Eat Much, Learn Slow (& Don't Ask Why)

calender entry comment trackback category archive link
「映画のポケット」Vol.67「憧れのバブルTOKIO late 80s→early 90s」
Posted by: 鈴木並木 SUZUKI Namiki (→Profile)

☆Vol.67「憧れのバブルTOKIO late 80s→early 90s」

おはなし:原田和典、寺岡裕治
進行:鈴木並木

2017年06月17日(土)19時〜21時(延長はなるべくナシの予定)
@阿佐ヶ谷・よるのひるね [HP]
参加費500円+要1オーダー
参加自由/申し込み不要/途中入場・退出自由

☆入場時、鈴木に参加費500円をお支払いください。そのうえでお店の方にフードやドリンクのご注文をお願いします。

−−−

☆原田和典 [twitter][ブログ]
1970年北海道生まれ。89年、夢と希望を胸に“花の都 大東京”へ。地元では「東映まんが祭り」ぐらいしかなかったので、映画館の多さに驚き、年200本ぐらい見まくった時期もある。その間、ジャズ雑誌の編集長になったりやめたりもしたが、今は「雑文エンターテイナー」という分野を自分勝手に切り開き中。永野芽郁のファン。

☆寺岡裕治 [twitter]
1977年生まれ、東京都出身。映画に関する書籍、雑誌、ムックの編集・執筆ほか。

−−−

80年代のバブルTOKIOを原田さんは北海道から、わたしは北関東から、寺岡さんは三多摩から、遠く近く仰ぎ見ていたわけですが、そんな3人が2017年某日、新宿に集まり、80年代後半から90年代前半の東京の映像でもう一度きゅんきゅんしたい! と気炎を上げたのが「憧れのバブルTOKIO late 80s→early 90s」のきっかけです。

しばしば、斜陽、解体、どん底、暗黒時代、などなどとさんざんな言われようをした(している)当時の日本映画に本当はなにが映っていたのか? 日本には、都市に対して批評的な映画は本当になかったのか? などと堅苦しく見るもよし、当時のファッションやメイクに赤面するもよし。当時を知るひとにはむずがゆくも懐かしく、知らないひとにはムダにキラキラと輝く、憧れのバブルTOKIOへようこそ。

今回はみなさまからの持ち込みを歓迎いたします。バブルTOKIOの映画やTVのVHS(録画・セルどちらでも可)、当時のグッズをお持ちくださった方には、内容に応じて入場料キャッシュバックなどの特典も(審査あり)。とくにVHSは、みんなで見てみたいので遠慮せずにお持ち込みください。また、にぎやかしにバブル期のファッションでのご来場も歓迎です。その場合、現代風にワンポイントで取り入れるよりもガチなやつのほうがありがたいです(が、各自の判断で)。

(文/鈴木並木)

−−−

☆本篇終了後、おそらく引き続き同じ場所で、2次会があります。ご都合のつく方はこちらもあわせてご参加、ご歓談ください。費用は実費。

告知
comments(0)
-
まだ遅くはない
Posted by: 鈴木並木 SUZUKI Namiki (→Profile)

ついつい北海道のことを考えてしまう。父方の祖父が旭川の出身だから、つまり自分には北海道の血が4分の1入っていることになるわけだけど、いままであまりそれを意識せずに生きてきた。ふと気付くと、親しく口を利いたり、どこかで会ったらあいさつをしたり、あるいはなにかちょっとした頼みごとをしたりされたり、プライヴェイトでそうした関係を持つようになった北海道出身者が6、7人いる。そしてわたしの周りの北海道出身者には、つまらない人間はひとりもいない。

只石博紀がたぶん室蘭の実家とその周辺で撮った中篇「Future tense」を見て最初に思ったのは、岡本まな「ディスタンス」と三宅唱「ザ・コクピット」の真ん中にこれを置いたら、つながらなさそうなその2本がつながるな、ということ。いやしかし考えてみたら「ディスタンス」が函館の映画だってぇのは忘れようもないことだとして、これは忘れていたけど三宅唱は言うまでもなく札幌の出身で、そして近々、佐藤泰志「きみの鳥はうたえる」を(たぶん函館で)撮るらしいわけなので、別に鬼の首を取ったように北海道北海道言わなくてもいいのかもしれない。そもそも室蘭と函館と札幌は別々の場所だろうし。だから北海道の話はここで終わってこの先には出てこない。

「Future tense」に出てくる要素そのものは、わたしたちにも割となじみ深いものばかりだ。夏、法事に集まってくる家族と親族、立木、食事、台所、会話、薬罐、居間、墓参、TV、濃霧。それでいて、これを一度見てしまったらその途端、割と誰もが、あれっ普通の映画ってどんなふうに画面が構造されて、どんなふうに人間が配置されてるんだっけ、とわからなくなって不安に駆られるはずだ。普通の映画はいまやカッコに入って「普通の映画」になってしまう。いままで何百本、何千本、ひとによっては何万本と映画を見てきているわけですから、限界も可能性もみなさんだいたいなんとなくご存知でしょう。だとしたらどんなやり方にもそう簡単には驚かないし騙されない、ましてやこれみよがしの新しさ(だと作り手だけが思っているもの)には厳罰をもって処すぞ、と疑いのまなざしを(わたしに)向けてこられるのもまったくもってごもっとも。しかしわたしは動じませんし翻意しませんよ。

そもそもどんな映画でも、たいていはファースト・ショットがいちばん最初に来るものと相場が決まっている。では「Future tense」のファースト・ショットはどんなだったか。(相対的に)暗い部屋の中から(相対的に)明るい窓の外を撮ったものだ。横長の暗い画面の中央あたりが、縦に明るく白く切り取られる。長いこと縦長の映像を想像したことがなかったらしい(日本語圏の)映画関係の人類にとって、「タテの構図」というのはなぜか前景と後景、つまり画面の手前と奥の関係のことを呼ぶ言葉のようだけど、そのことは知らなくてもいいし、すでにご存知だったら忘れていただいてかまわない。

文字通り縦長の形に光があふれるその次は。どんなだったか。たしか窓から雨の降る外の景色を撮ったものではなかったか。おじぎをするみたいに下の道路に向けてカメラがパン・ダウンするとき、画面の左右には窓枠がほんのわずか、消し忘れたみたいに残ってはしなかったか。

さてその次は。どうやらだいぶ歳を重ねた、女のおばあさんだった気がする。ピントは最初、おばあさんではなくて、彼女の背後の壁際のなにかに合っている。個人的な事情で、1月下旬から眼科に行く回数が増えた。さまざまな検査のひとつとして、機械にあごを乗せてレンズを覗き込み、そのなかの地平線上のバルーンを見る。バルーンはぼやけたりくっきり見えたりする、というのはそう見えるように像が投影されているからだ。たぶんそれに応じて瞳孔が開いたり閉じたりする、それを検査しているのだろう。ちょうどそのバルーンみたいに、女のおばあさんの像がぼやけ、調節されてピントが合う。

こうした、画面の説明から始まるシネフィルっぽい無芸な文章は、若木さん(たしか北海道出身)にバッテンを喰らうタイプのやつだったはずだ。しかし画面の説明をするのがどうしても必要な映画というのが、たしかに存在する。とはいえたいていの映画は、実はたいしてそんな必要はないのだけど、「Future tense」はまさにそれが必要な映画なのだ。

この映画の監督でありカメラマンである只石博紀は、画面に出てくるほかの只石たち同様、多くの時間、自分は四六時中カメラを操作しているわけではありませんよというアリバイ作りの意味も兼ねて、カメラの前や横や背後のあたりをうろうろしているようだ。カメラはそのあいだ、おそらくほったらかされたまま、どこか固い場所の上にいて、めったに動かない。極度に動きの鈍い愛玩動物が家族を記録したら、あるいはこんな映画ができるかもしれない。

何時間ぶんの素材から抽出されたのか知らないが、まったく驚くほかない映像が連続する。たとえば、弟?の奥さん?か婚約者?が、画面中央でものを食う。最初はその部屋にほかの家族が集まっていたのに、おのおのがそれぞれの事情で出たり入ったりしているうちに徐々にひとが減っていき、最終的にはものをもぐもぐしているその女性だけが画面中央に残る。加藤泰のなにかの映画で身じろぎもせず黙々となにかを食べ続ける三原葉子を思い出すひともいるかもしれないけれど、それにしたってこの、弟?の奥さん?か婚約者?の姿勢はいったいどうしたことだ。断言はできないけれども、こんなかっこうでものを食べる人間が映画に出てくることはそうそうないし、ましてやどんな演出家でもこんなふうに芝居をつけることはできないに違いない。姿勢だけではない。ここにしろ、ピンと背筋をのばしてソファに座り、フレームの外のなにか(テレヴィだろうか)を見つめているときにしろ、ふだんいるのではない場所にいるからだろう緊張感が全身から発せられていて、とくになんの説明もないまま、わたしたちに多くの事情を了解させる。

なんの説明もないのは別にこの、弟?の奥さん?か婚約者?についてだけではない。カメラの前をちょろちょろする只石監督の顔をたまたま知っているわたしは、ここは彼の実家なのだろうとなんとなく推測し、であるならば登場人物たちは必然的に家族や親族なのだろうと想像するだけだ。

そういえば前述の「ディスタンス」が初めて?公に上映された2015年の山形国際ドキュメンタリー映画祭では、クロエ・アンゲノー&ガスパル・スリタの「いつもそこにあるもの」、フリア・ペッシュ「女たち、彼女たち」なんて作品もかかっていた。わたしは2本ともあとになってから見たのだけど、どちらも、出てくる人物たちの血縁関係は明示されず、同じ家にいるからにはまあ家族かそれに近いひとたちなんだろうなと思いながら見進めていかざるを得ないような(と説明すればそれで済んでしまう程度の)映画だった。

ついでにいえば、「ディスタンス」では、家族の昔のホーム・ヴィデオが映るパソコンのモニターだったかテレヴィの画面だったかを撮るショットでの、撮られているそのスクリーン上のホコリというか汚れがそのまま映り残っているのが印象的で、同じようなことはたしか小森はるか「息の跡」でも起こっていたのじゃなかったか。「息の跡」もやはり2015年の山形が初の?お披露目だったはずで、そして例によってわたしは山形では見逃しており、最初に見たのは2016年春の新文芸坐でだった。2017年に一般公開されたヴァージョンは2回見た気がするけど、その、汚れだかホコリのカットは残されていたんだったかな? そして「Future tense」では、汚れだかホコリの乗ったガラスと只石自身の体を突き抜けて、動く家族が撮られる。

話を戻して、おばあさんが大根の皮を剥く場面での、画面外から盛大に入ってくる光のせいで台所全体がオレンジ色に包まれる色彩設計に驚いていると、次のカットでは画面の真ん中でストーヴ?に乗っかったカラシ色の薬罐が存在を誇示していて、最初は無人だったその部屋にひとが入ってきたり出て行ったりしてもカメラは動かないから、動かない薬罐はずっと同じ場所にある。そしてここでも弟?の奥さん?か婚約者?はなにかを食べながら、食事の話をしている。

終盤で暴力的にボヤける真っ赤な花の衝撃、そしてその先の景色についてここで書いてしまうのは、あまりにももったいない。文字には映像にはできない文字なりのやりかたがあるからその安易なやりかたを採用していうならば、ここには鈴木清順も加藤泰もストローブ=ユイレもアンゲロプロスもエドワード・ヤンもホン・サンスも、ぎゅうっと凝縮されたかたちで、みんないる。法事だから、生きてる者も死んでる者も集まってくるのになんの不思議もない。いちばん重要なのは、おそらく自他ともに小津安二郎の弟子だと任ずるどんな映画作家の撮った作品よりも、たぶんそんなことはこれっぽっちも考えていないだろう只石の撮った「Future tense」のほうが、はるかに小津ってるって事実なのだ。ジャームッシュもペドロ・コスタもカウリスマキもどうせまだ「Future tense」を見ていないだろうが、小津はパンクだ、なんてセリフは、「Future tense」を見てから言ってほしいもんだね。

それにしてもどうしてこんな映画が撮れてしまうのか、という(あるひとからわたしに実際に投げかけられた)問いに対しては、そういうひとなんですよ、と(わたしが実際にそのひとにそう答えたように)答えるしかないわけだけど、わたしにとってのいちばんの謎は、2013年にこんな作品を撮っておいて、どうしてどこにも出さずに3年も4年もほったらかしておくことができたのか、だ。それこそ2015年の山形で上映されてもよかっただろうに。

只石が不在だった(という言い方が失礼なのは百も承知で)この数年間に、たいして実力もないのになんとなく雰囲気で注目されたいくつかの映画監督や、自分がより都合よく食っていくためだけにそうした連中を過剰に持ち上げた幾人かの批評家がいたに違いないと思うと、それが誰かは具体的にわからぬまま、いまでもはらわたが煮えくり返る思いがする。

只石を黙殺して絶望を抱かせてしまったということだけでも、実作者、批評家、制作まわりともども、日本映画は全身全霊で少しくらいは反省してほしいと思ってるのだけど、恨み言は言うまい。

そのかわりにこう言おう。わたし自身に向けて。只石監督に向けて。そしてなによりも、なにか突き刺さるような映像を心底から求めているあなたに向けて。いまからでもまだ、遅くはないんだぜ、と。

映画
comments(0)
-
二人(以上)が喋ってる。
Posted by: 鈴木並木 SUZUKI Namiki (→Profile)

ポレポレ東中野でついに公開中の小森はるか「息の跡」を見た! 「!」をつけるようなおおげさな類の映画ではないと思うかもしれないけれども、その意味はそのうちわかる、ようにこれから書いていく!

昨年3月、新文芸坐で1回だけ上映されたときに初めて見た。で、そのときは、極度に誇張された抑揚だとか様式化された身ぶりと口調だとかについて書いた(→☆)。

それから半年くらいたって、批評誌「ビンダー」の連載時評で2016年秋までの時点の日本映画を振り返ったとき、「息の跡」にも言及した。そしてそこでは「もともとナチュラルに芝居がかっているひと、そうしなければ生きられないひと、自分自身のその性質に気付いてすらいないひと、がいる。」と書いた。しかしそのフレーズは、岡本まな「ディスタンス」と森達也「FAKE」についてのもので、「息の跡」のことは念頭に置いていなかったのだった!

そうして「息の跡」を再見する! 追加撮影がおこなわれたうえで再編集され、2016年春のヴァージョンから15分くらい短くなっていた。旧ヴァージョンのオープニング、最初に出てくる言葉はたしか、種屋の佐藤さんがカメラ=小森のほうに棒(先端部分に顔の絵のようなものが描かれている)を突き出しながら、「へのへのもへじだぁ!」と言い、小森が短く「ふふふっ」と笑うというもの。

劇場公開版は、佐藤さんの職場である種屋の様子、そこで仕事しながらの佐藤の言葉、そして小森の反応から始まる。
「植物も人間も同じよ。寒いと死ぬ」
「23歳? 豆粒だ」(小森の歳を訊ねて)
「結婚して終わりじゃないのか、女の子は?」(小森が「終わらない!」と返す)

遅刻して教室に入ってきた学生のようにあわててこれらの言葉をメモしながら、ああでも「へのへのもへじ」から始まらないのか、とちょっと残念に思っていると、これらの会話のやり取りに続いて、あの「へのへのもへじだぁ!」が来る。そうか、こうつながっていたのか。知らない土地を歩いていて、不意に見慣れた場所に出たような感覚。

初見でも強く印象付けられた佐藤さんの英語の朗読(「ケッセン・ダマシイ!」)や、カメラ=小森に向けてだったり、向けられてではなかったりする言葉。初見から1年弱たって、2016年を通り過ぎてみると、佐藤さんも「もともとナチュラルに芝居がかっているひと、そうしなければ生きられないひと、自分自身のその性質に気付いてすらいないひと」たちの近くにいるひとりなんだと気付く。つまり2016年ごろの日本(映画に出てきた)人がここにいる。

2016年春版ともまた違う編集だったという2015年秋の山形上映ヴァージョンは見ていないのだけど、それにしても、今回の劇場公開版のためにほどこされた編集の効果はめざましい。街道と店の位置関係は絶え間ない車の通過音によってくっきりと際立ち、カメラ=小森の存在が強調されることでドキュメンタリストとしての佐藤さんの姿も自然と浮かび上がり、そして映画の最初と最後で佐藤さんと小森の言葉が期せずして響き合うのだから、もう……。もちろん「期せずして」ではない、響かせようと思って作って、それがきちんと響いてる。

−−−

翌日。トーマス・ヴィルテンゾーン「ホームレス ニューヨークと寝た男」を見る。原題「Homme Less」じゃなにがなんだかわからないからとの判断でのこの邦題なんだろうけど、こぎれいな格好をしたロマンス・グレーのイケメンのファッション写真家が、実は家がなくて、ビルの屋上で寝泊まりしているという「実は……」系のドキュメンタリー。

「息の跡」の佐藤さんもだけど、こちらの主人公マーク・レイも、しゃべる、しゃべる。同じくらいよくしゃべる。これだけ自分からいろいろしゃべってくれるんだったら、カメラを回しさえすれば映画の2、3本、すぐにできてしまうのではないかとうっかり思ってしまう。けれどもふたりのしゃべりの性質は明らかに異なっている。ように見える。

自分ひとりではとても消化しきれない大きなトラブルを経験したとき、それを言葉にしたり、文字に書き残したり、あるいはただカメラの前にわが身をさらしたりすることで、大きなかたまりが少しずつ砕かれていくように、あるいは石鹸が小さくなっていくみたいに、苦しみが吸いとられ、軽減していくことはありうるだろう。笑い飛ばす、というやりかたもある。すべて、広い意味での知性の営みだろうと思う。

マーク・レイはどうか。ちょっと変わった生活を軽やかに楽しんでいる快活なニューヨーカーに見える。モデルからフォトグラファーへの転身。しかし住む家はない。ジムのロッカーに私物を押し込み、ショウ・ウィンドウを鏡がわりに髭を剃る。そんな暮らしも「選択と結果、選択と結果、その積み重ねとしての、いまだろ?」なんて、肩をすくめて肯定しそうなキャラクター。

映画が進んでいくにしたがって、そんな暮らしも決して気楽なだけのものではないことがわかってくる(当たり前だ)。住む家がないのはマンハッタンの家賃があまりに高くて払えないからだ。イケメンならではの軽い女性不信があるようだし、誰かに頼るのも苦手。夜、ビルの屋上の寝床の中での独白、日中とは別人のような疲れはてた顔を見せる。この「おいしい」ショットを、わたしは見たくなかった。自分自身のその性質に気付かぬまま、いつまでもナチュラルに芝居がかっていてほしかった。

種屋の佐藤さんとマーク・レイは、過去・現在・未来ともおそらく面識は持つことはないと思われるが、立て続けにふたりを見てしまったあと、想像の中で、任意にふたりの人生を入れ替えてみるのはわたしの勝手だ。もし、陸前高田の種屋がロマンス・グレーのイケメンで、ニューヨークの写真家がひとなつっこい思索家だったら。そしたらふたりは、どんな芝居を見せてくれただろうか。

−−−

その2日後くらいに、アーサー・ペン「奇跡の人」を見る。

地震と津波で店を失った佐藤さん。見ようによっては自発的にホームレス生活をしているマーク・レイ。ふたりを重ねたり、その心痛を比較したりするのは不謹慎というか不適当なふるまいだったなと、ヘレン・ケラーの三重苦に思いを馳せる。いやしかし、たまたま同じ週に見たというそれだけの理由で、3人を強引に関連付けてみることこそが誠実さというものではないか、と逆ギレ気味に考えもする。

だいぶ以前にTVで録画したものを見たっきりだけど、それでもW-A-T-E-Rのくだりと、ヘレンとサリヴァン先生のダイニングでの死闘はよく覚えていた。今回それ以上に印象深かったのは、言葉(を使って世界を認識する方法)をヘレンに教え込もうとするサリヴァン先生の妄執ぶりで、goodを教えるときには自分の顔一面に笑みを浮かべてそれをヘレンに撫でて覚えさせ、badの際には悲しげな表情を作ってそれを手で認識させる。

あっここにも、(よりよく)生きるためにナチュラルに芝居がからざるをえないひとがいる、と思った。極度に誇張された身ぷり、言葉へのやや過度の信頼。サリヴァン先生もマーク・レイも、こうして2016〜2017年ごろの日本映画のある種の人物たちと通じ合っている。そういえば「息の跡」も「奇跡の人」も、井戸(=イド!)の映画であり、対して、ニューヨーカーのマーク・レイの屋上の住処には井戸(=イド!)はもちろん、水道もない。彼にとって水とは、使うそのたびごとにポンプをぎーこぎーこして汲み上げるものではなく、あらかじめ一定量ごとのかたまりをスーパーで買い求め、枕元に備えておくものなのだ。

ところで、ウォーウォーと言葉以前の言葉をひたすら高速のビートに乗せて発し続ける、「奇跡の人」という名前のハードコア・パンク・バンドがあったら面白い、と考えたことがあったのを、15年ぶりくらいに思い出した。

映画
comments(0)
-
2016年の映画など
Posted by: 鈴木並木 SUZUKI Namiki (→Profile)

2016年にスクリーンで見た映画の中から、よかったものを。並びは見た順。

ライアン・クーグラー「クリード チャンプを継ぐ男」
リドリー・スコット「オデッセイ」
小森はるか「息の跡」
三宅唱「無言日記2014」「無言日記2015」
リッチ・ムーア&バイロン・ハワード「ズートピア」
パトリシオ・グスマン「チリの闘い」
瀬尾光世「桃太郎 海の神兵」
岡本まな「ディスタンス」
黒川幸則「ヴィレッジ・オン・ザ・ヴィレッジ」
チャン・ダーレイ「八月」

こういうベスト10ものは、自分の映画的信念に忠実に、ってこととかよりも、ほかのひとと似たようなセレクションにならないように、のほうを重視して選びますので、どうしても作為的な感じにはなりますが、かといって「シン・ゴジラ」や「この世界の片隅に」や……(中略)……はどんなふうに選んでもそもそも入りませんので、そういう意味では、素直に選んでいます。

この10本全部に共通する特徴はとくにありませんが(そんなものあるわけない)、ここ数年、いわゆる「お話」には飽きている、というか、そういうのはある特殊なアメリカ映画がやればいいんじゃないかとなんとなく思っているってのはあります。しかし、そのことと、今回挙げた日本映画の多くがいわゆるドキュメンタリーに分類されることとは、おそらくそれほど直接的には結びついていません。

つまり、お話に飽きたからドキュメンタリーに興味が移りつつあるとか、そういう単純なアレではない。「チリの闘い」はもちろんのこと、「息の跡」も「ディスタンス」も、それぞれ「お話」の映画だと思っていて、語られ方におおいに魅力を感じている、ということなのですが……とはいえ、それに関する自分の気持ちをうまく説明する言葉はまだ見つかっていません。

一応、上記のものとあんまり差はないけど同じくらいよかったので、以下あたりもメンションしときたい。順不同。

「ミュータント・ニンジャ・タートルズ 影」
「死霊館 エンフィールド事件」
「ブリッジ・オブ・スパイ」
「風の波紋」
「Don't Think I've Forgotten: Cambodia's Lost Rock & Roll」
「トランボ ハリウッドに最も嫌われた男」
「幽霊」(大西健児)
「沒有電影的電影節」

短篇は、アッバス・キアロスタミ「24 Frames」。

あと、2015年のベストのときに触れておくべきだったけどなぜか度忘れしていた「Re: play 1972/2015―「映像表現 '72」展、再演」(東京国立近代美術館)に、いまさらではありますが2015年の特別賞を。

話のついでに。あいかわらずほとんど美術展には行ってませんが、そのなかでも「生誕300年若冲の京都 KYOTOの若冲」(京都市美術館)と、「THE PLAY since 1967 まだ見ぬ流れの彼方へ」(国立国際美術館)は、見といてほんとよかったな。

最後になりますが、夏に雑誌「トラベシア」を出したのはすごく勉強になりましたし、いろいろおもしろかったです。お買い上げくださったみなさま、関わってくださったみなさま、どうもありがとうございました。2017年の夏までには第2号を出したいと思います。またそのうちお知らせしますので、どうぞよろしくお願いします。

2017年がわたしとみなさまにとってより良い年になることを祈りつつ。
 

映画
comments(0)
-
不自然なひと皿
Posted by: 鈴木並木 SUZUKI Namiki (→Profile)

前田亜紀「カレーライスを一から作る」(→☆)。見終えてしばらくたってから、タイトルの意味がじんわりと時間差で効いてきた。

探検家の関野吉晴が武蔵野美術大学でゼミを持っている。なんで探検家がムサビで教えてるのかはともかく、このゼミでは9か月かけて、稲を植え、野菜を育て、スパイスを栽培し、ホロホロ鳥と烏骨鶏を飼い、海水から塩を精製し、それらを材料にカレーライスを作った。皿も自分たちで粘土をこね、大学の庭で野焼きする。

こういう場合、油断しているとついつい話がスピリチュアルな方向に行きがちなのでどうしても警戒してしまうんだけど、この映画、生命の大切さみたいな話題は当然出てくるものの、全体の雰囲気はなんというかもっとこう、即物的だ。つべこべ言わずに毎日確実にそこにあるなにかを食べ続けないと自分が死ぬ、そういう場所を通り過ぎてきた人間ならではの言葉。理屈はまず生き延びてから。

啓蒙したりされたりするのが好きなもんで、ちょこちょこ伝えられるいろいろな知識が楽しくて仕方がない。ついついメモをとる。たとえば……
・四つ足の動物は法律上、家では殺せないことになっている。(→あとで調べたら、屠畜場法で細かく決まっているようだ)
・最近よく出回っている野菜などの種をまいて育てて収穫しても、そこには種はできない、一世代限りのものが多い。(→無限に種がとれてしまうと種屋が儲からないから。また、特定の農薬に強いよう品種改良したりしている)
・コリアンダー(パクチー)は10世紀ごろには日本にあった。(→そうなの?! 和食に使われてるイメージないけど)
・ダチョウは餌付けが難しい。光るものが好きなので、銀色の皿やスプーンにエサを乗せて気を惹き、食べさせる。
・ジャガイモは原産地の南米では1000種類くらいある。アイルランドでは1種類しか輸入しなかったところ、病気が起きて全滅した。たくさんの種類があればひとつの種類が全滅しても飢え死にしない。多様性は大事。

関野はおおげさな理念を語りはしない。ひたすら具体的な作業が積み重ねられる。というか、そこを追うだけでいっぱいいっぱいといった感もある映画ではある。毎日面倒を見なくてはいけない鳥はもちろん、畑にしても田んぼにしても、週に1度行けばいいようなものではないはずだが、本当に学生たちだけで育てたんだろうか?

まあそれはいい。関野は、自分でやってみることの効用について、「なんでも自分でやると注意深くなる」と指摘する。そう言われたら、こちらも少しは自分なりに、注意深く考えてみざるを得ない。カレーライスの不自然さについてだ。すると、カレーライスは簡単な料理であるとの美しい誤解を、関野も、そしてこの映画も、うまく利用しているのだと気付く。

たしかに、現代日本のごく一般的な家庭のカレーライスは、具材(標準的にはジャガイモ、玉ねぎ、ニンジン、肉あたりか)を炒めてしかるのちに茹で、そこに市販のルウを入れてしばらく煮込めばできあがる。小学生でもなかなか失敗することは難しい。

で、ここから先は個人差が出る部分になるんだけど……自分自身のことを書くと、もはやここ10年くらいはルウを使って作ることすらしていなくて、家ではレトルトばかり食べている。ご存知の通りハチ食品のグリーン・カレーやキーマ・カレーは、ヘタするとお店で食べるものより美味しかったりする。食に対してどちらかといえば異様に怠惰な部類に属するわたしの対極に、文化系オシャレカレークソ野郎どもみたいな人種がいらっしゃる(批判的な意図はない)。

文化系オシャレカレークソ野郎どもみたいな人種(批判的な意図はない)だったら、ルウに相当するもの(つまり、カレーライスをカレーライスたらしめる部分だ)を、材料を育てるところから自分でやるなんて手間がかかりすぎて無謀だと最初から見抜くに違いない。 わたしは映画の最後も最後、実際にカレーライスが作られている段になってようやく、あれっ見かけがなんかカレーっぽくないし、味もあんまりちゃんとついてないみたいだぞと気付いた始末だ。

カレーライスのキメラ性について。そもそも古来から現代に至るまで、自分の土地および近隣でとれたものだけを使ってカレーライスをつくっていた時代ないしは民族が、どれだけあっただろうか。日本にジャガイモが渡来したのは16世紀以降。豚や牛が広く食べられ出したのはもちろんもっと後年の話。カレーライスといえばインドなんじゃないか、との短絡的に発想してみて、でもちょっと考えると、ヒンドゥー教徒はビーフ・カレーは食べないだろう。となると完全地産地消のカレーライスは、インドあたりの野菜カレー、豆カレーくらいか。タイもそうなのかな。

シンプルな印象に反して意外にも高度に人工的で複雑、言ってみれば不自然な食べ物である日本のカレーライス。そのすべての材料を自力で調達してつくることを、さも人間本来の自然な姿であるかのようにみなすのは、そもそも存在すらしていない架空の原点を「伝統」と呼び、そこに強引に回帰しようとするネトウヨにも似たメンタリティーだ。

非現実的な目標設定や巨大な外敵の出現によって集団の結束が固まることはよくある。この映画は、美大生らしさ皆無の素朴な顔立ちの学生たちが、たいして美味しそうにも見えないカレーライスに釣られてあちらこちらへ連れ回され、踊らされた記録に見えなくもない。しかし関野はネトウヨ団体のリーダーでもないし、新興宗教の教祖でもない。ここに映っているのは、実践的な行為に裏付けされた知の姿であり、(大学)教育の可能性なのだ。

最初のほうで触れた、種の話を例にとろうか。花にしろ野菜にしろ、育ったら種がとれて、その種をまけば翌年、同じものを育てることができる、というのがわたしたち(園芸に親しんでいるひと以外の)が植物に対して持っている基本的なイメージだと思う。ところがもう、必ずしもそうじゃないのだ。と聞かされると、子供のころに持った疑問……種なしスイカって種がなかったらどうやって増やすんだ? が数十年ぶりに頭に浮かび、そしてその疑問が、単語としては知っていた、遺伝子組み換え植物やらモンサントやらと急激に結びつく。モンサントって……あれか、ニール・ヤングがめっちゃ怒ってるやつだ!

そういえば今年は「息の跡」という種屋を舞台にした映画でも、こんなふうに知識が立体的にもたらされているのを見ましたっけね。「カレーライスを一から作る」の醍醐味はこうして具体的に生きている知のかたちを見ることであって、それと比べたら、食べることの倫理観や生命の尊さなどはまったくもって些事に過ぎない。

映画
comments(0)
-
「映画のポケット」Vol.66「やかんと私〜やかん映画の楽しみ方」
Posted by: 鈴木並木 SUZUKI Namiki (→Profile)

☆Vol.66「やかんと私〜やかん映画の楽しみ方」

おはなし:ケロケロみん
助手:ナマニク
進行:鈴木並木

2016年12月17日(土)19時〜21時(延長はなるべくナシの予定)
@阿佐ヶ谷・よるのひるね [HP]
参加費500円+要1オーダー
参加自由/申し込み不要/途中入場・退出自由

☆入場時、鈴木に参加費500円をお支払いください。そのうえでお店の方にフードやドリンクのご注文をお願いします。

−−−

☆ケロケロみん [twitter]
1969年生まれ。サラリーマンでライターの旦那さんと2人暮らしの主婦です。夫婦共通の趣味である映画は意味のわからないSFと一見さんお断りのアメコミと面倒なファンタジーとアニメ以外は何でも見ます。忘れっぽいのでフィルマークスで見た映画を記録。思いがけず映画中にやかんを発見した時は大喜びします。

−−−

2016年最後の「映画のポケット」は、世界的にも数少ないやかん映画ファン、ケロケロみんさんをお迎えいたします。

そもそもやかん映画ってなに? 自分が行っても大丈夫かな、と思われるみなさんが大半というかほぼ全員だと思いますが、安心してください。たぶんそれが普通です。

古今東西の映画に登場する大小さまざま、新旧いろいろのやかんの数々。そのよしあしの見分け方や活躍ぶり、あるいはやかんとの出会いや理想のやかん映画について、たっぷりお話が聞ける見込みです。予備知識なしで足を運んでいただければ、2時間後にはみなさんもやかん映画ファンになっているはず、と確信しております。帰りにやかんをお買い求めになりたい場合、駅前のSEIYUでどうぞ。

なお、当日は、映画ライター/ホラーマエストロのナマニクさん [twitter] に助手を務めていただくことが決定しました。ナマニクさんも素敵なやかん映画をご紹介くださるとのこと。年の瀬のお忙しい時期かとは存じますが、やかん映画で1年を振り返るのもオツなものですよ。しゅんしゅん。(←湯気)

(文/鈴木並木)

−−−

☆本篇終了後、おそらく引き続き同じ場所で、2次会があります。ご都合のつく方はこちらもあわせてご参加、ご歓談ください。費用は実費。

 

告知
comments(0)
-
Why I Want to Write about Cinema / What is Exciting in Asian Cinema Today
Posted by: 鈴木並木 SUZUKI Namiki (→Profile)

"Why I Want to Write about Cinema"

What can we do for cinema with words? That's what I'm asking myself when I write about cinema. Words don't reproduce an actress's smile on a piece of paper nor sway the leaves on the trees. Still something can be moved when words are there. Without words, a movie can't be anything other than a movie. It's words that connect a movie with another movie and help it find a proper place in history. And on the top of all of that, it's words that introduce a movie to the audience.

I don't think that only works of criticism should be responsible for this important role. In an age like this, when all information seems revealed and immediately widespread, no critics can have mythical privileges. First of all, not everyone can be a critic nor have to be. Instead, we have various types of words. Big words, little words ("I love it"), tweets, retweets, articles in magazines, phone conversations, even chatter over coffee. No matter how the way or the form is. The more we talk or write about it, the richer the world of cinema gets, both culturally and economically.

Some might say that it leads to nothing but utter chaos. I have to admit it. What I would like to do is to watch this chaos closely and give it an appropriate name. For example, everyone has been noticing that the way to express love for films is getting freer and freer these years. It's partly because someone saw what others did on the internet or something and then decide to go further. It's a sort of a huge-scale collective creation. A friend of mine loved Mad Max: Fury Road so much that she made a scarecrow modeled on Immortan Joe for the scarecrow competition in her town last year. This was direct, humorous, visual, three-dimensional, physical, touchable and touching at the same time. It is an act of love, a re-creation of the film, and I dare say, a work of criticism as well. (She made a Shin Godzilla scarecrow this year)

Originally from a film, it went further where no one would expect it to be. I felt so envious of her scarecrow. I hope what I write to be like that. Also, as I believe that the act of criticism should be collective creation like all the films are so, it ain't necessarily me who does it. Words are to communicate. Writing about cinema, with words, is not only for cinema itself but also for someone who reads it as well.

"What is Exciting in Asian Cinema Today"

It is my regret to inform you that I have never been excited by "Asian Cinema". Although there are so many exciting movies made in Asia, by Asian directors, from Asian countries, in Asian languages, with Asian actors and so on, what is exciting always lies far from brutal generalization.

Asia is so huge that the concept of "Asian Cinema" should be differnt from "European Cinema". But with its cultural and linguistic diversity, the ideal Asian cinema could be without any border like no other cinemas on earth could. And it will shake the concept of Asia itself. There has already been some good examples; In Another Country by Hong Sang-soo, Like Someone in Love by Abbas Kiarostami and Norwegian Wood by Tran Anh Hung to name a few.

As we all can communicate in the language called cinema (with an Asian accent perhaps?), I don't care of the language of a film much. Still, for the love of my own mother tongue, I have vaguely been dreaming of a Japanese-language movie with all non-Japanese cast. It may sound silly but Americans have been doing this for many decades. Why shouldn't we Asians do the same?

*These essays were written for applying for a film criticism workshop.

映画
comments(0)
-
なぜ映画について書こうとするのか/アジア映画の興奮
Posted by: 鈴木並木 SUZUKI Namiki (→Profile)

○なぜ映画について書こうとするのか

言葉によって映画のためになにができるだろうか。映画について書くとき、いつもそんなことを考えています。言葉では女優の微笑みを紙の上に再現することも、木の葉を揺らすこともできません。それでも、言葉がそこにあるとき、なにかが動くことはあるような気がします。言葉なしでは、映画はただの映画にすぎません。ひとつの映画をほかの映画と結びつけ、歴史の中にきちんとした居場所を見つけてあげられるのは、言葉です。そしてなによりも、ある映画を観客に届けるのが、言葉の仕事なのです。

単に批評だけがこの重責を担うべきではない、と思います。あらゆる情報が明るみに出され、瞬く間に拡散する現代においては、どんな批評家も神話的な特権を持つことはできません。そもそも、誰もが批評家になれるわけでもなければ、その必要もない。そのかわりに、わたしたちはさまざまな種類の言葉を持っています。おおげさな物言い、さりげない言い方(「これ好きだなあ」)、ツイート、リツイート、雑誌の記事、電話での会話、コーヒーを飲みながらのおしゃべりだっていいのです。どんな形式だってかまわない。わたしたちが話したり書いたりすればするほど、映画の世界は、文化的にも経済的にも、豊かになっていきます。

そんなもん、ただ大混乱を招くだけだと言うひともいるでしょう。たしかにそりゃそうです。わたしがしたいのは、この混乱をよく観察して、正しい名前をつけてやりたいということです。たとえば、みなさまお気づきのとおり、ここ数年、映画への愛を表現するやり方がどんどん自由になってきています。理由のひとつとしては、誰かがやったことを誰かがインターネットかなにかで見て、よっしゃこっちはもっとやったる、と腹をくくるということがあるのでしょう。ある意味で、巨大なスケールの集団創作だと言えます。去年のことですが、わたしの友達で「マッドマックス 怒りのデス・ロード」が好きすぎて、イモータン・ジョーのかかしを作って町内のかかしコンクールに出品したひとがいました。これは直接的で、ユーモアに満ちていて、目に見える形をしていて、3Dで、物質的で、手で触ることができると同時に琴線に触れてくるものでした。愛の行為であり、映画を作り直すことであり、あえて言うなら、批評でもあります。(ちなみに彼女は、今年のコンクールにはシン・ゴジラを出品しました)

映画から出発して、誰も予期していなかった遠いところまで行ってしまった彼女のかかしを、うらやましく感じました。わたしの書くものも、そんなふうだったらいいなあと思います。また、わたしは、映画が集団による創作物である以上、批評行為もそうあるべきだと信じていますので、必ずしも自分がやらなくてもいいと思っています。言葉はコミュニケーションするためのものです。言葉を使って、映画について書くことは、映画自体のためだけではなく、それを読むひとのための行為でもあるのです。

○アジア映画の興奮

申し上げるのはたいへん心苦しいことながら、「アジア映画」などというものに興奮を覚えたことは一度たりともございません。たしかに、アジアで作られた、アジアの監督たちによる、アジアの言葉を使っている、アジアの役者が演じる、そうした類のたくさんの刺激的な映画があるわけですが、興奮は常に、乱暴な一般化を超えたところにあるものなのです。

アジアはバカでかいので、「アジア映画」の概念は「ヨーロッパ映画」とは異なってくるはずです。とはいうものの、文化的・言語的な幅広さによって、アジア映画は、地球上のどんな映画もなしえなかったようなやりかたで境界を無効化することができることでしょう。そしてそのとき、アジアとはなにか、の概念自体にも揺らぎが生じるものと思われます。すでにわたしたちはいくつかの好例を知っています。ホン・サンス「3人のアンヌ」、アッバス・キアロスタミ「ライク・サムワン・イン・ラブ」、トラン・アン・ユン「ノルウェイの森」など。

わたしたちはみな映画という言葉(いくらかアジア訛りがあるでしょうかね)で話をするわけなので、あるフィルムでどこの言語が使われているかということはあまり気にしていません。それでもなお、自分の母語へは愛着みたいなものがあるもので、わたしはずっと、非日本人ばかりのキャストによる日本語映画、というものをずっと夢見ているのです。バカバカしい考えだと笑われるかもしれませんが、アメリカ人は何十年も同じことをしてきてますよね。だったらアジア人がやっちゃいけないなんてことはないと思っています。

*映画批評ワークショップの応募用に書いた作文。

映画
comments(0)
-
リトル・プレスのつくりかた
Posted by: 鈴木並木 SUZUKI Namiki (→Profile)

リトル・プレス「トラベシア」を創刊して、2か月で手元の在庫がほぼゼロになりました。いい機会なので、もろもろの経緯を振り返っておくことにします。目新しい情報はない、いわば大いなる蛇足ですが、これからつくろうとしているひとたちの参考になれば幸いです。

○そもそも

思えば数年前から、映画仲間との呑みの席などで、つまんないライター連中に試写を見せるくらいなら、俺らが見たほうがよくね? みたいな話をしていた気がします。そしてその際、一度雑誌を出してメディアとして認知されると、廃刊になったあともずーっと試写状が送られてくることがある、なんて話も誰かから聞いたような。なるほど。それを聞いたことが直接の創刊のきっかけというわけではないですが、この時点では、硬軟とりまぜた映画批評の雑誌みたいなものを想定していました。

とはいえ、きちんとしたものを作るには金がかかるし、わざわざ作るに足る面白さのものができるのかとの心配もあり。第一、どうしても作らなければ(心が)死んでしまうとかそういうこともなく、また、一緒にがっつりやれる仲間がいるわけでもないので、とくに話が具体化することもありませんでした。

ことが進んだきっかけのひとつは、転職でした。わたしのではなく、妻の。私事ですが、2014年に結婚しまして、その後しばらく新婚生活にかまけてぼんやり暮らしておりました。しかし今年の正月に妻が転職して途端に猛烈な激務になり、夫婦団欒にあてる時間が減って気持ち的にヒマになり、多少なんかやってみよっかな、という気分になり、また年齢的な問題(もうすぐ死ぬ)もあって、だったらあれやってみよっ、みたいな具合に後押しされました。

○準備

2016年3月の下旬、寄稿者のみなさんに原稿依頼をしました。身近なひとには事前に軽く打診したり、知らないひとには人づてに頼んだり、あるいはアドレスを調べていきなり連絡したひともおります。

誰に書いてもらうかを決めて原稿依頼する、というのがわたしの仕事で、事実上、わたしはそれしかやってません。思うに、ものを作るにしても興味のある部分ない部分、譲れるところ譲れないところ、があるものです。わたしの場合、誰に書いてもらうかの判断を他人まかせにする気は一切ありませんでしたが、見た目に関する部分のこだわりはそれほど濃くありませんでしたので、だいぶデザイナーの村松さんにおまかせしています(後述)。

書き手の人選について。当たり前すぎてわざわざ言うまでもないことですが、すでに名前のあるひとたちばかりで固めてハクをつけよう、たくさん売ろう、という発想はまったくありませんでした。わたしは好き嫌いが激しいですし、めちゃくちゃ雑な言い方をするならば、プロだからといって面白いものを書くひとばかりではないと思っていますから、だったら、ここでしかありえない独自性を打ち出そう、と考えました。おそらくお読みになって、このひとたちはいったいいままでどこにいたんだ、と驚かれた方も多いと思うのですが、半数くらいは、こういうことがあったらぜひ頼もう、と頭の片隅にストックしておいた秘蔵っ子のみなさんです。

いわゆるプロの方に何人かお願いしたのは、営業判断と、もちろん自分が読んでみたいのと、半々くらいのところです。有名人ばかりで固める気がないのと同様に、馬の骨ばかりのものを出す気もありませんでした。プロ・アマ混在にしたかった。

お願いしたけれども返事をいただけなかったひとや、多忙でお引き受けいただけなかったひとが何人かいました。とはいえ、メールするくらいなんの手間でもないし、断られても別に恥ずかしくないので、頼みたいひとがいたら、頼んだほうがいいと思います。

あ、それで結局、映画批評の雑誌にはならなかったわけですが、誰に書いてもらいたいかを最優先したら、無理に特定のジャンル雑誌にする必然性がなくなったからに過ぎません。だから公式の?キャッチフレーズを「普通に読める日本語の雑誌」としたのは冗談でも皮肉でもなく、ごく自然な気持ちの発露なのです。

○見た目の問題

執筆者に原稿依頼をおこなった直後、3月下旬に、わたしと村松さん、イラストの畑中さん、そして妻とで初めての打ち合わせを持ちました。創刊号の好評はぱっと見の畑中さんのイラストの印象、そして村松さんのデザインに支えられている部分が大きいと思っています。

最終的にああいうイラストになりましたが、当初のわたしのリクエストは、「森の中で野外上映がおこなわれていて、人間と動物が混ざってそれを見ている感じで。スクリーンには男女の顔が大写しで」みたいなものでした。なんとなく、デフ・スクールの『セカンド・ハネムーン』あたりのイメージだったかな。本当は表紙とウラ表紙がひと続きになった、横サイズの絵を想像しておりましたが、実際に本にするとなるとうまくいかないような気がして、自宅にあるダブル・ジャケットのLPやなんかをいろいろ見たりもしてました。

デザイン全般については、自分は、なんとなくこうなってるのがいいな、くらいの好みはあるものの、あれこれ細かく決めたいという欲望はないことに気付いたため、本文レイアウトその他はまずデザイナーの村松さんにえいやっと丸投げです。なお、当初、デザインを身内に(無料で)お願いすることを考えていた時期もありました。そうしなくてよかったと思っています。

○ギャラ

書き手のみなさまへの原稿料はプロ・アマ問わず、基本的には均一額を設定しました(実際のお支払いの際には若干例外的な事象が発生)。非営利の出版物であると開き直ってギャラを払わない(払えないふりをする)、あるいは有名人枠とみなした一部の書き手にのみ払う、といったやり方もありえますが、ダサいのでそれは不採用で。

額としては雀の涙というか、もちろん無理すればもっと払うことができなくはないのですが、それをしてしまうと今後、続けていくことが難しくなるので、一応いろいろ考えて決めました。

結論から言うと、払わなくて済むほどの親しい間柄の相手だったとしても、払えるならば払ったほうがいいでしょう。頼むときやその後なにか(追加の)お願いをするときの心理的負担が激減します。

職能と総労働量・労働時間を鑑みて、デザイナーさんにはだいぶ多めにお支払いしました。細かい修正や要望を汲んでもらう回数を考えると、当然そうすべきだったと言えます。

○原稿集め

依頼から概ね3か月後を締切に設定しました。頼んでからしばらくは、進め方の方向性の相談がたまにあったりするくらいで、そんなに忙しくありません。この時期に発刊記念イヴェントの準備をしたりしてたんだったかな。

いちばん早いひとの原稿到着は、締切の約2週間前。まだ心がまえができておらず、おっもう来たか、という感じだった記憶があります。所定の締切日までに出していただけたのは、人数としては半数弱だったでしょうか。最後のひとは所定の締切日から5〜6週間遅れだったような……。もちろん、時間の余裕はとってありましたが、若干ヒヤッとしました。

どの程度催促するべきか、していいものなのか、については相手の感じを見つつ、が一般的なんでしょうね。今回は、なだめたりすかしたり泣き落としたりといった手練手管を弄する必要はほぼなかったです。特別な取り立てとしては、若い衆(空手の有段者)を引き連れて書き手の職場に仕事中に予告なく訪問し、紳士的に軽く威嚇したくらいのものです。(←実話です)

○徐々に忙しくなる

原稿が集まるにしたがって、それをどう並べるかを考え始めます。普通であれば、あらかじめ、このひとにはこういう内容で何字(何ページ)、という台割を作り、それに応じて原稿依頼するのでしょうが、今回は(というか次号以降も基本的にはそうすると思いますが)、「テーマは顔。字数はおまかせ」というやり方で原稿を書いてもらったため、どのくらいの長さのどんなものがやってくるのかわからない。おのずと、全員分が出揃うまで並びも全体のページ数も確定しないことになりました。

いくつか揃ってきた時点で、これはだいたいこのへん(前半なのか真ん中なのか後ろのほうなのか)だなと見当を付け、それを肉付けしたり入れ替えたりします。届いた原稿を読み、並びを考えるこの過程がいちばん楽しい。安田さんから届いた時点でこれはトップかラストだな、と思いましたが、渡邉さんのすばらしい原稿をもらって、巻頭はこれしかないだろうと即断しました。

ところで、誰もほめてくれていないようなので自画自賛しますけど、「トラベシア」創刊号の全体の流れやグルーヴ、見事すぎませんか? まったくの私事ですが、20年間趣味でDJをやっている経験がひょんなところで生かされた気がしています。90年代の渋谷系華やかなりし時代、編集(「エディット」とフリガナ)感覚の音楽、みたいな言われ方がしばしばなされていたのを思い出しました。

楽しんでばかりではいられません。もらった原稿をデザイナーに送る→デザイナーが紙面を作る→ゲラのPDFを書き手に戻して修正箇所があればしてもらう、という作業を、ひとによっては数往復、します。表紙のイラストについても同様の工程を踏みます。もちろん途中で誤字・脱字・誤記・文意の不明なところがあった場合にはお伺いを立てて、必要に応じて直してもらいました。

どの程度直すかの問題。単純な誤字、脱字、事実誤認、人名や数字の間違い。これは正しいものに直してもらえば済みます。ひとりひとりの独自の記法、記号の使い方、これらについては全体の統一はとらない、という方針にしました。もっと大きな話で、ある原稿について書いてあることの裏をざっととったら、あれっこれ割と書いてあることと事実とが異なってない? となったものがひとつあったのですが、全体の趣旨にかんがみて、書き手のひとはそういうふうにとらえていたんだろうとみなして、そのままにしました。さらに大きな問題として、意に沿わない原稿が来た場合どうするか。「水準に達していなかった場合は不採用でいいです」みたいな言い方をして提出してきたひとが複数人いましたが、そういう謙遜は不要ですし、わたしに失礼ですよ。よしんば多少つまんない原稿だったとしても俺がなんとかする、なんだったら流れに乗せてごまかして面白く読ませる、くらいの覚悟でこっちはやってますので。(何人かには比較的大きめの修正をお願いしました)

○紙と印刷

紙の選定、印刷所との折衝、入稿、このへんについても村松さんにおまかせしました。ありがとうございました。自分でやるとしたら、印刷所は、「同人誌 印刷」などで検索するといろいろ出てきます。紙のサンプルをタダで送ってくれるところも多いはずなので、それを見て、本文と表紙の紙と加工方法を決めればよいでしょう。

ところで、長期間にわたるやりとりの途中で、何度か村松さんをイラっとさせてしまったことがあったような気がしないでもないです。印刷所への支払い額を村松さんから聞かされて一瞬、うっ、となって反射的に「多少印刷のクウォリティが落ちてもいいので、もっと安いところになりませんかね?」と訊いてしまったことがありました。そしたら「わたしが全部時間と手間をかけて交渉しているし、いまさら変更するのはものすごいエネルギー使うので、無理です」みたいな返事が来ました。

もちろん村松さんは鬼でも悪魔でもなんでもなく、あくまでもプロとしての厳格なコスト意識でもってわたしがお願いした仕事をやってくださいました。一方、わたしはわたしで、事前に自分でいくつかの印刷会社のサイトを見て、ざっとこれくらいかなー、とあくまで適当に、かつ安めに、金額を予想していたもので、その額といざ正式に提示された金額とに数万円規模の開きがあったので驚いてしまった。驚いてしまったこと自体はやむを得ないものの、その驚きには論理的な正当性は皆無であったというわけで、いずれにしても自分の見通しの甘さを知らされたので、以降は借りてきた猫です。

いついつまでに印刷に回さなくてはいけない期限、というのがあります。誰に頼まれたわけでもなく勝手につくっているものなので、空いた時間に少しずつ作業して、できあがったら完成、で本来はよいのですが、今回は、発刊記念のイヴェントをやることにしたので、その日には現物を用意したい、との目標がありました。結果的に誰ひとりとして徹夜などすることなく、イヴェント日の1週間くらい前には手元に完成品が届いていました。

○拡散

できあがったものは売らないといけません。初めてつくったものの場合、いろんなところや著名人などにタダで配って宣伝をしてもらうやり方がありえます。ただしこれはわたしがもっともやりたくないことのひとつだったため、基本的には執筆者とスタッフ以外には、みなさん有料で買っていただいています。

250部つくって、執筆者にはひとり2部ずつ差し上げましたので、実際に販売した部数は200強。だいたいのところ、直売が約40部、通販が約60部、お店に卸した分が約100部、でした。

・直売
当初、直売で100部くらい売れるのではないかとなんとなく思っていました。でも考えてみたら、そんなにたくさん知り合いがいるわけない。執筆者のおひとりである若木さんのイヴェントで売らせてもらったら、10冊売れました。顔見知りも含まれていたとはいえ、このさばけ方はすごい。あとは、持ち歩いていると映画館で知り合いが声をかけてきたりとかです。

・通販
送料無料にしたのもあってか、お気軽にお申込みいただけたのではないかと思っています。他行からの銀行振り込みだと手数料がバカバカしいことになるので、アマゾンギフト券払いもできることにしました。このアイディアはツイッターで誰かが書いていたのを見かけて採用しました。どなたか忘れましたがありがとうございます。ただし、買い手、売り手の双方がアマゾンのアカウントを持っていなくてはならないので、反アマゾン派のひとには不向きですけど。なお、アマゾンギフト券で払ってもらうとアマゾンでしか使えないお金がたまっていくわけで、いや俺そんなに本とかCDとか買わないし、と思うひともいらっしゃるでしょうが、米とか家電とか、いろいろ売ってるのでもて余すことはないと思います。

通販の場合、前述のとおり送料無料なので本体価格だけ入金していただければいいんですけど、カンパの意味で多めに入金してくれた方が何人かいました。これは完全に予想外でして、驚きましたし、ありがたかったです。金に変換しても差し支えない程度の義侠心のあるみなさんは、遠慮せずにどんどんマネしてください。

通販だと、どうしてもわたしに名前と住所を教えざるを得ません。それには抵抗がある、あるいは、買ったことをわたしに知られたくない、といったケースも想定されます。そういうひとのために実店舗での販売はやはり重要かなと思いました。とはいえ、どうしても取扱店は東京中心になるので、地方のみなさまには通販をご利用いただくしかないわけですが。あと、これは少数意見かもしれませんが、「送料無料では心苦しい」と言われたときには驚きました。なお、次号からは送料いただくことにしています。

・店売
置いてくれるお店はせいぜい2、3店舗くらいだろうと思っていましたが、最終的には10店舗様に取り扱っていただきました。ありがとうございます。東京が7か所、あとはつくば、京都、神戸が各1か所ずつ。こちらから積極的に売り込んだのは2か所くらいで、あとは直接、あるいはひとづてに、オファーをいただきました。取引条件はどこも同じで7掛けの買い切りを提示しました。

逆に、こちらから、ここにお願いしたい、と思ったお店何か所かにメールしたうち、返事すらくれないところがいくつか。あと、条件的なアレで交渉決裂っぽい感じになったところがいくつか、ありました。

○反応は薄い

おかげさまで売れ行き自体はけっこう好評でしたが、読んでくださったみなさんの感想があんまり聞けてないので次号、どれくらい刷ったらいいかが見当がつきません。いまからでも遅くないので、なにか言いたいことがあるひとはご意見をお寄せください。

誤字の指摘をいくつかいただきました。たとえば医学論文のグラフの数字が間違っていたら重大ですから指摘すべきですが、「トラベシア」に載っているような類の文章の、なおかつ明らかに見てすぐわかるようなケアレスミス的な誤字は、いちいち指摘してくれなくても、いいです。増刷の際に修正したり、正誤表を入れたりできるわけでもないので。お気持ちはありがたいのですが、次からは、ああ、間違ってるな、と思っても、どうしても世の中のために指摘しなくてはならない場合以外は、胸の中にとどめておいてください。

○会計報告

発刊記念イヴェントのことはまた別にして考えますと、直接経費(印刷代と執筆者、デザイナー、イラストレーターへのギャラ)でちょうど20万円ほどかかりました。ちなみに印刷部数は250部です。これ以上の具体的な内訳を開示すると、誰にいくら払ったのかがわかってしまうので勘弁してください。

通販の発送にかかった分、執筆者のみなさんに送った分、お店に送った分もろもろあわせてかかった送料が約15000円。上記の20万円と合計して、215000円。直接お店に持っていって納品したところもありますがその交通費はとりあえず計算に入れないことにします。

ではどのくらい回収できたか。実売は200部で、店売分が100部=1冊あたり350円で35000円。直売と通販がやはり100部=5万円。あわせて85000円。

創刊号はつまり、215000マイナス85000で、13万円の赤字を出したことになります。あらためて考えると血の気が引く思いがしますが……とはいえ、村松さんにいつだったか、「でも、楽しかったでしょ。有意義な、いいお金の使い方をしたんじゃないの?」みたいなことを言われました。明確に意識はしていなかったけど、言われてみればまったくそのとおりで、異論はありません。

しかしなあ。一応今後も続けるつもりでいるので、毎回10万以上の赤字が出るとなるとしんどい。収支トントンになるのが理想ですが、せめて1回あたりの赤字は3万円くらいにしたい。考えられる手はいくつかあるでしょう。

・印刷費を抑える。
→安い印刷所を使うとか、ページ数を少なくするとかで可能。検討に値する。

・部数を増やす。
→部数を増やすと印刷代が割安になります。とはいえ、たくさん作って余らせてしまうのは怖い。なにかの拍子であとから急に売れたりとか、あるとは思えない。

・値上げする。
→ワンコイン価格は死守したい。問題外。値上げは当分考えぬ。

・通販の送料をもらうことにする。
→これは採用。次号から実費をいただきます。よろしくお願いします。

・執筆者へのギャラを下げる。
→これ以上下げたら恥ずかしい。問題外。

・寄付を募る。
→この程度のことでクラウドファンディングなんかするのは大袈裟すぎて、ダサい。問題外。個人的に支援してくださるものはありがたくいただきます。

・赤字を分担する。
→誰か理念を共有できるひとがいたら分担したいけど、好き勝手にやりたい。いまのところは保留。

さて、どうなりますか。次号の会計報告をお楽しみに。

○これから

飽きないかぎり、年に1回くらいのペースで発行していきたいと考えています。次号の構想も少しずつ固まっています。またしてもプロ・アマ混在で、最強の馬の骨がずらりと並ぶ、そんなものになるのではないかと。

とはいえ、安いギャラでお願いできるのであれば、いわゆる有名人のみなさまの原稿を載せるのはやぶさかでありません。ぜひお願いしてみたいのは、荒川洋治、大江健三郎、ジャン=リュック・ゴダール、壇蜜、吉高由里子、といったひとたちです。ツテのあるみなさまからのご連絡をお待ちしております。

○あなたへ

もしあなたが、ひとりでとか、あるいは仲間数人で、ジン、リトル・プレス、マガ、同人誌、呼び方はなんでもいいんですが、つくろうと思ってるとしたら、いますぐつくったほうがいいです。

経費は抑える気になれば抑えられるでしょう。何人かのグループで作業や費用を分担すれば、ひとりあたりの負担はごく少なくて済むはずです。ツテをたどればひとりやふたり、デザイン関係の仕事をしてるとか学校に行ってるとかで、DTPソフトを使えるひとがいるでしょうし、フリーソフトでもそれなりになんとかなる世の中なはず。とにかくいますぐ始めましょう。相談には応じられますし、ひとの紹介もします。紹介してうまくいくかどうかはあなたしだいですけども。今度、話を聞かせてください。

雑記
comments(0)
-
「映画のポケット」Vol.65「神戸瓢介を探せ! 〜あなたは「スクリーン上の恋人」と如何にして出会うか?〜」
Posted by: 鈴木並木 SUZUKI Namiki (→Profile)

☆Vol.65「神戸瓢介を探せ! 〜あなたは「スクリーン上の恋人」と如何にして出会うか?〜」

おはなし:浜野 蟹
進行:鈴木並木

2016年09月18日(日)19時〜21時(延長はなるべくナシの予定)
@阿佐ヶ谷・よるのひるね [HP]
参加費500円+要1オーダー
参加自由/申し込み不要/途中入場・退出自由

☆入場時、鈴木に参加費500円をお支払いください。そのうえでお店の方にフードやドリンクのご注文をお願いします。

−−−

☆浜野 蟹(はまの・かに) [twitter]
1965年、神奈川県出身。会社員。好きな映画会社は、日活と大映。戦後日活の脇役俳優マニア。日活ロマンポルノファン。好きな映画は『誘惑』(1957年/監督:中平康)と、日活版『事件記者』シリーズ全10作(1959年・1960年・1962年/監督:山崎徳次郎)です。(ちなみに今回の主役である神戸瓢介さんはそのどちらにも出演していません。)

−−−

「君は神戸瓢介を知っているか?」と問われても皆さんも困るでしょうが、そこを敢えて問うてみたいのが、ファン心理のやっかいなところです。
大阪出身。落語家を経て俳優の道へ。50年代後半に日活と本数契約し、60年代半ばには主に東映京都の仕事を。1966年の映画出演を最後に、70年代にかけてはテレビドラマを主軸に活躍。
(ドラマ『銭形平次』の準レギュラーである大工の為吉役や、アニメ『ロボタン』(※旧版)のロボタン役の声優としてお馴染みだという方も多いかと。)

そんな神戸瓢介さんの足跡を、生誕85年目にして没後40年目という節目の年の、お誕生日当日(9月18日)に辿ってみたいと思います。
映画俳優時代の話が中心となりますが、ささやかな会ながらも、この才能豊かな俳優さんの魅力の一端が少しでも伝わりますことを。

**********

私自身は神戸さんのファン歴が4年ですが、インタビューなどがあまり残らないこともあり、知り得るのは(当たり前ですが)スクリーンでの姿のみです。
多くの映画ファンの胸中にそれぞれの「銀幕彼氏」や「銀幕彼女」が居たとして、スクリーン上に突如現れ、あなたの人生をふと照らしてくれるあの人たちとは、思えば一体なんなのでしょうか?

『ギターを持った渡り鳥』では金子信雄にマッサージをして、『打倒〈ノック・ダウン〉』では赤木圭一郎に組み伏せられて、『豚と軍艦』では吉村実子を売り飛ばして、『大当り百発百中』では小沢昭一を街中追っかけ回す。
そうかと思えば『集団奉行所破り』では盗賊一味の天気読みとなり、『十兵衛暗殺剣』では大友柳太朗の参謀ともなり、『893愚連隊』では遠藤辰雄の債権を取り立てていた、「あの人」とはいったい誰だったのか?
それをスクリーンの中に、時にスクリーンの外側に、折々に探してきた4年間だった気がします。

またもやの持ち込み企画で恐縮ですが、どなたさまもふらりとお立ち寄りいただければ幸いです。

**********

神戸瓢介 / Movie Walker →☆

(文/浜野 蟹)

−−−

Vol.21「ロマポケ!〜ロマンポルノのある暮らし〜」(2009年06月)、Vol.48「日活野郎(と女たち) 〜戦後日活大部屋俳優傳〜」(2013年06月)に続く、通算3回目の浜野さんのご登場となります。Vol.48のレジュメの衝撃はいまもなお記憶にまばゆいですよね。今回はそのときよりもさらに地味度アップな感じもいたしますが、現時点で言えることは、この回はおそらく、みなさまが予想されているよりも、ほぼ確実に、すごいです。

いらしてくださった方は、神戸瓢介について一夜にして突如詳しくなれること間違いなしであり、そして、浜野さんという稀有な存在についても認識を新たにされるであろう、とも予言しておきます。

(文/鈴木並木)

−−−

☆本篇終了後、おそらく引き続き同じ場所で、2次会があります。ご都合のつく方はこちらもあわせてご参加、ご歓談ください。費用は実費。

映画
comments(0)
-
calendar :::: entry :::: comment :::: trackback :::: category :::: archive :::: link admin :: profile :: RSS1.0 :: Atom0.3 :: jugem