Eat Much, Learn Slow (& Don't Ask Why)

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しっぽをつかむ
Posted by: 鈴木並木 SUZUKI Namiki (→Profile)
電車の乗り継ぎに微妙に失敗し、駅から小走りで映画館に向かって席に着くと、ちょうど場内が暗くなり始めるところ。開巻早々、レコーディング・スタジオではややいかつい男が空気を切り裂くようにアルト・サックスから音を吹き出している。勢いよく振りきれるコンソールのメーターの針のクロース・アップ。続いて、呆然としたままタバコの灰を落とすのも忘れているディレクターの姿から、びっくりしてコーヒーをこぼしそうになるプロデューサーの顔へとパンしていったカメラは、ガラス越しにサックスを吹く男をとらえて静止する。そこでブース内は暗転し、シルエットとして浮かび上がった男の姿に重なって、「螺旋階段な日常」とタイトルが大きく出る。

だいだらぼっちのアルバム『螺旋階段な日常』のオープニングを、とくに理由もなく、凡庸なプログラム・ピクチュア風に形容してみるならばだいたいこんな感じになるだろうけど、実際に録音がおこなわれたのはくにたち市民芸術小ホールだから、演奏者とコンソールの間のガラスの板はなかったろうし、そもそもプロデューサーはだいだらぼっちのひとりである酒井俊自身だから、のんびりコーヒーなぞ飲んでいるヒマはなかったに違いない。

ただしややいかつい男が空気を切り裂いているのは本当で、その男、林栄一は、1曲目「回想」が自分の書いた曲だからでもあるのか、まるで自分のアルバムみたいにサックスを吹く。そしてやおら登場した酒井俊が、自分の書いた歌詞を、まるで自分のアルバムでうたっているみたいに、うたう。だいだらぼっちのもうひとり、田中信正はといえば、あんまり遠くまで行っちゃいけませんよと子供に注意しながら台所で野菜を刻むお母さんみたいに、ピアノを弾く。田中のピアノはいつも、派手な音で誰かを驚かしたりはしない。そのかわりに、こざっぱりと包装された小さな箱をそっと差し出してくる。包み紙をほどき、箱を開けるとあれよあれよというまにぱたぱたと箱は広がっていき、さっきまでエプロン姿だったはずのお母さんが、いつのまにかスカートをふんわりとふくらませながら、くるくると踊っている。「回想」でも次の「エドガーの日常」でも、ピアノはいつもそんなふう。

英語のままで、足を引きずりながら歩くみたいにうたわれるボブ・ディランの「ジャスト・ライク・ア・ウーマン」。このアルバムには入っていないけど酒井がよくライヴでうたうクラプトンの「ワンダフル・トゥナイト」は、英語の歌詞が、酒井の体を通って出てきたときにはすとんと腑に落ちることばになっているのだけど、ここでのディランも同様。ジャッキー・チェンが石丸博也の声でしゃべったり、イーストウッドが山田康雄の声でしゃべったりするのがむしろ自然なように、もともとのディランの息遣いは酒井を経由して、噛み砕かれて、野に放たれている。

モンゴルの祭りからタイトルを取ったのだろうと思われる林の曲「ナーダム」、3人は馬になり人になり風になって、草原を駆ける駆けるまた駆ける。ふと気付くと3人が5人にも10人にもなり、スピーカーを突き破って3Dで目の前に飛び出してくる。10分間の嵐が収まって、「ザ・ヴェリー・ソウト・オブ・ユー」のイントロ、あれっ、このサックスって誰だっけと思ってしまう。もちろん林栄一のほかのだれでもないのはわかっているのに、さっきまでモンゴルの野っ原を暴れまわっていたはずの男が、よーく陽にあてた布団みたいにあたたかく寄り添ってくるその変わり身の素早さ、振れ幅の大きさたるや!

8曲目の「街」は、「エドガーの日常」と同様、ベーシストの斎藤徹が曲を書き、酒井が言葉をつけたもの。ライヴで初めて聴いたとき、きっと自分が知らないどこかのスタンダードなのだろうと勘違いしたことを思い出す。けんけんぱっと跳ねていくピアノに導かれて始まる、どこかの、としか言えないのがもどかしいけれど、どこの国でもいつの時代でもありそうでなさそうな6分間、行き交うたくさんのひとたちを、ときには虫眼鏡で覗きこみ、またあるときはスローモーションで動きを止めて、描き出す。これはブリューゲルの描く村の広場であり、ルノワール(もちろん、オーギュストとジャンの両方)に出てきそうなテーブルの上いっぱいにごてごてと料理が並ぶ食事の風景であり、それでいて同時に、なにかおもしろいことがありそうだと聞きつけてどこからともなくわらわらと集まってくるマキノの映画の長屋の住人たちでもある。

「ロンサム・シティーズ」。アメリカのどこか田舎の安酒場の、何十年もその店でピアノを弾き続けたせいでピアノと一体化してしまった男みたいにピアノを弾く田中信正。鍵盤を叩くのももはやめんどくさそうだ。指を置けば音が自然にぽろりぽろりとこぼれてくる。林栄一も、もう遊び疲れて、神妙な顔つきでサックスに息を吹き込む。酒井俊はそんなふたりの様子を、まったく仕方がないわねえこのひとたちは、と言いながら見守る女主人だ。

アルバムの最後は「真夜中のギター」。イントロのピアノ、まるで鍵盤がガラスでできてるみたいで、いままでに聴いたことのない音。まさかピアノからこんな音が出るなんて。まさかたった3人でこんな音になるなんて。

たとえばなしの勢いで、誰にも不快なおもいをさせないよう願いつつ書くけど、イメージフォーラムで見たカサヴェテスの「オープニング・ナイト」や「ラヴ・ストリームス」のジーナ・ローランズに本質的な驚きを覚えなかったのは、酒井俊が日夜ライヴハウスで見せている感情的・音楽的起伏の大きさを、何度かでも経験済みだったからだろう。「ラヴ・ストリームス」で抱えきれないくらいの荷物を持ってタクシーから降りてくるローランズ、突然動物を家に連れてくるローランズ、見ているあいだずっと、ああここにも酒井俊がいる、と思ったし、「オープニング・ナイト」の舞台上、へっ、なに言ってんの、みたいに手をひらっとさせるところなんか、もう酒井俊そのものだった。

もちろん、酒井俊が頭がおかしいとか、アル中だとか言っているのではないよ。酒井俊は髪の毛をもしゃもしゃさせることもサングラスをかけることもなくボブ・ディランそのものにだってなれるように、足の先から地面の中を通っている根っこをたどっていくと、その先っぽがジーナ・ローランズにつながってるってこと。

その根っこの先っぽはしょっちゅういろんなところに顔を出していて、ちょうどいまは関西と山陽をレコ発トゥアーで回ってるみたい。東京だと8月3日(金)の新宿ピットインでだいだらぼっちのレコ発があるし、5日(日)には吉祥寺のマンダラ2のNRQ企画に、酒井俊、中尾勘二、桜井芳樹、関島岳郎という編成で出場する。ひょいっとお手を伸ばして、音楽のしっぽをつかみに行かれよ。

『螺旋階段な日常』の見たことがないようなパッケージ(わたしはいままで少なく見積もって5000枚くらいはCDを買っていると思いますが、これはもっともユニークなつくりのうちのひとつ)、多彩な執筆陣による充実のライナーノーツ、などなど、書こうと思えばまだまだいくらでも書けそうな気はするけれど、酒井俊自身がホームページで、レコーディングの秘話や曲目解説、ご本人ならではのお話をいろいろ書いておられるので(→☆)、そちらをぜひお読みください、と申し上げておく。どこかのライヴハウスで、みなさまにお目にかかれることを祈りつつ。ごきげんよう。
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1956年のミス・マンボ
Posted by: 鈴木並木 SUZUKI Namiki (→Profile)
前回の記事を書くにあたって、YouTubeでロジャー・ニコルスをいくつか聴いた。ご存知の方も多いでしょうが、YouTubeで動画を見ていると、はしっこのほうに、こんなのもありますよ、いかがですか、という感じで、さらに膨大な量の動画が紹介されるけれど、そんな中から見つけたうた。

○YouTube - "The Drifter" - Rita Calypso (2004)

ロジャー・ニコルスとポール・ウィリアムズによる名曲、うたっているのはリタ・カリプソ。声なのかディクションなのか、印象がふと、土岐麻子と重なる瞬間がある。あまり美人ではないティーネイジャーが、お気に入りのモデルの写真を見ながら、顔をいろいろと傾けて、うん、この角度だと少しだけ似ている、と納得して、そしてすぐ落ち込むような、その程度の似方。

リタ・カリプソ。誰もこれを本名だとは思わない。いかにも芸名です、といった風情がいい。そういうひとたちが、昭和の時代にはたくさんいた。横山ノック。エルヴィス・コステロ。美空ひばり。

リタ・カリプソはCDを1枚持っているだけだけど、ミス・マンボにならお酌をしてもらったことがある。とはいっても、昭和ではなくて平成になってからの話。ふたつ前の会社の先輩のご母堂が、昭和31年度のミス・マンボだった。それを知ったのは、たまたま職場の飲み会の帰り、同じ方向に向かう電車の中でのこと。酔っていたのだろう先輩の、「じゃあ、これから見に来る?」との誘いをほぼ自動的に承諾し、小1時間後には元ミス・マンボと対面していた。

結婚して子供を産み、そしていまではミセスとなった元ミス・マンボは、失礼ながら、年齢相応のひとりのご婦人にしか見えなかった。先輩の「○○くん(わたしの本名)は音楽好きなんだよ、なんかなかったっけ? 昔の写真とか」とのリクエストに答えて、写真やら、マラカスやらを引っ張り出してきてくれた。調子に乗って「マンボ・ズボンをお持ちではありませんか? わたしはあれの実物を見たいと長いこと願い続けてきたのです」と訊いてみたが、昔は持ってたけど、との返事だった。

写真は、新聞の切り抜きなどと一緒に、底の浅い、平ぺったい箱にしまわれていた。モノクロのものばかりの中、小さな、定期券くらいの大きさのカラー写真が1枚。和服を着たミス・マンボが、やや緊張したおももちで、ラテン系のバンド・リーダーに大きな花束を手渡している。男は花束を受け取りながら、彼女を抱き寄せようと左腕を伸ばしている途中のようにも見える。これは誰なのだろうと写真をひっくり返してみると、「マンボの王様 ペレス・プラードさんへの 花束贈呈」と万年筆で書いてあるのが読めた。顔を上げると、還暦を過ぎた元ミス・マンボが、お盆になにかを乗せてこちらに近づいてくるのが見える。
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カントリー&ウェスタン村
Posted by: 鈴木並木 SUZUKI Namiki (→Profile)
鬼怒川、という地名もあらためて眺めると相当いかつい字面なわけですが、東武ワールドスクウェアができるずっと前から鬼怒川温泉のそばにはウェスタン村というテーマパークがあって、羽織袴に安全靴を履いたような据わりの悪いその名前を子供のころからごくごく当たり前のものとして認識していたので、その後いくらか成長して、大阪あたりにはアメリカ村という繁華街があると知ったときも、なんだかウェスタン村のパチモンみたいな名前だな、としか思わなかったのだと思う。

(この文章を書き始めたのは1週間くらい前で、なにしろ会社の仕事が忙しくて就業時間中に私用の時間がなかなかとれなくて遅々として書き進まず、そうこうしているうちに新聞を読んだら、ドナルド・キーンが日本名を鬼怒鳴門にするというニュースが載っていたけれど、それとこれとは関係ないしインスパイアしてもされてもいません)

30年くらい前に1回か2回行っただけの「村」と、実家にあったオールディーズ・ベスト的なカセット・テープに入っていたような気がする「ジャンバラヤ」(誰が歌っていたヴァージョンだったか?)が、ある時点までのわたしがカントゥリー的背景のほぼすべてで、その後、わたしの弟が、通っていた英会話学校のアメリカ人の先生かなんかにカントゥリーをどう思うか聞いたら、「どの曲もブロークンハートでロンリーだとかそんなのばっかりだから好きじゃない」とか答えたとか、そういう、忘れてもいいようなことばかりいまでも覚えている。

カントゥリーのロンリネスについては、その後また何年かたって、「I'm So Lonesome I Could Cry」が「泣きたいほどの淋しさだ」と訳しうることを知ったりもしたけれど、あらためて眺めるにこれは惚れ惚れとするような邦題だし、couldの用法を理解するにあたって、文法的にも正しい(と思う)。

と言いながら検索していたら見つけた、4歳児の歌唱およびアコーディオン演奏による「ジャンパラヤ」。動画のタイトルはハンク・ウィリアムズ・ジュニアとなっているけれど、うたっているのはハンター・ヘイズくんです。→☆

エルヴィス・プレスリーが、いままで生きてきて聴いたなかでいちばん悲しいうた、と前置きしてうたう、「I'm So Lonesome I Could Cry」。このころのエルヴィスって物まねされる対象というか、ネタとしてしか見られてない気がするけど、ハンパない表現力だな。→☆

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と、なんとなくの前置きをしてから、ロンサム・ストリングス&中村まりの共演盤『フォークロア・セッション』の話題に入ってみると、これは、世界各地で勝手に作られている、さまざまなヴァリエイションも込みでそういう名前になっているところの「フランス料理」とか「アメリカ映画」とかと同じ地平での「アメリカ音楽」であって、さらには、日本人がこういう音楽をやるにあたって、もう別にアメリカに断らなくていいんだな、ということがたぶん初めて示されたアルバム、ってことでいいとおもう。

もちろんいままでだって、日本人がカントゥリーなりブルーグラスなりをやるにあたって、アメリカ大使館に日参してヴィザをもらったり、海外のアダルト・サイトの上のほうでちらちらしている「アメリカ大統領は次のうちどれ?」とか書いてある広告をクリックしたり、ピーター・バラカンに推薦コメントを書いてもらったり、しなくてはいけないという決まりは別段なかったとは思うのだけど、英語で歌うにしろ日本語でやるにせよ、オーセンティックに攻めるにせよオルタナティヴにひねるにせよ、まあ結局はすいませんすいませんって言いながら腰をかがめて手刀を切りながらアメリカの前を横切るか、あるいは、すいませんすいません邪魔にはならないようにしますからって隅っこのほうにいるか、たいていはそのどっちかであって、たとえばわたしたちがH.I.S.の安いトゥアーなんかを申し込むと、空港で待ちかまえてて市内のホテルまで車で送ってくれるその国在住の日本人がいたりして、そういうひとたちにはそういうひとたち独特のにおいっていうかくさみがあるわけなんですが(よくも悪くも)、ロンサムと中村のこのアルバムには、そうしたところはほとんどない。無理して同化するわけでもなければことさら批評的なスタンスを前面に押し出すわけでもなく、ましてや、こういう音楽をやるときにしばしば用いられる「愛」なんて言葉のなかに逃げ込むわけでもない。

ことさら批評的ではない、とは言っても、いま世界で流通しているたいていの「アメリカ音楽」よりは批評的なわけで、ここでいう「批評」とは、別段レコード・コレクターズ誌でリマスター盤と現行盤の聴き比べをせよとかいうことではなくて、たとえば最近だったら、ウィリー・ネルソンとウィントン・マルサリスとノラ・ジョーンズが『ヒア・ウィ・ゴー・アゲイン』でやったようなこと(アメリカ版リズム歌謡歌手としてのレイ・チャールスの再定義)だって、そう。

『フォークロア・セッション』を単なる現代ブルーグラスの最前線、的なニュアンスで聴くとおもしろいところをすっぽり取り逃がしてしまう危険があるので、そんなんだったらなにも準備しないで聴いたほうがなんぼかマシか分からない。1曲目の「ザ・クックー・バード」からして、ドラムレスのアンサンブルの途中で硬く切り込んでくるエレキ・ギターはまるで初期のスティーライ・スパンだし、ちょっと想像力を働かせてみればレッド・ツェッペリンにだって聞こえる。

一事が万事そんな具合。「ロッキー・ラクーン」、ビートルズのオリジナル版では曲の途中、ホンキー・トンク・ピアノが乾いた土ぼこりを運んできてくれてたけど、ロンサムにはピアニストはいないし、どこかから連れてくることもしていない。じゃあどうしようか、ってなったときに、かわりにそこには浮遊するようなスチール・ギターが入って、軽井沢かどっかみたいな霧を一面にふわーっと流す。

事前に曲目を見たときにいちばん興味を惹かれたのは、アルバート・アイラーの「ゴースツ」が入っていることで、どういうふうに料理されているのか想像もできなかったこの曲が、実際に聴いてみると、弦楽器2本だけで、まあ実にかわいらしい、ころころとした仔豚みたいな音楽になっていた。桜井芳樹はライナーノーツ(読みでがあって勉強になる)でこの曲を、フォークソング、と形容していて、そしてこの演奏はまさに、先端系の音楽批評メディアが、フォークロアネス、とか、ふだん使わないような言葉をわざわざ持ち出してきて言及するんだろうな、とおもわせるもの。もっとも仔豚だったら、見てかわいらしく食べてもきっと美味しいに違いない、と言っておけば充分なのだ。だからそう言う。

趣味としての学究性というか学究としての趣味性というか、ロンサムのそうしたサウンドの肩をぽんと叩いて、リラックスさせると同時に気合いを注入しているのが中村の声、というかノドで、彼女のようなノドの使い方をしようなんて現代の日本では誰も思っていない。たぶんうたっているときのノドの断面図を見てみると、舌ベロの配置やのどちんこの揺れ方からしてぜんぜん違っていることだろう。ただしそれは別に新発明ではない。ギリアン・ウェルチがファースト・アルバムで着ていたワンピースと同じで、大恐慌時代あたりにはよくやられていて、でもその後ほうっておかれたせいでどこかで廃れてしまったやり方。と、こうして書いたらそういえばギリアン・ウェルチはなにやってるんだろう、と疑問が浮かんで、調べてみるとすぐに、8年ぶりのアルバムがもうすぐ出るとわかってアマゾンで予約した。

関係ないんだけど、いや、とは言っても多少はあるんですが、第3世界の映画を見ていると出てくるような、ハードロック・カフェのTシャツを着た小僧だとか、常にリーゼントをなでつけているトッぽいアンチャンとか、ああいった、アメリカに気にされてもいないしそもそもそれ以前に存在を気にされてもいないような、虫けらみたいな存在としての自分としてのアメリカ?みたいなものになりたいなあとこのごろときどき考えていて、そうしているうちに、なんで自分がそんなことをしているのかわからなくなるくらいのアメリカ。とりあえず今年は寒くなったらスカジャンを買うつもりではいる。しかしあれはアメリカなのか。
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スタンダード・ナンバー
Posted by: 鈴木並木 SUZUKI Namiki (→Profile)
父親がレコード・コレクターだったり、母親が教会でゴスペルを歌っていたり、ラジオからブルースが流れてきたり、実家がハーレムのど真ん中にあったり、そういった生育環境ではまったくなかったので、ジャズを聴き始めたのは20代前半頃のことで、聴き始めた理由も、このままロックばかり聴いていたのではリスナーとしてじきに行き詰るに違いない、との得体の知れない焦りからで、結果的にその判断は正しかった。

思い立って次にしたのが、正月、実家のある地方都市のデバードで開催されていた古本市に出向いて、スイングジャーナル(昔、そういう雑誌があった)の別冊のモダン・ジャズの名盤ガイド本を買うことで、なにしろその本が出版されたのは80年代半ばか末だから、つまり、レア・グルーヴ的視点による怒涛の再発ラッシュとか、世界初CD化の激レアヨーロッパ盤とか、アフロ・ディズニーとか、紙ジャケCDとか、クラブ・シーンと連動したイケメン若手ジャズメンの台頭とか、そういったものはまだ影も形もない時代であって、矢野沙織なんか、ヘタしたらまだ生まれていなかったかもしれない。

それから1年か2年は、問題集をこなすみたいにしてその本に載っている「有名盤」を買っていった。そのせいで、モダン以前のジャズに触れるのが大幅に遅れることになったのは取り返しのつかない損失ではあったけれど、取り返しのつかないことは実はそんなにはないともいえる。それよりも、自由意志(と思っているもの)にもとづかず、体系的に(ある種の)教養を獲得できた功績のほうが大きい。90年代半ばのわたしに、そのスイングジャーナル(昔、そういう雑誌があった)の別冊と、自動車教習所(自由意志の許されない場所)が与えた影響は、たぶん想像以上に大きかったろう。

スイングジャーナル的教養は、その後、必要に迫られて買い求めた、大橋巨泉と岩浪洋三によるライナーノーツの再録本「100枚のジャズ・ヴォーカル」(愛育社)によって補強され、それから何年かたって、原田和典の「元祖コテコテ・デラックス」(松坂)によってほとんど全部くつがえされた。言い換えればそれは、スタンダード・ナンバーをみっちりと覚える過程であって、でもその課程の途中で(ようやく)映画に出会ったわたしは、映画監督やカメラマンの名前を覚えるほうに夢中になってしまった。とはいえそれでも、スタンダード・ナンバー(もちろん、歌詞も含めて)がいかに強固な存在であるか(「あったか」?)を思い知るには充分すぎる時間だった。

それからまた何年かたって、日本のジャズに少しずつ接するようになって否応なしに抱くようになった疑問は、スタンダード(標準)っていうのはいったい誰にとってのスタンダードなんだ? ということで、なんでまあえんえんと、アメリカ人にとってはそりゃナツメロかもしれないけれど日本人にとっては縁もゆかりもない曲ばかりでアルバムの全部を埋め尽くさなくちゃいけないんだろうとか思い始めたところで、綾戸智絵がスマップの「夜空ノムコウ」をカヴァーしているCDを、ああ、あのコブシであの曲を歌っているんだったら聴いてみたい、と思って買って、聴いてみたら歌詞が(勝手に訳した?)英語なもんでガックシ来てしまい、あんたそりゃアメリカでゴスペル歌ってたからって、日本語でスウィングできないんだったらわざわざ歌うことないんじゃないの、と思ってしまったのでした。綾戸智絵には別にうらみも何もないけどね。

−−−

と、ここまでは、酒井俊が11月に出した2枚の実況録音盤『Plays Standard』(→☆)と『a few little things』(→☆)を紹介するための、いささか長すぎる、でも自分にとっては必要な、イントロダクションです。

『Plays Standard』、曲目を見ていただくだけでも、スタンダード、という言葉の解釈が相当独自であることはお分かりかと思う。いわゆる普通のジャズ・ファンが知っている曲は、せいぜい半分くらいなのではないか。そんなところに混じって、ハリー・ベラフォンテで有名なカリプソ「さらばジャマイカ」があり、大恐慌時代の雰囲気たっぷりの「サイド・バイ・サイド」(わたしはジャッキー&ロイや、ジョージィ・フェイムのヴァージョンで愛聴していた)があり、ジャズも映画も生まれる前の民謡「シェナンドゥー」がある。

編成や演奏もまた、ジャズ・ヴォーカリストとその伴奏として見たなら、なかなか珍妙であって、そもそもなんで「イエス、ウィ・ハヴ・ノー・バナナズ」の曲中でヴァイオリニストが完全に浪曲のムードで♪オー・ソレ・ミィ〜オ〜と歌い出し、ヴォーカリストがそれを聴いて噴き出してしまっているのか理解できない。

でも不安になる必要は一切ない! これは「ヴォーカリストとその伴奏者たち」ではなくて、全員でもってひとつの音楽的塊、つまりミュージック・ソシアリスムである! そしてゴダールのすべての映画が「“対アメリカ”映画」であるように、酒井俊が作り出す音楽は、ザ・バンドやトマス・ピンチョンが描くような、実在する土地であると同時に架空の存在でもあるような「アメリカ」のサウンドトラックである! だから「ゴーストパスターズ」を書いた高橋源一郎も、「アメリカ」を書いたカフカも、それを映画化したストローブ=ユイレも、みんなこのアルバムを聴いているはず。

と、以上を念頭に置いておけば、『a few little things』については、ビル・ウィザースがありスティングがありボブ・ディランがありトム・ウェイツがあり、「ヨイトマケの唄」があり「上を向いて歩こう」があり「見上げてごらん夜の星を」があり、と書いていくだけで充分なように思える。

酒井俊の音楽、わたしの貧しい知見の範囲では近年のボブ・ディランのライヴや、カエターノ・ヴェローゾの不定形で分散的なアンサンブルと近い発想にもとづいているのではないかと思えるのだけど、たとえば去年のディランのライヴなんか、多くの客がしていることといえば、一瞬でも早くそれが何の曲かを同定する作業であった。そういうクイズ大会が好きなひとは、酒井の音楽を聴いてももしかしたら楽しくないかもしれない。

わたしが期待しているのは、むしろふだんそれほど音楽を聴かないマキノ雅弘ファンが酒井俊のライヴに来たらどういう反応を示すだろうか、ということだったりする。自分では脚本をほとんど書かず、出演もしないマキノの作る映画が、それでも明らかにマキノでしかありえない空気を身にまとっているように、もともとある歌の数々を、バンドに的確な指示を与えてうたって自分の音楽にする酒井のやり方も、これはもう、文字通りの意味で演出と呼ぶしかない。

酒井俊はマキノ同様、しょっちゅういろんなところでやっていはするけれど、今月の14日(金)と15日(土)には、渋谷・公園通りクラシックスでCD発売記念のライヴがあります。来場者全員に気前よく、レア音源収録の特典CD-Rがプレゼントされるらしいので、足を運ぶ価値おおいにありと太鼓判を押しておきます。いままで何度かライヴに行って、そのたびごとに曲目もアレンジもびっくりするくらい異なっているのでたいへん驚かされるのですが、先日見に行ったときは友部正人の「6月の雨の夜、チルチルミチルは」が飛び出してきたり、いちばん最後には「リボンの騎士」の主題歌がうたわれて、これにはまったく、完全に、不意打ちをくらった気分でした。なるべく多くのひとたちに、一刻も早く、驚いていただきたいです。

*酒井俊のホームページ →☆
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Something on the air
Posted by: 鈴木並木 SUZUKI Namiki (→Profile)


4月3日(土)、10日(土)、17日(土)、24日(土)と、なぜか判で押したように土曜日に放送されていたバッハ篇はスルーしていたものの、5月1日(土)からのジャズ篇は見たいと思っていたにはいたのだけど、当日(土曜日)の夜の帰宅が遅くなったのでやはり見ることができていないままの状態だったとはいいながら、1週間後の5月8日、土曜日の朝に再放送があったので、ようやく坂本龍一の「スコラ」を見ることができた。

我が家のTVのチャンネルはほぼ常時8に固定されていて、出かける前や帰ってきてから寝るまでの間、あるいは日中在宅しながらCDの焼き増しをしている最中(=PCで音楽を聴くことができない時間)、つまり家にいるときに見るのが我が家のTVの視聴スタイルであり、外出先で自宅のTVを見ることはないし、また、8以外のチャンネルを見ることもほとんどないから、最近よく見ている番組は、気がつくと毎日やっているような気がする「東京リトル・ラブ」であり、あるいは「四畳半神話大系」であり、自発的に好んで見ているのは「グータンヌーボ」であり、この間は「素直になれなくて」も見たけれど、「けいおん!」や「けいおん!!」は見ていない、と書いたところでふと思いついたのは、エクスクラメイション・マークが増えていくのって、なんかのプログレ・バンドでそういうのがあった気がする。グレイシャスでよかったんだっけか。しかしこのまま行くと第3期は、あるいは「けいおん!75」になるかもしれない。

さてその土曜日(5/8)の朝、ひさしぶりに見てみると、NHK教育は8チャンネルとは違って、出演者のぼそぼそしたしゃべりがテロップで補強されることもなく、テロップが出るには出るけれどもそれは会話中に出る用語の脚注としてだから、つまり画面を見て・音を聴いている必要があって、そうやって見聴きしていると、8割がたはよく知っている情報とはいえ、あらためてジャズの誕生した過程のスリルに思いをめぐらせてしまう。そして、最近の自分の生活にいかに即興と衝突が欠けているかにも気付かされるし、ジャズを生きたいと思う。

番組中、ワークショップ的に、少年少女(中学生? 高校生?)たちによるビッグ・バンド? オーケストラ? が演奏する。大谷能生のサックスのコールに対して彼ら彼女らがレスポンスするだけで、問答無用で巨大な何物かが生成されるのがわかって、体がむずむずしてくる。これはたぶん、ザ・クラッシュのヴァージョンで「I Fought the Law」を聴いたときに、「すごい構造!」と感じたアレときっとおんなじだ。

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いい気分のままで新宿に向かい、西口の昌平ラーメンで角煮炒飯を食べてから、ハーモニックホールでおこなわれた「瀬川昌治監督の乾杯ごきげん談義」に参加する。NPO法人国際芸術活動支援センター主催のイヴェント。

「拳銃野郎に御用心」のDVD上映と、「乾杯!ごきげん野郎」の16ミリ上映、それに続いて瀬川監督と梅宮辰夫のトーク。舞台奥の白い壁に直接映写する方式(たぶん)。ホールの設備の(たぶん)プロジェクターで映したDVDは、壁いっぱいに広がって、薄ぼんやりとした眠たい画面になった。えっちらおっちら運び込んだ映写機を使っての16ミリは今度はやけに小さい画面。若干物足りないながら、こちらのほうが圧倒的にふくよかな映像、味わい深い。

電気がついたり消えたり、なにも起こらぬまま観客が数分間放置されたりと、軽い不手際が頻発したとはいえ、それも手作り感覚として、ある程度はあっけなく許容できてしまう。映画館以外での上映の楽しさは、こうした軽度のトラブルや、わたしがときどき行くような名画座で見かけるお客さんとはあきらかに違った客層の方々に囲まれることにもあるのだな、とあらためて思いました。

なんだかんだで3度目の鑑賞の「乾杯!ごきげん野郎」が、とにかく目に嬉しい。(西洋風を狙った)日本語のミュージカル映画を見るにつけ、どうしても「負け戦」という言葉がわたしには頭に浮かんでしまって十全には楽しめないならわしなのですが、この映画は、何度見ても楽しい。相当の苦心・苦労・工夫を経ているだろうに、そうしたことを感じさせない軽やかな仕上がり。つまりは、客に不要な負担をかけないという当たり前のことができている。

このままだと長くなるのでひとつだけ書いておくと、この映画、人間がいい音楽に接したときにふんわりとした顔になる様子をきちんととらえている貴重な一篇。たとえば、上京してきたリズム・ジョーカーズが三田佳子に夜の街を連れ回されるくだりであったり(踊っているひとたちが、ちゃんと踊っているように見える)、むりやりスタジオ入りして歌いだす彼らのうたに惹かれて集まってくるレコード会社の社員たちの表情の輝きであり、帰郷する彼らを、電波に乗ったうたの広がりが追い越していく様子であり(ありえない甘さが、現実を軽々とあっけなく追い越していく!)、失意のまま故郷の駅に降りたった彼らを出迎える群衆であり、そういえば以前わたしは、スタジオにわらわら集まってくる社員たちを、ミハイル・ロンムの「一年の九日」の(なんの実験だかよくわからない)実験成功の場面とくっつけて書いたことがあったけれど、いま確認したら、この2本、ほぼ同じ時期に作られたものだった。それぞれの場面、人々の表情をキャプチャして隣同士に並べた画像は、いまのところわたしの頭の中にしかないので、みなさんにお見せすることはできないけれど。

このNPOのイヴェント、毎月のようになにがしかおこなわれるそうなので、ホームページ(→☆)を見て、行ったり行かなかったりすることをオススメします。

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その5月8日(土)の土曜日、上映とトークのあと、監督などを囲む懇親会に500円ぽっきり払って参加し、しかし監督と話すわけでもサインをもらうわけでもなく、かなりの時間を女教師の話に費やした。この記述はのちのちやや重要になるはずなので、みなさまにおかれましては、できる限りご記憶にとどめおかれますよう。

さらに懇親会のあと、おもしろそうな話をしている2人組がいたのでカルガモの子供みたいにあとをついていって、新宿東口を移動しながら横でずっと話を聞いていた。帰宅したのは土曜日が日曜日に変わる寸前で、まさかそんなに遅くなるとは思っていなかったので録画しなかった「スコラ」ジャズ篇の第2回を、先頭部分が若干欠けた状態で視聴することに成功した。

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5月14日(金)は、吉祥寺のマンダラ2にNRQのレコ発ライヴを見に行く。出演はNRQのほか、ceroとふいごで、cero以外の2組に参加している中尾勘二が目当て。たぶん中尾を知ったのは、やはりマンダラ2で見た酒井俊のバックにいたからで、そのときサックス類とドラムスを操っていた彼は、大半の時間をステージ脇、あるいはステージ奥のひび割れた壁(店のホームページにある「前世紀の地層をモチーフ」とはこれのことか?)のほうを向いており、つまり観客からは顔の確認がおそろしく困難であった。その、顔の困難な男は、サックス類もドラムスも、少ない音数でありながら、なおかつ、ストイックさを微塵も感じさせなくて、枯れているのにみずみずしい、とでもいうしかない音。おっさんくさいロックなどの好きなひとは、ザ・バンドを思い出していただくと、イメージとしては遠くないかも(音楽的なことではない)。

えっと、なんで中尾勘二の話になったんだっけ……そうそう、NRQでの中尾はやはりサックス類とドラムスを担当していて、かなりの数の曲で、ハイハットやバスドラを足だけで操りながら、同時に、両手と口でもって管楽器も演奏していて、悶絶するくらいお得な音楽体験だったんだった。20世紀のはじめごろのニューオリンズでさかんに新しいアメリカの民族音楽が製造されていたように、NRQの音楽は現代の日本人向けの人造トラッドなんだと強く感じた。

しかしこの日のマンダラ2はひどく混んでいた。100人超えていたんじゃないか。3時間立ちっぱなしはさすがにしんどくて、どんなにいい音楽が聴けるとしても、こういう環境はカンベンしてほしいと思う。大人が仕事帰りに行く場所じゃない。

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したがって、帰ってきたらすぐに15日(土)になってしまい、仕事に行って帰ってきて仮眠をとったりしているうちに16日(日)に近い時間になり、「スコラ」ジャズ篇の第3回を見た。ビバップからモードへの過程。

30分で扱うにはもったいなさすぎる話題を、うまいこと端折って伝えたのではないかな。もっとも、まったく何の予備知識もなく見たひとが何を得るかは分からない。この回も、ワークショップの少年少女たちの演奏に全身が震える。

マイルス・デイヴィスの「ソー・ホワット」を題材に、少年少女たちがソロをとるのだけど、サックスの湯浅さんだったかな、女の子。彼女のごく短いフレーズの意外性には驚いた。ピアノの女の子がやたらとうまい風だったけど、ああいうものはとくに聴きたくないのであって、その意味でいうなら、いちばん余計なのは毎回最後にくっついてくる、プロのサックスのトリオと、山下洋輔と坂本龍一とによる演奏。ああいったことはライヴ・ハウスなりコンサートなりでお金を取って見せればいいのであって、せっかくのNHKが、あの少年少女たちの演奏をもっともっと見せないでどうする、と言いたい。音楽が生まれる瞬間なんて、赤ん坊が生まれる瞬間みたいで、民放じゃとても見せられないでしょ? 次回はフリー・ジャズをやるらしいので、また何か生まれるのかな、楽しみ。TV。
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C.C. in J.J.
Posted by: 鈴木並木 SUZUKI Namiki (→Profile)
とくにこれといったアテもなくぶらりと新宿に行って、なにするわけでもなくご飯を食べたら、もうそろそろ帰る時間。紀伊国屋を覗く前にふとディスクユニオンに立ち寄ったら、2枚以上買うと10%オフのセールをやっていて、そうなると自動的に何か買わなくてはいけないような気分になり、テッド・ヒースのtwo-fer(2イン1)と、クリス・コナー『フリー・スピリッツ』(→☆)をあわててつかんでレジへ持っていった。

コナーのアルバムは昔ライノでけっこう2イン1が出ていた。このシリーズは、表から見える部分のジャケットは2枚のうちどちらか1枚だけで、隅っこのほうに小さく、Also includes the album XXX、と書いてあるだけだったりするので、自分がどれをもっているのか、すぐわからなくなる仕組み。『フリー・スピリッツ』も、そうしたうちの1枚(の半分)で持っていたらイヤだな、と思ったけれど、たしか彼女のうたうコールマンの「淋しい女」は聴いたことがなかったはずだ、と棚を調べてみたら、やはりまだ買っていなかった。

シャムペンの泡がはじけるジャケットを眺めながらさっそく聴いてみたら、1曲目からいきなりエリントンの「ジャムプ・フォー・ジョイ」なもので、嬉しくなってしまう。エリントンはほかにも2曲うたわれている。驚くのはB面で、リーバー&ストーラーの「カンザス・シティ」で始まって、「淋しい女」へと続いていくのだ。でも、考えてみたら、ロックンロールからブルーズへと流れていくだけのことだから、そんなにびっくりする必要はないのかもしれないな。

聴きながら思い出していたのは、フロリダ出身のロック・バンド、NRBQのこと。彼らの代表曲のひとつ「僕の自動車に乗りながら」は、今年出たシー&ヒムのアルバムでも採り上げられているから、知っているひともいるかもしれない。NRBQの名前の由来はNew Rhythm and Blues Quartet(あるいはQuintet)だとずっと思っていたけれど、長年のファンの間では、“No Records Bought in Quantity”の略だとも言われているらしい。こういう茶目っ気はとても好ましく感じられる。

そのNRBQが1969年にコロムビアから出したデビュー・アルバム(オリジナルのフォーマットではいまだにCD化されていないんだっけ?)は、コックランの「カモン・エヴリバディ」で始まっていて、途中にはサン・ラの「ロケット第9号」も出てくる。初めて聴いたときは、なんてことする連中だ、とニヤニヤしてしまったものだけど、ぼくらが考えるほど大げさなことではなくて、ある種のヒップなアメリカ人たちの間では、自然に受け入れられていたのかもしれない。

そんなことを考えてしまったのは、もともとジャズ歌手出身で、ロックの時代が来たらロック歌手になった、そんなひとはいなかったのだろうか、とずっと気になっていたからなんだ。ボビー・ダーリンではちょっとイメージが違ってしまう。たとえば、クリス・コナーとジャニス・ジョップリンがどこかで共演していたらおもしろかっただろうな。それとも、あのニューポートの記録映画に出てきたチャック・ベリィみたいに、どっちかがちぐはぐな思いをしてしまっただろうか。

コナーも、60年代半ば以降になると吹き込みは減ってきて、ボッサ・ノヴァのアルバムでビートルズをカヴァーしたり、ご多分に漏れず67年ごろには『ナウ』なんてタイトルのアルバムを出している。あのころ、誰も彼も、『ナウ!』だとか『トゥデイ』だとかいうタイトルのレコードを1枚くらいは残していたものだ。そのへんのアルバムはまだ聴いていないけれど、『フリー・スピリッツ』や、60年代前半のほかのアルバムほどには、きっとロックしてはいないに違いない。そうなるとあらためて、ロックの時代とはなんだったんだろう、とぼくは頭を抱えてしまう。

いつまでも悩んでいても仕方ないので、古本で買って、途中まで読んでいた坪内祐三の「四百字十一枚」(みすず書房)(→☆)を読んでいたら、萩原延壽「自由の精神」(これもみすず書房)のことが紹介されていて、興味をひかれた。こういう偶然はつかまえておかなくちゃいけない。さっそく明日、神保町に行って買ってこよう。

と、ここまで書いたところで、クリス・コナーが終わって、音楽がリヴィング・シスターズの『ラヴ・トゥ・リヴ』に替わった。イナラ・ジョージ(妊娠中)を含む女性3人組のこのグループのことは、ブログ「日暮し地図」の記事(→☆)に教えてもらった。おおざっぱに言えば50年代、60年代のガール・グループ(もちろん50年代と60年代はまったく別物だけど)に軽くウィンクして見せたようなこのアルバム、ぼくにはそれよか、ぼくがずっとひいきにしていたローチェス(The Roches)という3姉妹のロック・コーラス・グループに近い印象だった。この、ちょっとすっとぼけた3姉妹については、また書く機会もあるだろう。
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オルガンの見える場所
Posted by: 鈴木並木 SUZUKI Namiki (→Profile)
どんな曲をやったかはあまり意味がないと思うのでどの日に行ったとかとくに書きませんが、始まる前、始まるのを待たせるためのBGMからしてすでにおかしな感じ。安っぽい電子音のイージーリスニングみたいなのをバックにしてなにか話している音楽というか話というかが流れていて、よく聞こえなかったけどいろいろな地名がその話の中には入っていた。「いつかホーボーになりたいと思った」とかも言ってた気がする。かと思うと、突然、片方のスピーカーからそれとは別のものとして「テキサス!」と一言だけ聞こえてすぐにいなくなったりもして、なんじゃこりゃ、ゴダールか? と軽く興奮したのだった。

で、音楽が始まってみると、曲がすっかりなくなって、演奏だけが残っている。近年のカエターノみたいでもあり往年の電化マイルスみたいでもあった。電化マイルスはマイルスがいなくてもマイルスに聞こえたそうだけど、わたしの見たボブ一味は、ばたばたしたドラムスもあらくれたギターも、ボブ本人が演奏したらきっとこうなるんだろうなあと思わされるような演奏だった。ただしそれはボブの権力の支配下にあるというのではなく、ボブがみんなに浸透拡散していっているというか、ボブがみんなへと増殖していっているというかそういうアンサンブルで、だからカエターノの分散的で遠心的で中心のないバンドを思い出した。

曲はだいたい、速いやつ、中っくらいのやつ、遅いやつ、の3種類にわかれていた。ところどころ聴き取れる限りでは、それらは便宜上、ボブが数十年にわたって作ってきた曲のどれかをうたっていることになるようだった。しかし、はたして、ボブたちが演奏していたのは「曲」なんだろうか? 確実に言えたのは、大多数の客は耳をそばだてて、どんな「曲」かを把握するゲームをしに来ていたらしいこと。12000円はクイズの参加費としては高いと思う。

今回はボブ初のライヴ・ハウスでの公演だそうで、速いやつと中っくらいのやつは、文句なしに踊りまくれる演奏だった。遅いやつのときには、息抜きしながらハモニカを聴いていた。ボブはおもに鍵盤を弾いていて、なんかの曲では、テキサスあたりのサルーンでローカル・バンドの奏でるオルガン・ジャズを聴いているような気分にもなった。でもばりばり弾きまくるというよりは、たいていはロング・トーンをぴゃらーっとつけていることが多かった。モーダルとかドローンとか言われたらそうかもしれないと思うけれど、どちらかというと教会のオルガン。それよりもむしろ、球場のエレクトーンの味わい。原田和典は、アメリカの公共施設にはたいていオルガンが設置されている、と書いていた。ボブはわざわざ何しに来たのかといえば、アメリカからオルガンを弾きに来たんだろう。そしてみんなを踊らせに。ボブが帰り際、がっかりしていないといいのだけど。
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彼女が自由に踊るとき
Posted by: 鈴木並木 SUZUKI Namiki (→Profile)
例によってまた間が空きました。先週土曜日の「映画のポケット」にお越しくださったみなさん、どうもありがとうございました。昨日、道を歩きながら思い出したことを書いておきますと、斎藤先生と打ち合わせをしたときだったか、9月に仙台でエドワード・ヤンのドキュメンタリーなどが上映されるという話になりました(→☆)。行くんですか? と訊ねましたところ、「40分のものを見にわざわざ仙台に行くのはデカダンすぎるので……」とのお返事。まったくもっともだと思いました。

次回開催は12月20日(日)です。「ウルポケ2」(仮)と題して、azさんと重山規夫さんに「ウルトラマン」シリーズの映像表現としての(知られざる)魅力を存分に語っていただきます。昨年12月に開催されたファースト・ウルポケは参加者全員におそるべき衝撃を与えましたが、ほんとうは、ウルトラマンかぁ……と腰が引けているあなたにこそ来ていただきたい。スタジオ・システムやプログラム・ピクチュアに興味のあるひとはとくに必見、だと思います。告知は近日中に開始されます。

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ぽつぽつと映画を見ていますが、ただ勤勉に映画館に通っているだけであまり身になっているとはいえないのでとりあえず名前を出すのは控えておくとして、一昨日、公園通りクラシックスに酒井俊(vo)を見聴きしに行きました。メムバーは田中信正(p)、ナスノミツル(el-b)、外山明(ds)。

これは端的に、おもしろい映画を見ているようにおもしろく、そんじょそこいらの映画よりも映画みたいでした。ところでわたしは年々、実物を見ることに金を出す気を失いつつありまして、先日のライ・クーダー&ニック・ロウも、ただ実物がそこにいたなとしか思わなかったくらいでした。やっぱりロックは複製技術に立脚した芸術形式ですから、レコードなりCDなりで聴くのがいちばんよい、というか、そちらが原典なわけですよ。

酒井俊の音楽はほかのたいていの音楽よりはるかに運動です。この「運動」にはアクション、とルビをふっていただければなおよろしいのであって、聴いているこっちの身体にも、ものすごい遠心力がかかって四方八方に飛散させられそうになる。ただしそれはまったく不快ではなくて、遊園地にある(いまでもあるのかしら)、高速回転のコーヒーカップに乗っているみたい。

わたしは、オーネット・コールマンやカエターノ・ヴェローゾの数年前の来日をちらっと思い出すんですけど、酒井俊のディレクションも、リズム隊なりバックがいてそこに安心してうたが寄りかかる、というふうにはなっていない。聴いていて、ポピュラー音楽のサブ・ジャンルというのは、(しょせんは固定された)何種類かのリズムの名前のことなんじゃないか、との仮説が浮かんできました。ここにあるのは、じゃあそれとは違うことをドラマーがやったらどうなるのか? という実験。田中信正はなぜだか宮沢賢治みたいに見えましたけど、子供のお守りをするみたいな「うたの伴奏」はしてなかったし、いわゆるジャズ・ピアノだったかどうか、それもあやしい。たった4人で群像劇を作り出す演出方法は、たぶん彼女がマキノやホークスやルノワールから学んだものなんじゃないかと思います。

この分散的なアンサンブルをフリー・ジャズと呼びたいひとがもしいるとしたら、それならそれでいいや、という気分です。でもたとえば、公園で子供が好き勝手にそれぞれのリズムで動き回っているのを見て、いちいちこれは統制が取れてなくて難解だ、と思うひとはいないし、水墨画を見てパースが狂ってるとか山が途中で切れてなくなってるとかと思うひともいないわけだから、酒井俊の音楽もそう聴けばいい。カネフスキーの「ぼくら、20世紀の子供たち」の道ばたで、手前でインタヴューを受けている子供たちのすぐ背後をまた別の子供たちがごちょこちょと動き回っていて、そっちに目がひかれてしまうあの感覚。

もちろん酒井はうたの舞台監督であると同時に主演女優でもあって、最近見た映画であれだけ力のある存在っていうと誰だろ、清水宏の「恋も忘れて」で、「景気のいい曲かけてちょうだいよ」かなんかいいながらがらんとしたフロアでひとりで踊った桑野通子に匹敵するかもしれない。酒井俊はあまり踊りませんが、いや、まあ、積み重ねられたうたの上で踊っているみたいなものなのかな。

ライヴとはまったく違った内容の、いかにも複製芸術めいたスタジオ盤も、聴いてみたい気がします。たとえば、ウィルコをバックにしたランディ・ニューマン・ソング・ブックとか。NRBQとも共演してほしい。それが無理でも、ジム・オルークと仕事をすることはありえないだろうか? とか、スウィンギン・バッパーズと組んだ和製ジャムプ・アルバムが聴きたいとか(吾妻光義とは共演したことがあったはず)、望みはつきません。そういえば今年の春に出た彼女の2枚組のライヴ盤に添えられた自筆のライナーノーツには、まるで予言したかのように、「Zamri, Umri, Voskresni!」というタイトルがついていました。
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傍流
Posted by: 鈴木並木 SUZUKI Namiki (→Profile)
よく中古盤を買う身からすると、「誰が持っていたんだか分からないようなものはとても買えない」とか言い出す潔癖症のひと(実際にいる)の考え方はよく分からず、とはいえ、「誰だか分からないひとたちの手とそれなりの時間を経て、いまようやくわたしの元に届いたんだね、お帰り。あるいはようこそ」などとロマンにあふれたことを日々思っているわけではないのですが、それでもやっぱり、古いレコードを買ったときに気に入った曲名の脇に☆だとか◎だとかかついているのを見るのは決して嫌いではなくてむしろ好きだし、ライナーノーツの中の重要と思われる語句などが蛍光ペンなどでマーキングされているのも好ましく感じる性質なので、やはり値段が安いということのほかに、中古盤になにかの価値を見出しているのではあるらしい。なお、新品のCDのシュリンク・ラップを剥く瞬間ももちろん嫌いではない。新品の輸入盤のケースの上部の細長いシールは、うまくはがれないから嫌い。

と、いうような話は実はいつまでだって続けられるのですが、帰省して、帰省したときにはだいたい立ち寄る、なんともいえない感じの店で以下の3枚を買ったときにゃ、あ、これ、同じひとに所蔵されていたものだな、とピンと来ました。

○ドック・ワトソン『ドック・ワトソン』(Amazon) 
○カントリー・ガゼット『ドント・ギヴ・アップ・ユア・デイ・ジョブ』(Amazon)
○ワールド・スタンダード『カントリー・ガゼット』(Amazon)

3枚通して聴くと、カントリー/ブルーグラスというフィルターを通してのアメリカ音楽の30年の変遷を2時間に凝縮して浴びせられる感じで、軽く感動する。同時に、この3枚を(ほかにもいろいろ売り払ったのかもしれないけど)自分には不要なものとして手放した旧所蔵者の姿も見えてくるような気もする。オーセンティックすぎるカントリー・ファンなのかもしれないな、と想像。

『ドック・ワトソン』(64年)に収録の「ブラック・マウンテン・ラグ」は、当時のギター小僧のあいだで評判を呼んだらしい名演。「お前あれ弾けるか?」というのが合言葉のようになっていたらしく、同じ頃、イギリスでは、デイヴィ・グレアムの「アンジー」がギター.キッズの新定番として同じような扱いを受けていたことを思い出すと、興味深い。ここに入っている「トーク・アバウト・サファリング」や「オミー・ワイズ」は、わたしにとっては英国フォークを聴いているうちに耳なじみになった曲。

カントリー・ガゼットは人脈的にはロックのひとたちではないはずなので(うろ覚え)、カントリー・ロックというよりはロッキン・カントリーと呼んだほうがしっくりくる。LPしか持っていなかったので、ひさしぶりに聴きなおしてぶっ飛んだ。清流の如きハーモニー、駿馬のようなドライヴ感のアンサンブル。ロックするために、エレキ・ギターだとか、大音量だとかは必須ではない。ちゃんと(73年当時の)最先端の音になっている。

で、そのグループ名からタイトルをとったと思われるワールド・スタンダードのアルバム(97年)は、小柳帝がライナーに書いているとおりの、ヴァーチュアル・カントリー。あるいはカントリートロニカ。定位は揺らぎ、音楽的時空はゆがみ、歩いていると至るところに抜け道が見つかる。ただしこれも、ワールド・スタンダード=鈴木惣一朗ひとりの手柄ではなく、ことにジョン・フェイヒィの昔からの仕事に多くを負っているわけなので、カントリーはいつだってオルタナティヴだった、と断言するのはためらわれるとしても、オルタナティヴなカントリーはいつだってえんえんと存在し続けてきた、とは確実に言える。

どんな分野でも主流があるところに傍流があり、主流が太くて悠然としたものであればあるほど、傍流は逆方向に流れてみたり、奇怪な音や異常な芳香を発したり、目にも鮮やかな色を振りまいてみたり、できる可能性が(理論上は)あるわけで、アメリカのある一面そのものともいえるようなカントリーという名の大河に、豊かな傍流が存在しないわけがない。

というわけで、カントリーをカントリーだからという理由で聴かないのは、ヤクザ映画やロマンポルノや時代劇を見ないのにも似た、犯罪的な行為なのです。と言っておく、今日のところは、一応。寝る。
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スティーヴ・ライヒ+エドガー・ヴァレーズ<あなた
Posted by: 鈴木並木 SUZUKI Namiki (→Profile)
……と書いて、「スティーヴ・ライヒ(たす)エドガー・ヴァレーズ(より)あなた」と読み、「あなた」には、芳垣安洋が代入される。この不等式を思いついたのが風呂の中だったなら、わたしもアルキメデスよろしく裸で飛び出していったことだろうが(ビートルズの歌だか島耕二の映画だかで、風呂場の窓から飛び出す感じのタイトルがあった気がする。いや、あれはアルキメデスではなくてコペルニクスだったっけか?)、そうではなくて思いついた場所は蒸し風呂という名の超満員の新宿ピットインだったので、これではまんず、服が脱げない。

しかしこないだの大友良英のときはもっと入ってたそうで、超満員以上にお客さんが入る状態ってどんなんだか想像がつかないのんすと言ったら、aさんはあれを見ろといってステージの方を指差した。すると芳垣安洋用のドラム・セットは客席部分にはみ出た状態で置かれていて、高良久美子用のやたらと場所を取る各種鳴り物は完全にステージからおっこった場所に設置されていた。ではステージの上には何があるのかというとその他のメンバー用の叩きものが所狭しと並べられている。オルケスタ・ナッジ!ナッジ!、11人全員がパーカッションのグループ。

その日の昼間は天空橋から川崎大師まで歩いてそれから京浜急行の特急で都内に戻ってきた。気がかりがあってぼおっとしているといつの間にか電車は多摩川を渡り、有象無象の小駅を石のように黙殺してあっという間に品川に着いてしまったのだけど、芳垣のドラムは京急の特急よりもなお速い。わたしのいたトイレの前の席から、ちょうど対角線のあたりに置かれたドラム・セットの芳垣は上半身しか見えなかった。最初はキャベツの千切りをしているように見え、そのうちに音の出る魔法の箱を操作しているような気がしてきたが、じっと見つめていると電車の運転士にしか見えなくなった。この運転のスピード感、タイプは違うけれどもミルトン・バナナを思い出す。疲れてうとうとしていたわたしは、芳垣が運転席につくたびにぱっと目を覚ました。居眠り乗車は禁止。

−−−

2セット目の最初の曲では、芳垣の指揮のもと、ほかのメンバーがウッドブロック(だったかな)でポリリズムを作り出していて、なにかに似ていると思ったら、田んぼのカエル。ふと止まっては、また一斉に鳴き出すカエル。

メガホンによるアジテーション、振り回されるホース。本篇の最後は、カエルのおなかの皮も太鼓の皮も破れそうなカオス。ローランド・カークの『ブラックナス』、「ホワッツ・ゴーイン・オン」の後半で吹き鳴らされるホイッスルでいつも涙があふれ出そうになるあの感じに似ている。そんなものを聴くことがあるなんて、想像もしなかった。

−−−

しかし、11人くらいで驚いていてはいけないのだね。ニューヨークでおこなわれた、ドラム77台によるライヴ・イヴェントの記録映像「77BOADRUM」が7月7日から公開されるんだってさ。
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