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リトル・プレスのつくりかた
Posted by: 鈴木並木 SUZUKI Namiki (→Profile)

リトル・プレス「トラベシア」を創刊して、2か月で手元の在庫がほぼゼロになりました。いい機会なので、もろもろの経緯を振り返っておくことにします。目新しい情報はない、いわば大いなる蛇足ですが、これからつくろうとしているひとたちの参考になれば幸いです。

○そもそも

思えば数年前から、映画仲間との呑みの席などで、つまんないライター連中に試写を見せるくらいなら、俺らが見たほうがよくね? みたいな話をしていた気がします。そしてその際、一度雑誌を出してメディアとして認知されると、廃刊になったあともずーっと試写状が送られてくることがある、なんて話も誰かから聞いたような。なるほど。それを聞いたことが直接の創刊のきっかけというわけではないですが、この時点では、硬軟とりまぜた映画批評の雑誌みたいなものを想定していました。

とはいえ、きちんとしたものを作るには金がかかるし、わざわざ作るに足る面白さのものができるのかとの心配もあり。第一、どうしても作らなければ(心が)死んでしまうとかそういうこともなく、また、一緒にがっつりやれる仲間がいるわけでもないので、とくに話が具体化することもありませんでした。

ことが進んだきっかけのひとつは、転職でした。わたしのではなく、妻の。私事ですが、2014年に結婚しまして、その後しばらく新婚生活にかまけてぼんやり暮らしておりました。しかし今年の正月に妻が転職して途端に猛烈な激務になり、夫婦団欒にあてる時間が減って気持ち的にヒマになり、多少なんかやってみよっかな、という気分になり、また年齢的な問題(もうすぐ死ぬ)もあって、だったらあれやってみよっ、みたいな具合に後押しされました。

○準備

2016年3月の下旬、寄稿者のみなさんに原稿依頼をしました。身近なひとには事前に軽く打診したり、知らないひとには人づてに頼んだり、あるいはアドレスを調べていきなり連絡したひともおります。

誰に書いてもらうかを決めて原稿依頼する、というのがわたしの仕事で、事実上、わたしはそれしかやってません。思うに、ものを作るにしても興味のある部分ない部分、譲れるところ譲れないところ、があるものです。わたしの場合、誰に書いてもらうかの判断を他人まかせにする気は一切ありませんでしたが、見た目に関する部分のこだわりはそれほど濃くありませんでしたので、だいぶデザイナーの村松さんにおまかせしています(後述)。

書き手の人選について。当たり前すぎてわざわざ言うまでもないことですが、すでに名前のあるひとたちばかりで固めてハクをつけよう、たくさん売ろう、という発想はまったくありませんでした。わたしは好き嫌いが激しいですし、めちゃくちゃ雑な言い方をするならば、プロだからといって面白いものを書くひとばかりではないと思っていますから、だったら、ここでしかありえない独自性を打ち出そう、と考えました。おそらくお読みになって、このひとたちはいったいいままでどこにいたんだ、と驚かれた方も多いと思うのですが、半数くらいは、こういうことがあったらぜひ頼もう、と頭の片隅にストックしておいた秘蔵っ子のみなさんです。

いわゆるプロの方に何人かお願いしたのは、営業判断と、もちろん自分が読んでみたいのと、半々くらいのところです。有名人ばかりで固める気がないのと同様に、馬の骨ばかりのものを出す気もありませんでした。プロ・アマ混在にしたかった。

お願いしたけれども返事をいただけなかったひとや、多忙でお引き受けいただけなかったひとが何人かいました。とはいえ、メールするくらいなんの手間でもないし、断られても別に恥ずかしくないので、頼みたいひとがいたら、頼んだほうがいいと思います。

あ、それで結局、映画批評の雑誌にはならなかったわけですが、誰に書いてもらいたいかを最優先したら、無理に特定のジャンル雑誌にする必然性がなくなったからに過ぎません。だから公式の?キャッチフレーズを「普通に読める日本語の雑誌」としたのは冗談でも皮肉でもなく、ごく自然な気持ちの発露なのです。

○見た目の問題

執筆者に原稿依頼をおこなった直後、3月下旬に、わたしと村松さん、イラストの畑中さん、そして妻とで初めての打ち合わせを持ちました。創刊号の好評はぱっと見の畑中さんのイラストの印象、そして村松さんのデザインに支えられている部分が大きいと思っています。

最終的にああいうイラストになりましたが、当初のわたしのリクエストは、「森の中で野外上映がおこなわれていて、人間と動物が混ざってそれを見ている感じで。スクリーンには男女の顔が大写しで」みたいなものでした。なんとなく、デフ・スクールの『セカンド・ハネムーン』あたりのイメージだったかな。本当は表紙とウラ表紙がひと続きになった、横サイズの絵を想像しておりましたが、実際に本にするとなるとうまくいかないような気がして、自宅にあるダブル・ジャケットのLPやなんかをいろいろ見たりもしてました。

デザイン全般については、自分は、なんとなくこうなってるのがいいな、くらいの好みはあるものの、あれこれ細かく決めたいという欲望はないことに気付いたため、本文レイアウトその他はまずデザイナーの村松さんにえいやっと丸投げです。なお、当初、デザインを身内に(無料で)お願いすることを考えていた時期もありました。そうしなくてよかったと思っています。

○ギャラ

書き手のみなさまへの原稿料はプロ・アマ問わず、基本的には均一額を設定しました(実際のお支払いの際には若干例外的な事象が発生)。非営利の出版物であると開き直ってギャラを払わない(払えないふりをする)、あるいは有名人枠とみなした一部の書き手にのみ払う、といったやり方もありえますが、ダサいのでそれは不採用で。

額としては雀の涙というか、もちろん無理すればもっと払うことができなくはないのですが、それをしてしまうと今後、続けていくことが難しくなるので、一応いろいろ考えて決めました。

結論から言うと、払わなくて済むほどの親しい間柄の相手だったとしても、払えるならば払ったほうがいいでしょう。頼むときやその後なにか(追加の)お願いをするときの心理的負担が激減します。

職能と総労働量・労働時間を鑑みて、デザイナーさんにはだいぶ多めにお支払いしました。細かい修正や要望を汲んでもらう回数を考えると、当然そうすべきだったと言えます。

○原稿集め

依頼から概ね3か月後を締切に設定しました。頼んでからしばらくは、進め方の方向性の相談がたまにあったりするくらいで、そんなに忙しくありません。この時期に発刊記念イヴェントの準備をしたりしてたんだったかな。

いちばん早いひとの原稿到着は、締切の約2週間前。まだ心がまえができておらず、おっもう来たか、という感じだった記憶があります。所定の締切日までに出していただけたのは、人数としては半数弱だったでしょうか。最後のひとは所定の締切日から5〜6週間遅れだったような……。もちろん、時間の余裕はとってありましたが、若干ヒヤッとしました。

どの程度催促するべきか、していいものなのか、については相手の感じを見つつ、が一般的なんでしょうね。今回は、なだめたりすかしたり泣き落としたりといった手練手管を弄する必要はほぼなかったです。特別な取り立てとしては、若い衆(空手の有段者)を引き連れて書き手の職場に仕事中に予告なく訪問し、紳士的に軽く威嚇したくらいのものです。(←実話です)

○徐々に忙しくなる

原稿が集まるにしたがって、それをどう並べるかを考え始めます。普通であれば、あらかじめ、このひとにはこういう内容で何字(何ページ)、という台割を作り、それに応じて原稿依頼するのでしょうが、今回は(というか次号以降も基本的にはそうすると思いますが)、「テーマは顔。字数はおまかせ」というやり方で原稿を書いてもらったため、どのくらいの長さのどんなものがやってくるのかわからない。おのずと、全員分が出揃うまで並びも全体のページ数も確定しないことになりました。

いくつか揃ってきた時点で、これはだいたいこのへん(前半なのか真ん中なのか後ろのほうなのか)だなと見当を付け、それを肉付けしたり入れ替えたりします。届いた原稿を読み、並びを考えるこの過程がいちばん楽しい。安田さんから届いた時点でこれはトップかラストだな、と思いましたが、渡邉さんのすばらしい原稿をもらって、巻頭はこれしかないだろうと即断しました。

ところで、誰もほめてくれていないようなので自画自賛しますけど、「トラベシア」創刊号の全体の流れやグルーヴ、見事すぎませんか? まったくの私事ですが、20年間趣味でDJをやっている経験がひょんなところで生かされた気がしています。90年代の渋谷系華やかなりし時代、編集(「エディット」とフリガナ)感覚の音楽、みたいな言われ方がしばしばなされていたのを思い出しました。

楽しんでばかりではいられません。もらった原稿をデザイナーに送る→デザイナーが紙面を作る→ゲラのPDFを書き手に戻して修正箇所があればしてもらう、という作業を、ひとによっては数往復、します。表紙のイラストについても同様の工程を踏みます。もちろん途中で誤字・脱字・誤記・文意の不明なところがあった場合にはお伺いを立てて、必要に応じて直してもらいました。

どの程度直すかの問題。単純な誤字、脱字、事実誤認、人名や数字の間違い。これは正しいものに直してもらえば済みます。ひとりひとりの独自の記法、記号の使い方、これらについては全体の統一はとらない、という方針にしました。もっと大きな話で、ある原稿について書いてあることの裏をざっととったら、あれっこれ割と書いてあることと事実とが異なってない? となったものがひとつあったのですが、全体の趣旨にかんがみて、書き手のひとはそういうふうにとらえていたんだろうとみなして、そのままにしました。さらに大きな問題として、意に沿わない原稿が来た場合どうするか。「水準に達していなかった場合は不採用でいいです」みたいな言い方をして提出してきたひとが複数人いましたが、そういう謙遜は不要ですし、わたしに失礼ですよ。よしんば多少つまんない原稿だったとしても俺がなんとかする、なんだったら流れに乗せてごまかして面白く読ませる、くらいの覚悟でこっちはやってますので。(何人かには比較的大きめの修正をお願いしました)

○紙と印刷

紙の選定、印刷所との折衝、入稿、このへんについても村松さんにおまかせしました。ありがとうございました。自分でやるとしたら、印刷所は、「同人誌 印刷」などで検索するといろいろ出てきます。紙のサンプルをタダで送ってくれるところも多いはずなので、それを見て、本文と表紙の紙と加工方法を決めればよいでしょう。

ところで、長期間にわたるやりとりの途中で、何度か村松さんをイラっとさせてしまったことがあったような気がしないでもないです。印刷所への支払い額を村松さんから聞かされて一瞬、うっ、となって反射的に「多少印刷のクウォリティが落ちてもいいので、もっと安いところになりませんかね?」と訊いてしまったことがありました。そしたら「わたしが全部時間と手間をかけて交渉しているし、いまさら変更するのはものすごいエネルギー使うので、無理です」みたいな返事が来ました。

もちろん村松さんは鬼でも悪魔でもなんでもなく、あくまでもプロとしての厳格なコスト意識でもってわたしがお願いした仕事をやってくださいました。一方、わたしはわたしで、事前に自分でいくつかの印刷会社のサイトを見て、ざっとこれくらいかなー、とあくまで適当に、かつ安めに、金額を予想していたもので、その額といざ正式に提示された金額とに数万円規模の開きがあったので驚いてしまった。驚いてしまったこと自体はやむを得ないものの、その驚きには論理的な正当性は皆無であったというわけで、いずれにしても自分の見通しの甘さを知らされたので、以降は借りてきた猫です。

いついつまでに印刷に回さなくてはいけない期限、というのがあります。誰に頼まれたわけでもなく勝手につくっているものなので、空いた時間に少しずつ作業して、できあがったら完成、で本来はよいのですが、今回は、発刊記念のイヴェントをやることにしたので、その日には現物を用意したい、との目標がありました。結果的に誰ひとりとして徹夜などすることなく、イヴェント日の1週間くらい前には手元に完成品が届いていました。

○拡散

できあがったものは売らないといけません。初めてつくったものの場合、いろんなところや著名人などにタダで配って宣伝をしてもらうやり方がありえます。ただしこれはわたしがもっともやりたくないことのひとつだったため、基本的には執筆者とスタッフ以外には、みなさん有料で買っていただいています。

250部つくって、執筆者にはひとり2部ずつ差し上げましたので、実際に販売した部数は200強。だいたいのところ、直売が約40部、通販が約60部、お店に卸した分が約100部、でした。

・直売
当初、直売で100部くらい売れるのではないかとなんとなく思っていました。でも考えてみたら、そんなにたくさん知り合いがいるわけない。執筆者のおひとりである若木さんのイヴェントで売らせてもらったら、10冊売れました。顔見知りも含まれていたとはいえ、このさばけ方はすごい。あとは、持ち歩いていると映画館で知り合いが声をかけてきたりとかです。

・通販
送料無料にしたのもあってか、お気軽にお申込みいただけたのではないかと思っています。他行からの銀行振り込みだと手数料がバカバカしいことになるので、アマゾンギフト券払いもできることにしました。このアイディアはツイッターで誰かが書いていたのを見かけて採用しました。どなたか忘れましたがありがとうございます。ただし、買い手、売り手の双方がアマゾンのアカウントを持っていなくてはならないので、反アマゾン派のひとには不向きですけど。なお、アマゾンギフト券で払ってもらうとアマゾンでしか使えないお金がたまっていくわけで、いや俺そんなに本とかCDとか買わないし、と思うひともいらっしゃるでしょうが、米とか家電とか、いろいろ売ってるのでもて余すことはないと思います。

通販の場合、前述のとおり送料無料なので本体価格だけ入金していただければいいんですけど、カンパの意味で多めに入金してくれた方が何人かいました。これは完全に予想外でして、驚きましたし、ありがたかったです。金に変換しても差し支えない程度の義侠心のあるみなさんは、遠慮せずにどんどんマネしてください。

通販だと、どうしてもわたしに名前と住所を教えざるを得ません。それには抵抗がある、あるいは、買ったことをわたしに知られたくない、といったケースも想定されます。そういうひとのために実店舗での販売はやはり重要かなと思いました。とはいえ、どうしても取扱店は東京中心になるので、地方のみなさまには通販をご利用いただくしかないわけですが。あと、これは少数意見かもしれませんが、「送料無料では心苦しい」と言われたときには驚きました。なお、次号からは送料いただくことにしています。

・店売
置いてくれるお店はせいぜい2、3店舗くらいだろうと思っていましたが、最終的には10店舗様に取り扱っていただきました。ありがとうございます。東京が7か所、あとはつくば、京都、神戸が各1か所ずつ。こちらから積極的に売り込んだのは2か所くらいで、あとは直接、あるいはひとづてに、オファーをいただきました。取引条件はどこも同じで7掛けの買い切りを提示しました。

逆に、こちらから、ここにお願いしたい、と思ったお店何か所かにメールしたうち、返事すらくれないところがいくつか。あと、条件的なアレで交渉決裂っぽい感じになったところがいくつか、ありました。

○反応は薄い

おかげさまで売れ行き自体はけっこう好評でしたが、読んでくださったみなさんの感想があんまり聞けてないので次号、どれくらい刷ったらいいかが見当がつきません。いまからでも遅くないので、なにか言いたいことがあるひとはご意見をお寄せください。

誤字の指摘をいくつかいただきました。たとえば医学論文のグラフの数字が間違っていたら重大ですから指摘すべきですが、「トラベシア」に載っているような類の文章の、なおかつ明らかに見てすぐわかるようなケアレスミス的な誤字は、いちいち指摘してくれなくても、いいです。増刷の際に修正したり、正誤表を入れたりできるわけでもないので。お気持ちはありがたいのですが、次からは、ああ、間違ってるな、と思っても、どうしても世の中のために指摘しなくてはならない場合以外は、胸の中にとどめておいてください。

○会計報告

発刊記念イヴェントのことはまた別にして考えますと、直接経費(印刷代と執筆者、デザイナー、イラストレーターへのギャラ)でちょうど20万円ほどかかりました。ちなみに印刷部数は250部です。これ以上の具体的な内訳を開示すると、誰にいくら払ったのかがわかってしまうので勘弁してください。

通販の発送にかかった分、執筆者のみなさんに送った分、お店に送った分もろもろあわせてかかった送料が約15000円。上記の20万円と合計して、215000円。直接お店に持っていって納品したところもありますがその交通費はとりあえず計算に入れないことにします。

ではどのくらい回収できたか。実売は200部で、店売分が100部=1冊あたり350円で35000円。直売と通販がやはり100部=5万円。あわせて85000円。

創刊号はつまり、215000マイナス85000で、13万円の赤字を出したことになります。あらためて考えると血の気が引く思いがしますが……とはいえ、村松さんにいつだったか、「でも、楽しかったでしょ。有意義な、いいお金の使い方をしたんじゃないの?」みたいなことを言われました。明確に意識はしていなかったけど、言われてみればまったくそのとおりで、異論はありません。

しかしなあ。一応今後も続けるつもりでいるので、毎回10万以上の赤字が出るとなるとしんどい。収支トントンになるのが理想ですが、せめて1回あたりの赤字は3万円くらいにしたい。考えられる手はいくつかあるでしょう。

・印刷費を抑える。
→安い印刷所を使うとか、ページ数を少なくするとかで可能。検討に値する。

・部数を増やす。
→部数を増やすと印刷代が割安になります。とはいえ、たくさん作って余らせてしまうのは怖い。なにかの拍子であとから急に売れたりとか、あるとは思えない。

・値上げする。
→ワンコイン価格は死守したい。問題外。値上げは当分考えぬ。

・通販の送料をもらうことにする。
→これは採用。次号から実費をいただきます。よろしくお願いします。

・執筆者へのギャラを下げる。
→これ以上下げたら恥ずかしい。問題外。

・寄付を募る。
→この程度のことでクラウドファンディングなんかするのは大袈裟すぎて、ダサい。問題外。個人的に支援してくださるものはありがたくいただきます。

・赤字を分担する。
→誰か理念を共有できるひとがいたら分担したいけど、好き勝手にやりたい。いまのところは保留。

さて、どうなりますか。次号の会計報告をお楽しみに。

○これから

飽きないかぎり、年に1回くらいのペースで発行していきたいと考えています。次号の構想も少しずつ固まっています。またしてもプロ・アマ混在で、最強の馬の骨がずらりと並ぶ、そんなものになるのではないかと。

とはいえ、安いギャラでお願いできるのであれば、いわゆる有名人のみなさまの原稿を載せるのはやぶさかでありません。ぜひお願いしてみたいのは、荒川洋治、大江健三郎、ジャン=リュック・ゴダール、壇蜜、吉高由里子、といったひとたちです。ツテのあるみなさまからのご連絡をお待ちしております。

○あなたへ

もしあなたが、ひとりでとか、あるいは仲間数人で、ジン、リトル・プレス、マガ、同人誌、呼び方はなんでもいいんですが、つくろうと思ってるとしたら、いますぐつくったほうがいいです。

経費は抑える気になれば抑えられるでしょう。何人かのグループで作業や費用を分担すれば、ひとりあたりの負担はごく少なくて済むはずです。ツテをたどればひとりやふたり、デザイン関係の仕事をしてるとか学校に行ってるとかで、DTPソフトを使えるひとがいるでしょうし、フリーソフトでもそれなりになんとかなる世の中なはず。とにかくいますぐ始めましょう。相談には応じられますし、ひとの紹介もします。紹介してうまくいくかどうかはあなたしだいですけども。今度、話を聞かせてください。

雑記
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言わずもがな
Posted by: 鈴木並木 SUZUKI Namiki (→Profile)
ペットボトル飲料を買うことすら自らに禁じて空のボトルに水道水を入れて毎日会社に持っていくような倹約生活を送っているわたしですが、よりによってこのたび、貴重な私財をなげうって雑誌「トラベシア」を創刊しました。オフィシャルなご案内はこちら(→☆)。

事情というか理由はいろいろと複合的なんですが、ひとことで言うと、もうガマンの限界なんです。わたしは、義憤に駆られてなにかを始めるとたいていはロクな結果を招かない、と考えている人間でして、そういう人間がことを起こすのはよくよくの事態なのだと思っていただいてけっこうです。

たとえば、ツイッターで「○○(←媒体名)で△△について書きました!」などという投稿を見かけ、なにしろワン・クリックなもんですから、どれどれと気軽な気持ちで読みに行って、センスもグルーヴのかけらもない文章にげんなりしてすぐ読むのをやめてしまう、なんてことがあまりにも続きすぎた。

あるいは、大学でマジメに勉強だけしたようなひとの書いたもの。いいよ、たかだか数百字の文章で「本稿は○○について論じようとするが、その前提として云々かんぬん」だとかの型にはまった前置きは。そういうのはどこかよそでやってくれ。

つまらない文章の書き手に限ってしばしば筆欲が旺盛で、気がつくとしょっちゅう「○○で△△について書きました!」「○○で△△について書きました!」「○○で△△について書きました!」となどとつぶやいていなさる。わたしもいい加減もの覚えが悪いもんで、そのたびごとにうっかりクリックしてしまって、いちいち毎度律儀にムカッ腹を立ててしまうわけです。

そうこうしているうちに。俺だったら絶対にこんな奴らに機会など与えなどしない。さっさと田舎へ帰れ。いまはなにもしていないかもしれない俺の身の周りの連中や、俺が目をつけさせていただいているみなさまのほうが明らかに面白いはずだ。という気持ちがふつふつと湧き上がってくるのも理の当然。

わたしがこれぞ、と思うひとたちの書いたものを集めて形にしたら、つまらない連中を軽々と駆逐できるだろう。そしてあわよくば、音頭をとっただけの自分も、実質的にはなにもしていなくても、♪意っ外と簡単に〜、評価を得られるのではないか。だとしたらすばらしい。それに世の中のためでもある。よし、やろう。

ところでもうわたしはいい歳であり、こうしたものは5年10年前に出しておくべきだったという気持ちも、ないではないです。しかし、10年前にはこれだけの金を優雅な手つきで使う精神的余裕はなかったし、5年前でも、今回参加してもらったひとの約半数にはまだ出会っていなかった。だからいまでよかったんでしょう。

いい歳といえば、いいかげんもう中年なので、杉並区の区民センターのリソグラフで印刷したものを1枚1枚折って重ねて巨大なホチキスで製本するのは、さすがにしんどい。印刷所に出そう。となると金がかかる。金を出すからには、自分が納得するようなやりかたをしたい。

どーせそこらのリトル・プレスなんて、友達だとか多少知名度のあるひとにコネで原稿を頼んで、タダで原稿を集めてるんでしょ、みたいな偏見がある。それはダサいから、原稿料出そう。プロ/アマ問わず全員に、基本的には均一で。民主主義やっちゃおう。

さらに、どーせそこらのリトル・プレスなんて、印刷代その他の諸費用総計(打ち上げの費用も含む)を部数で割って、売価を決めてんでしょ、みたいな偏見がある。それはダサすぎる。40ページで800円とか誰が買うんだよ。しかもそのうち10ページはなにが写ってるのかよくわからない写真が載ってるページで。いや、誰かは買うかもしれないが、自分ならぜったい買わない。売価は500円にしよう。本当は100円か200円くらいにしたいところだけど、それだといくらなんでも赤字が多くなりすぎる。ケチな自分が500円でいいやと決めたんだから、普通の経済観念を持ったひとであればみんな喜んで買ってくれるに違いない。

ちなみに創刊号は250部印刷して、印刷代と各種ギャラの合計で20万円強かかっている。内訳を開示してもいいんだけど、それだと各人の原稿料が推定されてしまうのでここまでにしておきますが。

必然的に、全部売り切ったとしても10万円くらい赤字になってしまう。つくりながら、何人かには「インディペンデントできちんと原稿料出すのはすごいですね!」と言われ、えへんと思いつつも、とはいえ別にひとりに何万円も払ってるわけではなく、自分としても文化的で最低限度の金額を払っているだけなんですが、それにしても思ったより金がかかってしまった。気持ちだけは(没落)貴族のつもりで、と念仏のように唱えながら作業していたものの、こんなことを続けていたら本当に没落してしまう。

次号以降はギャラ以外のところを節約しないといけない。とりあえず打ち合わせの行き帰りにタクシーを使ったり、ほいほいシャトー・オー・ブリオンを開けたりするのはやめにしよう。せいぜい、ダイキリを飲みながら、サルサで踊るのが正しい。

それにしてもリトル・プレスのみなさん、あなたたちっておおむね原稿料払ってないんですよね? 払ってたら続けられないもん。じゃなければ、実家が金持ちか。もしきちんと払ってたり、払わなくても問題ない人間関係をきちんとお築きなされてたらすみません。

こうしたあれこれをいちいち言うのもどうかと思うんですが、最初に書いたように、いろいろガマンしているのがバカバカしくなったんです。考えてみたら別にどこかになにかしがらみがあるわけでもなし、もう余生だから好き勝手やることにしました。とにかく、個々のお名前は挙げませんが、プロ/アマ問わず、わたしをいまも苛立たせ続けてくれているダサいひとたちや、自分ではそうと気付かずつまらない文章を得意気に書いてなさる諸氏、あなたがたには心からお礼を申し上げたい。みなさんのおかげでわたしはこれをつくることができました。

そんなわけで、一見そうは見えなかったとしても、というかそう見えないようにつくりましたが、「トラベシア」は怒りと渇きと名誉欲とルサンチマンの産物です。しかしもちろん、ネガティヴな感情だけが生きる原動力だなんてそんなつまらない人生はまっぴらごめんだ。忿懣によって突き動かされるのと同時に、手元に届いたすばらしい原稿を何度も何度も繰り返し読んでいるうちに、生来の隠しがたい謙虚さが自然と頭をもたげてもきました。要するに、あなたやわたしがそうであるように、ときには笑いときには激怒し、ある程度の複雑さを備えたものになってはいるはずです。

と同時に、申し訳ないですが、わたしがつくったものですから、読んでくださった方の人間性を無意味に試すような箇所も、盛り込んであります。わたしに文責がある部分は、ほとんどすべて「ひっかけ問題」だと思っていただいたほうがいいかもしれません。気付かなかったらそれはそれで差し支えないので、そのままふむふむと読んでください。

これからの展開としては、まず都内のいくつかのインディペンデント系の書店に置いてもらえるよう打診していくつもりです。通販、手売りもやってますし、文フリにも「ビンダー」のところに委託で出すかもしれない。秋には毎年恒例の関西旅行をすると思うので、ついでにそれを納品ツアーにしちゃえとも構想中。その他の地方での取り扱いはいまのところ考えていませんが、自薦・他薦でおもしろそうなお店があったらお願いしてみたい。

そのほかなんでも、「トラベシア」を読んで、執筆者のみなさまやわたしになにか頼んでみたいとか、あるいは単に感想が言いたいとか、花束贈りたいとかあったら、わたし経由でもご本人たちに直接にでもいいので、お気軽に連絡いただけたら嬉しいです。あと、クラウドファンディングとかはしないので、次号に向けてのカンパ(米、現金など)はわたしまでどうぞ。お待ちしております。と、なんか最後は穏当な感じで〆てみます。
雑記
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日日
Posted by: 鈴木並木 SUZUKI Namiki (→Profile)
これからだいたい実際にあったこととして書く。「映画のポケット」の翌日、6時半に起きて上野から新幹線に乗り、途中の駅で停まっているすきに車体壁面のドアから乗り込んできた実の家族と合流。どこかの駅で降りて予約してあったレンタカーに乗り込み、助手席で柿ピーをむさぼりくっているうちに高速に乗ったり降りたりし、巨大なモールの中の適当なレストランで牛タンと小そばを食べた。それからまたしばらくよくわからぬ道を走って、大きな製紙工場が盛大に煙を吐いているのを右手に見ながら左に折れると、とたんに、非現実的に、視界が開けた。写真1の地図の上部、黒丸のあたりに車を停めて、外に出る。

























詳細は省くけれどもここに母が関わってつくった花壇があって、今回の目的のひとつはそこの草むしりだった。花壇をつくるにいたった理由は、花を見るといい気分になるから、と地元のひとたちから要請を受けたからというもので、とはいうものの、グーグル・マップスだと商店や住宅が密集しているように見えるこの一帯に人通りは驚くほど少なく、「地元のひとたち」は、目に見える形ではそこにはいない。

グーグル・マップスと現実との間には、2013年の6月になってもまだ相当の齟齬があって、同じ会社が提供しているストリート・ヴューのほうがまだしも実際の景色に近い。車を降りたあたりから真南の、海の方向を向いたときのストリート・ヴューが写真2で、ただしこちらも、わたしの見たものとは若干、いや、 考え方によっては相当、違っている。



まず、写真(2011年7月撮影)だと残っているいくつかの大型建造物は、2013年6月にはほぼすべて撤去されている。それは前掲の地図の、東西約 1km、南北約600メートルの地域すべてにおいておおむねそうだった。海までのあいだに視界をさえぎるものはほとんどなにもない。「がんばろう!石巻」 の看板のあたりは献花スポットになっていて、ガレキからおこした火を燃やし続けているランプがある。高い柱が立っていて、津波の高さの位置にしるしがついていた。6.9メートル。しばらくそこにいると、観光バスでやってきて、その場に立ち寄ってすぐに帰っていく観光バスの集団があった。

あたりの地面はすっかり整っている。平らにならされ、大きなガレキは撤去され、整然として、造成された分譲前の住宅地のように見える。宮沢賢治のポーズで下を見ながらうろうろと歩いてみると、ところどころにキラリと光るものがある。割れた鏡の小さなかけらや、欠けた瀬戸物の破片。ときおり、より生々しく、VHSのテープ(ラベルはなかった)や調味料の小瓶も転がっていたりする。

わたしが自分自身でそうしたものを撮らなかったわけではない。 路肩にちょこんと積まれて残るガレキを撮り、柱を見上げるようにして6.9メートルのしるしを撮り、花壇の前で家族の記念写真を撮り、花壇のすぐ北側にある高さ数メートルのコンクリートの崖にのぼって、南側に広がる180度の大パノラマの動画を撮った。しかしなぜかよりによってそのタイミングで、スマートフォンのメモリーカードのデータが全部消えてしまった。非科学的だからではなく、単に話としておもしろくないからという理由で、オカルトめいたものの考え方からはふだんは距離を置いているのだけど、このときばかりは、いままで見たことのないような景色に接したせいでスマートフォンの心理的負荷が高まって、 自己の一部を破壊することで身を守ったんだろうなと腑に落ちた。









































車に乗り込み、旧北上川の河口あたりに出ると、かつて車だった金属の塊が大量に堆積していた。そのなかに何台かの消防車が混ざっているのに虚を突かれる。牡鹿半島へと分け入る。海沿いの何箇所かで、周りに民家がまったくないのに墓地だけが残っているのを見た。半島最南端近くの民宿に泊まる。半島の先端部まで散歩に出ると、東には金華山が見えた。

翌朝、朝食後、海に向かって西のほうへと下る。油断していると、細い道は点在する民家の軒先へとすぐに誘導されてしまう。庭々をかすめるようにして歩みを進めると、やがて、網地島を一望するなだらかな草原に吸い込まれて、道は消失する。鳥の声の立体音響、風にそよぐ木々、足元からは草のにおいが立ち上り、太陽の熱が頭頂を焦がす。バカバカしいほどあっけなく、自然と一体化した。

クーラーボックスに入りきらないほどの大きな鮭をおみやげにもらって、出発。昨日は通らなかった、半島付け根の女川を通過する。ストリート・ヴューでは2011年夏の様子を見ることができるが、2013年6月の時点では、海から近い一帯は一面の更地になっていて、これからでき始まる新しい港のように見えた。あたりではさかんに土木作業がおこなわれていて、魚介類を水揚げするための建物だけが、周囲と不釣合いな大きさと新しさで稼動していた。本来であれば便利のよい海岸沿いに密集しているであろう家々は、遠くの山すそあたりにようやく姿を見せ、おずおずと港のほうを窺っている。港のそばには、マッチ箱をこてんと倒したみたいに横倒しになって、土台部分を空気にさらした低層のビルがいくつか見えた。

石巻市街に戻り、石巻ニューゼ(→☆)に立ち寄った。地元紙の石巻日日新聞が、震災の翌日から6日間に渡って発行した手書きの壁新聞が展示されている施設。出かける数日前にたまたま東京新聞で記事になっているのを見つけ、これだけはぜひ実物を見ておきたいと思った。ネットの画像などでは(全部ではなかったかもしれないが)見て、読んでいた壁新聞の文面が、一字一句あらためて体に叩き込まれる。

帰り道、松島に寄り、湾内一周の遊覧船に乗って鳥の動画を撮った(→☆)。よく見ると必死だった。

帰ってきてからは、角川SSC新書「6枚の壁新聞 石巻日日新聞・東日本大震災後7日間の記録」(→☆)を読んでいる。シニシズムが生き延びることの困難を強く感じている。
雑記
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タダ券もらって松濤美術館に行ってきたらクソ面白かった件
Posted by: 鈴木並木 SUZUKI Namiki (→Profile)
もう明日で終わりだからってタダ券もらって松濤美術館(→☆)に行ってきたらクソ面白かったからそのコト話してやるわ。ありがたく謹聴しろヤ。

「古道具、その行き先 坂田和實の40年」っていうのなんだケド、そもそももらったタダ券に載ってる写真が、廃品回収の日に道端に並んで出てそうな古新聞の束みたいので、ソレ見た瞬間から5分くらいゲラゲラ笑って笑いが止まんない、マジ腹つったワー。

いまネットつながってないから調べらんないんだけど、その坂田和實っていう男だか女だかわかんない名前の奴はドッカに住んでる古道具屋で、そいつが40年かかって集めたものを見せるんだってね。なんかコレクターっつうのはいるじゃん。絵ぇとかさ。でもこいつの集めたもので、いちばんイイのが古新聞ってことでしょ? 写真載ってるんだからそういうことだよな? だとしたら、ほか、どんだけヤバイものが見られるんだよって思うじゃん。そんなこと言ったらそれこそうちのオカンの書いた地図とかマジでアートだかんね。なんかすごい遠くて思ったより時間かかるから気をつけろって言いたかったと思うんだけど、延々と長い道を紙に書いてて、それで結局、紙に入りきんなくなって端っこのほうに肝心の部分がすンげえ凝縮されてっからね。それ持たされてオヤジの代理で集金行かされたから。アレ見ながら運転したらマジ笑い死ぬ。

ンで行ってみたらけっこう、人、来てんだわ。どうせオレみたいにタダ券野郎ばっかだろって思ったらみんな入口で金払ってて、吹いたし。来てる奴ら、男はみんなダイタイ、こっちが殴る前に先に倒れそうなのだろ。女はまああれだ、女は女だよな。清潔感あるっつーか、スカしてんな。嫌いじゃねーけどすぐにはやらせてくれなさそうな感じだな。

並んでるのは普通の壷とかなんかお面とかあって、まあ普通だった。つってもあれだろ、壷なんて最近どこで見た? おめえんちにだってねーだろ? 持ってるのったらせいぜい黒ひげ危機一発くらいんもんだわと思ったけどあれ壷じゃねー、あれ樽だわ、ボケ。壷っていう漢字がめちゃくちゃよくできてるって知ってた? じーっと見てみ、あれ壷そっくりだから。そのうち壷にしか見えなくなってくっから。ほんとに。ほンで壷とかはまあいいんだわ。瀬戸物のぶっかけとか、ボロキレとか雑巾とかあとなんだっけ、あれだ、江戸時代のペンキ塗った白い板とか。ケースに入って、手を触れないでください状態だかんね。ありえないっしょ☆☆?! でも江戸時代のペンキってなにでできてんだ。それと箱とか入れ物とかロハスっぽいのな。あとは螺旋階段からヒッペがしてきた鉄みたいの。そういうのと一緒に、スウォッチとか電卓とか置いてあっから訳ワカメ。

見られるのもあったけどな。ちっこい布がいい感じのなんつーの、はじのほうからだんだん色が濃くなってて、そうだグラデーションだ、それになって染まってるのがあって、うちのオカン染色やってるじゃん、だからオレも一応わかるわけ。なんとなくだけど。それでここの展示、なんか作者とか書いてねーから、椅子に座ってた見張りのババアに、これなんですかって聞いたわけよ。染め具合いいですねかなんか言って。天気いいですねみたいな。そしたらョ、紙持ってきてくれてョ、これはコーヒー用ネル布ですって言いやがんだワそのババア。だからバカだな、染めたんじゃねーんだヨ、コーヒー入れてるうちに勝手に染まった布なんだヨ、それ金とって見せてんだヨ。ね? ウケルっしょ??? なんかオレ話マジくどいよな。イマようやくおめーに伝わった感じ? 要点? ンで時代はいつごろなのかって聞いたのヨ、すンげー古かったりしたらたぶん価値あるっぽいじゃン。そしたら平成ですだって。平成って昭和で言うと何年くらいだっけって一瞬オレ考えちまったからね。ババア責任とれよって感じ。

いちばんウケたのがおじいちゃんの封筒っていうので、どっかのジジイが日課で、余った紙でまいンち封筒作ったんだろたぶん、それがずらっと並んでんの。何十枚トカ。柄とか同じのひとつもないし、大きさも違うし、ジジイ紙しっかり折れてなくてヨレてたりすんだけどそれがいいんだヨ! 要するにヴィンテージとか1点ものってそういうことジャン。オレほんとあのユニオン通りの古着屋のクソ野郎マジぶん殴るわ。あいつこれ1点ものですとか言ってメイドインパキスタンかなんかのポロシャツ9800円とかで売りやがって。知ってる? アイツいつも仕入れてくんのって教会のバザーだぜ。それと比べたらおじいちゃんの封筒はなんぼかマシだわ。紙のウラの字がスケてるのもなんかエロかった。それと一部だけギンガムになってるのとかアクセント利いてたしな。孫のために毎日ひとつずつプルプル震える手で作ったんだろーなとか見ながらこっちが勝手にウザいストーリー作っちゃう系だよマジで。

全体的にはみうらじゅんっぽかったナ。あいつも自分チのがらくたとかエロ本とか並べて見せて金とってなかった? みうらじゅんだったら有名だからそれでもいいけど、坂田なんとかってしらねーシ。だからアレだろ、みうらじゅんだったらパルコの上とかでできるケド、坂田ナントカは松濤美術館とか駅から遠いトコでしかやれねーンだろ? まあデモ40年ガラクタ集めたってすごいわ。飽きるだろフツー。マジまだ間に合うから行っといたほうがいいって。
雑記
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そのときわたしは
Posted by: 鈴木並木 SUZUKI Namiki (→Profile)
前回から続く。

夏の暑いさなか、オーディトリウムに日参、というほどではないにせよ、して、H監督のレトロスペクティヴに通った経験をした者としては、TY線に乗ってYに行くただそれだけのことでも、これまでとは違った体験なのには違いないのは間違いないのに、いざ乗ってみると、肝心のMK駅のあたりではすっかり熟睡していて気がつきもせず、それどころか気がついたときにはTY線はいつのまにかMM線になっていて、DUに立ち寄るためにB駅で下車すると、たまたま、いやほんとはわかってたけど、わたしの出た出口の前が、H監督ともゆかりの深い、YにありながらTの名が頭についた施設の入口。DUからCワールドのあたりを歩きながら、たしかにH監督の作品で見覚えのある、いかにもYらしい、いや正確には東京とは違う、MM地区の景色や市街地のビル群を眺めながら、K橋のあたりまで来たところで、道端でR.B.を配っていたので腰に手を当ててそれを一気飲みし、P.Y.の脇からRパークへと入りました。

そんなわけで9月9日の月曜日、劇団どくんご「太陽がいっぱい」を見ました。会場は、海辺からほど近いあたりにたてられたテント小屋。まず冒頭、ピエロ風、女子高生、アフロヘアーの主婦、などに扮したメンバー6人が、ギター、マンドリン、鉄琴などで映画「太陽がいっぱい」のテーマ曲を奏でる。つづいて、両方の頬にピンポン玉を含んだように見える男が、いわゆる演劇的な(なにをもってそう判断?)抑揚で、これから1時間半くらい芝居が続くが、演劇というと難しく感じるので、ショウとか、宴会芸のようなものだと思ってほしい、と説明、リラックスさせる。ストーリーはとくにないし、映画「太陽がいっぱい」とも関係はない、とも。

ここで過ごした2時間弱のあいだに起こったことを仔細に書こうとして、しかしどうにも気が進まない。役者たちはおおむねテンション高く動き、ことばを発するけれども、ことばの意味はあるのとないのと半々くらいにおもえる。確実にあるのは熱と、ネタの配置の妙と、執拗さで、これは映画でやったら、うっかり前衛になってしまうかもしれない。ことばの意味は(ときに)ないけど、声のアンサンブルや肉体のかけあいによって生まれるグルーヴは(つねに)ある。

時間の途中からテントは次第に解体されていき(I.S.監督のドキュメンタリーを思い出すひともいるだろうか)、舞台の奥にあった公園も、その向こうの海も、否応なしに取り込まれる。向こうにはI.C.ホテルの半月状の建物が大きく見え、左手遠くには特徴的な形のMタワーが小さく浮かぶ。舞台、それはもはやこうなると、公園のある地点に置かれたある一定の大きさの板にすぎないとすら思えたけれど、とにかくその板らしいなにものかの上では、男女がゆっくりとゆっくりとシーソーをこぎ、背景の海を、全体に電飾をまとった観光客船がゆっくりとゆっくりと進み、巨大な半月のうしろへと隠れていく。舞台、というか単なる板というか、その空間的制約からあっけなく解放されたパフォーマンスは、ジョギング・コースになっているらしい太鼓橋の上を走るジョガーたちのすぐ脇や、公園の石畳の上でも、おかまいなしに繰り広げられる。頭を突いて倒立をしたり、必然的に天を向いた脚にフラフープを投げ込んだり、歌いながら太鼓橋の向こうに消えて行ったり。そのへんのどっか奥のほうでメンバーたちが盛大にシャボン玉を吹くと、七色にてらてらと光るたくさんの球体が、潮風に乗ってテントの方へ、客席の方へ、わたしたちに向かって、飛んでくる。わたしがいままでに見たどんな3D映画よりも理想的な3D映像の興奮がここで実現していた。A.H.が夢想したmovieやtalkieの延長線のfeelieとは、こういうものだったのかもしれない。

視覚的にはメンバーたちの見た目はサーカス/キャバレー風で、青森のマザコン野郎T.S.や、世界的巨匠といわれることも多い映画監督F.F.あたりを思い出すひともいるかもしれない。あるいは、カリスマ的なヴォーカリストJ.M.を擁したロック・バンド、Dの2枚目のアルバムのジャケットであるとか、と書いてみはしたものの、みっつともそんなに好きじゃないのだった。未整理な情報が執拗に繰り返されることによってなんとなくの説得力が生まれてしまうあたりは、今年話題を呼んだO.N.の新作映画を想起させもする。そして、「暑くもないし寒くもない」と最初ひそひそ声で、最後には大声で繰り返されるフレーズは、とくにどんな天気でもないことが明示されていた気がするT.Y.の小説「K人たち」であるとか、演劇と音楽を合体させた集団であるU(中心人物はいまや女優と合体した)のメジャー・デビュー曲の「寒くもないし暗くもないただの広場で」との一節に、わたしの頭の中で勝手につながっていった。

たまたまこれを見る前日、渋谷のWWW(イニシァルに非ず)で、5人組くらいのバンドK、人数はそのときどきで増減するらしいけどこの日は9人くらいいたバンドM?、8人組くらいのバンドK、を見た。とりあえずここでは最初のほうのKについては省略するので、ふたつのKをK(1)、K(2)として区別することはとくにせずに、後者、8人組くらいのKのほうを、ただKとだけ書く。ライヴハウスの舞台から隙あらばはみ出そうとして実際に関西以西のいろいろなところで演奏しているらしいM?、演奏の合間に寸劇が入るからというだけでなくその音楽自体が与えられた役を演じているようなK、そして前述のU(についてはわたしはほとんど知らないのだけど)、これらの「バンド」と、ここでのどくんごは、たまたま別の道を歩いていたらそう遠くない距離にまで近づいてしまったようにもおもえる。手をつなぐことはできなくても、お互いの姿は目視できるだろうし、大声を出したら話もできるかもしれない。家に帰ってから、もらったチラシを見たら、どくんごの結成は1983年だそうで、そうなるとかなりの確率でU(というか、いまや女優と合体したKが立ち上げた、劇団K)と人的交流があったのかもしれないなあと想像したところで、そのとき、さすがにもう、わたしには、書くことが、ない。
雑記
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擬態とエキゾティシズム
Posted by: 鈴木並木 SUZUKI Namiki (→Profile)
擬態するものが、自らの振る舞いについてまったくなにも意識しておらず、それどころか、お前のその行為はほかならぬ擬態と呼ばれる所業以外の何物でもない、と指摘したところで、きょとんとした顔で「擬態ってなんですか」と問い返され、逆にこちらが顔を赤らめなくてはならない、そうした事態がごく頻繁に現出する。ここに至って、わたしたちは言葉の一切を失うしか身の振り方はない、と悲壮な覚悟を固めざるを得ないところだが、それよりもむしろ、ゆっくりとだが確実に動きつつある巨大なうねりから目を離すことは許されないと釘を刺しておくべきだろう。そこに「おそらく」という留保があってもなくても、さしたる違いはあるまい。

ある種の貴種流離譚とも、あるいはシンデレラ・ストーリーともみなしうる物語が、わたしたちの身近で猛威を奮っている。100円コンヴィニの棚に三馬鹿大将のように並んでいるハチ食品のグリーンカレー、レッドカレー、キーマカレーが、必要以上の清潔感をともなった白い皿につつましく盛りつけられた白飯/水菜と一緒にサーヴされることで、800円ないしは1000円の商品価値を持つ。わたしたちはこれを後期資本主義社会独特の戯れとして積極的に評価するべきなのだろうか、それとも自宅に戻ってから、「#ハチ食品のレトルトカレー出してるカフェ晒せよ」などのハッシュタグをつけてつぶやくべきなのだろうか。その際の######マークの連続は、不可避的に具材を細かく刻む包丁=俎の共同作業としてのタテ=ヨコ運動を意識させずにはおかないし、また、ハヤシライスの語源の説のひとつがハッシュドビーフ・ウィズ・ライスであることも想起させもする。

こうした、長期保存可能なレトルト食品が商業カレーへと擬態しながらそれとは気づかれずに日々消化されていくなかで、いなばのタイカレーがその地位を脅かしつつあることも同時に注視する必要がある。真横から見た場合にはほぼシネマスコープのスクリーン・サイズに近似しており、上または下から見ると円型であるという、金属の容器ならではの独自の二面性は、蓋であるにもかかわらず通常は底の部分であるという逆説的な構造との相互作用で、購入者を混乱させる。

さらには、レトルトとは違って容易な加熱を許さない缶詰特有の反時代性は、「本場タイで製造」との惹句にも強く濃くにじみ出ているといえる。なぜならば、TPPが問題となっている現代においてはあらゆる「本場」は消滅し、汎アジア的な食のネットワークがそれにとってかわっているのであり、この期に及んでなおタイにのみ本物のタイカレーが存在し、ただしそのこと自体は正しいとしても、それが100円コンヴィニで購入しうると考えることは、いまだに「蝶々さん」の時代に延々ととどまり続けるのにも似た、常軌を逸したエキゾティシズム的発想だと言わざるをえないからだ。そしてその誤解を可能にするのが、ツナという、言葉のルーツを意識させない、透明で無味無臭な表現であり、ここでは黒潮に乗って泳ぐマグロのマグロ性は完全に隠蔽されている。いままでツナとみなしてきた食材をトゥナないしはテューナと言い換えることでしか、わたしたちは強靭でしなやかな生命体としての魚を取り戻すことはできないであろう。
雑記
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富田克也監督「サウダーヂ」レヴュー、そして引用について
Posted by: 鈴木並木 SUZUKI Namiki (→Profile)
毎度おなじみのINTRO(→☆)に、富田克也監督「サウダーヂ」(→公式サイト)のレヴューを寄稿しました(→☆)。一般公開は秋ごろになるようですが、今度の日曜日26日夜、吉祥寺バウスシアターの爆音映画祭でプレミア上映されます。前売り券は販売終了しているようですが、当日券が150枚くらい出るそうなので、午前中くらいに行けば券を買えるのではないかな。

ただし毎年、このイヴェントは混みます。とくにこの日は、同じ日に「ゼイリブ」とか「アンストッパブル」とかあるので、そのへんとあわせて見たいひとたちが早いうちに来て「サウダーヂ」のチケットも買ってしまうのではないか、というのがわたしの予想。まあ、当たるか外れるかわかりませんが。

−−−

以下、どうでもいい話なんですが、わたしに限らず、こうしたレヴューなり私的なブログの記事なりを書くときに、よく、ほかの監督の名前なりほかの作品なりを引き合いに出すことがよくあります。ほかのひとの事情はわかりませんが、わたしがそうするには理由はあって、まず、どんな作品も単独で存在しているわけではないということがひとつ(1)。そして、その見取り図を示すことは、わたし個人の勝手な感想よりはいくらかは読むひとの役に立つだろう、と考えていることがもうひとつ(2)。とはいえ、わたしがある映画を見てなにを連想するかはわたしの勝手なので、要するに1と2のせめぎあいが大量の引用を生むわけで、というか、それ以外に引用しまくる理由なんてあるんだろうか? シネフィル間での権力争いか、知識比べか? 当たり前ですが、信じられないくらいなにかに詳しいひとというのはごろごろいるわけで、もっとね、そのひとにしか書けないものを読みたいなとわたしは思うし、わたしのなかでは当然、学術的・論理的・倫理的な「正しさ」の優先順位はだいぶ下のほうに来る。

わたしの書くものがいつもよりつまらないとしたら、それは「間違ったこと書いちゃいけない」というプレッシャーがかかったときであり、逆に、事実誤認とか気にしなくていいしウソもいくらでも混ぜていいよって言われれば少しはマシになる、かもしれない。

で、なんだっけ、今回の「サウダーヂ」のレヴューでは、そうしたシネフィル的な引用をほぼ封印していて、というのは、今月たてつづけに、そうした引用の姿勢についてわたしとは違う意見を聞いたから。

意見1:ほかの作品なり人名なりを引き合いに出すのは、レヴュー対象作品がそれらの(名前を引用された)作品のレヴェルに達していないっていうことなんじゃないか。

意見2:いまどきそんな、レヴューを書くときほかのものを引き合いに出すひとなんて、いるんですか?

意見1については、必ずしも全面的に賛同するわけではなくて、というのはわたしは、いかに突飛なものを例に挙げるかっていうのは批評のひとつの方法だと思っているから。しかし、そんな考え方もあるのか、と驚きはした。意見2は、わたしに対する当てこすりではないと思いたいけれど、そう言われてドキッとしたことは告白しておこう。

意見1&2に対して、頼まれてもいないのにリアクションしてみたくなったのと、それとはまた別に、内的な問題として、いろいろ違った書き方をしてみたいと考えていたのがあって、今回の形になったわけですが、なんかほんとにどうでもいいことを書き連ねているな……。

そんな事情なのでレヴューの中では触れなかったけど、「サウダーヂ」を見て思い浮かんだある歌のことを書いておきたい。「サウダーヂ」のラスト近く、主人公がかつてのにぎわいに満ちた街を幻視する。ここで実際に流れる曲は、いかにも富田監督らしい、絶妙のチョイスなんだけど、それはそれとして、わたしはポール・サイモンの「夢のマルディ・グラ(Take Me to the Mardi Gras)」(YouTube)を思い出した。この曲は最後の1分くらいで、ゆっくりとブラス・バンドが近づいてはまた遠ざかっていき、ニューオリンズの風景を鮮やかに描き出す。この曲は何度聴いても泣けてしまう、その理由はもっと続いてほしいのにすぐに思ってしまうこのブラス部分の短さにもあると思う。「サウダーヂ」の幻視の場面も、それとまったく一緒なのです。
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伊丹十三みたいに
Posted by: 鈴木並木 SUZUKI Namiki (→Profile)
○ひさしぶりに「INTRO」にレヴューを寄稿しました。現在好評公開中の、前田弘二監督「婚前特急」について。(→☆

このレヴューは先日、八ヶ岳山麓の親戚宅で書きました。あまりよその家のPCを長時間占領するのもどうかと思ったので、夜、寝室で、手書きで下書きをしました。テーブルに座っているのが疲れると、伊丹十三みたいに、床に寝そべって書いたりもしました。メモ程度のものは別として、手書きでまとまったものを書くのはひさしぶりで、意外にもすいすいとはかどるのには驚いたのですが、翌日、PCを借りて清書して送信するのに、下書きを作るのと同じくらいの時間がかかってしまったのはなんだかなあという感じでした。

しばらく書かないでいるとレヴューの書き方を忘れてしまうもので、そもそもふつうどうやって書くんだっけ、と、INTROにほかの方が書いたものをいくつか眺めてみたものの、やはりよく分からない。限られた字数の中に(INTROの場合は文字数制限ないけど)情報をまんべんなく盛り込んだ幕の内弁当みたいなのとか、あるいは、ある側面にとくに強くフォーカスして掘り下げてみたりとか、切り口はいろいろありうるだろうけど、もっと形式上の自由があってもいいはずだ。読み終わってようやく、あっこれレヴューだったんだ、と気付くようなのとか。とはいうものの、そのためになにか(映画サイトだったらたいてい、封切り前後の新作映画)を実験台にするのは心苦しい。だったら自分のブログかなんかでやれよ、となるわけだけど、でもそれじゃあ誰も驚かない。

○桜井晴也くんが、文章「原発がどんなものか知ってほしい」について書いていること(→☆)には、だいたい賛成する。あの文章には具体的な数値や科学的な正しさの欠落を補うのに充分なグルーヴがあるし、どのみち恐怖は数値化できないのだから、必要な程度の恐怖をもたらすために、あれはあの形でいい。

○だいぶ以前にいただいた媒体で、「エドワード・ヤンの恋愛時代」(1994年)を鑑賞。ウディ・アレンが描く80年代のニューヨーク〜90年代東京のトレンディ・ドラマの延長線が台北に続いていた、という感じ。なのだけど、ドラマ「ポケベルが鳴らなくて」が1993年だったことを思うと、この映画での携帯電話の氾濫ぶりには驚く。いかにも台北らしい風景は、おそらく意図的に、ほぼ完全に排除されているけれど、それはもちろん、東京湾岸に建設された汎アジア的な無国籍都市なんとかタウンといったものとはまったく別である。エドワード・ヤンの引いた線の先は、いまどこらへんなんだろう?
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経済
Posted by: 鈴木並木 SUZUKI Namiki (→Profile)
「ターミネーター4」の劇中に、次のような場面がある。女が油断している。屈強な男3人くらいが近づいてくる。そして口々に言う。「いい女だな」「味見してやろうぜ」。たぶん、ふだんレイプをしているひとは映画で描かれている紋切り型のレイプにうんざりしながら、こう思うだろう。「わかってないなあ。本物のレイプってのはそうじゃないよ」。その話をしたらTは言った。「ふだんレイプをしているひとは、すごく地味なんじゃないかと思う」。わたしは、いままで映画に出てきたのでないような描写を映画で見るのが好きだ。わたしはそして、映画の中でまともなマウス・トゥ・マウスの人工呼吸がめったにおこなわれないことも知っている。わたしはリアルな人工呼吸映画を待っている。レイプ常習犯もきっと、これはわたしだ、と深く息ができるようなレイプ映画を待っているだろう。

ただしその映画は地味になるだろう。あるいは最初の1時間くらいは、さほど目立つところのない男がごそごそ動いているだけになるかもしれない。レイプ男は、レイプ以外のことで生計を立てているだろうから。するのは月にせいぜい一度。多くて二度。それでいいと思っている。

これじゃ弱いなとプロデューサーは言うだろう。だいいち女が出てこない。いや女は出ます。なにしろレイプの映画だから。そうわたしは抗弁する。そりゃそうだけど。純愛ものにできないかなとプロデューサーは言う。家に帰って布団の中で眠りながら考えると、レイプされるのが好きなわけでもなんでもないのになぜかしょっちゅうレイプされてしまう女の子、というのを思いついた。いつも行く映画館の従業員のIさんがその役にぴったりだ。するとプロデューサーは言う。それはシリーズ第2弾にしよう。で、第3作目でレイプ男とその女が出会って純愛になればよい。

さらにプロデューサーは、あまり乗り気でない感じで、あっと驚くような展開にできないかねえと言う。そこで脱税はどうですかと提案してみる。レイプと脱税を組み合わせた映画は、おそらく少なくともここ1年は作られていないので若干の目新しさはある。レイプと競歩の組み合わせでもいいと思った。現場から競歩で逃げる男。走ったのでは目立つからだ。ラストは、夜の闇へと高速で消えていく男でフェイド・アウトして、終わりかと思ったらフェイド・インすることにする。夏の陸上トラック、汗をかきながら、男がレイプで鍛えた健脚でもって競歩の大会に優勝してメダルを獲得する。春日が役を受けてくれればなおよい。

すると脱税よりも不況のほうがインパクトがあるなとプロデューサーは言う。株価の動きとか、為替相場の現況なんかをレイプと組み合わせられないだろうかな。どうしてもレイプをせざるをえないように、構造的に。そう持ってけないかな。$の暴落は去年の秋だったっけか。わたしは答える。わたしは笠原和夫ではありませんが、$については、そうです。10月にニューヨークに行ったのは、ちょうど$が下がり出して1週間かそこいらだったから。そのときは喜びましたけど、バカみたいなサーチャージはそのままで、実はたいして得してない。

そのあと初めて不況に気付いたのは高田馬場のレコファンでなんかのCDを買ったときで、入れてもらった手提げ袋があまりに薄っぺらく、それを持った指が驚いた。身をもって実感する、とはこのことだ。指と指の間にあるヴィニールがサランラップみたいだった。注意していると、それからいろんなものが薄くなり始めた。ラピュタ阿佐ヶ谷のチケットはしっかりした厚手の紙だったのが、鼻紙みたいに薄くなった。99円ショップのレジ袋は物を入れたら破れそうな素材になった。99円ショップではいつも1リットル99 円の100%オレンジジュースを買っていたがそれが70%になり、しばらく辛抱しているとまた100%に戻り、さらには新種のグレープフルーツ100%のが出たのでいまはそっちを買っている。不況による物価高と¥高$安がせめぎあってる感じだ。£も一時期120円くらいになり、そこを見計らってイギリスのアマゾンで買い物もした。

3月、フィルムセンターに30年代のアメリカ映画を見に行った。研究員のトークがあり、この時期の映画は大恐慌のあおりを受けて低予算でいかにまかなうかの工夫の産物でもあると言っていた。具体的には照明にかける電気代の節約がギャング映画の夜間撮影を生んだ。そういえば小津安二郎の30年代の映画ではみんな失業して仕事を探している。研究員は、これは現在の世界の経済状況と似ていると言っていた。ただし現代において景気のあおりをダイレクトに受けるのはむしろテレヴィであり、具体的には、4月以降の民放各局の番組にそれが現れるであろうとおごそかに予言していた。

6月になると派遣元の会社のひとがわたしの就業先にやってきた。不景気による給料のカットを宣言して帰っていった。パーセンテージにすれば2%足らずとはいえ、月額1万円の減額はふところに響く。派遣労働者のわたしと違ってレイプ男は正社員であり、彼の会社の業績はまずまずだ。なんの会社かはおいおい考えるとしてその会社は脱税の疑いで捜索を受け、あおりを食ってレイプ男の自宅にも東京地検の捜査員が眠そうな目でやってくるだろう。結局自宅には脱税に関する書類は見つからない。レイプ男は仕事を家に持ち帰るような熱心な社員ではないからだ。ただしヤブヘビというかタナボタというか、独自のマメさでもってレイプを記録した手帳が見つかるかもしれない。カタカナのレがチェック・マークに見えるに違いない。

レイプ男はそのころ、会社の社員食堂で揚げ茄子おろし定食を食べている。レイプ男がレイプのことを考えているのは1日平均4分程度に過ぎず、これは食事や睡眠や労働にあてる時間と比べると極端に少ない。月に一度やそこら、不意に思い出した際に実行するくらいでレイプ常習犯呼ばわりされることになったら彼は大いに不服だ。社員食堂のおばちゃんは彼のことをレイプ男ではなく揚げ茄子さんとして記憶している。テレヴィや新聞の取材に応じたなら「いつも食事を残さずに食べる、気持ちのいいひとでした」と確信を持って答えるだろう。しかし、茄子のヘタまできちんと食べるひとでした、との好意の言葉は、異常な貪欲さの象徴としてとりあげられるかもしれない。

こうして書いてきた文章は、現実の性犯罪を黙認したり容認したり推奨したり鼓舞したりするためのものではないが、同時にまた、架空のレイプ男を弁護するのにもたいして役に立っていないはずだ。もともと存在しないものを糾弾しようが擁護しようがどっちでもよさそうなものの、上記の社員食堂のおばちゃんがレイプ男の堅実さを見込んで見合いの口を紹介してもいいと考えていたことは知っておいてもいいだろう。この文章中に、現実の、またレイプ男による、レイプ被害者に対する言及およびケアが少ないことを指摘することも可能だろうが、なんでもかんでも倫理的であればいいってもんでもない。レイプ男がレイプのことばかり考えていると考えることのほうが倫理的でない。ただしレイプ男が倫理的であるとはさすがに言いがたい。とにかくレイプ男を日常的に動かしているのは暴力衝動ではなくてむしろ経済である。

(2009年作)
雑記
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すべての観光客は帰宅する(pt.2 - ヘルシンキ)
Posted by: 鈴木並木 SUZUKI Namiki (→Profile)

ヘルシンキの陸の王者、路面電車。


大聖堂。建物前の広場には、200匹くらいの熊がいた。ちなみに市内には、馬車ならぬ、観光用のトナカイ車もところどころに走っている。写真は撮り忘れ。


中央駅そば、フィンキノ系列のシネコン、キノパラツィ。「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」と、メヒコ映画「Voy a Explotar(I'm Gonna Explode)」を見た。


館内の様子。


トイレにあった、男性用小便器。モニターがついていて、予告篇かなんかが流れている。


本屋のショウ・ウィンドウ。たぶんフィンランド語訳の、イタロ・カルヴィーノ(真ん中の2冊)。


フィルムセンター的施設(?)、オリオン。カウリスマキに出てきそう。ジャームッシュとジャック・ドゥミのハガキをもらってきた。


その近くのレコード屋。レディ・ガガ「ポーカー・フェイス」のラウンジ・カヴァー(ヘタクソなシナトラみたいな)がかかってたが、ありゃ誰だ?








以上4軒は、かの有名な五叉路、ファイヴ・コーナーズにある。いちばん下のショウ・ウィンドウ、見づらいかもしれませんが全部モンティ・パイソン関連。


フロア面積ではここがいちばん大きかったかな。10CC「アイム・ノット・イン・ラヴ」のフィンランド語(?)カヴァーが流れてた。


標識。ストックホルムにもタリンにも、さも気軽に行けるかのように書いてありますが、実際は船かなんかに乗らないと、行けない。


ヘルシンキ中央駅。


古式ゆかしいターミナル。列車に乗るわけでないので駅の中にだけ入ってみるつもりだったけど、考えてみたら改札がないのでプラットフォームにも行けるのだった。


ごつい客車。


ヘルシンキ、ヴァンター空港。観光客は帰国する前にコーヒーを飲んで小銭を使い切る。
雑記
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