2010.01.31 Sunday 16:32
今日のこの記事の件名は、あるちょっとした思い付きにひとつフックを加えて興味を持ってもらおうという、要するにいつもやっている方便。もすこしくだけた言い方で表現するならば、「新春!夢の2本立て」とかそういったものになるはずで、というのは、その思い付きというのが、1964年の日本映画からとりあえず10本を選び出してある断面を示し、それを、「キネマ旬報」認定による同年のベストテンと比較検討してみようというものだから。
「キネマ旬報」の選ぶ1964年度の日本映画のベストテンは、以下のとおり。
1 勅使河原宏「砂の女」
2 小林正樹「怪談」
3 木下恵介「香華」
4 今村昌平「赤い殺意」
5 内田吐夢「飢餓海峡」
6 今井正「越後つついし親不知」
7 山本薩夫「傷だらけの山河」
8 豊田四郎「甘い汗」
9 今井正「仇討」
10 松山善三「われ一粒の麦なれど」
わたしは3と7と9は見てないのだけど、まあ、これはこれで立派というか、ある見識は感じられるというか、そういったリスト。とはいえ、東京でオリンピックが開かれ、ベルリンでエリック・ドルフィーが他界し、イギリスではデイヴィ・グレアムが『フォーク,ブルーズ&ビヨンド』を世に問うた年を代表させるには、ほかならぬその“&ビヨンド”の部分が決定的に欠けているリストなのではないかと指摘することは、圧倒的に正しい。たぶん。
メインストリームのないところにはオルタナティヴもありえないわけなので、キネ旬さんを敬意とともに仰ぎ見つつ、いたんだ果実の香りみたいに強烈に鼻を突く64年の高貴な腐臭を、たとえばこんな10本で代表させてみることもできる。(順不同)
・羽仁進「手をつなぐ子ら」
・加藤泰「車夫遊侠伝 喧嘩辰」
・蔵原惟繕「黒い太陽」
・市川崑「ど根性物語 銭の踊り」
・深作欣二「狼と豚と人間」
・山内鉄也「忍者狩り」
・前田陽一「にっぽんぱらだいす」
・和田嘉訓「自動車泥棒」
・土本典昭「ドキュメント 路上」
・須川栄三「君も出世ができる」
崩壊と拡散。もとより加藤泰がなぜこれなんだとの反論はあるだろうし、この年エロい映画をやたらと撮っていた中平康を無視するのも忍びないし、やたらと撮っていたといえば井上梅次は1年間で5本撮っているし、さらに、もしわたしがピンク映画をきちんと見たならばこのリストは容易に書き換えられるはず。だからこれはいつまでも未完成のままとどまり続けることが望ましい。
そして、なぜ1964年か、ということなんだけど、それについては、わたしはエレキ・ベースの入ったジャズと薄汚いヒッピーが嫌いだ、とだけ言っておけば、わかるひとにはそれで充分のはず。いちばん最後に、この日記をしめくくるべく、この年に亡くなったいかにもなモダニストの名を挙げられれば、と思うのだけど、グル・ダットもコール・ポーターも佐田啓二もピーター・ローレも、帯に短し襷に長しといった感じである。鉞。
「キネマ旬報」の選ぶ1964年度の日本映画のベストテンは、以下のとおり。
1 勅使河原宏「砂の女」
2 小林正樹「怪談」
3 木下恵介「香華」
4 今村昌平「赤い殺意」
5 内田吐夢「飢餓海峡」
6 今井正「越後つついし親不知」
7 山本薩夫「傷だらけの山河」
8 豊田四郎「甘い汗」
9 今井正「仇討」
10 松山善三「われ一粒の麦なれど」
わたしは3と7と9は見てないのだけど、まあ、これはこれで立派というか、ある見識は感じられるというか、そういったリスト。とはいえ、東京でオリンピックが開かれ、ベルリンでエリック・ドルフィーが他界し、イギリスではデイヴィ・グレアムが『フォーク,ブルーズ&ビヨンド』を世に問うた年を代表させるには、ほかならぬその“&ビヨンド”の部分が決定的に欠けているリストなのではないかと指摘することは、圧倒的に正しい。たぶん。
メインストリームのないところにはオルタナティヴもありえないわけなので、キネ旬さんを敬意とともに仰ぎ見つつ、いたんだ果実の香りみたいに強烈に鼻を突く64年の高貴な腐臭を、たとえばこんな10本で代表させてみることもできる。(順不同)
・羽仁進「手をつなぐ子ら」
・加藤泰「車夫遊侠伝 喧嘩辰」
・蔵原惟繕「黒い太陽」
・市川崑「ど根性物語 銭の踊り」
・深作欣二「狼と豚と人間」
・山内鉄也「忍者狩り」
・前田陽一「にっぽんぱらだいす」
・和田嘉訓「自動車泥棒」
・土本典昭「ドキュメント 路上」
・須川栄三「君も出世ができる」
崩壊と拡散。もとより加藤泰がなぜこれなんだとの反論はあるだろうし、この年エロい映画をやたらと撮っていた中平康を無視するのも忍びないし、やたらと撮っていたといえば井上梅次は1年間で5本撮っているし、さらに、もしわたしがピンク映画をきちんと見たならばこのリストは容易に書き換えられるはず。だからこれはいつまでも未完成のままとどまり続けることが望ましい。
そして、なぜ1964年か、ということなんだけど、それについては、わたしはエレキ・ベースの入ったジャズと薄汚いヒッピーが嫌いだ、とだけ言っておけば、わかるひとにはそれで充分のはず。いちばん最後に、この日記をしめくくるべく、この年に亡くなったいかにもなモダニストの名を挙げられれば、と思うのだけど、グル・ダットもコール・ポーターも佐田啓二もピーター・ローレも、帯に短し襷に長しといった感じである。鉞。







たぶんその事件自体はすぐに古くなるだろうし、そして/それに、じきにまた同じような事件が起こるに決まっているからとりたてて個別の問題として考えなくてもいいと思うんだけど、大家族を取り扱ったテレヴィ番組にしばしば登場するらしいとある大家族のお母さんが、実際の家族の姿とは正反対の印象を与えるべく操作された映像が放送された、とブログにて憤っていた。
いつごろからだったろうか、石炭文化や炭鉱に興味を持ち始めたのは。思い返してみても、個人的な生い立ちやら後天的な趣味趣向やらがぐちゃぐちゃにからみあってうまくときほぐせそうにないのだけど、限られた字数でできるだけ事情をすっきりさせてみよう。まず、わたしの祖父(父方の父)は旭川出身で、とくに炭鉱とは縁のない暮らしをしていたということがまずひとつある。2番目に、わたしがヴェルヴェット・アンダーグラウンドのメムバーの中でいちばん好きなのはジョン・ケイルで、彼の父はウェールズで炭鉱夫をしていたという噂があったがそれはどうやらガセだったという話。次に、カナダ出身のゲス・フーというバンドが昔いて、彼らがロックを志す前の職業は炭鉱夫ではなくきこりだったそうだ。そして最後に、NYPD(ニューヨーク市警)のアイルランド人はほぼ全員警官であるという事実。これらの理由が重なって、おもに映画の中の石炭表現に惹き付けられるようになった。
ゼロ年代ベストテン的なもののつまらなさは、すべてのベストテン的なもののつまらなさと共通していて、つまりはどうしたって教条主義的にならざるを得ないことだとおもうので、それに対抗して、ゼロ年代の映画10本を極私的に選出。順不同。選考基準は、なにも見ずに思い出せた7、8本、プラス、ひとさまが書いててそういえばそれもあったわ、と気付いた3、4本、マイナス、あふれてしまった1、2本。「ムーラン・ルージュ」「スパイダーマン2」「ニワトリはハダシだ」「チャーリーズ・エンジェル フルスロットル」「レフト・アローン」「blue」「ゴーストワールド」「デス・プルーフ」「子猫をお願い」「宇宙戦争」。めんどくさいので個別のコメントはしませんが「レフト・アローン」だけ1回しか見られてないのが心残り。