツイートしてるひとがいたよね。「彼女のコギャル時代役の山本舞香は安室ちゃんやTRFをカラオケで歌ってオザケンで踊ってるけど、みんなに隠れてグランジやオルタナも聴いてたんだと納得させた。」(→☆

A カン・ヒョンチョルのオリジナルのほう、「サニー 永遠の仲間たち」もちょうど韓国文化院でやってたから見直したところなのさ。あそこ、旧作の上映だとガラ空きだけど、普通に見られる新しめのやつだと、混むね。大根仁のリメイクのほうがよかった部分も多少はあるし、そのままやってる箇所も多かったけど、なんでここを変えちゃうかなあ、みたいなストレスも少なくなかった。

B たとえば。

A たとえば、主人公が最初に母校を訪ねる場面。オリジナルだと、生徒たちに混じって歩いているところでカメラがぐるっとあたりを見渡してまた元の位置に戻ると、転校してきた日の自分が立ってるというのをワンカットで見せてるよね。大根仁はこれについてとくになにも思ってないのか、そこをコギャルのダンスにしちゃってる。昔ときどき見てたCinemaScapeってサイトで、「日本脱出」につけられていた、「★1 ギャーギャーうるさい。」っていうコメントを思い出した。(→☆

B CinemaScape、あったね、懐かしいね。それこそあれって、1990年代の半ば、コギャルが盛んだった時代のサイトじゃない?

A あーこらこら、歴史を改変しないように。あともうひとつ、職員室に入っていくのを機に、高校時代から現代に戻るでしょう。オリジナルだと、一緒のタイミングで職員室に入ってきた生徒の持ってるノートPCから、Windowsの終了音が聞こえる。そこで、聴覚的にも現代に引き戻されるわけだけど。いまだったら、現実に連れ戻される音として、iPhoneの着信音がいちばん適任なのになって思った。

B なんだったか、あの着信音をそういうふうに使ってたアメリカ映画、あった気がする。思い出せないけど。

A ともかく、「SUNNY 強い気持ち・強い愛」単体でどうこうと言いたいわけじゃなくてさ。「SUNNY」も「寝ても覚めても」も、お互い存在を気にもしてないだろうに、ほんとにたまたま、どちらも震災映画であり、そしてお好み焼き映画なんだよ。「SUNNY」のほうがお好み焼きがお好み焼きである必然性は強いし、さらにはこれは韓国版にはない、大根仁のオリジナルのアイディア。

B そんなこと言ったら、「コード・ブルー」もそうじゃなかった?

A なんかあったっけ。

B 「寝ても覚めても」の麦と亮平が鉢合わせする場面で、朝子が言う「なんでいまなん?」っていうセリフを聞いた瞬間、「コード・ブルー」で血まみれの花嫁が戻って来たときに浅利陽介が漏らす「なんでいま……」を思い出すでしょう、シネフィルなら、普通。

A それは忘れてたけど、「コード・ブルー」見たら、やっぱりちょっと濱口監督のこと、考えたよ。ぼくはTVシリーズ見てないから、最初のうちはガッキーかわいいなとだけ思って見てたんだけど、このひとたち、あいだは空いてるにせよ、実際の年月で10年間、この人間関係をやってるわけで、演出が無色透明であるとか、そういうのを抜きにしても、時間の積み重ねから有無を言わさず沁み出てくるもの、あるよ。ハマリューもなにか思うところ、あるんじゃないかな。見てないと思うけど。

B ガッキーかわいいしね。

A 馬場ふみかもかわいかったよ。まあそれはそれとして、「ハッピーアワー」で一瞬近づいたかもしれない月9のディレクターの座に、「寝ても覚めても」で遠ざかっちゃたのは残念だな。自分が日本映画の神様だったら、企画と監督をシャッフルしてみたい。「コード・ブルー」「SUNNY」「寝ても覚めても」を、ハマリューと大根仁と西浦正記があみだくじかなんかで、誰がどれを監督するか、決めるのさ。

B 西浦正記って誰。

A 「コード・ブルー」の監督。

B 「検察側の罪人」と原田眞人も、シャッフル企画に追加しようよ。

A いいね! ああそうそう、「検察側の罪人」と「コード・ブルー」見たらさ、なんだかんだで原田眞人、シネフィルがあれこれ言いたくなるような要素があるよなあって思った。

B とてもありえないと評判の、吉高由里子とニノの、事後の姿勢のこと?

A 吉高由里子かわいいよね。あの姿勢は、「ライ麦畑で出会ったら」でも出てきてた気がするから、まあいいんじゃない。うろ覚えだけど。まあそれはそれとして、リアリティ・ラインみたいなものって、あるわけじゃん、なんにしても。「検察側の罪人」はところどころおかしな部分あるにせよ、なんとなく全体としては、うん?まあいいか、みたいなあたりに無理くり押し込めることに成功している。「コード・ブルー」は、すでに時間による蓄積があるから、監督がその場でどうこうしなくても、このキャラならこういうときはこう動くよね、っていうのが、もうあのティーム内に、できてる。そのことが映画自体の広がりに枠をはめてしまう可能性も、もちろんあるけど……。

B もしかして「センセイ君主」の話、しようとしてる?

A いや、あれも面白かったけど、そうじゃなくて、城定秀夫の「恋の豚」の話。あ、待てよ、それこそ神様のシャッフルによって、城定秀夫が少女漫画原作ものを撮るような世界が実現したら楽しいだろうな。で、「恋の豚」、主演の百合華が文字通りブタなのにかわいくて、こんなにブタかわな女優を見たのはレニー・ゼルウィガー以来だと思って感動しちゃったんだけどね。で、その百合華の家になんとなく居ついてしまう守屋文雄、いかにも風来坊みたいなのに、実は金持ちの家の娘と結婚して一戸建てに住んでるっていう設定で、見ながら、「そーんなわけあるかい!」ってツッコミを入れたくなると同時に、これはこれでアリだ、とも思ってしまうよね。誰が言ってたか忘れたけど、ピンク映画にはときどき、ピンク映画の中でのみ存在を許容される男性キャラクターがいる、って。吉岡睦雄が演じてたりするようなね。ありえなさをチャラにしてしまうっていうか。

B 佐々木浩久が、「寝ても覚めても」をピンクでやれるんじゃないかって言ってたらしいじゃん。主人公がぶっとんだキャラで、女友達もふたりいるしって。

A 「恋の豚」見て思ったのは、シネマヴェーラでやってた特集のタイトル「愛の力学 “彼と彼女と彼” あるいは “彼女と彼と彼女”」のことなんだよね。考えてみたら、「寝ても覚めても」もそうだな。

B 「きみの鳥はうたえる」もじゃない?

A そうだよ、そうなんだよ。ほんとあの石橋静河なんてさ、どこに住んでるとかどういう出自とかまったく示されなくて、単にふたりの男のあいだを行き来するだけの記号みたいに見えてもおかしくないのに、ぜんぜんそういう感じ、しないもんね。もちろんほかのふたりも。

B えらく好意的じゃん。「密使と番人」のときはなにも言ってなかったのに。

A 「やくたたず」にせよ「プレイバック」にせよ、三宅唱の弱点って、もうただひたすら話の弱さ、だと思ってたからね。だから「ザ・コクピット」みたいな、わちゃわちゃしてるだけで成り立つ構造のものはいいとして、劇映画だったら他人にかっちりした脚本書いてもらうとかのほうがいいんじゃないかなーとは思ってた。今回は脚本は本人だけど原作もので、古典的な“彼と彼女と彼”でもあるからね、そこらへんのあれと、お得意のわちゃわちゃ感が奇跡のスパークを起こしたって感じ。とにかく3人の顔、全身、たたずまい、すばらしかった。「よくわかるほうの三宅唱」だった。染谷くんのぽっちゃりした腹回りも見れたし。

B あんまり、いかにもな函館らしさがない、みたいな感想を見た気がするけど。

A ラッキーピエロとかかな。いや、それはいいんじゃない。路面電車と、あと植物の様子で高緯度感は伝わってきてたし。あ、そうだ。

B なに。

A 「寝ても覚めても」の、東京と大阪の話ね。具体的な地名が出てなくて、最後だけ枚方市って電柱だかカーヴ・ミラーだかに書いてあった、あそこ。

B うん。

A もうどこかに情報が出てるかもだけど、あれ、枚方市じゃないんじゃないかな。淀川の支流の天野川ってのは実在する川ですが、その川沿いにはあの景色、ない気がする。あったらごめんね。地図見てたら、市内の別の川の近く、住所でいうと枚方市西牧野3-30-8あたりが雰囲気近いけど、ここも違うしなあ。まあどうでもいいかな。誰か知ってたら教えてよ。

B あれ、淀川って、桂川と同じ川なの? 京都の?

A そうだよ。常識じゃない? 同じ水の連続体が、場所の移動とともにシームレスに名前を変える変容の物語でしょ、川って。「方丈記」にも書いてあるじゃん。同じように、一度煮られたラタトゥイユは、冷めることによって味がしみて、カレー状のなにかに変わるんだよ。煮ても冷めても、みんなつながってんだよ。映画も。

B 妄想コーナーのはじまりですか。

A 違う、そうじゃない。たしか筒井康隆が言ってたことで、こういうのがあって。彼のオリジナルじゃなくて誰かの言葉を紹介してたのかもしれないけど。「作家はみんな、よってたかって巨大な1冊の本の別々のページを書いてるんだ」って。

B 映画もそうだというので?

A そう思ってるよ。もちろん本人たちはそんなつもりはないだろうけど、それでも、期せずしてシンクロが発生してしまうものだし、日本語映画という大きなひとつの総体、さらにいえば、「映画」。

B きみは以前からずっと、そういう問題について考え続けているよね。

A ぼくは、なにか「問題」について考えたことも、論じたことも、ないよ。個別の映画についてとか、いくつかの具体的な映画同士の距離とか関係とかつながりについてとか、そういうものごとについてしか、考えられないよ。たまたま、ほぼ毎日つかっている日本語については、日常的に、なにか思うことも多いし、感想が、あるよ。それだけだよ。

B 今年はビンダーにはなにも書かないので?

A 去年の号に書いた「遺書」(→☆)のとおりで、映画を見たり、ましてやそれについてなにか書いたりできる状態では、なくなっているからね。

B それでもまだ月に20本くらいは見てるじゃん。

A 違う、そうじゃない。日本語の問題を考える一環として、見ているだけ。でもね……。

B でも?

A 最近、こんなことがあった。ぼくよりいくつか年上のひとと話していて、日本の映画ってどうなんですか、と訊かれたのね。「いわゆるJポップについては、洋楽と比べてどうとか、思うじゃないですか。自分は映画にはあまり詳しくないけど、そのへんのところ、どうなんですか?」ってね。

B それで。

A ぼくは、その質問の意味するところが手に取るようにわかってしまった。だもんで、次の瞬間、ふだんのぼくのキャラクターとは正反対のイキリオタクみたいな状態へと変容して、こんなことを口走っていたんだ――

チバさん、よーくわかります。ぼくたちの若い頃は、日本映画なんて、そもそも見る気にならないようなものばかりだったじゃないですか。いまは違う、そうじゃないんです。ここ5年10年で空気が変わって、本当にいろいろなタイプの、面白い映画がいっぱい出てきています。もう昔じゃない。さっき名前を出した濱口竜介という監督は、これからの日本映画を背負って立つひとです。ぜひ、見てみてください。

ってね。そう言いながら、ぼくの両目からは、なぜか涙が流れていたんだ。

B 芝居がかってるなあ。
映画
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