Eat Much, Learn Slow (& Don't Ask Why)

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スタンダード・ナンバー
Posted by: 鈴木並木 SUZUKI Namiki (→Profile)
父親がレコード・コレクターだったり、母親が教会でゴスペルを歌っていたり、ラジオからブルースが流れてきたり、実家がハーレムのど真ん中にあったり、そういった生育環境ではまったくなかったので、ジャズを聴き始めたのは20代前半頃のことで、聴き始めた理由も、このままロックばかり聴いていたのではリスナーとしてじきに行き詰るに違いない、との得体の知れない焦りからで、結果的にその判断は正しかった。

思い立って次にしたのが、正月、実家のある地方都市のデバードで開催されていた古本市に出向いて、スイングジャーナル(昔、そういう雑誌があった)の別冊のモダン・ジャズの名盤ガイド本を買うことで、なにしろその本が出版されたのは80年代半ばか末だから、つまり、レア・グルーヴ的視点による怒涛の再発ラッシュとか、世界初CD化の激レアヨーロッパ盤とか、アフロ・ディズニーとか、紙ジャケCDとか、クラブ・シーンと連動したイケメン若手ジャズメンの台頭とか、そういったものはまだ影も形もない時代であって、矢野沙織なんか、ヘタしたらまだ生まれていなかったかもしれない。

それから1年か2年は、問題集をこなすみたいにしてその本に載っている「有名盤」を買っていった。そのせいで、モダン以前のジャズに触れるのが大幅に遅れることになったのは取り返しのつかない損失ではあったけれど、取り返しのつかないことは実はそんなにはないともいえる。それよりも、自由意志(と思っているもの)にもとづかず、体系的に(ある種の)教養を獲得できた功績のほうが大きい。90年代半ばのわたしに、そのスイングジャーナル(昔、そういう雑誌があった)の別冊と、自動車教習所(自由意志の許されない場所)が与えた影響は、たぶん想像以上に大きかったろう。

スイングジャーナル的教養は、その後、必要に迫られて買い求めた、大橋巨泉と岩浪洋三によるライナーノーツの再録本「100枚のジャズ・ヴォーカル」(愛育社)によって補強され、それから何年かたって、原田和典の「元祖コテコテ・デラックス」(松坂)によってほとんど全部くつがえされた。言い換えればそれは、スタンダード・ナンバーをみっちりと覚える過程であって、でもその課程の途中で(ようやく)映画に出会ったわたしは、映画監督やカメラマンの名前を覚えるほうに夢中になってしまった。とはいえそれでも、スタンダード・ナンバー(もちろん、歌詞も含めて)がいかに強固な存在であるか(「あったか」?)を思い知るには充分すぎる時間だった。

それからまた何年かたって、日本のジャズに少しずつ接するようになって否応なしに抱くようになった疑問は、スタンダード(標準)っていうのはいったい誰にとってのスタンダードなんだ? ということで、なんでまあえんえんと、アメリカ人にとってはそりゃナツメロかもしれないけれど日本人にとっては縁もゆかりもない曲ばかりでアルバムの全部を埋め尽くさなくちゃいけないんだろうとか思い始めたところで、綾戸智絵がスマップの「夜空ノムコウ」をカヴァーしているCDを、ああ、あのコブシであの曲を歌っているんだったら聴いてみたい、と思って買って、聴いてみたら歌詞が(勝手に訳した?)英語なもんでガックシ来てしまい、あんたそりゃアメリカでゴスペル歌ってたからって、日本語でスウィングできないんだったらわざわざ歌うことないんじゃないの、と思ってしまったのでした。綾戸智絵には別にうらみも何もないけどね。

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と、ここまでは、酒井俊が11月に出した2枚の実況録音盤『Plays Standard』(→☆)と『a few little things』(→☆)を紹介するための、いささか長すぎる、でも自分にとっては必要な、イントロダクションです。

『Plays Standard』、曲目を見ていただくだけでも、スタンダード、という言葉の解釈が相当独自であることはお分かりかと思う。いわゆる普通のジャズ・ファンが知っている曲は、せいぜい半分くらいなのではないか。そんなところに混じって、ハリー・ベラフォンテで有名なカリプソ「さらばジャマイカ」があり、大恐慌時代の雰囲気たっぷりの「サイド・バイ・サイド」(わたしはジャッキー&ロイや、ジョージィ・フェイムのヴァージョンで愛聴していた)があり、ジャズも映画も生まれる前の民謡「シェナンドゥー」がある。

編成や演奏もまた、ジャズ・ヴォーカリストとその伴奏として見たなら、なかなか珍妙であって、そもそもなんで「イエス、ウィ・ハヴ・ノー・バナナズ」の曲中でヴァイオリニストが完全に浪曲のムードで♪オー・ソレ・ミィ〜オ〜と歌い出し、ヴォーカリストがそれを聴いて噴き出してしまっているのか理解できない。

でも不安になる必要は一切ない! これは「ヴォーカリストとその伴奏者たち」ではなくて、全員でもってひとつの音楽的塊、つまりミュージック・ソシアリスムである! そしてゴダールのすべての映画が「“対アメリカ”映画」であるように、酒井俊が作り出す音楽は、ザ・バンドやトマス・ピンチョンが描くような、実在する土地であると同時に架空の存在でもあるような「アメリカ」のサウンドトラックである! だから「ゴーストパスターズ」を書いた高橋源一郎も、「アメリカ」を書いたカフカも、それを映画化したストローブ=ユイレも、みんなこのアルバムを聴いているはず。

と、以上を念頭に置いておけば、『a few little things』については、ビル・ウィザースがありスティングがありボブ・ディランがありトム・ウェイツがあり、「ヨイトマケの唄」があり「上を向いて歩こう」があり「見上げてごらん夜の星を」があり、と書いていくだけで充分なように思える。

酒井俊の音楽、わたしの貧しい知見の範囲では近年のボブ・ディランのライヴや、カエターノ・ヴェローゾの不定形で分散的なアンサンブルと近い発想にもとづいているのではないかと思えるのだけど、たとえば去年のディランのライヴなんか、多くの客がしていることといえば、一瞬でも早くそれが何の曲かを同定する作業であった。そういうクイズ大会が好きなひとは、酒井の音楽を聴いてももしかしたら楽しくないかもしれない。

わたしが期待しているのは、むしろふだんそれほど音楽を聴かないマキノ雅弘ファンが酒井俊のライヴに来たらどういう反応を示すだろうか、ということだったりする。自分では脚本をほとんど書かず、出演もしないマキノの作る映画が、それでも明らかにマキノでしかありえない空気を身にまとっているように、もともとある歌の数々を、バンドに的確な指示を与えてうたって自分の音楽にする酒井のやり方も、これはもう、文字通りの意味で演出と呼ぶしかない。

酒井俊はマキノ同様、しょっちゅういろんなところでやっていはするけれど、今月の14日(金)と15日(土)には、渋谷・公園通りクラシックスでCD発売記念のライヴがあります。来場者全員に気前よく、レア音源収録の特典CD-Rがプレゼントされるらしいので、足を運ぶ価値おおいにありと太鼓判を押しておきます。いままで何度かライヴに行って、そのたびごとに曲目もアレンジもびっくりするくらい異なっているのでたいへん驚かされるのですが、先日見に行ったときは友部正人の「6月の雨の夜、チルチルミチルは」が飛び出してきたり、いちばん最後には「リボンの騎士」の主題歌がうたわれて、これにはまったく、完全に、不意打ちをくらった気分でした。なるべく多くのひとたちに、一刻も早く、驚いていただきたいです。

*酒井俊のホームページ →☆
音楽
comments(2)
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綾戸さん 最高ですね
夜空ノムコウ 思い出の曲です。この歌好きです。暗い僕かなぁ。
あいつは あれから 何を 信じてきたのかなぁ。何を心の支えにしたのかなぁ。哀しみが 消えるには 楽しみと余裕が いるのかなぁ。信用という愛かなぁ。〜
この世を変えることは 簡単でないですね。でも 理想社会でもいい
未来が 変えれるなら 変えたいなぁ
音楽同好会(名前検討中 綾戸智絵を語る会 夜空ノムコウ
村石太&古川&志賀&佐藤&山本 : 2011/05/31 9:12 PM
管理者の承認待ちコメントです。
- : 2017/02/09 1:26 AM









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