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少女は格闘すべきです
Posted by: 鈴木並木 SUZUKI Namiki (→Profile)
中学生のころ、体育の時間に突然、ヴァレーボールでいちばん肝心なことは何か、と問われてどぎまぎしつつ「ボールを落とさないこと」と答えたらそれが正解だったという経験があって、それから20年近くたったいま、映画でいちばん肝心なことは何か、と問われるたびに(実際に問われたことはない)、やはりどぎまぎしながら「絵が動くこと」と答えたりする。

そうか、絵が動くからmovieなのか、と思いあたったとたんに連想するのはオルダス・ハックスリーの「すばらしい新世界」に出てくるエンタテインメントで、視覚と聴覚に加えて触覚をも疑似体験できるそれは、当然のように、feelieと呼ばれている(*)。ひとによっては、そこから命名されたニュージャージーのロック・バンド、フィーリーズのことを思い出すかもしれないし、ついでにいえば、ドアーズもアイレス・イン・ギャザも、ハックスリーの著作からその名を採っていることは知っておいてもよい(知らなくても差し支えなし)。

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鈴木則文の「華麗なる追跡」には、映画とはなによりもまず絵が動くものなのだとあらためて痛感させられた。

冒頭、実際のカーレースの映像と、レーシングカーに座っている志穂美悦子とが、何度か交互に、いかにも安直に映される。するといつのまにか、志穂美は表彰台のいちばん高いところに立って、優勝カップを受け取っている。

わたしはこの監督の映画を初めて見たのだけど、この一連の適当な流れだけで、監督がこれからどういう態度で映画を作っていくつもりなのか、これ以上なく明確に了解できた(と思った)。

これはとにかく、志穂美悦子が動くのを見る映画。トリュフォー「逃げ去る恋」のジャン=ピエール・レオーと、深作欣二「おもちゃ」の宮本真希と、もうひとりあと誰だったかが、わたしの考える“走る主人公3傑”なんだけど(なんなら先ごろお目見えした新しいジェイムズ・ボンド、ダニエル・クレイグを加えてもいい)、ここでの志穂美、飛んだり跳ねたり蹴ったりヌンチャクを振り回したりステンドグラスを突き破って教会から脱出したりと、その運動量、尋常ではない。

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「悩んでいるところは絵にはならない」と喝破したのは「Bikenshi」の中田雅喜氏で、つまり、movieの原則に従って、登場人物は、悩んだり頭をかかえているヒマがあったら、ひとまず動き出すのがまっとうなやり方なんだろう。それがたとえば、電話をかけるのでも、頭をかきむしるのでもいい。とりあえず立ち上がってくれ。

立ち上がった役者は歩くなり走るなりするわけで、そうやって動き出した女優からどうやって最大限の美しさを引き出すのが次の大問題になる。女優を美しく撮るためにどのような方法があるかはいちいちここでは書かないが、たとえば「クローズ・アップ リリアン・ギッシュ」で検索することによって、あなたはたちどころにひとつ物知りになれるだろう。

女優たちを輝かせるための各種演出方法の中で、「格闘」という選択肢はほぼ完全に黙殺されているのではないか? もしかするとわたしたちは、宮崎あおいが飛び蹴りを喰らわしたり、蒼井優がヌンチャクを振り回したり、池脇千鶴が拳銃をぶっぱなしたり、そうした映画がもしかしたら持つかもしれない可能性に目を閉ざしているのではないだろうか?

(考えてみたら、「スケバン刑事」とか、タランティーノの映画での栗山千明だとかの例もありましたね)

とまあこれは半分冗談、半分本気の話。しかしながら、俳優の運動神経については継続的に考えてみたいと思う。映画がmovieであるということは、とりもなおさず、すべての映画はアクション映画だということなのだから。

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鈴木則文はもう1本、「徳川セックス禁止令 色情大名」を見た。

あえてわたしがいうべきことはほとんどないけれど、優れた映画を決定付ける条件のひとつとして、「独自のルールを持っていること」をあげるとするならば、本作は、たとえば小林正樹の「切腹」と比べてもなんら見劣りするものではないと思う。

というか、時代劇とはそもそもこういうものではなかったのか、とすら思わせてしまう傑作。

というか、大島渚は、今村昌平は、ソフィア・コッポラは、この映画をちゃんと見たのか? 見てなんとも思わなかったのか? と、理不尽な詰問すら始めたくなる。大島よりアナーキーで、イマヘーよりエネルギッシュで、ソフィア・コッポラよりゴシック。ただ、価値観を見事なまでに転覆できているのに、最後のほうで反体制テイストがちらつかされるのは余計だったのではないかいな。見れば分かる、みなまで言うな、と制止したい気分。

きちんとした時代劇を作ってきたスタジオで培われたたしかな技術がこのような作品にも生かされている、などと評したのでは、すべてに対してとても失礼な態度。とりあえずシネマヴェーラ渋谷の鈴木則文特集にかけつけられたし。「徳川セックス禁止令色情大名」は終わってしまってますが、「エロ将軍と二十一人の愛妾」はこれから始まります。

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*→ リンク先に以下の記述あり。
The word feelie has also been applied in Aldous Huxley's Brave New World, as a form of motion picture that provides the sensation of touch in addition to sight and sound. The word suggests a logical extension to the moving picture ("movie") and the talking picture ("talkie"), and suggests an entertainment form with an incredible level of sensation but with minimal substance.
映画
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