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今週の捨て台詞
Posted by: 鈴木並木 SUZUKI Namiki (→Profile)
例によって、どこからどうやって書き始めたらいいのか見当もつかないまま何日もたってしまうのだけど、なんかもうそういうのもどうでもいいやとという気もするので、思いついた順に書いていくことにすると、映画を記憶するときに、キメ台詞みたいなものを手がかりにすることがよくある。たとえば、北野武の「キッズ・リターン」が好きな映画として挙げるひとの多くは、細かなディテールや映像のトーンのことなどは覚えていなくて、ただラストの有名な台詞しか記憶に残っていなかったりするだろう。もっとも、たとえバカバカしいと思っても、作品から切り離した状態でもキャッチーに響くような台詞をひとつふたつ入れておくと、そこがまんまと予告編に使われたりもするだろう。と、いつものようにどこにいるのかわからない仮想敵に軽くケンカを売っておいてから(←なんか「キッズ・リターン」っぽい?)、最近見た映画を、台詞で振り返ってみる。

○今井正「にっぽんのお婆ぁちゃん」

シネパトスの、いちばん大きいとこで見た。最近系のシネコンで使われる「スクリーン」という言い方は、シネパトスには似合わない気がする。9年くらい前にフィルムセンターで見ているのだけど、それからだいぶたって、安田謙一の本を読んだら彼がこの映画を見に行ったときの思い出が書かれていて、それというのは、北林谷栄がラーメンをこぼすシーンで客席から「あっ」と声があがった、というものなんだけど、そんなことすっかり忘れていたものだから、それを読んで以来、再見の機会をうかがっていたところ、ようやく実現した次第。その短文は、「ピントがボケる音」(国書刊行会)を買えば入っているので、仮にも日本語がある程度不自由なく読めて、ポピュラー音楽が好きだと自負している人間が、これを読んでいないとしたらそれは恥ずかしいとかそういう問題以前に、単純に不思議だ。そんな感度の鈍いアンテナでは、道を歩くにも不自由するだろうに、という意味において。わかりやすいたとえを挙げるならば、黒人音楽愛好家がネルソン・ジョージの「リズム&ブルースの死」(早川書房)を読んでないくらい不思議とも言える、と書きながら、そういえばネルソン・ジョージの本ってほかにどんなのがあるんかいな、と検索開始して数分後には「ヒップホップ・アメリカ」(ロッキングオン)を注文してしまった。

さて、台詞ですが、北林谷栄が、レコード屋で知り合ったミヤコ蝶々と一緒に、十朱幸代がウェイトレスをしている食堂かなんかで飲み食いしながら、亡くなった配偶者の顔も忘れてしまったことを嘆いてもらす、

「みぃんな、しらないあいだに消えていくんだよぉう」

というもの。こうして記憶を頼りに(たぶん不正確に)書き起こしてみたところで、所詮は字面、見てないあなたになにかが伝わるとは思えないが、もし見たことがあるひとは、ウマのたてがみを手入れするのに使うブラシみたいな北林のごわごわした短い頭髪や、やや白く濁った眼球や、向かい合って座っているミヤコ蝶々や、顔全体がくしゅくしゅっとコムパクトに折りたたまれたかのような十朱の笑顔や、深夜の六区での老女ふたりと警察官との追いかけっこや、そこにひっついた渡辺宙明の音楽や、その他もろもろを思い出すはず、で、東銀座のシネパトスでも、北林がラーメンをこぼすところで、誰かがおっきな声で「あっ」と言ってました。これ、毎回起こってたんじゃないかな。

○富田克也「雲の上」

バウスシアターの爆音映画祭にて。といっても、チケット売り場の隣の小さな部屋のほうでの通常音量での上映で、ときどき壁の向こうから、同時間帯に爆音上映中の「アバター」の地鳴りが響いてきていた。約10回通った今回の爆音、私的ベストは富田=相沢ティームの新作「サウダーヂ」のための素材集? である「Furusato2009」だったのですが、最後の最後の日に、この「雲の上」の時点からしてすでに富田監督は怪物だったのだと確認できたことは、なんだろう、喜び? 驚き? ざわめき? ゆさぶり? みたいなものだった。爆音の時期、爆音と並行して何度か足を運んでいたのが神保町シアターの喜劇特集とイメージフォーラムのスコリモフスキで、わたしはダントツで「不戦勝」がベスト、ちょっと下がって「パリエラ」、あと2本はまあちょぼちょぼ、な感じなんでしたが、スコ特集のディジタル上映はとくにストレスなく見ることができたのが不思議といえば不思議、フィルム以外の各種の最新系の上映方式は全般的によくわからなくもありつつも、スコリモフスキ1本につき15分くらいの予告編の時間があって、内容が同じなのですっかり覚えてしまうといったこともあった。なかでも「シルビアのいる街で」の予告編での、ガラスの向こうとこちらに、何人もの女性が透けて見えたり(*)反射したりして重なる洗練された手つきには、「お前、エロいな!」と監督の肩を叩いてやりたくなるのでしたが、「雲の上」を見に行ったら、始まってすぐ、偶然にもそれと似ていなくもないことをやっているところがあって、ここなんかもう、出会い頭に金属バットでぶん殴られたようなもんなんであって、しかも、もともとが8ミリをDVCAMにした映像がどうしてこんなにやわらかい光を放つのか、謎としか言いようがない。8ミリというメディア特有の強度なんでしょうか。

見終わってしばらくして、これは山梨のガルシア=マルケスだなあとふと口に出してみたのは、GMが、おばあちゃんから聞いた話をそのまま書いたらすらすら書けた、とか書いてたような気がしたのを思い出したからで、「雲の上」も、そんなはずないとわかっていながら、富田監督が自分の記憶をそのまま撮ってるように見えなくもなかった。さて、台詞ですが、途中で出てくるぺんぺんおじさん(主人公が子供のころからずっと、道端の同じ場所で同じ動作をしていて、昔から同じくらいの年齢に見えるひと)について、登場人物のシラスくんが、こう言う。シラスくんの芝居は、北林谷栄の有無を言わさぬほどの対象への一定化力とはまたちがった、そこらの土からじかに生えてきたタケノコのような説得力があって、これはこれで深く納得させられてしまう。

「高いとこにのぼったときなんか、ちんこがひゅうっとするときがあるらー? (ぺんぺんおじさんは)あの状態が何十年も続いていると思うんだよねー」

例によって細部は不正確ですが、らー語尾に注目されたい。この語尾は長野県南部、静岡県で使われているのは個人的に確認したことがあって、今回、山梨県にも存在していることを初めて知った。ほかの地域での使用例をご存知の方、いらっしゃいましたらご教示ください。

*→ 透明人間ではない。

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おしらせです。映画情報サイト「INTRO」に、ジョージ・A・ロメロ監督「サバイバル・オブ・ザ・デッド」のレヴューを書きました。シネフィルがゾンビを初めて見つけてはしゃいでいるかのような感じで書いてみました(わたしはシネフィルではないが)。ゾンビに詳しい方からのお叱りをお待ちしております。(→☆
映画
comments(2)
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台詞で覚えているっていうこと、よくわかります。
映画でも演劇でも。音楽だったら歌詞で覚えていることも。
なんでそれで覚えているんだろうなんて思い始めて、サイレント映画や言葉や感覚についても考え始めました。
言葉って、入ってきやすいのでしょうか…

考えるきっかけを、ありがとうございます。
7 : 2010/06/15 12:39 PM
7さん、

たぶん、“感じ”って、覚えづらいんでしょうね。
それを引っ張り出す手がかりとして言葉は便利ということなのかもしれません。
極論すると、絵とか写真のタイトルってそのためのものなのかな?とか……
鈴木並木 : 2010/06/15 4:46 PM









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