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おかあさんのアクション
Posted by: 鈴木並木 SUZUKI Namiki (→Profile)

なぜピカソなのか、となんとなくずっと思っていた。成瀬巳喜男監督の映画「おかあさん」(1952)で、パン屋の息子の岡田英次が、香川京子とのデートのためにいそいそと焼いて持って行く、異様な風体の「ピカソパン」。(岡田の期待に反して)香川にくっついてきてしまった子供たちふたりがまず、巨大なシメジの塊のようなその形を見て、「パンのお化け!」「グロパンねえ」と素朴な感想を漏らすのに対して、香川京子は目をウルウルさせながら同じ物体を見つめ、「芸術的ねえ」と嘆息する(fig.1)。岡田は「分かる? 中にクリームと蜜とジャムとソーセージとカレーがだんだんに出てくる仕掛けなんだよ」と解説を加えるのだけど、味のことはひとまずどうでもよろしい。

ピカソパンが、原作(全国児童綴方集=子供の作文集)に出てくるのか、脚本の水木洋子が創作したものなのかは確認していない。近所の図書館には原作本が所蔵されておらず、電車に乗って国立国会図書館まで行く必要がありそうだからだ。しかし、逆方向に向かう電車に乗ったら、ひょんなところでヒント(?)が得られた。

2016年の年末。埼玉県立近代美術館に企画展「日本におけるキュビスム−ピカソ・インパクト」(*1)を見に行ったら、1951年に東京と大阪でピカソ展が開催され、洋画界にとどまらず広く日本の美術全般に衝撃を与えた、と壁に書いてあった(壁に直接ではない)。ところによっては激しい混乱に近いものがもたらされたことは、たとえば、誰がどう見ても「ゲルニカ」を思い出さざるを得ない山本敬輔の「ヒロシマ」(*2)を見れば一目瞭然。もっとも、この絵が描かれたのは1948年だから、ピカソ展のインパクトの例として引き合いに出すのは正しくないのだが、まあいいや。

ところでキュビスムと日本映画といってまず誰もが思い出すのが、マルセル・デュシャン「階段を降りる裸体 No.2」(1912)(fig.2)が、もしかしたら加藤泰「みな殺しの霊歌」の独特の残像表現になんらかのヒントを与えているかもしれない、というまぎれもない事実だろう。デュシャンがここで試みたのは、時間の経過を平面に固定することだった。おそらく、当時の新興メディアであった映画に触れたときの、「このままじゃ絵画の未来ヤベェ」という焦りも大いにあってのはず。

さらにさかのぼると、デュシャンが参照元としているのはエドワード・マイブリッジの「階段を降りる女性」(*3)。これをいかにも成瀬的なタイトルだと指摘したら、あるいは牽強付会だと嘲笑されるのかもしれない。とはいうものの、連想能力に乏しいそのような読者は、これ以上この文章を読み続けても得るものはなにひとつない。それどころか、2018年現在「階段を降りる裸体 No.2」を収蔵・展示している美術館へと通じる階段は、それ自体がかなりの知名度を持っていることで知られている。「岩だらけの階段」(*4)という名前からして、デュシャン作品の岩石的な質感との象徴的結びつきを強く感じさせるはずだ。

話を戻そう。「おかあさん」でおこなわれているのは、立体物を平面(厳密には違うが)のカンヴァスへと落とし込もうとするデュシャンやピカソの苦闘の歴史を、立体物として再構成し、それを同じく立体物である俳優に持たせ、立体型のキャメラで撮影して、平面の(厳密には違うが)スクリーンへと戻し映す作業だ。こうして書くと、ごく当たり前の映像を生み出すためになんと複雑な過程が踏まれていることか、と感嘆したくなるかもしれないが、それはわざわざ回りくどく書いているからそう思うのであろうだけであって、要は、ピカソ・インパクトが成瀬巳喜男の映画にも及んでいたのではないか、と言いたかっただけだ。

成瀬巳喜男の映画で、本筋とは関係なく唐突に出てくる時事ネタと言えば、ほかには遺作「乱れ雲」(1967)で言及されるケロヨン(司葉子が子供相手に「バハハーイ」と真似をする)が思い出される。1966年11月から日本テレビ系列で放送が開始された「木馬座アワー」内のコーナー「カエルのぼうけん」のキャラクターであるケロヨンは、ビートルズに先駆けて日本武道館公演も敢行した人気者だった。

ほかには、「晩菊」(1954)での望月優子のモンロー・ウォーク(fig.3)……は一応、話に関係ある部分として除外するとしても、成瀬はキャリアの初期においてすでに、明治製菓とのタイアップ映画とも伝えられる「チョコレートガール」(1932)を撮っている。彼にとって、時事風俗ネタはなじみ深いものだったろう。たしか高峰秀子だったかが、不要と感じた台詞をどんどん脚本から削っていく成瀬の仕事ぶりについて書いていたが、そうした過程を経てもなお残ったのが、ピカソパンやケロヨンだったのだ。少なくとも嫌いではなかったはずだ。

いや、むしろ、必要としていた、と言ったほうがいいか。いわずもがなの説明やぼやぼやしたやりとりには線を引いて消し、観客に受けるであろう時事ネタは生かす。その態度からは、最小限の労力で最大限の効果を上げようとする、省エネ型アクション映画作家の姿が見て取れる。

メロドラマの巨匠。女性映画の名手。庶民の生活を活写。などといったおなじみの形容と比べると、成瀬をアクション映画作家と呼ぶのは、やや奇異に響くかもしれないが、この表現は別にわたしの発明ではない。平能哲也は『成瀬巳喜男を観る』で、次のように書いている。

「人物の動きの多さと振り返りのポジション」+「目線の芸」こそが、成瀬映画をアクション映画としている二大要素である。

成瀬映画とは「静かな映画」ではない。真の意味での「アクション映画」、映画の根源的な意味での「モーション・ピクチャー」なのだ。


周知のとおり、成瀬の映画には銃撃戦もカー・チェイスも(たぶんほとんど)ない。そのかわり、自分では持っていたくないなにか(火のついた爆弾とか)を一刻も早く近場の誰かに押し付けようとするようなスリリングな視線のやり取り(*5)や、軽快な人物の出入りがある。チャンバラによってではなく、フィルムの切った貼ったでアクションが生み出されるのだ。

「おかあさん」は、「流れる」や「妻の心」と並んで、成瀬のアクション映画のうちでも最上位に位置するもののひとつだろう。「妻の心」のグルーヴを特徴付ける目まぐるしいほどの人物の出入りは、井手俊郎による脚本の段階で指定されていることが確認できるが(*6)、「おかあさん」のアクションは、ひたすら無駄を省いた編集(笠間秀敏)によってもたらされている(*7)。98分という長さはほかの成瀬作品と比べて長くも短くもないし、目新しいことが起こるでもないのに、一度見始めるともう目が離せない。

もちろん、いわゆるショッキングな描写などといったものは周到に避けられているが、観客の注意を惹きつける、ちょっとしたいたずらのような演出がある。家の前の道が天地逆に映されるショットは、子供の「股のぞき」の視点によるものだ。また、中盤、登場人物たちが劇中で見に行った映画の画面として、スクリーンに唐突に「終」の文字が出現する。こうしたサーヴィス精神は、本作のチーフ助監督を務めた石井輝男や、東宝では岡本喜八に、受け継がれているだろう(*8)。

「おかあさん」の主な舞台となっているのは、おかあさん=田中絹代が切り盛りする家で、映画が始まってすぐ、この家は一家で経営するクリーニング屋の店舗と作業場も兼ねることになる。田中はほぼ家から出ることはなく、そのかわりに、さまざまな人間がこの家を通過していく。

クリーニング屋の顧客や親戚といった一時的な来客。死んで家を出ていく夫(三島雅夫)。一度は療養所に入ったが脱走して戻ってきて、死んで再び家を出ていく長男(片山明彦)。店を手伝いに来て、田中に仕事を仕込んでは去っていく「捕虜のおじさん」(加東大介)。田中の妹の中北千枝子は、母子ふたりでは生活が立ちいかないので息子を田中の家に預けている。夫=息子の父親がいないのは、満州で死んだからだ。田中の次女は親戚の家にもらわれていく。その家の息子は戦争で死んだからだ。語り手である田中の長女=香川京子は、遠からぬうちに岡田英次と結婚して家を出ていくだろう。岡田の兄は戦争に行ったきり戻ってきておらず、母(本間文子)は息子の写真の上にコインを糸で吊るして毎日生死を占っている。人手が失われる日に備えて、クリーニング屋はすでに住み込みの小僧を迎え入れている。

物理的な死体そのものはただの一度も画面に登場することはないが(*9)、「おかあさん」は、ちょっとした犯罪映画にひけをとらないほどの数の死者たちを乗り越えながら進行していく。終盤、おばの中北が参加する美容師のコンテストのモデルとして、香川が花嫁衣裳を身につけ、髪を島田に結い、たまたま店に来た岡田に向かってぺろっと舌を出す(かわいい)。その着替えがおこなわれているのは、彼女の父と兄が死にに帰ってきて、まさにそこで死んだ部屋だ。ここを経由せずには、誰も家の外に出ていくことはできない。

どんな家であれ、ひとがひとり減るのは一大事だが、それでも、足りなくなったところはなんだかんだで埋まってしまう。どうにかなってしまうのだし、どうにかしないとならない。三島雅夫の死んだ日、手伝いに集まった女たち(本間文子、中北千枝子、沢村貞子)は炊事の支度をしながら、次のような会話をかわす。

本間 おたくは?
中北 戦死ですの。
本間 うちの長男も、通知はあったんですけどね。
沢村 うちの主人ったら、焼け死んだんですよ。銀行の宿直室で。残された者のほうが往生しますよ、ねえ、お互いに。
本間 ほんとですよねえ。
中北 カンピョウ足りますかしら。
沢村 足りさしちゃいましょうよ。

この短いシーンで、3人はぼーっと突っ立っていたりただ座っていたりするわけではなく、常に手作業を続けている。うしろには中北の息子が立っていて、ペロペロ・キャンディを絶え間なく舐めている。ホーム・ドラマならぬホーム・アクションと呼びたいこの場面につながっていてもおかしくなさそうな気軽な口調で、隣に座っていたおかあさんが「おとうさんの葬式の予約してきたから」と言った。文脈から察するに「おとうさん」とは、クリーニング屋の店主の三島雅夫ではなくて、ボルネオかどこかで病気になって帰ってきたおかげでそこでは戦死せずそれから数十年生き続けた彼女の父親(すでに何年も死んだままの状態であり続けている)でもなく、わたしのおとうさん(1946〜2018?)のことであるらしかった。おとうさんは3年くらい前に余命半年と言われて、それからまだ、一見したところは元気に生き続けているのだが、しかし、わたしとおかあさんがふたりで出かけているあいだになにが起きるのかわからない、だから万が一の際の処置はわたしの弟に頼み、葬儀についても事前に話をつけておいた、のだそうだ(*10)。

予約の話が出たのは、今年の1月、成田空港の搭乗ゲート近くで機内への案内が始まるのを待っているときだった。それから6日間、わたしとおかあさんは、おおむね数メートル以内の距離を保ったまま、お互いのふだんの居所からは10000kmほど隔たったあたりを移動し続けた。都市のそぞろ歩きやブランド品などには興味がないおかあさんの、雄大な自然を見てみたい、との希望を最大限に取り入れた結果、あろうことか、旅程にはレコード屋のレの字も含まれないことになった(*11)。すべての場所は一度しか通過しなかったし、今後、わたしとおかあさんのいずれかあるいは両方が、そのいずれの場所をも再訪する可能性はきわめて低いはずだ。

移動中、わたしとおかあさんはさまざまな場所で話をした。窓の外にはバイソンの群れが併走するグレイハウンドの車内で。大統領の4つの顔が間近に迫る、山のカフェテリアで。モニュメント・ヴァレーのホテルの、鯨のように巨大なトゥイン・ルームで。アサイヤスの映画に出てきたような、竜の舌の形の雲が伸びる湖畔で(fig.4)。

おかあさんの話した内容のいくつか。中学や高校の同級生とはいまでも定期的に女子会をおこなっていて、60代のころは年金もらえるかとかの話題だったのが、いまでは自身の病気や夫の死のことになった、だとか。若い頃、とんかつ屋の看板娘だったり看護婦だったりした思い出。一時期はギャングの情婦で、ピストルを撃ったこともあると言っていた。そのくせ、ホテルのロビーにあったラフティングのパンフレットを見て、スピード出るものはダメ、怖い、などと弱気な口を利くおかあさん。出征する家族が行進していくのを小走りでえんえんと追いかけて、無事を祈って手を合わせたらあとで怒られた、昔の話。

夜。電気の消えたホテルの部屋で話しかけたら、やけにふがふがした頼りない口調で返事してくるので、まだ睡眠薬をのみ続けているのかと訊ねたら、いやこれは違う、寝ているとき口呼吸にならないようにテープで口をふさいでいるのだ、とふがふがと答えた。昔は70歳を過ぎて歯が丈夫だと、まだそんなに旨いものが食いたいのか意地汚い、などと中傷されたから、その歳になると自分の歯をそのへんのごつごつした質感の岩石に打ち付けて砕き、口調がふがふがになるようにしたものだ、とか。

旅行中のある日、わたしはおかあさんに「沢島忠が死んだよ」と言った。言いながら、ちょうど10年前のやはり1月のある日、日光街道沿いのステーキ宮で向かい合ってごはんを食べていたときのことを思い出していた。10年前のその日、最近はどんな映画を見ているのか、と問われ、まさにフィルムセンターでマキノ雅弘の生誕100周年の特集が開かれている時期だったのでその話をした。それは時代劇? うん。

それに続いておかあさんが、なんの気なしに「沢島忠が好きだったねえ」と言った瞬間が、いまでも忘れられない。誰それさんの結髪が好きで、きれいな結髪を目当てに映画館に通っていた、とも。そういえばおかあさんが、高校の頃に映画同好会みたいなものに所属していた話は聞いた気がする(*12)。わたしは10年間くらい、いろんなひとにいろんな映画の見方について話してもらう(自分ではなにもしない)イヴェントをしていたから、画面内外のどこに注目するかがひとによってまったく違うことを多少は承知している。それにしても、結髪のスタッフ名に着目しているひとがいるとは想像もしなかった。

2008年当時と2018年の現在とでは、日本映画に対するわたしの態度はまったく違っていて、当時は沢島忠の話ならいつまででもできそうな勢いだったから、おかあさん、そういうことは少なくとも20年前に息子に仕込んでおいてくれよ、と思いながらいろいろ話をした。細かい内容は忘れてしまったけど。

おかあさんの若い頃の好みは東映の時代劇で、成瀬巳喜男の映画は見たことがないと言っていた。そこで何年か前、おかあさんが上京した際、ちょうど名画座で上映されていた「流れる」を一緒に見に行ったことがある。おかあさんは途中からうつらうつらしていたし、よくわからなかった、と言っていた。あれは親孝行の名を借りた自己満足に過ぎなかった、といまでは思う。そしておかあさんに対してわたしはまだ、ショットの強度、とか、編集のキレ、とか、そういう言葉をつかうことができずにいる。石坂洋次郎原作の映画に出てくるような親子の間柄であれば、あるいはそうした、ごく普通の日本語でコミュニケイションをとれるのかもしれない。

帰りの飛行機。隣の席に座っていたおかあさんが、イヤフォンのつかい方を訊いてきた。しばらくたってふとモニターを覗き込むと、おかあさんが見ていたのは「ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない 第一章」だった。窓の外には羊の群れのような雲の原っぱが広がっていて、その上に月がのぼっていた。「おかあさん、」とわたしは言った。眠っているのはわかっていたのだけど。

あかあさん、わたしの大好きなおかあさん。
しあわせですか。
わたしはそれが心配です。
あかあさん、わたしの大好きなおかあさん。
いつまでもいつまでも生きてください。
おかあさん!

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*1→ http://www.pref.spec.ed.jp/momas/?page_id=335
「1950年代前半、日本の美術界にピカソは大きな衝撃を与え、その影響は洋画のみならず、日本画から彫刻、工芸といった広いジャンルにまで及びました。多くの作家がキュビスムの手法を取り入れながら、様々な主題の作品を制作しました。」

*2→ 山本敬輔「ヒロシマ」(→☆)。これに先立って、佐藤敬 「水災に就いて」(1939)(→☆)がある。「ゲルニカ」は1937年制作。

*3→ マイブリッジが1887年頃に撮った、階段を降りる女性の作品(着衣およびヌード)としては、"Woman Descending a Stairway and Turning Around""Descending Stairs and Turning Around""Nude Woman Descending Stairs"などがある。

*4→ https://en.wikipedia.org/wiki/Rocky_Steps

*5→ こうしたアクションは、いわゆるジャンルとしての「アクション映画」でも見られるとは限らない。むしろ、三木孝浩のいくつかの作品(「アオハライド」「坂道のアポロン」)で印象的な視線の交わし合いがあることに着目したい。もっとも、印象的に感じられるのは登場頻度が高くないからで、逆に、ある種の成瀬作品ではそれがあまりに自然に多用されているため、一部の観客は、そういう演出がされていることすら気付くことができない。

*6→ 「シナリオ読もうぜ!」#01「生誕百年 井手俊郎を読む」(2010)には、「妻の心」のシナリオが掲載されている。

*7→ とはいえ、東宝で成瀬の助監督を務めた石田勝心は、『成瀬巳喜男を観る』収録のインタヴューで、こう語っている。

「唸るほどうまい編集」とは、繋げば観客が「唸る」ように演出して撮影してあるからと言えます。フィルムに記録されている平凡な演技が、編集で名演に変化する筈はありません。

*8→ 岡本喜八「大学の山賊たち」(1960)には、開巻早々「終」の文字が画面に出るギャグがある。筧正典「妻という名の女たち」(1963)も成瀬アクションの直系作品。

*9→ 葬儀の場面も、片山明彦が入る療養院も、画面には出てこない。省エネ。

*10→ おとうさんの体調のあれこれは別に3年くらい前に突然降ってわいてきた話ではなく、そもそもの発端は20年以上前にさかのぼる。そのうち、そのへんのことを面白おかしく書く機会もあるかもしれない。そういえば昨年の秋、早稲田松竹のラスト1本で「20thセンチュリー・ウーマン」を見て、おかあさんのことを考えながら外に出たら、「おかあさんです。おとうさんが入院しました」という留守電が入っていた。

*11→ ダメもとで、アメーバは見てみたくないか、と提案したところ、ゾウやキリンなどの大型動物のほうが好き、と却下された。

*12→ 先生に引率されて、同好会の仲間と一緒に、調布の日活スタジオや大船の松竹スタジオに見学に行ったことがあるようである。実家の古いアルバムには、「日活スタアの待田京介さんと」と書かれた集合写真がある。

☆参考文献
戸田山和久『新版 論文の教室 レポートから卒論まで』(NHK出版、2012年)
平能哲也『成瀬巳喜男を観る』(ワイズ出版、2005年)
「シナリオ読もうぜ!」#01「生誕百年 井手俊郎を読む」(シナモンズ、2010年)

☆謝辞
Murderous Inkさんに深く感謝します。

映画
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家事(あるいは家についてのことについて)
Posted by: 鈴木並木 SUZUKI Namiki (→Profile)

フィルムセンターの「発掘された映画たち2018」、内容が発表されたときにはあれも見たいこれも見たい、と興奮したものだけど、考え直して行くのをやめたり、寝坊して行けなかったりして、見たのは結局6プログラム。森紅と服部茂の個人映画、15年ぶりくらいに見た小津の「浮草」(35mmのニュープリント、少し寝た)、「スワノセ・第四世界」(ゲイリー・スナイダーの日本語、さすがにうまい)、望月優子監督の中篇2本(どちらも素晴らしかった)なんかを、シネマヴェーラで開催されていた柳澤寿男特集と行ったり来たりしながら見ていると、自分の持っている「日本映画」の枠が両手で抱えきれないほどに広がっていくようで、こういう瞬間がいちばん楽しい。

最後に見たのが岩佐寿弥の叛軍シリーズ。発掘されて今回がひさしぶりの上映だったらしい「叛軍No.1」「叛軍No.2」「叛軍No.3」のあと、岡田研究員の解説があり、続いて「叛軍No.4」の参考上映という流れ。変わった構成だけれども、岩佐が興味を持っているポイントの移り変わりがダイナミックにあぶり出されるようで、番組構成、解説とも、これでよかった。というか、これがよかった。

たぶん初めて見る「叛軍No.4」、開始早々からぐいぐい引き込まれ、半ば過ぎまでは「やっべ、俺はいままでこれを見ずに日本の戦争映画がどうこうとか言ったり書いたりしていたのか」と冷や汗をかきながら見ていたのだけど、途中(3つのパートに分けるとすればパート2の中盤あたり)から急激に熱が冷め、映画が突然ぶちっと(見たひとは分かるとおり、比喩ではない)終わったころにはなんとなくもやもやとすっきりしない気分になっているという、ここで、そういえば「ねじ式映画 私は女優?」も、なんとなくすっきりともやもやとしない映画だったなと思い出す。

網膜剥離で入院する3週間前の2017年の正月、2016年の映画などを振り返って、こう書いていた。(→☆)

ここ数年、いわゆる「お話」には飽きている、というか、そういうのはある特殊なアメリカ映画がやればいいんじゃないかとなんとなく思っているってのはあります。しかし、そのことと、今回挙げた日本映画の多くがいわゆるドキュメンタリーに分類されることとは、おそらくそれほど直接的には結びついていません。

つまり、お話に飽きたからドキュメンタリーに興味が移りつつあるとか、そういう単純なアレではない。「チリの闘い」はもちろんのこと、「息の跡」も「ディスタンス」も、それぞれ「お話」の映画だと思っていて、語られ方におおいに魅力を感じている、ということなのですが……とはいえ、それに関する自分の気持ちをうまく説明する言葉はまだ見つかっていません。

いま現在でもこの考え方はあまり変わっていなくて、それで、というか、しかし、というか、だのに、というか、どんな接続詞でつないだらいいかよくわからないのだけど、「叛軍No.4」のパート1を見ながら思っていたのは、これは面白い話で、いま自分は話に引き込まれている、しかし(ここは「しかし」でいいと思う)、これに類した話はもうすでにどこかで聞いた気がする、ということだった。そんなことを明確に意識していながら、同時に話に引き込まれるなんて、そんな状態がありうるものかとこれを書いているいまからするとそう疑わざるをえないのだけど、見ながらたしかに、この面白さはどこからやってくるのだろう、細部の展開か、よどみない口調か、などと考えていた。画面はほぼ、黒板の前に立って叛軍体験を話し続ける男のバスト・ショットの長回し、サングラスをかけていて表情はうかがい知れない。

そうなるとどうしても、声色、よどみない流れ、そして話の中身に注目させられることになる。ただしこの男は本題に入る前のあたりで、告白めいた調子で、「いままで叛軍体験を話したことがなかったのは、自分の経験が半分はウソによってむしばまれボロボロになり、残りの半分は真実によってむしばまれボロボロになったと感じているからだ」というようなことを言ってはいなかったか。さきほど(ではないのだけど、正確には)、いわゆる「お話」には飽きている、と書いたのは、映画はもうそろそろ人間から、というか正確には、人間を過大評価することから、離れたほうがいいと思っているからなのだけど、それと同時に(というか、並行して)、映画なんて、ひとりかそれ以上の人間が、ただ適切にしゃべっていればできてしまう、とも思っていて、どちらの例についてもこのブログで複数回採り上げている、というか、ここ数年はほとんどそのどちらかにあてはまる映画についてしか書いていない気がする。

……で、なんの話だったっけ。ああそうだ、こういうことを書くと、現代映画と演劇とのかかわりとかを持ち出すひとがいるかもしれないけれど、いやでも、ハードコアなシネフィルたちが熱心にそういう話をしていたのは、テン年代前半〜中盤にかけてのモードで、その後は、演劇を見てるひとは見てるし見てないひとは見てない、って感じになっちゃってる感じだし、そもそも自分について言うと、結局最初から最後までそういうモードとは無縁のまま、人間の顔を見たり見なかったり、話を聞いたり聞かなかったり、そのときどきで、していたりしていなかったりするのだし、この書き方だと原理上あらゆる映画がどこかにあてはまる。

土曜日に見た「叛軍No.4」がからだの奥にまだ残ってる月曜日、たぶん雨が降っていたので傘をさして、草野なつか「王国(あるいはその家について)」を試写で見る。昨年の夏、みんながそこにいたような気がするある日のポレポレ東中野で小耳にはさんだ話だと4時間だか5時間になるらしいと聞かされ、昨年の秋にどこか遠くで上映されたとき(見てない)には60分とかそんな感じだったような気がするこの映画の、この日の長さは150分だった(当分この長さであり続けるらしい)。映画が伸び縮みするのはよくある話でとくに珍しくもなく、そしていまこう書いてみたのもなんの気なしに、なのだけど、この映画はほかの映画よりもとくに、より容易に伸び縮みしやすい性質を持っているみたいだ。伸び縮みする、といっても映画そのものが自発的に長さを変えるわけではなく、人間がそうするわけだけど、この映画については、映画自身が自在に自分の長さを変えるのだと言われてもなんとなく納得できそうな気さえする。

あまりにできすぎた話だけど、ちょうどこの日の昼間、テリー・ライリーのことを考えていた。考えていた理由についてはあと半年くらいたたないと明かせないしそのころになったらみなさんもう忘れているでしょうが、「王国(あるいはその家について)」はミニマル・ミュージックのように、似たような会話が何度も何度も繰り返され、その度ごとに微妙な変化がもたらされながら少しずつ、少しずつ先に進んでいく。繰り返される理由はすぐわかるので、わたしたちの興味を惹きつけて持続させるのは反復の理由や「構造」などではなくて、反復されている様子、時間、表情だ。だからこの映画の場合、一時的に金のないわたしがいつもそうしているように、見てきた配偶者から「お話」を聞いてそれで見たことにする(たいていの映画は実はそれで充分なのだが)、というわけには、いかない。進んでは不意に、大胆に戻る。あるいは船旅のように、極楽までの距離のように、男女の仲のように遠くて近い。同じようなことを100回繰り返した末に101回目で成功したりやっぱり失敗したり車道に飛び出したりすることをわたしたちは知っている。

ところでいつからわたしたちは、同じ映画を短期間に何度も見て、細かい部分にほどこされた仕掛けに気付くような余計な楽しみを覚えたんだっけ。作り手側もしたり顔で、そうした細部にまでこだわったことを得意げに開陳したりする。「王国(あるいはその家について)」はそうしたくだらない、「現代的な」楽しみ方や、「おかわり」による「気付き」を必要としていない。150分のなかに、反復と前進、反復と前進、ちょっと戻ってまた反復と前進、といった具合にすべてが収まっているので、見直すのはせいぜい2年か3年おきでいい。そうすれば死ぬまでにあと100回近くは見ることができる計算だ。

映画を見ていないあいだにわたしたちは家事(=家についてのこと)をする。100回も同じことを繰り返し、試行錯誤するのすら面倒になった101回目あたりで不意にブレイクスルーが訪れたり訪れなかったりすることをわたしたちは知っている。とてもここまでは届くまいと思った波が101回目でついに砂の城を壊す。まだそのことに気付いていないのであれば、家事を半日ほったらかして「王国(あるいはその家について)」を見ることによってその気付きが得られる。最初からメガ盛りになっているのだからおかわりは必要ない。

映画を見ていないあいだにわたしは特殊な家事(=家でする作業)をしている。同じ映画を少しずつ少しずつ、反復と前進、反復と前進、ちょっと戻ってまた反復と前進、といった具合に見る。見ているうちに英語がしだいに日本語になっていく。100回見ても英語のままだった部分が101回目で不意にブレイクスルーが訪れたり訪れなかったりして日本語になったり、依然として英語のままだったりする。この家事の詳細についてはあと半年くらいたたないと明かせないしそのころになったらみなさんもう忘れているでしょうが、その前におそらくわたしは就職して労働をする。

映画
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カメラを壊した男
Posted by: 鈴木並木 SUZUKI Namiki (→Profile)

祈りは何もいつも静かな夜におとずれるとは限らない。 ――川本三郎『同時代を生きる「気分」』

いま見ている映像が、実際に存在している場所はどこなのか。ときどき、そんな疑問が浮かんでくる。目の前のスクリーンの上なのか。映写機からスクリーンまでの空気中なのか。それとも、細長いフィルムなりDVDの円盤なりの中なのか。どれもこれもしっくりこない。

文章であれば、紙(ではないときもあるけど)の上に並んだ、ある規則性を持ったしみの連続体が実体である、とひとまずは言えそうだし、物理的なインクのかわりにモニター上のドットによって作り出されたものでもいい。

音楽だったらどうか。古くはアナログ・レコードの、塩化ヴィニールの円盤。溝を針でなぞって音を空気中に解放する手続きには、中に入っていたものが外に出てきた、というたしかな手ごたえがある。盤面(盤内?)の情報をレーザー光線で呼び出すCDにしても、仕組みこそ異なってはいても、同じ比喩で理解することは難しくない(*1)。

映像と比較すべきは文章や音楽ではなく、料理やスポーツや信仰や樹木だろうか。それにしても映像は居場所を明らかにしないまま、さまざまなものを媒介にして、最終的にはわたしたちに届く。もしかしたら、どこかから放たれて、わたしたちに届きつつある、その運動自体が本体なのではないか。いま見えているあの星は、いまどこにあるのか。その星のいまは、いつになったら見ることができるのか。

いま見えているのは、2009年の山形国際ドキュメンタリー映画祭、香味庵の廊下で、ハルトムート・ビトムスキーが映画の定義とはなにかと問われている場面だ。彼は「スクリーンがあって、そこに投影されていれば、それが映画だ」と答えている。なるほど、これから無秩序にだらしなく広がっていくであろう映像圏(渡邉大輔)に、ある種の枠をはめ、ケジメをつけるのが物理的なスクリーンの役割なのだな。感心しつつ、それにしても(文字どおり)話がうますぎる、と思っているわたしの姿も見える。

そうこうしているうちに月日は流れ、もはやそうした物理的スクリーン主義(映画館の、とは限らない)はダセェ、みたいな風潮だった一時期を通過して、そしてまた、スクリーンになにかが映ってる……? うん、まあいいんじゃない、画面も音も大っきいほうが、といったフラットな態度になってきてるのが、現在な気がする(わたし的にも、世間様においても)。ふらっと街に出ると、VRを体験させる施設がちらほら目に入る(*2)。目に入る、はもちろん比喩だけど、いま、東京駅の近くにいるわたしの目の前にあるそれは、外見は映画館よりもむしろ、お化け屋敷に似ている。これって、映画が有象無象の(映像)体験と未分化だった、最先端の過去への先祖がえりなのではないか。映像で金を取るには物理的に「小屋」に来てもらうのが不可欠、ではないにせよ、いちばん手っ取り早いらしい。いまのところはまだ。

つまり、映画に必須なのはスクリーンではなく、金を払った人間と払っていない人間とを分断する、壁なのだ。目の周りをすっぽりおおうゴーグルが、現時点ではその最小のもの。なにかしらUSB的な機器を頭皮に突き刺して信号を脳に直接送信できるようになる日まで、壁の優位は続くだろう。もっとも、そうした信号によってもたらされる知覚が、わたしたちがいま知っている映像と同じものである必然性も必要もないのだけれども。

壁によって区切られた空間の中、光の姿を借りてやってくる映像は、電気信号に変換されるために、目から体内に入る必要がある。いまのところはまだ。とすると、まったく同じコースを経てわたしたちに届く文字も、極度に様式化されたある映像形式なのではないか。そんなことを考えていると、わたしの正面1メートルくらいの場所にある男の映像が、彼自身の半透明の顔から取り外した球体をぱかっと割って、説明を始める。そもそも物が見える仕組みとは、ここから入った光がレンズを通過して、眼底で収集・変換されて電気信号としてこの神経を経由して……。映画学校、カメラメーカー、その他いろいろな場所で幾度となく繰り返されてきたであろう、眼球=カメラの比喩。場所は吹けば飛ぶよな3Dプリンタ建築の大学病院。立体映像としてわたしの目に映る男は、襟なしの白衣(薄いうぐいす色だったかもしれない)を着た医師。わたしはカメラを壊した男=網膜剥離の患者として、説明を聞いている。

患者の身分になったのはほんの1時間ほど前だ。成人の日あたりから飛蚊症が急に気になり始め、それから少したって、右目の視界の下のあたりに黒いかたまりがちらつき出した。ラーメンのスープに浮いた一滴の大きな油のようなそれを見ようとして視線(というか眼球)を向けると、かたまりも同じ方向に動いて、フレームアウトしてしまう。ついさっき、日に日に視界の中をせりあがってきたそいつがとうとう視界の半分を占領するに至り、さすがにあわてて近所の総合病院に電話をかけて予約をとり、そのあと、おとといは山の上にある会社に、昨日は川沿いのコインランドリーに行き、今日の午前中に診察に行ったところ、も、モモ、網膜剥離との診断を下されたので、もらった紹介状を口にくわえ、生後44年目にして初めての自腹タクシーで大学病院へどんぶらこどんぶらこと移動しながら、右目には眼帯をしたまま、左目だけでいまこの文章を書いている。

うぐいす色の映像男は、剥離そのものはずっと以前に起きていた可能性が高いですね、と言いつつも、職業柄、今日までの病状そして明日からの治療にしか興味がないようで(そういえば彼、ちょいと吉田拓郎似だ)、とにかく実際に起きてしまったんだから原因など追究しても仕方がない、と言いたげだ。現時点のわたしはその態度に全面的に賛成なのだけど、話の都合上、振り返っておくと、半年前の通勤途中、駅を直立歩行していたら体の向きがタテからヨコへと一瞬で鮮やかに変化して、固い床にあお向けになったんだった。おそらく転倒して後頭部を強く打ったあの瞬間、星が消滅したのだろう。頭の中の0.5光年の距離にあるひとつの銀河は、すでに失われていたのだ。わたしたちはしばらくのあいだ、それに気付かない。

入場料を払う約束をしたわたしに、4人部屋を布製の壁で仕切った映像空間が与えられた。今度はやわらかいベッドにあお向けになったわたしの目に入るのは変化に乏しい天井のショットで、それが無限に続くうちに途切れのない現在はいつのまにか翌日に移行しており、ストレッチャーに乗せられたまま部屋を出て、移動に応じて視界が流れていく長回しには緊張感はありつつも、同時に、この構図ありがちだよな、とも感じながら手術室に入ると、小さなヴォリュームで音楽が流れていて、かかっているのはよりによってシェールの「バン・バン」だ(誰かによるカヴァーかも)。この曲とは何度かすれ違ってきたけれど、こんなに不吉なものとして聴きつつあるのは初めて。

Bang bang you shot me down
Bang bang I hit the ground
Bang bang that awful sound
Bang bang my baby shot me down

麻酔によって引き延ばされたようでもあり省略されたようでもある数時間ののち、手術は終わる。術後は、眼球への刺激を避けるため、アルファベットのCの字のようなフォルムの枕を顔面にあて、原則として昼も夜もうつぶせのままで横たわる。この体勢だと時間の流れはおそろしく緩慢で、いつまでたってもいまがいまのままであり続ける。100時間くらい微動だにせずにいたら、退院の許可が出た。ベッドの下は、4日間に排出され続けた自分の小水で、サン=ラザール駅裏みたいになっている。水溜まりをひょいと飛び越えて、帰宅。

うぐいす色の映像曰く、極度に下がった右目の視力は徐々に回復する。どの程度にまで戻るのか、どのくらいの期間を要するのかは個人差があってなんとも言えない。しかし発病前の視力にまで100%戻ることはない。ところがあまり改善しない。従来かけていたメガネを着用した状態で、左は変わらず1.0。右は、手術直後は0.1だったのが0.3にまで戻って、そこで止まってしまった。両眼が同じ程度とまではいかずとも、右がもう少し見えるようにしたいところだけど、左右の現在の視力があまりに違い過ぎているため、両眼が同じくらい見えるくらいにまで矯正すると、像がうまく重ならず、少しずつズレて二重に知覚されてしまう。コンタクト・レンズへの切り替え、コンタクトとメガネの併用、プリズム・レンズ、レーシック手術、どれもみな劇的な改善は望めないのだそうで、わざわざそれをするのなら、まだしもなにもせずにメガネを使い続けるほうがいいらしい。つまりは、もっとも消極的な意味で「いまが最高」なのだ。レーシックはどうなんですか、とダブったうぐいす色の像のどちらかに質問してみた。すると、レーシックは角膜=レンズの表面を削ってピントあわせの不備を調節するものである。しかしあなた(=わたし)の場合、眼底=フィルムの部分が劣化しているので、入口をいくらよくしてもダメですよ、と(*3)。手術前の説明と、比喩が若干異なっている気がするのはともかく、手術の際、右目のレンズは人工のものに取り換えられているので、だったらいっそ、眼球の入力系統を総デジタル化してもらってもかまわないのだが。

ここから先はお涙頂戴の段階に入る。どうかハンカチのご用意を。

自分が難病になったらどうしよう。取り乱して周囲に迷惑をかけたり、必要以上に落ち込んだりするのはバカバカしい。できる治療に粛々と専念しよう。などとご立派な想像をしてみることがときどきあった。長期間にわたる過酷な治療、強い副作用のある薬、ゆるやかな回復と停滞、自暴自棄、すべてを乗り越えた末の快癒。ショック期→否認期→混乱期→解決への努力期→受容期。古典的難病が持つ、明快なビバップ風のストーリーラインには抗いがたい快感がある。それに対して、網膜剥離患者の病後は、モーダルでコンテンポラリーで、ポスト・ディズィーズ的だ。ただなんとなくもたらされた不具合が、なすすべもなくミニマルに持続してしまう。

そういえばこの文章は映像時評なので、映画館に行ってみたものの、はっきり言ってろくすっぽ見えない。疲労も蓄積する。座席の位置を少しずつ変えてみたり、右目には眼帯をして普通に見える左目だけを使ったり、いろいろ試してみた。たまたま行った東京都写真美術館では、メガネを着用して見る3D映像の展示があったので、荒療治のつもりで挑戦。1分くらいでギヴ・アップしてしまった。しばらく我慢すれば劇的に視力が戻るだろう、との希望でもって2月と3月を乗り越える。ただしその期間に見た映画で、心から楽しめたものはひとつもない。感興は消え失せ、相対評価でしか映画を見れなくなった。あちらと比べれば、こちらはだいぶいいらしい。同傾向のAやBよりは、やや落ちるぞ、といったような。絶対値で言えば、映画に触れた際の心の針の動きは、発病前の1割か2割。画面のディテールや、役者の細かい表情についての情報受け取り力はたしかにガタ落ちしたけれど、依然として字幕は読めるし、ストーリーも理解できる。それなのに、テンションはあがらない。映画が面白くなくなった理由は、いまの目の状態によるものなのか、先が見えない(視覚的比喩!)絶望からなのか。よくわからぬまま、楽しいことなどなにもないような鬱屈に陥り、腹立ちまぎれに妻を猫パンチで殴打する日々が始まる(*4)。

たとえば、スクリーンが小さいときや画質が悪いとき、「もっとでかい画面で見たいなあ」「ちゃんとした映像だったらなあ」と不満を持つことは、当然ある。それでも、環境の不備はそれはそれとして、映画そのものに対しては公正な気持ちでいられそうなものなのに。「歓びのトスカーナ」を見終えて、ぴくりとも気持ちが動かぬまま試写室を出ながら、ああ、もう映画を見ても仕方がないな、とはっきり感じたのが4月の末。この気分の正体はまだ謎めいていて、正確に記述するのは難しいのだけど、とにかくこうして、ここ10年くらい断続的に考えていた問題に、また立ち戻ってきている。フィルム対デジタルだとか、Netflix抜きにして未来は語れないだとか、いや、だらしなくソファに寝転んだまま映像が享受できる時代だからこそ、背筋をのばしてスクリーンに向き合うべきだ、とか、バカ、映画館で背筋をのばして座る奴は万死に値するのだぞ、お前なんぞは脳に電極でも刺しておれだの、さまざまな差異が、さもそれが差異であるかのように語られる。でもそもそもそんなものは、差異ではなかったのだ。ひとりひとりの脳内のスクリーンになにが映り、どんな刺激がもたらされているのかという、誰にも確かめようのない映写状況の違いと比べたら。

たったいま一緒に見ていたはずの映画について、誰かと話をする。客観的なデータは、もちろん、揺るぎないものとして存在している。制作年度。上映時間。監督名。出ていた俳優。とはいえ、実際にわたしたちが体で感じる上映時間の長さ短さは、アラビア数字の表記とはめったに一致しない。あらすじをおのおのの言葉で聞かせあったなら、相手の理解のしかたに呆れ果てたり、逆に自分の誤った思いこみに冷や汗をかいたりするだろう。本当にこいつと自分は隣り合わせに座って、同じ時間を共有していたのだろうか。すぐにデータの検証が可能である現代、個人個人の記憶の不備や認識の違いを「間違い」としてまず排除してから物事にとりかかるのがたしなみのようだが、事態はそんなに単純なあれではない。と書くと、「この頃はなにかと窮屈でのぅ……」と杖を突きながらどこからともなく登場する架空の爺さんみたいだけども、そういう話じゃない。わたしたちが(映画について)話すとき、一緒に立っているつもりの理解の土台は、なんて不安定なんだろうかって話。だったらもう、気分をどのくらい重ね合わせられるか、に賭けるしかない。

ハードコアな批評が軒を連ねる誌面で、「気分」を持ち出すのが場違いなのはわかっている(*5)。気分や体調などといったあやふやなものに左右されず、マシーンのように見続けるのが真にあるべき姿なのだろうなと反省もする。同時に、こうも思う。ものを見るときなるべく偏らず公平であろうと心がけるのは当然としても、その原則にとらわれすぎたなら、フェアではない。人間は気分で動くものだし、同時代性から逃れることは極めて困難なのだから、折々の空気に軽率に振り回されるしかない。その様子がヴィヴィドに刻み付けられたもののほうが、あとになってからの資料的価値も、結局は高いのではないか。いきなり引き合いに出されても迷惑かもしれないが、今年注目された以下の3冊の本には、「気分派」の揺り戻しが、たしかに見える。順不同。

〆缶邉(編)『心が疲れたときに観る映画 「気分」に寄り添う映画ガイド』(立東舎)
岸政彦、石岡丈昇、丸山里美『質的社会調査の方法 他者の合理性の理解社会学』(有斐閣)
佐藤文香(編著)『天の川銀河発電所 Born after 1968 現代俳句ガイドブック』(左右社)

,詫妻曚淵織ぅ肇襪里箸り。7人の書き手が、「進路に迷ったときに」「孤独をかかえたときに」「生きる希望を見失ったときに」「片想いしているときに」など12のシチュエーションに応じて映画を紹介する。映画本の過度なカタログ化や情報偏重への反発として、また、編者自身の「心が疲れた」体験も反映されて、書き手の個々の気分を掬い上げる本ができた。

これを読んでいる初夏のいま、わたしはちょうど否認期から混乱期へと差し掛かっている。読書では病気は治らないが、問題を相対化するためのヒントはもらえた気がする。映画でも音楽でも、なんでもいい。先人たちや同時代人たちが頭をひねり、心を込め、腕によりをかけてつくったものを、ただ寝そべって口をあんぐり開けて待ち受ける怠惰な行為にも、意味はある。つまり、自分が後生大事に抱えている悩みも誇りも、しょせんはありふれたものだと知ること。たかだか網膜剥離くらいでこの世の終わりの絶望を決め込むのは、運動会のかけっこで優勝して世界征服した気でいる小学生みたいなものだ。上には上がいる。ボルトを見よ。カール君を見よ。あの後半の恐るべき加速を!

社会学の教科書である△蓮⊇駝召肋難しいが、タイトル後半の「他者の合理性の理解社会学」に内容は集約されている。ICレコーダー使用時の注意から、取材対象者に向き合う際の礼儀まで、他人の話をよりよく聞こうとするひとのための最良のガイドブック。そしてなにより、読んでめっぽう面白い。ここでは執筆者のひとり、石岡丈昇の回想に「気分」が登場する。暑いフィリピンでの長期取材から寒い北海道の自宅に戻り、論文をどうまとめたらいいのか手をつけかねていたときに役立ったのが、こまごました現地の印象のメモだったという。取材内容とは直接は関係ない、天気、食事、会話、景色。そのときの「気分」をつかまえておけば、あとからでも「いま」「ここ」の再構築が可能なのだ。

現代俳句のアンソロジーであるに至っては、たくさんの句が、師弟関係でも流派でも年齢でもなく、「おもしろい」「かっこいい」「かわいい」のカテゴリー=気分で分類されている。あまりにもざっくりしすぎではあるまいか、と不安になるが、同時にどこかなじみ深い。そっか、これ、レア・グルーヴみたいなもんか。

映画時評に戻れなくなりつつあるのを自覚しながらさらにまた別の話に移るのだけど、行きがかり上、説明しておくと、レア・グルーヴとは、1980年代、DJやコレクターなどを中心に始まった、音楽の聴き方の流れ。いわゆる教科書的に重要とされている名盤かどうかではなく、お耳に心地よいか、キャッチーなブレイクを含んでいるか、などを評価基準にする、さわやかな批評革命。聴き手主導の動きだったこと、無思想の思想だったこと。少なくともこの2点だけでも、ひとつの大きな転換点だった。

それまで無名だったり、逆に有名すぎて見落とされていたレコードが、がんがん掘り起こされた。日本においてはガラパゴス的な受容と展開を経て、1990年代前半〜半ば、渋谷系やフリー・ソウルへと結実(*6)。中古盤の相場は高騰する。90年代のある時期の東京は、レア盤の密集度世界一を誇る都市だった。私見の限りでは、ロンドンもパリも、トーキョーみたいじゃなかった(当時のニューヨークは知らない)。誰も知らなかったレコードが続々とCD化されて、一般のリスナーへも届いていった。……ほんとにそんなこと、あったんだっけ。いまや影も形もないけど。そういやちょっと前、2017年におけるレア・グルーヴの存在感の薄さについての分析が、話題になったよね。いまのあれこれの基礎をつくったと言っていいほどの巨大な影響を各方面に与えたのに、現在のシーンとのつながりはおぼろげで、忘れられた文化だ、って。正確な文脈は思い出せないけど、そんな趣旨。的確な指摘だと思う。中古盤の値札の数字の変化を観察してたら、よくわかる。上がった値段はいつしか下がるもので、レコードもだけど、CDの値崩れはすさまじい。90年代後半から00年代にかけてさかんに復刻されたレア・グルーヴ/フリー・ソウル/カフェ・アプレミディ(*7)系の中古CD、一部を除いていま、おしなべて安い。2年くらい前だったか、大宮のディスクユニオンの店の前の野ざらし箱で、ジャクソン・シスターズのCDが100円で売られてたのを見たときの「気分」。もともと、投げ売りされてたレコードを再評価するのがレア・グルーヴなんだから、数十年かかって、本来の状態に戻ったようなもんか。

レア・グルーヴが失速したのは、あまりにふんわりした、気分先行のムーヴメントだったからかも。GoogleもYouTubeも存在しない時代だったから、現代のような形での情報戦は起こりようがなくて、でもいまも昔も、レコードの盤面とジャケット(表と裏)に含まれている情報量って、処理しきれないくらい膨大なんだよね。ただ情報を持ってても仕方ない、じゃあどうするかって話だけど、レア・グルーヴの頃も、気分を言葉にするためのデータ解析作業、専門家はみんなやってたはず。ただし、それをリスナーにひけらかすのは野暮、みたいな共通認識はあったんじゃないかな。まずは踊ってもらって。知りたいひとはライナー読んでね、って。まあたしかに、いま、「午後のコーヒー的なシアワセ」と言われると、やや気恥かしい。江分利満が「カルピスってのは、恥ずかしいね」って言ってた、あの感じに似てる。現代だと、うっかりコーヒーなんかすすめたら「こっちはのんびりコーヒー飲めるような身分じゃないんですけど!」とか逆ギレされそうだし。ゆっくりコーヒー飲む余裕がない人間が、CD買うはずないわけで。

じゃあ経済的にも気持ち的にも余裕がないテン年代の若者のみなさんに、逆ギレされずに音楽を楽しんでいただくためにはどうしたらいいか。データで裏をとって、理論の強度を高める。あなたがたはこのコーヒーをこのカップで飲むべきで、統計学的にそれがいちばんおいしいんです、ってサード・ウェイヴ・コーヒーっぽく提案して。ミュージシャン本人に確認済みです。事実こうした人的交流があります。ゆえに最新のジャズの動向はこちらになります。そう言われたら、なるほど納得はする。繁盛する店には理由がある。

でもね、ぼくだけかな、気分をエヴィデンスで補強する「正しさ」志向には、情報を万能なものとみなす権威主義の臭いがするんだけど。きみは言うだろうね。出鱈目な事実認識で書かれた、暗黒時代の音楽批評と比べたら、データ警察のほうがまだいいでしょ、少なくとも「正しい」んだし、って。隙間をすべてデータで埋めちゃう空間恐怖症には、ぼくはどうしてもノンと言いたい、そういう気分。

ま、これは批判じゃなくて嘆きなんだけど、残念、ルールは変わっちゃった。もとにはもう戻らないんだよね、よく知ってる。でもね。気分は気分。それ以外の何物でもないし、たしかに残りづらい。だからこそ、他人に左右されたくないし、説得させられるのは御免だし、あったものをなかったことにはしたくない。とはいえ。しょせんは実体のないものを、どうすればいいか。そのまんま、なにからなにまで覚えとけばいいだけの話だし、それしか方法はないはずなんだけど……さて、できるかな。

なんの映画だったっけ。浜辺にロウソクずらっと並べてさ。生まれてからいままでに会ったひとの名前を、思い出せるかぎり、ひとりずつ口にしていくあのシーンの、あの気分。忘れたくなきゃエクセルで管理してクラウドにでもぶっこんどけばって言われちゃいそうだけどね、現代!

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*1→ 現代のポピュラー音楽はほぼすべて、複数の音が重ねられて編集されたものであり、音盤に「記録」された音とまったく同じ状態のものがいつかどこかに存在したわけではないのにもかかわらず、だ。ライヴ録音ばどうなんだとかそういう話はまたいずれどこかで。

*2→ 2017年夏、ツイッターを見ていると、スマートフォン・タブレットで手軽に楽しめる360度/VR映像コンテンツ「VROOM (ブイアルーム) 」の広告がわりと目についた。そのたびに、キング・クリムゾンの1994年度作『VROOOM(ヴルーム)』を思い出したのはわたしだけではないだろう。

*3→ 初期のレーシック手術はそれぞれの医師の技術に依存する部分が大きく、医療ミスも珍しくなかった(映画「アンダルシアの犬」参照)。なお、現在ではレーザー光線を使って施術されているとの認識はよくある誤解であり、いまでも薄い刃物が使用されている(laserレーザーと、razor剃刀の混同が原因)。

*4→ 妻の鼻が一般の平均よりほんの少し(言われなければわからないくらい)低いのは、生まれつきであって、わたしの殴打によるものではない。また、空手の有段者である妻は、ただ黙って殴打されているわけではない。

*5→ ハードコアついでに言えば、映画館に日常的に通っていると、ハードコア・シネフィルは、実在する。あれっ、あのひと昨日のレイト・ショウで上映後のトークまで聞いて、それどころかどうでもいい質問(第一声が「すばらしい作品を見せていただきましてありがとうございました」なやつ)もしていたはずなのに、今日も朝イチの開場前から並んでるぞ、たしかお住まいは神奈川の奥も奥、もう2、3歩ほど進むと静岡県で、夜になると熊を背中に乗せた金太郎が足柄山からおりてきて民家の軒先に出没するらしいあたりなはずなのに、ご苦労様です、などと、それを目撃している自分は棚にあげて、思う。

*6→ 日本では、の話のついでに触れておこう。田中康夫は、一見AORのディスク・ガイドに見える思想書『たまらなく、アーベイン』(1984年)で、ロックやフォークに不可避的にまとわりついてしまう物語性を引き剥がした、気分の音楽としてのAORを称揚していた。でも、ちょっと角度を変えると、単に自分好みの別の物語を提示しているだけのようでもある。昨日までのゴミレコが(文字どおり)ブレイクひとつで今日から数千円、ということも珍しくなかったレア・グルーヴの、生き馬の目を抜く経済について、ヤッシーはいま、なにを考えているのかな。

*7→ 1994年に「フリー・ソウル」を立ち上げた橋本徹が、2000年にスタートさせた新シリーズが「カフェ・アプレミディ」。「午後のコーヒー的なシアワセ」はそのコンセプト。このあたりを発端としてゼロ年代に一世を風靡したカフェ・ミュージックは、渋谷直角『カフェでよくかかっているJ-POPのボサノヴァカバーを歌う女の一生』で揶揄されたような気もするけど、ドトールのBGMとして定着した気もする。広義のレア・グルーヴは意外としぶとい。いまのところはまだ。

☆本稿は、2017年秋に発行された批評系同人誌「ビンダー」第5号におけるわたしの連載「なにかが映ってる」のために書かれ、掲載されたものです。転載を許可いただいた湯川静さん、noirseさんに深く感謝します。なお、「ビンダー」第5号は通販で買えますのでどしどしご利用ください(→☆)。

映画
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2017年の映画など
Posted by: 鈴木並木 SUZUKI Namiki (→Profile)

2017年に見た映画の中から、よかったものを。並びは見た順。(*のみ飛行機のモニター鑑賞。ほかは公共空間のスクリーンにおいて)

ケン・ローチ「わたしは、ダニエル・ブレイク」(2016/英語)
ミア・ハンセン=ラヴ「未来よこんにちは」(2016/フランス語)
ガウリ・シンデー「Dear Zindagi(ディア・ライフ)」(2016/たぶんヒンディー語)
柳沢寿男「夜明け前の子どもたち」(1969/日本語)
原将人「20世紀ノスタルジア」(1997/日本語)
只石博紀「Future tense」(2013/日本語)(→☆
蔵原惟繕「ストロベリー・ロード」(1991/日本語)
代島治彦「三里塚のイカロス」(2017/日本語)
マイク・ミルズ「20センチュリー・ウーマン」(2016/英語)
山田洋次「家族はつらいよ2」(2017/日本語)*

☆スペシャル・メンション:
ウェブサイト「日本アニメーション映画クラシックス」(http://animation.filmarchives.jp
ニトリ「足もとあったかカバー」(→☆

映画の話の前に……まったく予期せぬことでしたが、2017年は1月下旬に右目の網膜剥離を起こし、それによっていまもまだ左右の視力に極端な違いが残っていて、ものがきちんと見えない状態です(そしてこれからもずっと)。その関係で映画への興味がかなり薄れてしまい、見た本数は対前年比6割弱になりました。疲れやすくなったりもして、もろもろの作業効率も下がり、同じ時間内でできることが体感で半分強になっちゃったなーと感じていたので、それとちょうど呼応しています(レコ買い枚数のみ変化なし)。このへんの顛末は、批評系同人誌「ビンダー」5号にやや詳しく書きましたので、よろしければそちらを読んでみてください。(→☆

興味が薄れたといっても、まんべんなく、ではなく、もともと興味の中心にあった部分はわりとそのまま残り、それほどでもなかった部分への関心が急激に失われました。最初から見ないことに決めたり、見に行ったひとから話を聞いてそれで済ませたりしたものも多かったです。

興味の中心のひとつはリベラリズムとか世界平和とか自由・平等・博愛とかで(佐藤忠男先生が好きそうなあたり)、とはいえこれは見ておきたい、と思って出かけていった「ドリーム」にはなんとも思いませんでしたし、「希望のかなた」もいつものカウリスマキだなーという程度の感想でしたから、結局のところはよくわからない。もうひとつの中心は映像の流れ(編集)のスムースさやグルーヴで、ミア・ハンセン=ラヴのと山田洋次のは、話の内容とか盛られた思想とかとはほぼ関係なく、この観点からの評価。

そして興味が大きく減退したのは「お話」と「演技」に関する部分で、しかしこのへんはもともとあまり興味がなかった、というか、正直よくわからなかったあたりでもあって、とはいえ、こうして思い出してみると、やはり複数の映画をいくつかの要素に分割して「演出技術○点、演技○点、脚本○点、撮影○点……」みたいに採点して合計点で優劣をつけるのはそもそも無理がある。

だもんで、今回選んだ10本も、ある統一した基準でもっていっせーのせで駆けっこしたときの1位から10位、ではなく、なんとなく存在している映画の標準グループからそれぞれのやり方でそれぞれの方向に突出しているように見えたもの、ということになります。

いろいろとできることが減ったので、長年続けてきたあれやこれやのいくつかをやめざるを得なくなったのですが、性格上、ほうっておくといつまでも続けてしまいがちなので、結果的にはこれでよかったと感じています。そして、映画を減らしたから、というわけでは必ずしもないのですが、例年より旅行に行く回数が増えました。上高地、小豆島、バルパライソ(チリ)、パレルモ(イタリア)、そしてアメリカ各地のレコード屋はすばらしかった。

2017年に受けた最大の啓示は、秋、山梨県の温泉宿に泊まった翌朝、朝食の前に近所を散歩していたときのこと。ベンチに座って、川の向こうの山を丹念に眺めていたら、あそこにびっしり植わっている木はひとつひとつ別個の生命体で、それぞれに違った生を持っているんだ、と気付きました。あの瞬間はヤバかった。

最後に、「トラベシア」2号制作に関わってくれたみなさま、お買い上げくださったみなさま、取り扱ってくださったお店のみなさま、本当にどうもありがとうございました。2018年上半期中には3号を発行するつもりで、いま準備中です。ご期待ください。なお、2号は予想したほどには売れなかったので、家にまだ在庫があります。通販もやってますので、どしどしお買い求めくださいませ。(→☆

2018年がみなさまとわたしにとって健康で実りある年でありますように。

映画
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まだ遅くはない
Posted by: 鈴木並木 SUZUKI Namiki (→Profile)

ついつい北海道のことを考えてしまう。父方の祖父が旭川の出身だから、つまり自分には北海道の血が4分の1入っていることになるわけだけど、いままであまりそれを意識せずに生きてきた。ふと気付くと、親しく口を利いたり、どこかで会ったらあいさつをしたり、あるいはなにかちょっとした頼みごとをしたりされたり、プライヴェイトでそうした関係を持つようになった北海道出身者が6、7人いる。そしてわたしの周りの北海道出身者には、つまらない人間はひとりもいない。

只石博紀がたぶん室蘭の実家とその周辺で撮った中篇「Future tense」を見て最初に思ったのは、岡本まな「ディスタンス」と三宅唱「ザ・コクピット」の真ん中にこれを置いたら、つながらなさそうなその2本がつながるな、ということ。いやしかし考えてみたら「ディスタンス」が函館の映画だってぇのは忘れようもないことだとして、これは忘れていたけど三宅唱は言うまでもなく札幌の出身で、そして近々、佐藤泰志「きみの鳥はうたえる」を(たぶん函館で)撮るらしいわけなので、別に鬼の首を取ったように北海道北海道言わなくてもいいのかもしれない。そもそも室蘭と函館と札幌は別々の場所だろうし。だから北海道の話はここで終わってこの先には出てこない。

「Future tense」に出てくる要素そのものは、わたしたちにも割となじみ深いものばかりだ。夏、法事に集まってくる家族と親族、立木、食事、台所、会話、薬罐、居間、墓参、TV、濃霧。それでいて、これを一度見てしまったらその途端、割と誰もが、あれっ普通の映画ってどんなふうに画面が構造されて、どんなふうに人間が配置されてるんだっけ、とわからなくなって不安に駆られるはずだ。普通の映画はいまやカッコに入って「普通の映画」になってしまう。いままで何百本、何千本、ひとによっては何万本と映画を見てきているわけですから、限界も可能性もみなさんだいたいなんとなくご存知でしょう。だとしたらどんなやり方にもそう簡単には驚かないし騙されない、ましてやこれみよがしの新しさ(だと作り手だけが思っているもの)には厳罰をもって処すぞ、と疑いのまなざしを(わたしに)向けてこられるのもまったくもってごもっとも。しかしわたしは動じませんし翻意しませんよ。

そもそもどんな映画でも、たいていはファースト・ショットがいちばん最初に来るものと相場が決まっている。では「Future tense」のファースト・ショットはどんなだったか。(相対的に)暗い部屋の中から(相対的に)明るい窓の外を撮ったものだ。横長の暗い画面の中央あたりが、縦に明るく白く切り取られる。長いこと縦長の映像を想像したことがなかったらしい(日本語圏の)映画関係の人類にとって、「タテの構図」というのはなぜか前景と後景、つまり画面の手前と奥の関係のことを呼ぶ言葉のようだけど、そのことは知らなくてもいいし、すでにご存知だったら忘れていただいてかまわない。

文字通り縦長の形に光があふれるその次は。どんなだったか。たしか窓から雨の降る外の景色を撮ったものではなかったか。おじぎをするみたいに下の道路に向けてカメラがパン・ダウンするとき、画面の左右には窓枠がほんのわずか、消し忘れたみたいに残ってはしなかったか。

さてその次は。どうやらだいぶ歳を重ねた、女のおばあさんだった気がする。ピントは最初、おばあさんではなくて、彼女の背後の壁際のなにかに合っている。個人的な事情で、1月下旬から眼科に行く回数が増えた。さまざまな検査のひとつとして、機械にあごを乗せてレンズを覗き込み、そのなかの地平線上のバルーンを見る。バルーンはぼやけたりくっきり見えたりする、というのはそう見えるように像が投影されているからだ。たぶんそれに応じて瞳孔が開いたり閉じたりする、それを検査しているのだろう。ちょうどそのバルーンみたいに、女のおばあさんの像がぼやけ、調節されてピントが合う。

こうした、画面の説明から始まるシネフィルっぽい無芸な文章は、若木さん(たしか北海道出身)にバッテンを喰らうタイプのやつだったはずだ。しかし画面の説明をするのがどうしても必要な映画というのが、たしかに存在する。とはいえたいていの映画は、実はたいしてそんな必要はないのだけど、「Future tense」はまさにそれが必要な映画なのだ。

この映画の監督でありカメラマンである只石博紀は、画面に出てくるほかの只石たち同様、多くの時間、自分は四六時中カメラを操作しているわけではありませんよというアリバイ作りの意味も兼ねて、カメラの前や横や背後のあたりをうろうろしているようだ。カメラはそのあいだ、おそらくほったらかされたまま、どこか固い場所の上にいて、めったに動かない。極度に動きの鈍い愛玩動物が家族を記録したら、あるいはこんな映画ができるかもしれない。

何時間ぶんの素材から抽出されたのか知らないが、まったく驚くほかない映像が連続する。たとえば、弟?の奥さん?か婚約者?が、画面中央でものを食う。最初はその部屋にほかの家族が集まっていたのに、おのおのがそれぞれの事情で出たり入ったりしているうちに徐々にひとが減っていき、最終的にはものをもぐもぐしているその女性だけが画面中央に残る。加藤泰のなにかの映画で身じろぎもせず黙々となにかを食べ続ける三原葉子を思い出すひともいるかもしれないけれど、それにしたってこの、弟?の奥さん?か婚約者?の姿勢はいったいどうしたことだ。断言はできないけれども、こんなかっこうでものを食べる人間が映画に出てくることはそうそうないし、ましてやどんな演出家でもこんなふうに芝居をつけることはできないに違いない。姿勢だけではない。ここにしろ、ピンと背筋をのばしてソファに座り、フレームの外のなにか(テレヴィだろうか)を見つめているときにしろ、ふだんいるのではない場所にいるからだろう緊張感が全身から発せられていて、とくになんの説明もないまま、わたしたちに多くの事情を了解させる。

なんの説明もないのは別にこの、弟?の奥さん?か婚約者?についてだけではない。カメラの前をちょろちょろする只石監督の顔をたまたま知っているわたしは、ここは彼の実家なのだろうとなんとなく推測し、であるならば登場人物たちは必然的に家族や親族なのだろうと想像するだけだ。

そういえば前述の「ディスタンス」が初めて?公に上映された2015年の山形国際ドキュメンタリー映画祭では、クロエ・アンゲノー&ガスパル・スリタの「いつもそこにあるもの」、フリア・ペッシュ「女たち、彼女たち」なんて作品もかかっていた。わたしは2本ともあとになってから見たのだけど、どちらも、出てくる人物たちの血縁関係は明示されず、同じ家にいるからにはまあ家族かそれに近いひとたちなんだろうなと思いながら見進めていかざるを得ないような(と説明すればそれで済んでしまう程度の)映画だった。

ついでにいえば、「ディスタンス」では、家族の昔のホーム・ヴィデオが映るパソコンのモニターだったかテレヴィの画面だったかを撮るショットでの、撮られているそのスクリーン上のホコリというか汚れがそのまま映り残っているのが印象的で、同じようなことはたしか小森はるか「息の跡」でも起こっていたのじゃなかったか。「息の跡」もやはり2015年の山形が初の?お披露目だったはずで、そして例によってわたしは山形では見逃しており、最初に見たのは2016年春の新文芸坐でだった。2017年に一般公開されたヴァージョンは2回見た気がするけど、その、汚れだかホコリのカットは残されていたんだったかな? そして「Future tense」では、汚れだかホコリの乗ったガラスと只石自身の体を突き抜けて、動く家族が撮られる。

話を戻して、おばあさんが大根の皮を剥く場面での、画面外から盛大に入ってくる光のせいで台所全体がオレンジ色に包まれる色彩設計に驚いていると、次のカットでは画面の真ん中でストーヴ?に乗っかったカラシ色の薬罐が存在を誇示していて、最初は無人だったその部屋にひとが入ってきたり出て行ったりしてもカメラは動かないから、動かない薬罐はずっと同じ場所にある。そしてここでも弟?の奥さん?か婚約者?はなにかを食べながら、食事の話をしている。

終盤で暴力的にボヤける真っ赤な花の衝撃、そしてその先の景色についてここで書いてしまうのは、あまりにももったいない。文字には映像にはできない文字なりのやりかたがあるからその安易なやりかたを採用していうならば、ここには鈴木清順も加藤泰もストローブ=ユイレもアンゲロプロスもエドワード・ヤンもホン・サンスも、ぎゅうっと凝縮されたかたちで、みんないる。法事だから、生きてる者も死んでる者も集まってくるのになんの不思議もない。いちばん重要なのは、おそらく自他ともに小津安二郎の弟子だと任ずるどんな映画作家の撮った作品よりも、たぶんそんなことはこれっぽっちも考えていないだろう只石の撮った「Future tense」のほうが、はるかに小津ってるって事実なのだ。ジャームッシュもペドロ・コスタもカウリスマキもどうせまだ「Future tense」を見ていないだろうが、小津はパンクだ、なんてセリフは、「Future tense」を見てから言ってほしいもんだね。

それにしてもどうしてこんな映画が撮れてしまうのか、という(あるひとからわたしに実際に投げかけられた)問いに対しては、そういうひとなんですよ、と(わたしが実際にそのひとにそう答えたように)答えるしかないわけだけど、わたしにとってのいちばんの謎は、2013年にこんな作品を撮っておいて、どうしてどこにも出さずに3年も4年もほったらかしておくことができたのか、だ。それこそ2015年の山形で上映されてもよかっただろうに。

只石が不在だった(という言い方が失礼なのは百も承知で)この数年間に、たいして実力もないのになんとなく雰囲気で注目されたいくつかの映画監督や、自分がより都合よく食っていくためだけにそうした連中を過剰に持ち上げた幾人かの批評家がいたに違いないと思うと、それが誰かは具体的にわからぬまま、いまでもはらわたが煮えくり返る思いがする。

只石を黙殺して絶望を抱かせてしまったということだけでも、実作者、批評家、制作まわりともども、日本映画は全身全霊で少しくらいは反省してほしいと思ってるのだけど、恨み言は言うまい。

そのかわりにこう言おう。わたし自身に向けて。只石監督に向けて。そしてなによりも、なにか突き刺さるような映像を心底から求めているあなたに向けて。いまからでもまだ、遅くはないんだぜ、と。

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二人(以上)が喋ってる。
Posted by: 鈴木並木 SUZUKI Namiki (→Profile)

ポレポレ東中野でついに公開中の小森はるか「息の跡」を見た! 「!」をつけるようなおおげさな類の映画ではないと思うかもしれないけれども、その意味はそのうちわかる、ようにこれから書いていく!

昨年3月、新文芸坐で1回だけ上映されたときに初めて見た。で、そのときは、極度に誇張された抑揚だとか様式化された身ぶりと口調だとかについて書いた(→☆)。

それから半年くらいたって、批評誌「ビンダー」の連載時評で2016年秋までの時点の日本映画を振り返ったとき、「息の跡」にも言及した。そしてそこでは「もともとナチュラルに芝居がかっているひと、そうしなければ生きられないひと、自分自身のその性質に気付いてすらいないひと、がいる。」と書いた。しかしそのフレーズは、岡本まな「ディスタンス」と森達也「FAKE」についてのもので、「息の跡」のことは念頭に置いていなかったのだった!

そうして「息の跡」を再見する! 追加撮影がおこなわれたうえで再編集され、2016年春のヴァージョンから15分くらい短くなっていた。旧ヴァージョンのオープニング、最初に出てくる言葉はたしか、種屋の佐藤さんがカメラ=小森のほうに棒(先端部分に顔の絵のようなものが描かれている)を突き出しながら、「へのへのもへじだぁ!」と言い、小森が短く「ふふふっ」と笑うというもの。

劇場公開版は、佐藤さんの職場である種屋の様子、そこで仕事しながらの佐藤の言葉、そして小森の反応から始まる。
「植物も人間も同じよ。寒いと死ぬ」
「23歳? 豆粒だ」(小森の歳を訊ねて)
「結婚して終わりじゃないのか、女の子は?」(小森が「終わらない!」と返す)

遅刻して教室に入ってきた学生のようにあわててこれらの言葉をメモしながら、ああでも「へのへのもへじ」から始まらないのか、とちょっと残念に思っていると、これらの会話のやり取りに続いて、あの「へのへのもへじだぁ!」が来る。そうか、こうつながっていたのか。知らない土地を歩いていて、不意に見慣れた場所に出たような感覚。

初見でも強く印象付けられた佐藤さんの英語の朗読(「ケッセン・ダマシイ!」)や、カメラ=小森に向けてだったり、向けられてではなかったりする言葉。初見から1年弱たって、2016年を通り過ぎてみると、佐藤さんも「もともとナチュラルに芝居がかっているひと、そうしなければ生きられないひと、自分自身のその性質に気付いてすらいないひと」たちの近くにいるひとりなんだと気付く。つまり2016年ごろの日本(映画に出てきた)人がここにいる。

2016年春版ともまた違う編集だったという2015年秋の山形上映ヴァージョンは見ていないのだけど、それにしても、今回の劇場公開版のためにほどこされた編集の効果はめざましい。街道と店の位置関係は絶え間ない車の通過音によってくっきりと際立ち、カメラ=小森の存在が強調されることでドキュメンタリストとしての佐藤さんの姿も自然と浮かび上がり、そして映画の最初と最後で佐藤さんと小森の言葉が期せずして響き合うのだから、もう……。もちろん「期せずして」ではない、響かせようと思って作って、それがきちんと響いてる。

−−−

翌日。トーマス・ヴィルテンゾーン「ホームレス ニューヨークと寝た男」を見る。原題「Homme Less」じゃなにがなんだかわからないからとの判断でのこの邦題なんだろうけど、こぎれいな格好をしたロマンス・グレーのイケメンのファッション写真家が、実は家がなくて、ビルの屋上で寝泊まりしているという「実は……」系のドキュメンタリー。

「息の跡」の佐藤さんもだけど、こちらの主人公マーク・レイも、しゃべる、しゃべる。同じくらいよくしゃべる。これだけ自分からいろいろしゃべってくれるんだったら、カメラを回しさえすれば映画の2、3本、すぐにできてしまうのではないかとうっかり思ってしまう。けれどもふたりのしゃべりの性質は明らかに異なっている。ように見える。

自分ひとりではとても消化しきれない大きなトラブルを経験したとき、それを言葉にしたり、文字に書き残したり、あるいはただカメラの前にわが身をさらしたりすることで、大きなかたまりが少しずつ砕かれていくように、あるいは石鹸が小さくなっていくみたいに、苦しみが吸いとられ、軽減していくことはありうるだろう。笑い飛ばす、というやりかたもある。すべて、広い意味での知性の営みだろうと思う。

マーク・レイはどうか。ちょっと変わった生活を軽やかに楽しんでいる快活なニューヨーカーに見える。モデルからフォトグラファーへの転身。しかし住む家はない。ジムのロッカーに私物を押し込み、ショウ・ウィンドウを鏡がわりに髭を剃る。そんな暮らしも「選択と結果、選択と結果、その積み重ねとしての、いまだろ?」なんて、肩をすくめて肯定しそうなキャラクター。

映画が進んでいくにしたがって、そんな暮らしも決して気楽なだけのものではないことがわかってくる(当たり前だ)。住む家がないのはマンハッタンの家賃があまりに高くて払えないからだ。イケメンならではの軽い女性不信があるようだし、誰かに頼るのも苦手。夜、ビルの屋上の寝床の中での独白、日中とは別人のような疲れはてた顔を見せる。この「おいしい」ショットを、わたしは見たくなかった。自分自身のその性質に気付かぬまま、いつまでもナチュラルに芝居がかっていてほしかった。

種屋の佐藤さんとマーク・レイは、過去・現在・未来ともおそらく面識は持つことはないと思われるが、立て続けにふたりを見てしまったあと、想像の中で、任意にふたりの人生を入れ替えてみるのはわたしの勝手だ。もし、陸前高田の種屋がロマンス・グレーのイケメンで、ニューヨークの写真家がひとなつっこい思索家だったら。そしたらふたりは、どんな芝居を見せてくれただろうか。

−−−

その2日後くらいに、アーサー・ペン「奇跡の人」を見る。

地震と津波で店を失った佐藤さん。見ようによっては自発的にホームレス生活をしているマーク・レイ。ふたりを重ねたり、その心痛を比較したりするのは不謹慎というか不適当なふるまいだったなと、ヘレン・ケラーの三重苦に思いを馳せる。いやしかし、たまたま同じ週に見たというそれだけの理由で、3人を強引に関連付けてみることこそが誠実さというものではないか、と逆ギレ気味に考えもする。

だいぶ以前にTVで録画したものを見たっきりだけど、それでもW-A-T-E-Rのくだりと、ヘレンとサリヴァン先生のダイニングでの死闘はよく覚えていた。今回それ以上に印象深かったのは、言葉(を使って世界を認識する方法)をヘレンに教え込もうとするサリヴァン先生の妄執ぶりで、goodを教えるときには自分の顔一面に笑みを浮かべてそれをヘレンに撫でて覚えさせ、badの際には悲しげな表情を作ってそれを手で認識させる。

あっここにも、(よりよく)生きるためにナチュラルに芝居がからざるをえないひとがいる、と思った。極度に誇張された身ぷり、言葉へのやや過度の信頼。サリヴァン先生もマーク・レイも、こうして2016〜2017年ごろの日本映画のある種の人物たちと通じ合っている。そういえば「息の跡」も「奇跡の人」も、井戸(=イド!)の映画であり、対して、ニューヨーカーのマーク・レイの屋上の住処には井戸(=イド!)はもちろん、水道もない。彼にとって水とは、使うそのたびごとにポンプをぎーこぎーこして汲み上げるものではなく、あらかじめ一定量ごとのかたまりをスーパーで買い求め、枕元に備えておくものなのだ。

ところで、ウォーウォーと言葉以前の言葉をひたすら高速のビートに乗せて発し続ける、「奇跡の人」という名前のハードコア・パンク・バンドがあったら面白い、と考えたことがあったのを、15年ぶりくらいに思い出した。

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2016年の映画など
Posted by: 鈴木並木 SUZUKI Namiki (→Profile)

2016年にスクリーンで見た映画の中から、よかったものを。並びは見た順。

ライアン・クーグラー「クリード チャンプを継ぐ男」
リドリー・スコット「オデッセイ」
小森はるか「息の跡」
三宅唱「無言日記2014」「無言日記2015」
リッチ・ムーア&バイロン・ハワード「ズートピア」
パトリシオ・グスマン「チリの闘い」
瀬尾光世「桃太郎 海の神兵」
岡本まな「ディスタンス」
黒川幸則「ヴィレッジ・オン・ザ・ヴィレッジ」
チャン・ダーレイ「八月」

こういうベスト10ものは、自分の映画的信念に忠実に、ってこととかよりも、ほかのひとと似たようなセレクションにならないように、のほうを重視して選びますので、どうしても作為的な感じにはなりますが、かといって「シン・ゴジラ」や「この世界の片隅に」や……(中略)……はどんなふうに選んでもそもそも入りませんので、そういう意味では、素直に選んでいます。

この10本全部に共通する特徴はとくにありませんが(そんなものあるわけない)、ここ数年、いわゆる「お話」には飽きている、というか、そういうのはある特殊なアメリカ映画がやればいいんじゃないかとなんとなく思っているってのはあります。しかし、そのことと、今回挙げた日本映画の多くがいわゆるドキュメンタリーに分類されることとは、おそらくそれほど直接的には結びついていません。

つまり、お話に飽きたからドキュメンタリーに興味が移りつつあるとか、そういう単純なアレではない。「チリの闘い」はもちろんのこと、「息の跡」も「ディスタンス」も、それぞれ「お話」の映画だと思っていて、語られ方におおいに魅力を感じている、ということなのですが……とはいえ、それに関する自分の気持ちをうまく説明する言葉はまだ見つかっていません。

一応、上記のものとあんまり差はないけど同じくらいよかったので、以下あたりもメンションしときたい。順不同。

「ミュータント・ニンジャ・タートルズ 影」
「死霊館 エンフィールド事件」
「ブリッジ・オブ・スパイ」
「風の波紋」
「Don't Think I've Forgotten: Cambodia's Lost Rock & Roll」
「トランボ ハリウッドに最も嫌われた男」
「幽霊」(大西健児)
「沒有電影的電影節」

短篇は、アッバス・キアロスタミ「24 Frames」。

あと、2015年のベストのときに触れておくべきだったけどなぜか度忘れしていた「Re: play 1972/2015―「映像表現 '72」展、再演」(東京国立近代美術館)に、いまさらではありますが2015年の特別賞を。

話のついでに。あいかわらずほとんど美術展には行ってませんが、そのなかでも「生誕300年若冲の京都 KYOTOの若冲」(京都市美術館)と、「THE PLAY since 1967 まだ見ぬ流れの彼方へ」(国立国際美術館)は、見といてほんとよかったな。

最後になりますが、夏に雑誌「トラベシア」を出したのはすごく勉強になりましたし、いろいろおもしろかったです。お買い上げくださったみなさま、関わってくださったみなさま、どうもありがとうございました。2017年の夏までには第2号を出したいと思います。またそのうちお知らせしますので、どうぞよろしくお願いします。

2017年がわたしとみなさまにとってより良い年になることを祈りつつ。
 

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不自然なひと皿
Posted by: 鈴木並木 SUZUKI Namiki (→Profile)

前田亜紀「カレーライスを一から作る」(→☆)。見終えてしばらくたってから、タイトルの意味がじんわりと時間差で効いてきた。

探検家の関野吉晴が武蔵野美術大学でゼミを持っている。なんで探検家がムサビで教えてるのかはともかく、このゼミでは9か月かけて、稲を植え、野菜を育て、スパイスを栽培し、ホロホロ鳥と烏骨鶏を飼い、海水から塩を精製し、それらを材料にカレーライスを作った。皿も自分たちで粘土をこね、大学の庭で野焼きする。

こういう場合、油断しているとついつい話がスピリチュアルな方向に行きがちなのでどうしても警戒してしまうんだけど、この映画、生命の大切さみたいな話題は当然出てくるものの、全体の雰囲気はなんというかもっとこう、即物的だ。つべこべ言わずに毎日確実にそこにあるなにかを食べ続けないと自分が死ぬ、そういう場所を通り過ぎてきた人間ならではの言葉。理屈はまず生き延びてから。

啓蒙したりされたりするのが好きなもんで、ちょこちょこ伝えられるいろいろな知識が楽しくて仕方がない。ついついメモをとる。たとえば……
・四つ足の動物は法律上、家では殺せないことになっている。(→あとで調べたら、屠畜場法で細かく決まっているようだ)
・最近よく出回っている野菜などの種をまいて育てて収穫しても、そこには種はできない、一世代限りのものが多い。(→無限に種がとれてしまうと種屋が儲からないから。また、特定の農薬に強いよう品種改良したりしている)
・コリアンダー(パクチー)は10世紀ごろには日本にあった。(→そうなの?! 和食に使われてるイメージないけど)
・ダチョウは餌付けが難しい。光るものが好きなので、銀色の皿やスプーンにエサを乗せて気を惹き、食べさせる。
・ジャガイモは原産地の南米では1000種類くらいある。アイルランドでは1種類しか輸入しなかったところ、病気が起きて全滅した。たくさんの種類があればひとつの種類が全滅しても飢え死にしない。多様性は大事。

関野はおおげさな理念を語りはしない。ひたすら具体的な作業が積み重ねられる。というか、そこを追うだけでいっぱいいっぱいといった感もある映画ではある。毎日面倒を見なくてはいけない鳥はもちろん、畑にしても田んぼにしても、週に1度行けばいいようなものではないはずだが、本当に学生たちだけで育てたんだろうか?

まあそれはいい。関野は、自分でやってみることの効用について、「なんでも自分でやると注意深くなる」と指摘する。そう言われたら、こちらも少しは自分なりに、注意深く考えてみざるを得ない。カレーライスの不自然さについてだ。すると、カレーライスは簡単な料理であるとの美しい誤解を、関野も、そしてこの映画も、うまく利用しているのだと気付く。

たしかに、現代日本のごく一般的な家庭のカレーライスは、具材(標準的にはジャガイモ、玉ねぎ、ニンジン、肉あたりか)を炒めてしかるのちに茹で、そこに市販のルウを入れてしばらく煮込めばできあがる。小学生でもなかなか失敗することは難しい。

で、ここから先は個人差が出る部分になるんだけど……自分自身のことを書くと、もはやここ10年くらいはルウを使って作ることすらしていなくて、家ではレトルトばかり食べている。ご存知の通りハチ食品のグリーン・カレーやキーマ・カレーは、ヘタするとお店で食べるものより美味しかったりする。食に対してどちらかといえば異様に怠惰な部類に属するわたしの対極に、文化系オシャレカレークソ野郎どもみたいな人種がいらっしゃる(批判的な意図はない)。

文化系オシャレカレークソ野郎どもみたいな人種(批判的な意図はない)だったら、ルウに相当するもの(つまり、カレーライスをカレーライスたらしめる部分だ)を、材料を育てるところから自分でやるなんて手間がかかりすぎて無謀だと最初から見抜くに違いない。 わたしは映画の最後も最後、実際にカレーライスが作られている段になってようやく、あれっ見かけがなんかカレーっぽくないし、味もあんまりちゃんとついてないみたいだぞと気付いた始末だ。

カレーライスのキメラ性について。そもそも古来から現代に至るまで、自分の土地および近隣でとれたものだけを使ってカレーライスをつくっていた時代ないしは民族が、どれだけあっただろうか。日本にジャガイモが渡来したのは16世紀以降。豚や牛が広く食べられ出したのはもちろんもっと後年の話。カレーライスといえばインドなんじゃないか、との短絡的に発想してみて、でもちょっと考えると、ヒンドゥー教徒はビーフ・カレーは食べないだろう。となると完全地産地消のカレーライスは、インドあたりの野菜カレー、豆カレーくらいか。タイもそうなのかな。

シンプルな印象に反して意外にも高度に人工的で複雑、言ってみれば不自然な食べ物である日本のカレーライス。そのすべての材料を自力で調達してつくることを、さも人間本来の自然な姿であるかのようにみなすのは、そもそも存在すらしていない架空の原点を「伝統」と呼び、そこに強引に回帰しようとするネトウヨにも似たメンタリティーだ。

非現実的な目標設定や巨大な外敵の出現によって集団の結束が固まることはよくある。この映画は、美大生らしさ皆無の素朴な顔立ちの学生たちが、たいして美味しそうにも見えないカレーライスに釣られてあちらこちらへ連れ回され、踊らされた記録に見えなくもない。しかし関野はネトウヨ団体のリーダーでもないし、新興宗教の教祖でもない。ここに映っているのは、実践的な行為に裏付けされた知の姿であり、(大学)教育の可能性なのだ。

最初のほうで触れた、種の話を例にとろうか。花にしろ野菜にしろ、育ったら種がとれて、その種をまけば翌年、同じものを育てることができる、というのがわたしたち(園芸に親しんでいるひと以外の)が植物に対して持っている基本的なイメージだと思う。ところがもう、必ずしもそうじゃないのだ。と聞かされると、子供のころに持った疑問……種なしスイカって種がなかったらどうやって増やすんだ? が数十年ぶりに頭に浮かび、そしてその疑問が、単語としては知っていた、遺伝子組み換え植物やらモンサントやらと急激に結びつく。モンサントって……あれか、ニール・ヤングがめっちゃ怒ってるやつだ!

そういえば今年は「息の跡」という種屋を舞台にした映画でも、こんなふうに知識が立体的にもたらされているのを見ましたっけね。「カレーライスを一から作る」の醍醐味はこうして具体的に生きている知のかたちを見ることであって、それと比べたら、食べることの倫理観や生命の尊さなどはまったくもって些事に過ぎない。

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Why I Want to Write about Cinema / What is Exciting in Asian Cinema Today
Posted by: 鈴木並木 SUZUKI Namiki (→Profile)

"Why I Want to Write about Cinema"

What can we do for cinema with words? That's what I'm asking myself when I write about cinema. Words don't reproduce an actress's smile on a piece of paper nor sway the leaves on the trees. Still something can be moved when words are there. Without words, a movie can't be anything other than a movie. It's words that connect a movie with another movie and help it find a proper place in history. And on the top of all of that, it's words that introduce a movie to the audience.

I don't think that only works of criticism should be responsible for this important role. In an age like this, when all information seems revealed and immediately widespread, no critics can have mythical privileges. First of all, not everyone can be a critic nor have to be. Instead, we have various types of words. Big words, little words ("I love it"), tweets, retweets, articles in magazines, phone conversations, even chatter over coffee. No matter how the way or the form is. The more we talk or write about it, the richer the world of cinema gets, both culturally and economically.

Some might say that it leads to nothing but utter chaos. I have to admit it. What I would like to do is to watch this chaos closely and give it an appropriate name. For example, everyone has been noticing that the way to express love for films is getting freer and freer these years. It's partly because someone saw what others did on the internet or something and then decide to go further. It's a sort of a huge-scale collective creation. A friend of mine loved Mad Max: Fury Road so much that she made a scarecrow modeled on Immortan Joe for the scarecrow competition in her town last year. This was direct, humorous, visual, three-dimensional, physical, touchable and touching at the same time. It is an act of love, a re-creation of the film, and I dare say, a work of criticism as well. (She made a Shin Godzilla scarecrow this year)

Originally from a film, it went further where no one would expect it to be. I felt so envious of her scarecrow. I hope what I write to be like that. Also, as I believe that the act of criticism should be collective creation like all the films are so, it ain't necessarily me who does it. Words are to communicate. Writing about cinema, with words, is not only for cinema itself but also for someone who reads it as well.

"What is Exciting in Asian Cinema Today"

It is my regret to inform you that I have never been excited by "Asian Cinema". Although there are so many exciting movies made in Asia, by Asian directors, from Asian countries, in Asian languages, with Asian actors and so on, what is exciting always lies far from brutal generalization.

Asia is so huge that the concept of "Asian Cinema" should be differnt from "European Cinema". But with its cultural and linguistic diversity, the ideal Asian cinema could be without any border like no other cinemas on earth could. And it will shake the concept of Asia itself. There has already been some good examples; In Another Country by Hong Sang-soo, Like Someone in Love by Abbas Kiarostami and Norwegian Wood by Tran Anh Hung to name a few.

As we all can communicate in the language called cinema (with an Asian accent perhaps?), I don't care of the language of a film much. Still, for the love of my own mother tongue, I have vaguely been dreaming of a Japanese-language movie with all non-Japanese cast. It may sound silly but Americans have been doing this for many decades. Why shouldn't we Asians do the same?

*These essays were written for applying for a film criticism workshop.

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なぜ映画について書こうとするのか/アジア映画の興奮
Posted by: 鈴木並木 SUZUKI Namiki (→Profile)

○なぜ映画について書こうとするのか

言葉によって映画のためになにができるだろうか。映画について書くとき、いつもそんなことを考えています。言葉では女優の微笑みを紙の上に再現することも、木の葉を揺らすこともできません。それでも、言葉がそこにあるとき、なにかが動くことはあるような気がします。言葉なしでは、映画はただの映画にすぎません。ひとつの映画をほかの映画と結びつけ、歴史の中にきちんとした居場所を見つけてあげられるのは、言葉です。そしてなによりも、ある映画を観客に届けるのが、言葉の仕事なのです。

単に批評だけがこの重責を担うべきではない、と思います。あらゆる情報が明るみに出され、瞬く間に拡散する現代においては、どんな批評家も神話的な特権を持つことはできません。そもそも、誰もが批評家になれるわけでもなければ、その必要もない。そのかわりに、わたしたちはさまざまな種類の言葉を持っています。おおげさな物言い、さりげない言い方(「これ好きだなあ」)、ツイート、リツイート、雑誌の記事、電話での会話、コーヒーを飲みながらのおしゃべりだっていいのです。どんな形式だってかまわない。わたしたちが話したり書いたりすればするほど、映画の世界は、文化的にも経済的にも、豊かになっていきます。

そんなもん、ただ大混乱を招くだけだと言うひともいるでしょう。たしかにそりゃそうです。わたしがしたいのは、この混乱をよく観察して、正しい名前をつけてやりたいということです。たとえば、みなさまお気づきのとおり、ここ数年、映画への愛を表現するやり方がどんどん自由になってきています。理由のひとつとしては、誰かがやったことを誰かがインターネットかなにかで見て、よっしゃこっちはもっとやったる、と腹をくくるということがあるのでしょう。ある意味で、巨大なスケールの集団創作だと言えます。去年のことですが、わたしの友達で「マッドマックス 怒りのデス・ロード」が好きすぎて、イモータン・ジョーのかかしを作って町内のかかしコンクールに出品したひとがいました。これは直接的で、ユーモアに満ちていて、目に見える形をしていて、3Dで、物質的で、手で触ることができると同時に琴線に触れてくるものでした。愛の行為であり、映画を作り直すことであり、あえて言うなら、批評でもあります。(ちなみに彼女は、今年のコンクールにはシン・ゴジラを出品しました)

映画から出発して、誰も予期していなかった遠いところまで行ってしまった彼女のかかしを、うらやましく感じました。わたしの書くものも、そんなふうだったらいいなあと思います。また、わたしは、映画が集団による創作物である以上、批評行為もそうあるべきだと信じていますので、必ずしも自分がやらなくてもいいと思っています。言葉はコミュニケーションするためのものです。言葉を使って、映画について書くことは、映画自体のためだけではなく、それを読むひとのための行為でもあるのです。

○アジア映画の興奮

申し上げるのはたいへん心苦しいことながら、「アジア映画」などというものに興奮を覚えたことは一度たりともございません。たしかに、アジアで作られた、アジアの監督たちによる、アジアの言葉を使っている、アジアの役者が演じる、そうした類のたくさんの刺激的な映画があるわけですが、興奮は常に、乱暴な一般化を超えたところにあるものなのです。

アジアはバカでかいので、「アジア映画」の概念は「ヨーロッパ映画」とは異なってくるはずです。とはいうものの、文化的・言語的な幅広さによって、アジア映画は、地球上のどんな映画もなしえなかったようなやりかたで境界を無効化することができることでしょう。そしてそのとき、アジアとはなにか、の概念自体にも揺らぎが生じるものと思われます。すでにわたしたちはいくつかの好例を知っています。ホン・サンス「3人のアンヌ」、アッバス・キアロスタミ「ライク・サムワン・イン・ラブ」、トラン・アン・ユン「ノルウェイの森」など。

わたしたちはみな映画という言葉(いくらかアジア訛りがあるでしょうかね)で話をするわけなので、あるフィルムでどこの言語が使われているかということはあまり気にしていません。それでもなお、自分の母語へは愛着みたいなものがあるもので、わたしはずっと、非日本人ばかりのキャストによる日本語映画、というものをずっと夢見ているのです。バカバカしい考えだと笑われるかもしれませんが、アメリカ人は何十年も同じことをしてきてますよね。だったらアジア人がやっちゃいけないなんてことはないと思っています。

*映画批評ワークショップの応募用に書いた作文。

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