Eat Much, Learn Slow (& Don't Ask Why)

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まだ遅くはない
Posted by: 鈴木並木 SUZUKI Namiki (→Profile)

ついつい北海道のことを考えてしまう。父方の祖父が旭川の出身だから、つまり自分には北海道の血が4分の1入っていることになるわけだけど、いままであまりそれを意識せずに生きてきた。ふと気付くと、親しく口を利いたり、どこかで会ったらあいさつをしたり、あるいはなにかちょっとした頼みごとをしたりされたり、プライヴェイトでそうした関係を持つようになった北海道出身者が6、7人いる。そしてわたしの周りの北海道出身者には、つまらない人間はひとりもいない。

只石博紀がたぶん室蘭の実家とその周辺で撮った中篇「Future tense」を見て最初に思ったのは、岡本まな「ディスタンス」と三宅唱「ザ・コクピット」の真ん中にこれを置いたら、つながらなさそうなその2本がつながるな、ということ。いやしかし考えてみたら「ディスタンス」が函館の映画だってぇのは忘れようもないことだとして、これは忘れていたけど三宅唱は言うまでもなく札幌の出身で、そして近々、佐藤泰志「きみの鳥はうたえる」を(たぶん函館で)撮るらしいわけなので、別に鬼の首を取ったように北海道北海道言わなくてもいいのかもしれない。そもそも室蘭と函館と札幌は別々の場所だろうし。だから北海道の話はここで終わってこの先には出てこない。

「Future tense」に出てくる要素そのものは、わたしたちにも割となじみ深いものばかりだ。夏、法事に集まってくる家族と親族、立木、食事、台所、会話、薬罐、居間、墓参、TV、濃霧。それでいて、これを一度見てしまったらその途端、割と誰もが、あれっ普通の映画ってどんなふうに画面が構造されて、どんなふうに人間が配置されてるんだっけ、とわからなくなって不安に駆られるはずだ。普通の映画はいまやカッコに入って「普通の映画」になってしまう。いままで何百本、何千本、ひとによっては何万本と映画を見てきているわけですから、限界も可能性もみなさんだいたいなんとなくご存知でしょう。だとしたらどんなやり方にもそう簡単には驚かないし騙されない、ましてやこれみよがしの新しさ(だと作り手だけが思っているもの)には厳罰をもって処すぞ、と疑いのまなざしを(わたしに)向けてこられるのもまったくもってごもっとも。しかしわたしは動じませんし翻意しませんよ。

そもそもどんな映画でも、たいていはファースト・ショットがいちばん最初に来るものと相場が決まっている。では「Future tense」のファースト・ショットはどんなだったか。(相対的に)暗い部屋の中から(相対的に)明るい窓の外を撮ったものだ。横長の暗い画面の中央あたりが、縦に明るく白く切り取られる。長いこと縦長の映像を想像したことがなかったらしい(日本語圏の)映画関係の人類にとって、「タテの構図」というのはなぜか前景と後景、つまり画面の手前と奥の関係のことを呼ぶ言葉のようだけど、そのことは知らなくてもいいし、すでにご存知だったら忘れていただいてかまわない。

文字通り縦長の形に光があふれるその次は。どんなだったか。たしか窓から雨の降る外の景色を撮ったものではなかったか。おじぎをするみたいに下の道路に向けてカメラがパン・ダウンするとき、画面の左右には窓枠がほんのわずか、消し忘れたみたいに残ってはしなかったか。

さてその次は。どうやらだいぶ歳を重ねた、女のおばあさんだった気がする。ピントは最初、おばあさんではなくて、彼女の背後の壁際のなにかに合っている。個人的な事情で、1月下旬から眼科に行く回数が増えた。さまざまな検査のひとつとして、機械にあごを乗せてレンズを覗き込み、そのなかの地平線上のバルーンを見る。バルーンはぼやけたりくっきり見えたりする、というのはそう見えるように像が投影されているからだ。たぶんそれに応じて瞳孔が開いたり閉じたりする、それを検査しているのだろう。ちょうどそのバルーンみたいに、女のおばあさんの像がぼやけ、調節されてピントが合う。

こうした、画面の説明から始まるシネフィルっぽい無芸な文章は、若木さん(たしか北海道出身)にバッテンを喰らうタイプのやつだったはずだ。しかし画面の説明をするのがどうしても必要な映画というのが、たしかに存在する。とはいえたいていの映画は、実はたいしてそんな必要はないのだけど、「Future tense」はまさにそれが必要な映画なのだ。

この映画の監督でありカメラマンである只石博紀は、画面に出てくるほかの只石たち同様、多くの時間、自分は四六時中カメラを操作しているわけではありませんよというアリバイ作りの意味も兼ねて、カメラの前や横や背後のあたりをうろうろしているようだ。カメラはそのあいだ、おそらくほったらかされたまま、どこか固い場所の上にいて、めったに動かない。極度に動きの鈍い愛玩動物が家族を記録したら、あるいはこんな映画ができるかもしれない。

何時間ぶんの素材から抽出されたのか知らないが、まったく驚くほかない映像が連続する。たとえば、弟?の奥さん?か婚約者?が、画面中央でものを食う。最初はその部屋にほかの家族が集まっていたのに、おのおのがそれぞれの事情で出たり入ったりしているうちに徐々にひとが減っていき、最終的にはものをもぐもぐしているその女性だけが画面中央に残る。加藤泰のなにかの映画で身じろぎもせず黙々となにかを食べ続ける三原葉子を思い出すひともいるかもしれないけれど、それにしたってこの、弟?の奥さん?か婚約者?の姿勢はいったいどうしたことだ。断言はできないけれども、こんなかっこうでものを食べる人間が映画に出てくることはそうそうないし、ましてやどんな演出家でもこんなふうに芝居をつけることはできないに違いない。姿勢だけではない。ここにしろ、ピンと背筋をのばしてソファに座り、フレームの外のなにか(テレヴィだろうか)を見つめているときにしろ、ふだんいるのではない場所にいるからだろう緊張感が全身から発せられていて、とくになんの説明もないまま、わたしたちに多くの事情を了解させる。

なんの説明もないのは別にこの、弟?の奥さん?か婚約者?についてだけではない。カメラの前をちょろちょろする只石監督の顔をたまたま知っているわたしは、ここは彼の実家なのだろうとなんとなく推測し、であるならば登場人物たちは必然的に家族や親族なのだろうと想像するだけだ。

そういえば前述の「ディスタンス」が初めて?公に上映された2015年の山形国際ドキュメンタリー映画祭では、クロエ・アンゲノー&ガスパル・スリタの「いつもそこにあるもの」、フリア・ペッシュ「女たち、彼女たち」なんて作品もかかっていた。わたしは2本ともあとになってから見たのだけど、どちらも、出てくる人物たちの血縁関係は明示されず、同じ家にいるからにはまあ家族かそれに近いひとたちなんだろうなと思いながら見進めていかざるを得ないような(と説明すればそれで済んでしまう程度の)映画だった。

ついでにいえば、「ディスタンス」では、家族の昔のホーム・ヴィデオが映るパソコンのモニターだったかテレヴィの画面だったかを撮るショットでの、撮られているそのスクリーン上のホコリというか汚れがそのまま映り残っているのが印象的で、同じようなことはたしか小森はるか「息の跡」でも起こっていたのじゃなかったか。「息の跡」もやはり2015年の山形が初の?お披露目だったはずで、そして例によってわたしは山形では見逃しており、最初に見たのは2016年春の新文芸坐でだった。2017年に一般公開されたヴァージョンは2回見た気がするけど、その、汚れだかホコリのカットは残されていたんだったかな? そして「Future tense」では、汚れだかホコリの乗ったガラスと只石自身の体を突き抜けて、動く家族が撮られる。

話を戻して、おばあさんが大根の皮を剥く場面での、画面外から盛大に入ってくる光のせいで台所全体がオレンジ色に包まれる色彩設計に驚いていると、次のカットでは画面の真ん中でストーヴ?に乗っかったカラシ色の薬罐が存在を誇示していて、最初は無人だったその部屋にひとが入ってきたり出て行ったりしてもカメラは動かないから、動かない薬罐はずっと同じ場所にある。そしてここでも弟?の奥さん?か婚約者?はなにかを食べながら、食事の話をしている。

終盤で暴力的にボヤける真っ赤な花の衝撃、そしてその先の景色についてここで書いてしまうのは、あまりにももったいない。文字には映像にはできない文字なりのやりかたがあるからその安易なやりかたを採用していうならば、ここには鈴木清順も加藤泰もストローブ=ユイレもアンゲロプロスもエドワード・ヤンもホン・サンスも、ぎゅうっと凝縮されたかたちで、みんないる。法事だから、生きてる者も死んでる者も集まってくるのになんの不思議もない。いちばん重要なのは、おそらく自他ともに小津安二郎の弟子だと任ずるどんな映画作家の撮った作品よりも、たぶんそんなことはこれっぽっちも考えていないだろう只石の撮った「Future tense」のほうが、はるかに小津ってるって事実なのだ。ジャームッシュもペドロ・コスタもカウリスマキもどうせまだ「Future tense」を見ていないだろうが、小津はパンクだ、なんてセリフは、「Future tense」を見てから言ってほしいもんだね。

それにしてもどうしてこんな映画が撮れてしまうのか、という(あるひとからわたしに実際に投げかけられた)問いに対しては、そういうひとなんですよ、と(わたしが実際にそのひとにそう答えたように)答えるしかないわけだけど、わたしにとってのいちばんの謎は、2013年にこんな作品を撮っておいて、どうしてどこにも出さずに3年も4年もほったらかしておくことができたのか、だ。それこそ2015年の山形で上映されてもよかっただろうに。

只石が不在だった(という言い方が失礼なのは百も承知で)この数年間に、たいして実力もないのになんとなく雰囲気で注目されたいくつかの映画監督や、自分がより都合よく食っていくためだけにそうした連中を過剰に持ち上げた幾人かの批評家がいたに違いないと思うと、それが誰かは具体的にわからぬまま、いまでもはらわたが煮えくり返る思いがする。

只石を黙殺して絶望を抱かせてしまったということだけでも、実作者、批評家、制作まわりともども、日本映画は全身全霊で少しくらいは反省してほしいと思ってるのだけど、恨み言は言うまい。

そのかわりにこう言おう。わたし自身に向けて。只石監督に向けて。そしてなによりも、なにか突き刺さるような映像を心底から求めているあなたに向けて。いまからでもまだ、遅くはないんだぜ、と。

映画
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二人(以上)が喋ってる。
Posted by: 鈴木並木 SUZUKI Namiki (→Profile)

ポレポレ東中野でついに公開中の小森はるか「息の跡」を見た! 「!」をつけるようなおおげさな類の映画ではないと思うかもしれないけれども、その意味はそのうちわかる、ようにこれから書いていく!

昨年3月、新文芸坐で1回だけ上映されたときに初めて見た。で、そのときは、極度に誇張された抑揚だとか様式化された身ぶりと口調だとかについて書いた(→☆)。

それから半年くらいたって、批評誌「ビンダー」の連載時評で2016年秋までの時点の日本映画を振り返ったとき、「息の跡」にも言及した。そしてそこでは「もともとナチュラルに芝居がかっているひと、そうしなければ生きられないひと、自分自身のその性質に気付いてすらいないひと、がいる。」と書いた。しかしそのフレーズは、岡本まな「ディスタンス」と森達也「FAKE」についてのもので、「息の跡」のことは念頭に置いていなかったのだった!

そうして「息の跡」を再見する! 追加撮影がおこなわれたうえで再編集され、2016年春のヴァージョンから15分くらい短くなっていた。旧ヴァージョンのオープニング、最初に出てくる言葉はたしか、種屋の佐藤さんがカメラ=小森のほうに棒(先端部分に顔の絵のようなものが描かれている)を突き出しながら、「へのへのもへじだぁ!」と言い、小森が短く「ふふふっ」と笑うというもの。

劇場公開版は、佐藤さんの職場である種屋の様子、そこで仕事しながらの佐藤の言葉、そして小森の反応から始まる。
「植物も人間も同じよ。寒いと死ぬ」
「23歳? 豆粒だ」(小森の歳を訊ねて)
「結婚して終わりじゃないのか、女の子は?」(小森が「終わらない!」と返す)

遅刻して教室に入ってきた学生のようにあわててこれらの言葉をメモしながら、ああでも「へのへのもへじ」から始まらないのか、とちょっと残念に思っていると、これらの会話のやり取りに続いて、あの「へのへのもへじだぁ!」が来る。そうか、こうつながっていたのか。知らない土地を歩いていて、不意に見慣れた場所に出たような感覚。

初見でも強く印象付けられた佐藤さんの英語の朗読(「ケッセン・ダマシイ!」)や、カメラ=小森に向けてだったり、向けられてではなかったりする言葉。初見から1年弱たって、2016年を通り過ぎてみると、佐藤さんも「もともとナチュラルに芝居がかっているひと、そうしなければ生きられないひと、自分自身のその性質に気付いてすらいないひと」たちの近くにいるひとりなんだと気付く。つまり2016年ごろの日本(映画に出てきた)人がここにいる。

2016年春版ともまた違う編集だったという2015年秋の山形上映ヴァージョンは見ていないのだけど、それにしても、今回の劇場公開版のためにほどこされた編集の効果はめざましい。街道と店の位置関係は絶え間ない車の通過音によってくっきりと際立ち、カメラ=小森の存在が強調されることでドキュメンタリストとしての佐藤さんの姿も自然と浮かび上がり、そして映画の最初と最後で佐藤さんと小森の言葉が期せずして響き合うのだから、もう……。もちろん「期せずして」ではない、響かせようと思って作って、それがきちんと響いてる。

−−−

翌日。トーマス・ヴィルテンゾーン「ホームレス ニューヨークと寝た男」を見る。原題「Homme Less」じゃなにがなんだかわからないからとの判断でのこの邦題なんだろうけど、こぎれいな格好をしたロマンス・グレーのイケメンのファッション写真家が、実は家がなくて、ビルの屋上で寝泊まりしているという「実は……」系のドキュメンタリー。

「息の跡」の佐藤さんもだけど、こちらの主人公マーク・レイも、しゃべる、しゃべる。同じくらいよくしゃべる。これだけ自分からいろいろしゃべってくれるんだったら、カメラを回しさえすれば映画の2、3本、すぐにできてしまうのではないかとうっかり思ってしまう。けれどもふたりのしゃべりの性質は明らかに異なっている。ように見える。

自分ひとりではとても消化しきれない大きなトラブルを経験したとき、それを言葉にしたり、文字に書き残したり、あるいはただカメラの前にわが身をさらしたりすることで、大きなかたまりが少しずつ砕かれていくように、あるいは石鹸が小さくなっていくみたいに、苦しみが吸いとられ、軽減していくことはありうるだろう。笑い飛ばす、というやりかたもある。すべて、広い意味での知性の営みだろうと思う。

マーク・レイはどうか。ちょっと変わった生活を軽やかに楽しんでいる快活なニューヨーカーに見える。モデルからフォトグラファーへの転身。しかし住む家はない。ジムのロッカーに私物を押し込み、ショウ・ウィンドウを鏡がわりに髭を剃る。そんな暮らしも「選択と結果、選択と結果、その積み重ねとしての、いまだろ?」なんて、肩をすくめて肯定しそうなキャラクター。

映画が進んでいくにしたがって、そんな暮らしも決して気楽なだけのものではないことがわかってくる(当たり前だ)。住む家がないのはマンハッタンの家賃があまりに高くて払えないからだ。イケメンならではの軽い女性不信があるようだし、誰かに頼るのも苦手。夜、ビルの屋上の寝床の中での独白、日中とは別人のような疲れはてた顔を見せる。この「おいしい」ショットを、わたしは見たくなかった。自分自身のその性質に気付かぬまま、いつまでもナチュラルに芝居がかっていてほしかった。

種屋の佐藤さんとマーク・レイは、過去・現在・未来ともおそらく面識は持つことはないと思われるが、立て続けにふたりを見てしまったあと、想像の中で、任意にふたりの人生を入れ替えてみるのはわたしの勝手だ。もし、陸前高田の種屋がロマンス・グレーのイケメンで、ニューヨークの写真家がひとなつっこい思索家だったら。そしたらふたりは、どんな芝居を見せてくれただろうか。

−−−

その2日後くらいに、アーサー・ペン「奇跡の人」を見る。

地震と津波で店を失った佐藤さん。見ようによっては自発的にホームレス生活をしているマーク・レイ。ふたりを重ねたり、その心痛を比較したりするのは不謹慎というか不適当なふるまいだったなと、ヘレン・ケラーの三重苦に思いを馳せる。いやしかし、たまたま同じ週に見たというそれだけの理由で、3人を強引に関連付けてみることこそが誠実さというものではないか、と逆ギレ気味に考えもする。

だいぶ以前にTVで録画したものを見たっきりだけど、それでもW-A-T-E-Rのくだりと、ヘレンとサリヴァン先生のダイニングでの死闘はよく覚えていた。今回それ以上に印象深かったのは、言葉(を使って世界を認識する方法)をヘレンに教え込もうとするサリヴァン先生の妄執ぶりで、goodを教えるときには自分の顔一面に笑みを浮かべてそれをヘレンに撫でて覚えさせ、badの際には悲しげな表情を作ってそれを手で認識させる。

あっここにも、(よりよく)生きるためにナチュラルに芝居がからざるをえないひとがいる、と思った。極度に誇張された身ぷり、言葉へのやや過度の信頼。サリヴァン先生もマーク・レイも、こうして2016〜2017年ごろの日本映画のある種の人物たちと通じ合っている。そういえば「息の跡」も「奇跡の人」も、井戸(=イド!)の映画であり、対して、ニューヨーカーのマーク・レイの屋上の住処には井戸(=イド!)はもちろん、水道もない。彼にとって水とは、使うそのたびごとにポンプをぎーこぎーこして汲み上げるものではなく、あらかじめ一定量ごとのかたまりをスーパーで買い求め、枕元に備えておくものなのだ。

ところで、ウォーウォーと言葉以前の言葉をひたすら高速のビートに乗せて発し続ける、「奇跡の人」という名前のハードコア・パンク・バンドがあったら面白い、と考えたことがあったのを、15年ぶりくらいに思い出した。

映画
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2016年の映画など
Posted by: 鈴木並木 SUZUKI Namiki (→Profile)

2016年にスクリーンで見た映画の中から、よかったものを。並びは見た順。

ライアン・クーグラー「クリード チャンプを継ぐ男」
リドリー・スコット「オデッセイ」
小森はるか「息の跡」
三宅唱「無言日記2014」「無言日記2015」
リッチ・ムーア&バイロン・ハワード「ズートピア」
パトリシオ・グスマン「チリの闘い」
瀬尾光世「桃太郎 海の神兵」
岡本まな「ディスタンス」
黒川幸則「ヴィレッジ・オン・ザ・ヴィレッジ」
チャン・ダーレイ「八月」

こういうベスト10ものは、自分の映画的信念に忠実に、ってこととかよりも、ほかのひとと似たようなセレクションにならないように、のほうを重視して選びますので、どうしても作為的な感じにはなりますが、かといって「シン・ゴジラ」や「この世界の片隅に」や……(中略)……はどんなふうに選んでもそもそも入りませんので、そういう意味では、素直に選んでいます。

この10本全部に共通する特徴はとくにありませんが(そんなものあるわけない)、ここ数年、いわゆる「お話」には飽きている、というか、そういうのはある特殊なアメリカ映画がやればいいんじゃないかとなんとなく思っているってのはあります。しかし、そのことと、今回挙げた日本映画の多くがいわゆるドキュメンタリーに分類されることとは、おそらくそれほど直接的には結びついていません。

つまり、お話に飽きたからドキュメンタリーに興味が移りつつあるとか、そういう単純なアレではない。「チリの闘い」はもちろんのこと、「息の跡」も「ディスタンス」も、それぞれ「お話」の映画だと思っていて、語られ方におおいに魅力を感じている、ということなのですが……とはいえ、それに関する自分の気持ちをうまく説明する言葉はまだ見つかっていません。

一応、上記のものとあんまり差はないけど同じくらいよかったので、以下あたりもメンションしときたい。順不同。

「ミュータント・ニンジャ・タートルズ 影」
「死霊館 エンフィールド事件」
「ブリッジ・オブ・スパイ」
「風の波紋」
「Don't Think I've Forgotten: Cambodia's Lost Rock & Roll」
「トランボ ハリウッドに最も嫌われた男」
「幽霊」(大西健児)
「沒有電影的電影節」

短篇は、アッバス・キアロスタミ「24 Frames」。

あと、2015年のベストのときに触れておくべきだったけどなぜか度忘れしていた「Re: play 1972/2015―「映像表現 '72」展、再演」(東京国立近代美術館)に、いまさらではありますが2015年の特別賞を。

話のついでに。あいかわらずほとんど美術展には行ってませんが、そのなかでも「生誕300年若冲の京都 KYOTOの若冲」(京都市美術館)と、「THE PLAY since 1967 まだ見ぬ流れの彼方へ」(国立国際美術館)は、見といてほんとよかったな。

最後になりますが、夏に雑誌「トラベシア」を出したのはすごく勉強になりましたし、いろいろおもしろかったです。お買い上げくださったみなさま、関わってくださったみなさま、どうもありがとうございました。2017年の夏までには第2号を出したいと思います。またそのうちお知らせしますので、どうぞよろしくお願いします。

2017年がわたしとみなさまにとってより良い年になることを祈りつつ。
 

映画
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不自然なひと皿
Posted by: 鈴木並木 SUZUKI Namiki (→Profile)

前田亜紀「カレーライスを一から作る」(→☆)。見終えてしばらくたってから、タイトルの意味がじんわりと時間差で効いてきた。

探検家の関野吉晴が武蔵野美術大学でゼミを持っている。なんで探検家がムサビで教えてるのかはともかく、このゼミでは9か月かけて、稲を植え、野菜を育て、スパイスを栽培し、ホロホロ鳥と烏骨鶏を飼い、海水から塩を精製し、それらを材料にカレーライスを作った。皿も自分たちで粘土をこね、大学の庭で野焼きする。

こういう場合、油断しているとついつい話がスピリチュアルな方向に行きがちなのでどうしても警戒してしまうんだけど、この映画、生命の大切さみたいな話題は当然出てくるものの、全体の雰囲気はなんというかもっとこう、即物的だ。つべこべ言わずに毎日確実にそこにあるなにかを食べ続けないと自分が死ぬ、そういう場所を通り過ぎてきた人間ならではの言葉。理屈はまず生き延びてから。

啓蒙したりされたりするのが好きなもんで、ちょこちょこ伝えられるいろいろな知識が楽しくて仕方がない。ついついメモをとる。たとえば……
・四つ足の動物は法律上、家では殺せないことになっている。(→あとで調べたら、屠畜場法で細かく決まっているようだ)
・最近よく出回っている野菜などの種をまいて育てて収穫しても、そこには種はできない、一世代限りのものが多い。(→無限に種がとれてしまうと種屋が儲からないから。また、特定の農薬に強いよう品種改良したりしている)
・コリアンダー(パクチー)は10世紀ごろには日本にあった。(→そうなの?! 和食に使われてるイメージないけど)
・ダチョウは餌付けが難しい。光るものが好きなので、銀色の皿やスプーンにエサを乗せて気を惹き、食べさせる。
・ジャガイモは原産地の南米では1000種類くらいある。アイルランドでは1種類しか輸入しなかったところ、病気が起きて全滅した。たくさんの種類があればひとつの種類が全滅しても飢え死にしない。多様性は大事。

関野はおおげさな理念を語りはしない。ひたすら具体的な作業が積み重ねられる。というか、そこを追うだけでいっぱいいっぱいといった感もある映画ではある。毎日面倒を見なくてはいけない鳥はもちろん、畑にしても田んぼにしても、週に1度行けばいいようなものではないはずだが、本当に学生たちだけで育てたんだろうか?

まあそれはいい。関野は、自分でやってみることの効用について、「なんでも自分でやると注意深くなる」と指摘する。そう言われたら、こちらも少しは自分なりに、注意深く考えてみざるを得ない。カレーライスの不自然さについてだ。すると、カレーライスは簡単な料理であるとの美しい誤解を、関野も、そしてこの映画も、うまく利用しているのだと気付く。

たしかに、現代日本のごく一般的な家庭のカレーライスは、具材(標準的にはジャガイモ、玉ねぎ、ニンジン、肉あたりか)を炒めてしかるのちに茹で、そこに市販のルウを入れてしばらく煮込めばできあがる。小学生でもなかなか失敗することは難しい。

で、ここから先は個人差が出る部分になるんだけど……自分自身のことを書くと、もはやここ10年くらいはルウを使って作ることすらしていなくて、家ではレトルトばかり食べている。ご存知の通りハチ食品のグリーン・カレーやキーマ・カレーは、ヘタするとお店で食べるものより美味しかったりする。食に対してどちらかといえば異様に怠惰な部類に属するわたしの対極に、文化系オシャレカレークソ野郎どもみたいな人種がいらっしゃる(批判的な意図はない)。

文化系オシャレカレークソ野郎どもみたいな人種(批判的な意図はない)だったら、ルウに相当するもの(つまり、カレーライスをカレーライスたらしめる部分だ)を、材料を育てるところから自分でやるなんて手間がかかりすぎて無謀だと最初から見抜くに違いない。 わたしは映画の最後も最後、実際にカレーライスが作られている段になってようやく、あれっ見かけがなんかカレーっぽくないし、味もあんまりちゃんとついてないみたいだぞと気付いた始末だ。

カレーライスのキメラ性について。そもそも古来から現代に至るまで、自分の土地および近隣でとれたものだけを使ってカレーライスをつくっていた時代ないしは民族が、どれだけあっただろうか。日本にジャガイモが渡来したのは16世紀以降。豚や牛が広く食べられ出したのはもちろんもっと後年の話。カレーライスといえばインドなんじゃないか、との短絡的に発想してみて、でもちょっと考えると、ヒンドゥー教徒はビーフ・カレーは食べないだろう。となると完全地産地消のカレーライスは、インドあたりの野菜カレー、豆カレーくらいか。タイもそうなのかな。

シンプルな印象に反して意外にも高度に人工的で複雑、言ってみれば不自然な食べ物である日本のカレーライス。そのすべての材料を自力で調達してつくることを、さも人間本来の自然な姿であるかのようにみなすのは、そもそも存在すらしていない架空の原点を「伝統」と呼び、そこに強引に回帰しようとするネトウヨにも似たメンタリティーだ。

非現実的な目標設定や巨大な外敵の出現によって集団の結束が固まることはよくある。この映画は、美大生らしさ皆無の素朴な顔立ちの学生たちが、たいして美味しそうにも見えないカレーライスに釣られてあちらこちらへ連れ回され、踊らされた記録に見えなくもない。しかし関野はネトウヨ団体のリーダーでもないし、新興宗教の教祖でもない。ここに映っているのは、実践的な行為に裏付けされた知の姿であり、(大学)教育の可能性なのだ。

最初のほうで触れた、種の話を例にとろうか。花にしろ野菜にしろ、育ったら種がとれて、その種をまけば翌年、同じものを育てることができる、というのがわたしたち(園芸に親しんでいるひと以外の)が植物に対して持っている基本的なイメージだと思う。ところがもう、必ずしもそうじゃないのだ。と聞かされると、子供のころに持った疑問……種なしスイカって種がなかったらどうやって増やすんだ? が数十年ぶりに頭に浮かび、そしてその疑問が、単語としては知っていた、遺伝子組み換え植物やらモンサントやらと急激に結びつく。モンサントって……あれか、ニール・ヤングがめっちゃ怒ってるやつだ!

そういえば今年は「息の跡」という種屋を舞台にした映画でも、こんなふうに知識が立体的にもたらされているのを見ましたっけね。「カレーライスを一から作る」の醍醐味はこうして具体的に生きている知のかたちを見ることであって、それと比べたら、食べることの倫理観や生命の尊さなどはまったくもって些事に過ぎない。

映画
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Why I Want to Write about Cinema / What is Exciting in Asian Cinema Today
Posted by: 鈴木並木 SUZUKI Namiki (→Profile)

"Why I Want to Write about Cinema"

What can we do for cinema with words? That's what I'm asking myself when I write about cinema. Words don't reproduce an actress's smile on a piece of paper nor sway the leaves on the trees. Still something can be moved when words are there. Without words, a movie can't be anything other than a movie. It's words that connect a movie with another movie and help it find a proper place in history. And on the top of all of that, it's words that introduce a movie to the audience.

I don't think that only works of criticism should be responsible for this important role. In an age like this, when all information seems revealed and immediately widespread, no critics can have mythical privileges. First of all, not everyone can be a critic nor have to be. Instead, we have various types of words. Big words, little words ("I love it"), tweets, retweets, articles in magazines, phone conversations, even chatter over coffee. No matter how the way or the form is. The more we talk or write about it, the richer the world of cinema gets, both culturally and economically.

Some might say that it leads to nothing but utter chaos. I have to admit it. What I would like to do is to watch this chaos closely and give it an appropriate name. For example, everyone has been noticing that the way to express love for films is getting freer and freer these years. It's partly because someone saw what others did on the internet or something and then decide to go further. It's a sort of a huge-scale collective creation. A friend of mine loved Mad Max: Fury Road so much that she made a scarecrow modeled on Immortan Joe for the scarecrow competition in her town last year. This was direct, humorous, visual, three-dimensional, physical, touchable and touching at the same time. It is an act of love, a re-creation of the film, and I dare say, a work of criticism as well. (She made a Shin Godzilla scarecrow this year)

Originally from a film, it went further where no one would expect it to be. I felt so envious of her scarecrow. I hope what I write to be like that. Also, as I believe that the act of criticism should be collective creation like all the films are so, it ain't necessarily me who does it. Words are to communicate. Writing about cinema, with words, is not only for cinema itself but also for someone who reads it as well.

"What is Exciting in Asian Cinema Today"

It is my regret to inform you that I have never been excited by "Asian Cinema". Although there are so many exciting movies made in Asia, by Asian directors, from Asian countries, in Asian languages, with Asian actors and so on, what is exciting always lies far from brutal generalization.

Asia is so huge that the concept of "Asian Cinema" should be differnt from "European Cinema". But with its cultural and linguistic diversity, the ideal Asian cinema could be without any border like no other cinemas on earth could. And it will shake the concept of Asia itself. There has already been some good examples; In Another Country by Hong Sang-soo, Like Someone in Love by Abbas Kiarostami and Norwegian Wood by Tran Anh Hung to name a few.

As we all can communicate in the language called cinema (with an Asian accent perhaps?), I don't care of the language of a film much. Still, for the love of my own mother tongue, I have vaguely been dreaming of a Japanese-language movie with all non-Japanese cast. It may sound silly but Americans have been doing this for many decades. Why shouldn't we Asians do the same?

*These essays were written for applying for a film criticism workshop.

映画
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なぜ映画について書こうとするのか/アジア映画の興奮
Posted by: 鈴木並木 SUZUKI Namiki (→Profile)

○なぜ映画について書こうとするのか

言葉によって映画のためになにができるだろうか。映画について書くとき、いつもそんなことを考えています。言葉では女優の微笑みを紙の上に再現することも、木の葉を揺らすこともできません。それでも、言葉がそこにあるとき、なにかが動くことはあるような気がします。言葉なしでは、映画はただの映画にすぎません。ひとつの映画をほかの映画と結びつけ、歴史の中にきちんとした居場所を見つけてあげられるのは、言葉です。そしてなによりも、ある映画を観客に届けるのが、言葉の仕事なのです。

単に批評だけがこの重責を担うべきではない、と思います。あらゆる情報が明るみに出され、瞬く間に拡散する現代においては、どんな批評家も神話的な特権を持つことはできません。そもそも、誰もが批評家になれるわけでもなければ、その必要もない。そのかわりに、わたしたちはさまざまな種類の言葉を持っています。おおげさな物言い、さりげない言い方(「これ好きだなあ」)、ツイート、リツイート、雑誌の記事、電話での会話、コーヒーを飲みながらのおしゃべりだっていいのです。どんな形式だってかまわない。わたしたちが話したり書いたりすればするほど、映画の世界は、文化的にも経済的にも、豊かになっていきます。

そんなもん、ただ大混乱を招くだけだと言うひともいるでしょう。たしかにそりゃそうです。わたしがしたいのは、この混乱をよく観察して、正しい名前をつけてやりたいということです。たとえば、みなさまお気づきのとおり、ここ数年、映画への愛を表現するやり方がどんどん自由になってきています。理由のひとつとしては、誰かがやったことを誰かがインターネットかなにかで見て、よっしゃこっちはもっとやったる、と腹をくくるということがあるのでしょう。ある意味で、巨大なスケールの集団創作だと言えます。去年のことですが、わたしの友達で「マッドマックス 怒りのデス・ロード」が好きすぎて、イモータン・ジョーのかかしを作って町内のかかしコンクールに出品したひとがいました。これは直接的で、ユーモアに満ちていて、目に見える形をしていて、3Dで、物質的で、手で触ることができると同時に琴線に触れてくるものでした。愛の行為であり、映画を作り直すことであり、あえて言うなら、批評でもあります。(ちなみに彼女は、今年のコンクールにはシン・ゴジラを出品しました)

映画から出発して、誰も予期していなかった遠いところまで行ってしまった彼女のかかしを、うらやましく感じました。わたしの書くものも、そんなふうだったらいいなあと思います。また、わたしは、映画が集団による創作物である以上、批評行為もそうあるべきだと信じていますので、必ずしも自分がやらなくてもいいと思っています。言葉はコミュニケーションするためのものです。言葉を使って、映画について書くことは、映画自体のためだけではなく、それを読むひとのための行為でもあるのです。

○アジア映画の興奮

申し上げるのはたいへん心苦しいことながら、「アジア映画」などというものに興奮を覚えたことは一度たりともございません。たしかに、アジアで作られた、アジアの監督たちによる、アジアの言葉を使っている、アジアの役者が演じる、そうした類のたくさんの刺激的な映画があるわけですが、興奮は常に、乱暴な一般化を超えたところにあるものなのです。

アジアはバカでかいので、「アジア映画」の概念は「ヨーロッパ映画」とは異なってくるはずです。とはいうものの、文化的・言語的な幅広さによって、アジア映画は、地球上のどんな映画もなしえなかったようなやりかたで境界を無効化することができることでしょう。そしてそのとき、アジアとはなにか、の概念自体にも揺らぎが生じるものと思われます。すでにわたしたちはいくつかの好例を知っています。ホン・サンス「3人のアンヌ」、アッバス・キアロスタミ「ライク・サムワン・イン・ラブ」、トラン・アン・ユン「ノルウェイの森」など。

わたしたちはみな映画という言葉(いくらかアジア訛りがあるでしょうかね)で話をするわけなので、あるフィルムでどこの言語が使われているかということはあまり気にしていません。それでもなお、自分の母語へは愛着みたいなものがあるもので、わたしはずっと、非日本人ばかりのキャストによる日本語映画、というものをずっと夢見ているのです。バカバカしい考えだと笑われるかもしれませんが、アメリカ人は何十年も同じことをしてきてますよね。だったらアジア人がやっちゃいけないなんてことはないと思っています。

*映画批評ワークショップの応募用に書いた作文。

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「映画のポケット」Vol.65「神戸瓢介を探せ! 〜あなたは「スクリーン上の恋人」と如何にして出会うか?〜」
Posted by: 鈴木並木 SUZUKI Namiki (→Profile)

☆Vol.65「神戸瓢介を探せ! 〜あなたは「スクリーン上の恋人」と如何にして出会うか?〜」

おはなし:浜野 蟹
進行:鈴木並木

2016年09月18日(日)19時〜21時(延長はなるべくナシの予定)
@阿佐ヶ谷・よるのひるね [HP]
参加費500円+要1オーダー
参加自由/申し込み不要/途中入場・退出自由

☆入場時、鈴木に参加費500円をお支払いください。そのうえでお店の方にフードやドリンクのご注文をお願いします。

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☆浜野 蟹(はまの・かに) [twitter]
1965年、神奈川県出身。会社員。好きな映画会社は、日活と大映。戦後日活の脇役俳優マニア。日活ロマンポルノファン。好きな映画は『誘惑』(1957年/監督:中平康)と、日活版『事件記者』シリーズ全10作(1959年・1960年・1962年/監督:山崎徳次郎)です。(ちなみに今回の主役である神戸瓢介さんはそのどちらにも出演していません。)

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「君は神戸瓢介を知っているか?」と問われても皆さんも困るでしょうが、そこを敢えて問うてみたいのが、ファン心理のやっかいなところです。
大阪出身。落語家を経て俳優の道へ。50年代後半に日活と本数契約し、60年代半ばには主に東映京都の仕事を。1966年の映画出演を最後に、70年代にかけてはテレビドラマを主軸に活躍。
(ドラマ『銭形平次』の準レギュラーである大工の為吉役や、アニメ『ロボタン』(※旧版)のロボタン役の声優としてお馴染みだという方も多いかと。)

そんな神戸瓢介さんの足跡を、生誕85年目にして没後40年目という節目の年の、お誕生日当日(9月18日)に辿ってみたいと思います。
映画俳優時代の話が中心となりますが、ささやかな会ながらも、この才能豊かな俳優さんの魅力の一端が少しでも伝わりますことを。

**********

私自身は神戸さんのファン歴が4年ですが、インタビューなどがあまり残らないこともあり、知り得るのは(当たり前ですが)スクリーンでの姿のみです。
多くの映画ファンの胸中にそれぞれの「銀幕彼氏」や「銀幕彼女」が居たとして、スクリーン上に突如現れ、あなたの人生をふと照らしてくれるあの人たちとは、思えば一体なんなのでしょうか?

『ギターを持った渡り鳥』では金子信雄にマッサージをして、『打倒〈ノック・ダウン〉』では赤木圭一郎に組み伏せられて、『豚と軍艦』では吉村実子を売り飛ばして、『大当り百発百中』では小沢昭一を街中追っかけ回す。
そうかと思えば『集団奉行所破り』では盗賊一味の天気読みとなり、『十兵衛暗殺剣』では大友柳太朗の参謀ともなり、『893愚連隊』では遠藤辰雄の債権を取り立てていた、「あの人」とはいったい誰だったのか?
それをスクリーンの中に、時にスクリーンの外側に、折々に探してきた4年間だった気がします。

またもやの持ち込み企画で恐縮ですが、どなたさまもふらりとお立ち寄りいただければ幸いです。

**********

神戸瓢介 / Movie Walker →☆

(文/浜野 蟹)

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Vol.21「ロマポケ!〜ロマンポルノのある暮らし〜」(2009年06月)、Vol.48「日活野郎(と女たち) 〜戦後日活大部屋俳優傳〜」(2013年06月)に続く、通算3回目の浜野さんのご登場となります。Vol.48のレジュメの衝撃はいまもなお記憶にまばゆいですよね。今回はそのときよりもさらに地味度アップな感じもいたしますが、現時点で言えることは、この回はおそらく、みなさまが予想されているよりも、ほぼ確実に、すごいです。

いらしてくださった方は、神戸瓢介について一夜にして突如詳しくなれること間違いなしであり、そして、浜野さんという稀有な存在についても認識を新たにされるであろう、とも予言しておきます。

(文/鈴木並木)

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☆本篇終了後、おそらく引き続き同じ場所で、2次会があります。ご都合のつく方はこちらもあわせてご参加、ご歓談ください。費用は実費。

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やつらか俺たちか
Posted by: 鈴木並木 SUZUKI Namiki (→Profile)

They can never cross that line when I get to the border.

Richard & Linda Thompson "When I Get To The Border" (→☆


なんだかんだいってもみなさん意外と忙しいんでしょう? だから黒川幸則「ヴィレッジ・オン・ザ・ヴィレッジ」がどんな映画なのか、ひとことで説明すると、ジャック・リヴェットが撮った「ゴーストバスターズ」みたいな映画ですよ。出てくるオバケ?の親玉みたいなのを演じているのは只石博紀だから、もしかしたら化けて出たのは成仏しきれていない「季節の記憶(仮)」なのかもしれない。そういわれてみれば「ヴィレッジ・オン・ザ・ヴィレッジ」にはどこかしらキネアティック感があるし、同時に、あるいは逆に、「季節の記憶(仮)」がケイズ・シネマでレイト・ロードショウされているところを想像もした。いまからでも遅くはないじゃないか。

なにをしているのかよくわからぬ登場人物たちが、一軒家に住まって昼となく夜となくダラダラと呑んでいる。そりゃわたしだって、昼間っからゴロゴロしたり、そこらで会ったひとと突発的に飲みに行ったり、その結果として瞬間的に村村、じゃなかった、ムラムラしたり、長靴履いて水の中にザブザブ入っていったり、したいに決まってる。でもどうも実生活の中で出会う、そういうことをしてそうなひとたちは、ほぼ漏れなくヒッピーくさかったり、バックパッカーくずれだったり(そういう文脈で発せられる、旅人、なる単語の身の毛のよだつ感じ)、レゲエ臭がしたりして、端的に、生理的に無理なんだ。

でもどうしたわけか、「ヴィレッジ・オン・ザ・ヴィレッジ」からはそんな異臭はただよってこない。あまりにもささやかだけれども、だからまだなんの確信も持てずにいるけれど、もしかしたらここに描かれているのは、日本映画がいまだかつて描いたことのない類の自由のありかたなんじゃないだろうか。たとえばそうだな……わたせせいぞうが描く「次郎長三国志」みたいな。もちろん、あなたがきっとそうであるだろうのと同様に、わたしも、自由に憧れ、と同時に、それを警戒してもいる。この映画のチラシを見て、脚本家や出演者のうちの主要な何人かが、映画専門のひとたちではなくてミュージシァンやダンサーであることにちょっと身構えてしまうひともいるだろう。そりゃそうだよ、っていうか、ダンサーのひとたちにはすみませんだけど、「職業:ダンサー」って、えっ踊るのが仕事、ほんとに?って思うじゃないですか。

まあそんなことはさておくとして、あっあとケイズ・シネマのサイトに載ってる、連日の上映後のトークに出る顔ぶれを見て、あーそういう系ね、とわかった気になるのはもったいないですよ。と、比較的得体の知れない現代日本映画について書こうとするとついついいつもいつも、これこれこういう不安をあなたは持つかもしれないが大丈夫、心配ない、不安はたったいま魔法のように取り除かれました!式の、いわばカウンセリング=批評っぽい書き方を保険のように採用することになってしまう。でもほら、ヴォワラ、あなたの不安はたったいま、魔法のように取り除かれたから、もうこれ以上ないほど自由なはず。「ヴィレッジ・オン・ザ・ヴィレッジ」、見に行って大丈夫。こわくない。

2年前の夏に撮られたらしいこの映画、三多摩の夏の緑の深さ、濃さがとにかくすばらしい。これはわたしだけだろうけど、最近もう人間の芝居に半分絶望していて、とくに毎日こう光が強く射す中だと、立っている木でも見てたほうがはるかに豊かな気持ちになれるしたくさんの情報も得られる、なんてそんな功利主義な考えになってしまうんだけど、いや違うな、映画が人間のことにばかりかかずらわいすぎているのがイヤだってだけのこと。撮ろうと思えば、人間が緑の中にごく当たり前に呑み込まれ、うずもれているところだって撮れる。だからほら、ヴォワラ、たとえばこの映画の、離れた男と女がスケボーを蹴ってパスし合う引きのショットの、ふたりのあいだの奥で大胆にぐらんぐらん揺れる木々を見てごらん。あるいは、長靴を履いた男女数人が沼なのか川なのかわからぬ水の中に入っていくところ。拡散した人物の配置と背景の雲、まったく惚れ惚れする構図なんだけど、その人間たちがたどり着く向こう岸の草深い場所、その背後のこんもりとした林が、一瞬ほとんど真っ黒な、海苔をべたっと貼り付けたみたいな色なのには、実際ぎょっとするじゃないか。撮影は渡邉寿岳。

と、ここまで読んでもたぶんどんな映画かよくわからないと思うんだけど、わたしが見て理解したかぎりだと、トゥアー中に仲間の車から路上になんとなく振り落とされたひとりのバンドマンが、鈴木卓爾がなんとなく大家みたいに振る舞っている一軒家に居着くことになり、そこにいる者たちはなんとなくの業務として、この緑深い町?村?で、異世界?あの世?からこちらにちょっかいを出してきているとある勢力と、それとなく対峙したり、それを警戒したりそれを退治したり、しているらしい。って、これであってる?

自分で書いたこのアウトラインを眺めると、なんじゃこりゃ、あらすじを聞いたらこれって自分が鼻で笑って打ち捨てる類の「ファンタジー」映画じゃん、って思うし、あっなるほど、お盆に見るのにぴったりの映画、とも思う。大人になったら大人ならではの夏休みの過ごし方ってぇのがあって、うっかり危うい境界線を越えてしまってもかまわないんだったら、それはそれで案外悪くない。どこかからどこかに行くのを図示するためというよりは、ただそういう場所を歩いているのをわたしたちに見せたいがために、登場人物たちは森と宅地の接しているあたりを歩き、坂を上る。

夏の水辺で事故が起こりやすいのは新聞やテレヴィの報道からもあきらかで、この映画でも、男も女もなんらかの形で水の事故を経験しているようだ。以前川に落ちただが落ちかかっただかした女は、一緒に川に落ちただか落ちかかっただかした友達に電話をかける。こっちがこっちで電話の先があっちなのか、あるいはその逆で、あっちがこっちでわたしたちに見えているこっちが実は向こうから見たらあっちなのか。バンドマンが、彼をおいてトゥアーを続行しているらしいマネージャーと電話で話すときには、わざわざ苦労して川の向こう岸まで渡っている。ということは、いまいるこちら側は?? 夏でもパーカーを着ていたような気がする只石博紀がラップをしながら姿を消すのはやはり川原の草の中へだ。ただし逃げおおせることができず、「シン・ゴジラ」もびっくりの形態的変化をとげて捕獲され、それでも悪態をつき続ける様子は、単純に、楽しい。

決定的な越境は、電車に乗って男と女が長宗我部陽子に会いに行く途中に起こった気がしていて、車窓には凶暴な色味の景色が広がり、どうも日本ではないところも通ったように見えたんだけど、でもたどり着いたのは普通の家。いやでも、その晩おなじ敷地に泊まった気がする男と女は、しかし窓越しに、数十〜数百立方メートルの空気によってへだてられた状態でしか会話することができない。

書いてたらなんかさびしくなってきた。やっぱ、みんな死んでんのかな。でも自分には、ここにいるひとたちの顔も姿かたちも動作もセリフのやり取りも、みんな、これ以上ない生の肯定に見えたんだよね。ってことはあれか! 死んでるのはこっちの俺たちじゃなくて、あっち側にいる、やつらのほうなんじゃないのか?

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「ヴィレッジ・オン・ザ・ヴィレッジ」は08月19日(金)まで、ケイズ・シネマでレイト公開中。本作で撮影を務めた渡邉寿岳の監督作品「かつて明日が」が上映されるわたし主催のイヴェント「初台並木座 Vol.1」(→☆)は08月16日(火)開催です。ただいま予約受付中。残席僅少です。

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混乱を抱きしめる
Posted by: 鈴木並木 SUZUKI Namiki (→Profile)

戦争が始まって終わったことによって初めてつくることができた映画。そうした類の日本映画に10年近くとりつかれていた。しかしふと気がつくといつのまにか、さすがにもう「そういうの」はいいか、という気持ちになっていて、とはいえ興味は失われたわけではなくていろんな方向に拡散ないしは横滑りしているだけとも言える。台北の街を歩きながら、あるいはヘルムート・コイトナーの映画を見ながら、もしくはスペイン語の勉強をしながら、そして原田直次郎の絵を見ながら、さらには渋谷系のレコードを聴きながら、いつもなんとなく、いまとはまったく違った形で存在しえたかもしれない日本語(の映画)の版図について思いをめぐらせている。そしてそんなときしばしば、自分ほどの愛国者はそうそういないのじゃないだろうかと考えたりもする。

戦争が終わらなくてはつくることができなかった映画があるように、戦争をしながらでなくてはつくれない類の映画がある。とはいってもひとまず今回は現代アメリカ映画の隆盛についての話ではなくて、たとえば対米戦中のマキノ正博の特異で、それでいて充実したいくつかの仕事のこととか。もっとも、「ハナ子さん」などですら、見て混乱した気持ちを「国策映画だからよくない!」みたいに無理矢理ひとことでまとめずにはいられないひとがいる。そういう発想って、それこそ有事の際にはすぐに、「国策映画だからよくない?」→「国策映画だからよくなくない?」→「国策映画だからこそよい!」とひっくりかえり続けてとんでもない方向に向かっていくかもしれない危うい心性だと思うんだけどね。どうして混乱したら混乱したままでいられないんだろう。混乱を抱きしめていたらいいのに。

瀬尾光世「桃太郎 海の神兵」デジタル修復版を、ユーロスペースで見る。桃太郎が家来の動物たちと一緒に鬼が島に鬼を征伐しに行くおなじみの話をもとに松竹が製作し、1945年4月に公開した長篇アニメ。時局柄、鬼が島にいる「鬼」は西洋人であり、桃太郎率いる日本軍は落下傘でその島へ降下して攻め入る。堂々とした物腰で無条件降伏を迫る桃太郎、それに対する「鬼」たちの弱腰。封切時の観客たちはおそらく、シンガポールでの山下=パーシヴァル会見を想起し(て喝采し)ただろう。

……こうした説明、あるいは筋書きで「プロパガンダだ」と拒否反応を起こすひとがいるのはわからないでもないけれど、そんなこと言ったら現代映画はほぼすべて、フツィエフ言うところの金による検閲を受けているんじゃないのー(検閲を受けることすらできない不自由も含めて)、とだけ書いておく。

金だけあればいいってもんじゃないのは当然として、まさか大戦末期の日本(映画)に、これだけの金と手間ヒマをかける余裕(ではないかもしれない。根性、気力、使命感……)があるとは思っていなかった、というのが見終えたあとにまず浮かんだ感想。いや違うな、それは頭でまとめた感想であって、画面に触れたダイレクトな喜びがなによりも先に来る。

田舎道での別れ際、仲間たちに手を振りながら、風に飛ばされそうになる帽子をふと手で押さえるしぐさ。そよそよと揺れるスカーフ。画面の手前と奥を自在に行き来する動物たち。崖の上の立ち木に縛り付けたロープを命綱にして谷川へと飛び込んでいく場面のダイナミックなカメラワーク。自らが所属する航空隊の飛行機の動きを、自分のからだを回転、背転させて再現する猿。

まあとにかく絵が動く動く。そんなの当たり前だろうと思うかもしれないが、いかに効率的に絵を動かすか≒いかに動かさずに動いているように見せるか、に注力して作られたアニメを見慣れた目には、画面にあるものがいちいち無意味に蠕動していることがたまらない喜びになる。リュミエール兄弟の映画で食事をさせられている赤ん坊の背景の木々の枝、葉を思い出す。いや、あの映画の主役は本当は絶え間なく風に吹かれてそよいでいる枝葉のほうであって、赤ん坊なぞは単に画面上で占めている面積が多少大きいというだけの、映画にとっては枝葉末節にすぎなかったのだ。

「桃太郎 海の神兵」を見ると、単なる画面上のものの運動が、しばしばそこから突き抜けて、なにかこう、尊さのようなものをすら帯びてしまうことがたしかにあるのだと何度も何度も確信する。たとえば、先に触れた、弱腰な「鬼」=西洋人たちの描写。軟体動物のようにからだを伸び縮みさせながら、だらだらと脂汗を流し、くねくねと身をよじらせながら、もごもごと返答する。もちろんそれは、泰然自若たる桃太郎との対比で、卑俗さを際立たせるためにそう描かれているわけなのだが、その動きは、この映画がつくられた経緯も、盛られている思想内容も軽々と飛び越えて、ある豊かさを獲得している。そのような見方をする自由くらいは、死守したい。

ところで「桃太郎 海の神兵」は全篇YouTubeなどで見ることもできるのだが、今回上映されたデジタル修復版(4Kスキャン、2K修復)は、映像も音声もほとんどストレスを感じることのない、掛け値なしにすばらしいものだった。そんなことはまずないのは承知の上であえて言うならば、すべての旧作日本映画がこの画質で見られるようになったら、なにかが確実に変わるだろう。ブレもボケもなく、ゴミも取り除かれ、チラつきも修正されている。たかが画質、されど画質。いままで自分が画質をナメていたことに気付かされた。

終映後、修復を担当したイマジカのひとふたりによるトークがあり、そのうちひとりが、自分のやった仕事をごく自然に自画自賛していた。もちろんこのヴァージョンについていえば、まったくイヤミに聞こえない。素直に納得できた。2016年度の旧作日本映画ベスト・ワン。

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台北で映画を見た2016
Posted by: 鈴木並木 SUZUKI Namiki (→Profile)
今年で第10回目を迎えた、台灣國際紀録片影展=TIDF(→☆)に行って来ました。従来は偶数年の秋(=山形国際ドキュメンタリー映画祭がない年)開催だったのが、2014年、これからは毎年開催するよとアナウンスされて、おお、それだと奇数年は山形とモロにバッティングするな、でもそれはそれで楽しみだな、と思っていたら、2015年は一回お休み。開催時期を変えて、2016年からは毎年5月に開かれることになったみたい。

前回2014年秋の訪問時に自分が書いたもの(→☆)を読んでみると、前回と今回の違いもいくつかあることに気付きました。たとえば、

・野外上映がない。
・平日日中の割引料金がない。
・府中15と国家電影中心での上映がなくなり、会場が新光影城と光點華山にほぼ集約。
・これは映画祭とは関係ないけど、新光影城に(少なくとも2011年春以降)ずっとあった、映画「ノルウェイの森」の宣伝ディスプレイがなくなっている。

……あたりがぱっと目につくところ。ここだけ見ると、縮小、あるいは衰退したのかとも思えますが、わたしの見た限り、プログラム、集客、各種企画とも充実しているようでした。8プログラム見た中で、印象に残ったものを。

◎王我「沒有電影的電影節」(2015)

2014年8月、北京獨立影像展が中止になったニュースは、こちらのブログ(→☆)などでなんとなく聞き知っていましたが、これはその顛末の記録で、英語タイトルは「A Filmless Festival」。たかだか、という言い方は失礼ですが、それでも、たかだかひとつの小さな映画祭に対してときに陰湿に、そしてあからさまに圧力をかけ、妨害し、中止させる国家権力の恐ろしさ。地元の住民のふりをしてイチャモンをつけ、事務局の敷地に塀を乗り越えて入り込んではパソコンやらアーカイヴ資料やらを根こそぎ持ち去る。

ただし、不謹慎な言い方をするならば、理不尽な強敵が出てくるわけだから、映画としては面白くないはずがない。よくできたモキュメンタリーのような、と混乱した形容をしたくなる盗み撮りの切実さ。警察に連れて行かれた関係者を励ますべく、署の建物の前に集まってキャンドルを捧げ持つひとたちの顔、顔、顔。

それにしても、中国の官憲の出鱈目さ(両方の意味での)、とんでもないな。北京市内では映画祭を開かないようにと念書を書かせるとか、感覚が完全に時代劇の「所払い」だよ。思わず笑ってしまったのは、もちろん彼らはネット関係も監視していて運営側の書き込みを片っ端から削除していくんだけど、その手際があまりにもよくて、映画祭中止の書き込みまで消してしまうもんで、中止になったことが知れ渡らずにどんどんひとが集まってしまうという。官僚の官僚的な仕事に関する古今東西のギャグの中でも、かなり出来のいい部類なんじゃないだろうか。

なにかが起きる予感は充分にあったにせよ、おそらくこの映画は最初から作ろうとして準備されたものではなく、いざ事が起きて映画祭関係者や周辺のひとたちが撮った映像素材をつないでできたものなんだろうけど、できあがったものだけを見ると、というか、それ以外の見方なんてできないわけで、「編集」の「映画」の効果と危うさがここまでむき出しになることもそうそうないだろうな、と複雑な興奮を覚える。心なしか、上映後の拍手がほかの作品のときよりも大きかったような。

◎Sergei Loznitsa「The Event」(2015)

中文タイトルは「蘇聯1991」。国家非常事態委員会によるクーデター未遂がソ連で進行していた1991年夏の、レニングラードの記録。当時撮影されて眠っていた映像をもとに作られた、いわば新作みたいなもんで、映っている出来事や人々はたしかに25年前のものなのに、不思議と現代の映画という感じがする。「沒有電影的電影節」とは正反対の、よく準備されたような端正なモノクロ映像がそう感じさせるのか(人々が、道をふさぐように止められていた長い車を押して倒す、ロー・ポジションの見事な構図)。あるいは編集の賜物か。

事に際して、街頭で見知らぬ相手と言葉を交わし、バカでかい広場に三々五々集まり、しまいにはそこをぎっしりと埋め尽くす市民たち。人々に向けて、レニングラード市長は「一滴の血が流れればそれは大海になる」と自重を求める。教会から来た聖職者は「ロシアはほかの国々のビッグ・ブラザーにではなく、ラヴィング・シスターになろう」と訴える。あるおばあさんは、自分の姉だったかの思い出を語り、遺された詩を朗読する。曰く「わたしたちの行く道は困難なものだ。しかし後ろを見れば墓場、まわりには十字架ばかり、進むのが困難だからと言ってそちらに戻るのか? ……ニェット! ニェット! ニェット!」

そうした中、バルト三国のどこかで流血の惨事が起きたとのニュースが飛び込んでくる。そのことが壇上から知らされると、群集がみな、高くピース・サインをかかげる。ここは圧巻というほかない。なにかあると広場に集まる文化、そして、集まった市民に対して、こういうふうに語りかける言葉を持った市長や政治家。そうしたものをわたしたちはまだ手に入れていない。というか、好意的に言えば、いままさに手に入れつつある。だから自分たちとも地続きの映画なのだと思い、静かに昂ぶりつつ、見た。ピース。

◎竸Ь組「遠東化纖罷工事件」(1989)

竸Ь組は台湾のインディペンデント系のニュース制作集団。今回のTIDFでは彼らの大々的な特集が組まれ、同じ題材について、彼らのまとめたニュースと、政府寄りのTV局の番組とをカップリングして上映、比較検証するようなプログラムもあった。

これはタイトルのとおり、ある工場でのストの記録。リーダー格と思われる男性が、団交でテンション高く経営者側に食って掛かり、その後もやたらと目立っていて、つまりはこういうことが楽しくて仕方がない感じのひとで、見ていてついついにやにやしてしまう。警察は楯で容赦なく殴りつける。応援に来てとばっちりをくって流血した農協のおじさん曰く「流血はむしろ名誉だ」。

TIDFでは映画館での正規の上映以外に、台北市内のいくつかのカフェで、無料、あるいはワン・オーダーのみで参加できる上映をおこなっていて、これはそのひとつで鑑賞。いつも行列ができているらしい阜杭豆漿(自分たちが行ったときはまったく並んでなくてすぐ2階まで行けましたが)の、交差点の斜め向かいにあるカフェ、慕哲咖啡の地下のイヴェント・スペース。上映前、主催者のあいさつがあって、自分は中国語がまったくできないので早く始まらないかなと思いながら待っていたところ、客後方席でマイクが回されていて、主催者とやりとりしている。

上映前に質疑応答? と思って見ていると、どうやら全員がなにかひとことずつ言わされているみたいだ。昔、朝霞だか志木だかの公民館に大島渚の「絞死刑」の自主上映を見に行って、上映後のディスカッションには参加せずにそそくさと逃亡した記憶が蘇るぜ。そういえば司会の男はなんとなく「日本の夜と霧」のときの戸浦六宏っぽい雰囲気だ……とか考えてるうちにマイクが回ってきてしまったので、英語で失礼します、とかもぞもぞ前置きして、日本から来ました、ドキュメンタリーが好きです、とか凡庸極まりないあいさつをしてマイクを隣にパスした。次回までに、我是日本人、くらいは発音できるようになっときたい。

◎Patricio Guzman「Chile, Obstinate Memory」(1997)

タイトルは映画祭の表記に従う。スペイン語にしたいところだけど、画面に出てくるタイトルはフランス語で書かれていた。邦題は「その後の仁義なきチリの闘い」。いまわたしが決めた。

世界各地で大評判をとったものの故国チリではいまだに上映されていない大作「チリの闘い」を携えて、グスマンが故郷に帰ってくる。かつてアジェンデのもとで働いていたひとたちや、若い学生たちにこの映画を見せながら、記憶を掘り起こし、揺り動かし、圧縮し、まぜっかえす。証言者たちはみな、ピノチェト時代に「消失」した家族や近親者の人数を語る。

人民連合のテーマ曲「ベンセレーモス」を演奏しながらサンチァゴの街を行くマーチング・バンド。この曲が街頭に流れるのはアジェンデ時代以来、20数年ぶりだという。人々はさまざまな反応を見せる。拍手する女。なんでいまさらといった顔の男。眼光鋭いオヤジが力強くピース・サインを出す。そしてもう一度、眼光鋭いオヤジが力強くピース・サインを出すショット。ピース。そこから、「チリの闘い」の同曲の流れる場面へとスムースに移行する。

「チリの闘い」を見た学生たち。女子高生?たちのディスカッションでは、クーデターを歴史の既成事実としてとらえているがゆえの発言も目立つ。20代から30代にかけてのグループは、呆然と涙を流しながら見ている。うちひとりは、クーデター当時は小学生で、学校に行かなくてよくなったのでベッドの中で喜んでいた、と顔をぐしゃぐしゃにしてしゃくりあげながら告白する。

「チリの闘い」を見ると、チリ国民は地球上でもっとも美しいひとたちだ、と思わざるを得ないけれども、忘れがたいいくつかの顔に、ここで再会できる。

−−−

ところで、TIDFの会場のひとつである新光影城の入っている建物のことを、どなたかが「中野ブロードウェイみたい」と書いてらしたのにはなるほど言い得て妙、と思いましたが、西門町自体は原宿がだだっ広くなったような街です。で、ここには映画館もぽつぽつあって、そのうちのいくつかは、平日でも最終上映は午前3時とか4時とか、宵っ張りなのか早起きなのかわからない状態で営業してます。それはさておくとして、やはり西門町の映画館である真善美戯院で、ちょうどまた別の映画祭がおこなわれていました。

城市遊牧影展(アーバン・ノマド・フィルム・フェスティヴァル)(→☆)というのがそれで、そんなの誰も知らないと思いますが、もう15回くらい続いている由緒正しい映画祭なんだそうです。プログラムはアート、サブカル寄り。こちらで見たドキュメンタリー2本も、めちゃくちゃ面白かった。

◎John Pirozzi「Don't Think I've Forgotten: Cambodia's Lost Rock & Roll」(2014)

フランスからの独立後の最初の十数年、カンボジアのすばらしかった時代。「東南アジアの真珠」と呼ばれた美しい都市、プノンペンには、東洋と西洋が交差した独自の音楽文化が花開いており、エレキ、ラテン、歌謡曲、サイケ、ハードロック、ソウル、日本にあった程度のものは全部ここにもあった。

アフロ・キューバンな音、中でもチャチャチャに強く影響されたダンス・バンド。ロックンロールは最初フランス経由で、のちにアメリカから、入ってきた。シャドウズを動きまで模したようなエレキ・バンド。サンタナ「オイェ・コモ・バ」のクメール語カヴァー。ヴェトナム戦争の影響でもたらされたソウルやファンク。70年代になると、きっちりしたピッチで歌っていたそれまでの歌手とは違って、リラックスした雰囲気で「君のともだち」をクメール語と英語のちゃんぽんで歌うようなひとも現れる。「わたしたちの時代の音楽が出てきたと思った」とのコメント。魔女か! スーパー・レディか!

内戦の激化とともに、夜間外出禁止令が発令されると、ナイト・クラブの営業時間は午後から夜早い時間へとシフト。外に出ると危ないとなれば、娘たちは家の中で音楽をかけて踊る。シハヌークは「音楽は国の魂だ」と言った。

クメール・ルージュ時代の話は避けては通れない。証言者の全員、みな必ず、身近に複数の犠牲者がいる。お前は都会では何をしていたのだと問われ、歌手だと知れると命がないから、バナナ売りでした、とウソをついて生き延びた女。

タイトルは「忘れたなんて思うなよ!」といったプロテスト的な意味なのかと思ったら、歌謡曲(ラヴ・ソング)の一節からとられたようだ。見る機会はなかなかないと思うので、興味のあるひとはサントラ盤だけでもどうぞ。いまアマゾンの商品ページを見たら、ひとつだけついているレヴューのなかにさらっと「参加アーチストのほとんどが1975−79年に没しており」とあって、その意味にぞっとする。ピース。

◎Shan Nicholson「Rubble Kings」(2015)

1960〜70年代のニューヨーク、ブロンクスのストリート・ギャングのドキュメンタリー。オープニングからして最高で、全身刺青だらけの人間みたいなグラフィティだらけの地下鉄、駅の改札を軽々と飛び越える無賃乗車の男たち、そして「当時のブロンクスのおもな収入は犯罪によるものだった」との証言。続いて「1979年、ウォルター・ヒル『ウォリアーズ』のブロンクスの描写が衝撃を与えたが、その7年前、現実ははるかにひどかった」との字幕。わくわくせざるをえない。

ゲットー・ブラザーズのカラテ・チャーリーが、60年代と70年代の雰囲気の違いを端的に表現する。曰く「"I have a dream"? No, you don't.」。ピース・サインはいまではぶっ立てた中指になった、とも。当時のブロンクス、大家が店子の立ち退きと保険金の詐取を目的として、自分の建物に放火することがおこなわれていたとか。

ブロンクスの各地や、ニューヨークのその他の地区で、ストリートごとに乱立したギャングたち。ティームそれぞれ毛色が違う。ターバンズはヴェトナム戦争の退役軍人たちによる集団で、銃火器で武装。ゲットー・ブラザーズはブロンクスだけで2500人のメンバーがいて、ほかにも支部があった。そのうちティーム内でバンドが結成され、レコードもリリースしたとか。と言われてみると、そういえばそれ、持ってたような(結局、確認してない)。

トラブルが発生するとドラムで連絡をとるので、至るところからドラムの音がしていたと。ティーム同士の対立が頂点に達したころ、多くのティームが一堂に会しての和平集会が開かれた。それがきっかけで路上でのパーティが日常化し、そこからヒップホップ文化が発生したことを紹介して〆る。ピース。ちなみに音楽はわりとずっとラテン・ファンクっぽいのが流れててかっこいい。

余談ながら、大人になってカサヴェテス「グロリア」を見たとき、あ、ここに映ってる景色ってまさに自分が子供のころに持っていたニューヨークのイメージだわ、と思ったんだけど、いま調べたらあの荒れ果てた街はサウス・ブロンクスって設定だった。

わたしがニューヨークに初めて行ったのは子供時代からずいぶんたった2008年のことで、ブロンクスには足を踏み入れなかったものの、それでもだいぶ緊張しながら歩いていたはずだ。また行ってみたいけど、この映画見たらなんとなく躊躇してしまう。

逆に台北では完全にリラックスしきっていることに気付いた。普段はほとんど毎日のように原因不明の倦怠感に全身を包まれながら寝起きして仕事に行ってるのが、ここではまるでだるくないし、映画を見ていてもまったく眠くならない。

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こうして振り返ると、わりとずっと拳を握りしめて社会問題を考えていたみたいですがもちろんそんなことはなく、旅の前半は澎湖島に行ってレンタルした原付を時速60キロくらいでぶっ飛ばしたり(JAFに免許証持っていくと台湾で運転できる書類を作ってくれます)、台北では愉快なおともだちのみなさんと合流してものすごい勢いでうまいもん食べあさったり、疲れを取るマッサージを受けたり、都心部から30分くらいで行ける山の温泉を訪ねたり、玄関に置くぶぅくんの置物を買ったり、してました。台湾はいいぞ。

TIDFの100ページ超のプログラム冊子(中文・英文併記。無料でもらえるやつ。パンフとは別)を何冊かもらってきましたので、興味のある方がいらっしゃいましたら差し上げます。ご連絡くださいませ。

○写真、上から
・澎湖島、馬公市の映画館、中興電影城。
・中興電影城のチケット売り場と売店。4スクリーンあって、それぞれ金、銀、財、寶という名前。
・澎湖島から橋を渡って行ける島、西嶼郷のいちばん端っこ近く。部活のあんちゃんたちが走っているのかと思ったら、近くの灯台に併設されている施設の軍人さんだった。
・台北、新光影城。
・「遠東化纖罷工事件」の上映があった、慕哲咖啡。
・2015年の夏の台風で斜めになったポスト。足元のプレートには経緯が記されており、傾いたままの状態で使われ続けている。
映画
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