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新しい神様
Posted by: 鈴木並木 SUZUKI Namiki (→Profile)
映画の立体性をきちんと把握するのは難しいから、あるひとにとってはブラッド・ピットが出ている映画=いい映画、という評価になったりする。演出は最低だがカメラだけがもったいないほどに素晴らしい映画、破綻した脚本にしたがって最高の演技を見せてしまう俳優、映像の足りない部分を音楽でごまかしてしまう映画、あるいは単に、可も不可もない映画。

自分の感覚を頼りにしすぎることは慎まなくてはいけないけれど、見て不快だと思ってしまったものはしかたない。あとはそれをどう理論的に処理するか、という話。とはいえ、自分の好きでないものに対して、その理由を分析するのは気が滅入る作業なのだが……。

さんざん前置きしておいて、ポール・ハギス「クラッシュ」の話に入る。「凝りに凝った構成でLAの人種問題を描き出した感動作」といったあたりが無難な紹介の仕方になるのだろうが、才気を誇示するための道具として人種問題を使っている、といいがかりを付けてみたくなるのも、また事実。

善悪の二元論で現実は割り切れないという主張だとか、人種差別主義者の警官が燃える車から女を救うところとか、差別主義者でない警官が誤って黒人を撃ち殺すところとか、ショッキングではあるのだが、偽善的な匂いが感じられた。

いったんそう思い始めてしまうと、あとは太宰治が誰だかを評して言った、「詰め将棋と同じで、詰むに決まっている」との言葉が思い浮かぶだけだ。田中小実昌はトリュフォーの「隣の女」に、「人を殺すと話が甘くなる」と苦言を呈していたが、「クラッシュ」にもこの名言を捧げたい。粗暴な男がふと見せたやさしさのような、仮想敵を想定することで自分の存在を確認するアメリカそのもののような、悪質極まりない「感動作」。

−−−

とまあ、ここで終われば話は簡単なのだが、問題は、演技その他もろもろ、一見非の打ち所がないところ、そこにある。映画は脚本であり演技であり演出であり音楽でありカメラでありその他もろもろであり、そして、その総体ではない、映画そのものでしかない。

ハギスが脚本と製作を担当していたイーストウッドの「ミリオンダラー・ベイビー」、わたしはぜんぜん好きでなかったが、今になってようやく分かったことは、イーストウッドは映画作家であり、ハギスはまだそうではない、ということ。

「プロデューサーズ」は舞台版の演出家であるスーザン・ストローマンがそのままの手法で映画版も監督してしまい、良くも悪くもそれなりの仕上がりになってしまったけれど、こうして考えると、「クラッシュ」も、うーん、脚本家の映画だなあという印象。

とすると、本物の映画監督とはやはり、神様に近い存在なのか。そうぼこぼこ新しい神様が現れるはずもない、と思えば、とくにがっかりもせずにすむのではあるけれど。
映画
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真・映画日記『クラッシュ』
疲れからか7時まで寝ていた。 久々に6時間寝たけど、全然疲れが取れない。 それでもこの日はやらなければならないことがびっちりあった。 10時少し過ぎまで「CHEAP THRILL」の原稿書き。 家を出るギリギリまでねばったが書ききれず。 10時半に近所の床屋
CHEAP THRILL : 2006/07/15 1:19 PM
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