Eat Much, Learn Slow (& Don't Ask Why)

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2019年の映画など
Posted by: 鈴木並木 SUZUKI Namiki (→Profile)

2019年に見た映画のなかで、よかったもの。並びは見た順。

ジェームズ・ワン「アクアマン」(2018/英語)
ボブ・ペルシケッティ、ピーター・ラムジー、ロドニー・ロスマン「スパイダーマン:スパイダーバース」(2018/英語)
スパイク・リー「ブラック・クランズマン」(2018/英語)
フォン・シャオガン「芳華 Youth」(2017/中国語)
野田真吉、大沼鉄郎「マリン・スノー 石油の起源」(1960/日本語)
山戸結希「ホットギミック ガールミーツボーイ」(2019/日本語)
村上浩康「蟹の惑星」(2019/日本語)
フレデリック・ワイズマン「ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス」(2017/英語など)
出崎統「エースをねらえ!劇場版」(1979/日本語)

+1 アルフォンソ・キュアロン「ローマ」(2018/スペイン語)

☆スペシャル・メンション

ベスト防寒具:ネック・ウォーマー
ベスト調理器具:大黒窯 手造り ごはん土鍋
ベスト・イヴェント:渋谷並木座 Vol.3(11月23日@渋谷ロフト・ヘヴン)
ワースト:会社

見る本数が減ったのと、反応する力が鈍化したのとで、なんかもうどうでもいいなと思いながらどうにかこうにか一応本気で選んだ、グッド10。「ローマ」は、見ているだけで世界のすべてを把握したような気分になれる映像のすさまじさには文句のつけようがないのに、人間観がわたしにとってはクソすぎたので番外扱い。

スペシャル・メンションなものについて。
ネック・ウォーマー。ローソンストア100で購入。ブランドなどは未確認。わりとしっかりしたフリース素材で、これが100円なのは申し訳ない。感謝。

土鍋。前からときどき気になってはいつつも、吹きこぼれるんじゃないかとか、洗いものが増えそうとかであまり本気で購入を検討したことはなかった。5月、文フリに遊びに行く前に、大森駅近くの「鯖なのに。」で鯖の塩焼き定食を食べて、鯖もさることながら、大きな釜で炊いたごはんのおいしさに感激。すぐにアマゾンでこの2合炊きを購入。2980円。米の潜在能力がきちんと引き出されている感じがする。結果としてほとんど吹きこぼれも面倒くささもなかった。電気炊飯器はしまいこんでしまって、それ以来一度も使ってません。

渋谷並木座 Vol.3。諸事情(自分のせい)により充分な宣伝ができず、集客がかんばしくなく、多額の負債をかかえるはめになったことを除けば、とても充実した時間になりました。と自画自讃しておく。

会社。業務には興味が持てるし勉強になるのですが、とはいえもちろん、金がもらえる以外の理由で積極的に毎日やりたいような活動ではない。不満は、労働時間が(自分にとっては)長いこと。毎月の平均残業時間が30時間くらい。月20日出勤するとして、1日平均1.5時間。一見たいしたことなさそうだけど、今日もなにもできなかった、と感じながら寝るのは精神衛生上よくない。残業代はありがたい。次に転職するときは、あんまり残業しなくても給料が維持できるよう、時給がいまよりも200円以上高いところに移りたい。

−−−

おまけ。2010年代(2010〜2019)日本映画、わたしのベスト10。

渡辺文樹「政治と暴力」2部作(「三島由紀夫」「赤報隊」)(2010)
宮崎吾朗「コクリコ坂から」(2011)
大西健児など「銀鉛画報会」(2012)
濱口竜介「親密さ」(2012)
佐々木友輔「土瀝青 asphalt」(2013)
山戸結希「おとぎ話みたい」(2013)
只石博紀「Future tense」(2013)
小森はるか「息の跡」(2015)
前田真人「テラスハウス クロージング・ドア」(2015)
代島治彦「三里塚のイカロス」(2017)
三宅唱「きみの鳥はうたえる」(2018)

個別のコメントは長くなるので、どこかでお会いしたときにでもゆっくりと。テン年代ベストで最初にぱっと思いついたのが「ニワトリはハダシだ」と「崖の上のポニョ」だってのは我ながら焼きが回ったとしか言いようがないですが、それはそうと、テン年代、日本の大メジャー各社はなにボヤボヤしてたんですか、とは言いたい。きっとわたしの見逃したもののなかに、素晴らしいものがあったんでしょうね。そう思わないとやってられない。

映画
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鳥たち
Posted by: 鈴木並木 SUZUKI Namiki (→Profile)

A 知ってた? 今年ももうあと10日くらいで終わりだって。

B 知ってた。年間ベスト10の発表でもするつもり?

A いや、しないよ。そういうのは年明けてから発表するもんだし。雑誌がおかしいんだよ。1月売りの号でやればいいのに、っていつも思ってる。

B じゃあ今日はなんでここにあらわれたのかな。

A 急いで採り上げたい話題があるからだよ。普通に書こうとすると、適切な文体(笑)が見つけられなくて時間がかかるからね。

B そんなたいそうな文体(笑)でもないだろうに。

A こういう無駄話の時間が必要なんだけど、とは言っても無駄は無駄だから、本題に入るね。

B いいよ。

A このあいだの日曜日、佐々木友輔「コールヒストリー」の上映に行ったんだけど。3階のシネマテークが超満員で、通路だった部分はおろか、最前列の前にも椅子が出てた。

B それは違うでしょう。

A なにが。

B イメフォの3階。「シネマテーク」はあすこでやってる上映シリーズのことで、スペースの名前は「寺山修司」だよ。チラシ見てみ。

A あっ、ほんとだ……。

B 作品の半分くらいはよくわからない、って言ってる割には、佐々木監督の映画、よく見てるよね。

A なんだかんだで、佐々木監督の問題意識……っていうとちょっとニュアンスが違っちゃうから、たぶんこんなことを考えてるんだろうなってぼくが思うところのもの、って言おうか、それに興味があるんだと思う。「土瀝青 asphalt」は、単にキネアティック系を代表する1本っていうだけじゃなくて、2010年代の日本映画の大きな成果だと思ってるし。

B 1年の総括はNGなのにテン年代はオッケーなんだ(笑)。

A 世界が、まさにそうやって、(笑)ってる場合じゃなくなりつつあるってのは、キミのような実体のない、モニター上の文字でしかない存在?の人間?でも、さすがに気付いているんじゃない? まあともかく、「コールヒストリー」の上映前に監督が出てきてさ、だいたいこんなこと言ったの。「いままでは上映の終わったあとにトークをしたりしていましたが、自分がテン年代に考えていたことは全部この作品の中に入れることができたので、トークは蛇足と考えて省略することにしました」って。

B なんかすごそうだな。どんな「テーマ」の作品なの?

A その答えになるかわからないけど、監督自身のコメントはこんな感じ。

『コールヒストリー』は、東日本大震災後の福島を舞台として、架空の都市伝説とアーティスト・イン・レジデンスを媒介に、 地域アート/参加型アートやドキュメンタリー映画制作における「リサーチ」や「撮影」が孕む構造的・制度的問題を浮かび上がらせるとともに、より普遍的なテーマ、すなわち、あらゆるコミュニケーションにかかわる「聞くこと」「受け取ること」の難しさについて思考する映画です。

ツイッターで感想をエゴサすると、自分ではまったく思いつかないようなことを書いてるひとがちらほらいて、面白いよ。

B 話がわかりやすそうだから、オレなんかでも見て楽しめるかな。

A 話は、あるよ。物語が濃い! とも思った。ほとんど普通の劇映画といってもいいんじゃないかな。いや、「普通」ではないけど。

B 劇映画か劇映画じゃないか、に無理やり分類するとしたら、昔からずっと劇映画を撮ってたひとなんじゃない?

A そうだね、俳優が出てないだけで。……出てないってことはないな。まず、カメラがとらえている映像が語り手の一人称の視点だと仮定して、で、語り手は複数いるわけだけど語りはすべて菊地ゆきが語っているから、つまり一人何役も演じている女優が画面には出てこないってだけで、うん、やっぱり普通の劇映画だ。

B めんどくせえなあ。

A めんどくさい映画だと思われるのは監督の本意ではないだろうけど、「普通」の映画の成り立ち方をあらためて、一から、回りくどく考え直す機会を得られるってのが、自分にとっての佐々木監督の作品の魅力なんだよね。

B いや、めんどくせえのは映画が、じゃなくて、キミが。

A ともかくその、回りくどく考え直すきっかけをくれるってのは、つまりは実験映画全般の意義でもあるんじゃないの。とりあえず、実験映画、をここでは、「・・・・・」に入れて、「実験映画」としておくけど。

B カッコとじとじ。「話」はぜんぶ、菊地さんの語りによって進行するわけでしょう。そうすると映像はどうなるの。っていうか、映像はそのあいだ、なにをしてるの。BGVつきのラジオ・ドラマみたいなものを想像しちゃうんだけど。

A これも、答えになるかどうか、なんだけど、画面には常になにがしかの映像が映ってる。

B 当たり前すぎるでしょ、映画なんだから。

A いや、だから、その、素晴らしい「当たり前」をもう一度、ね……。画面に映っているのはたぶんだいたい福島県の各地らしき風景で、何度も言うように、物語を進行させる役としての俳優の姿は、画面には基本的には登場しない。そうすると、ふだん映画を見るとき、いかに人間ばかりに視線が吸い寄せられているかってことを再確認させられる。と同時に、いかに映画が、というか人間が、風景を見る行為をないがしろにしてきたか、なんてことも思わされるわけ。保坂和志が、最近でもそう考えてるかわかんないけど、猫とか天気を人間の都合で、人間の心象を反映させるもの(「心象風景」!)として利用する小説を批判してたよね。風景もそうだと思う。いつもは適当に背景として扱われて、ときどき人間の勝手な都合で、さも美しいものとか崇高なものみたいに持ち上げられてさ。風景が怒るよ。

B しょせんいまの映画はまだ、人間が人間のためにやってる営為の段階だもん、仕方ないよね。それこそ、カメラがルンバに乗って勝手に映画を撮り始めるまで、100年河清を待つしかない。(→☆)

A とはいえ、現実の風景もたいていは人間がつくったものだから、「コールヒストリー」の、たまに車に乗ったりするほかは2本の三脚で歩くカメラは、なんかさ、人間から遠く離れようとして、でも離れられなくて、そもそも離れたいのかどうかもわからないまま、もがいているみたいでもあったな。

B えっ、自転車乗らないの?

A 今回は徒歩だったね。

B ふむふむ……さっき言ってた、話が濃い、ってのは、都会から福島に来たアーティストが「地域」でなにか大騒ぎを起こす、みたいなことなのかな。

A ぼくが作るとそういう安易なコメディになる可能性が高いけど、もっと本質的なんだよね。

B どゆこと。

A 助成金……たぶんたいていは税金に由来するじゃん、その助成金を使って「アーティスト」が地方に行って、それどころか滞在して、創作活動をする意味ってなんなんだろうなあ、って。

B そりゃ本質的だね。あ、それって、「コールヒストリー」でそう言ってるっていうよりは、キミの感想?

A そう。自分の感想。

B 意味はあるんじゃない? 地元ではありふれすぎていて注目されてなかったり、受け入れられなかったものを、都会に向けて売る。需要と供給。農産物とか土産物と構造は同じ。

A うん。でも売られてるのが自分のふるさとの歴史や伝統や人間だと思うと、多少複雑な気持ちにならないかな?

B なるだろうね。

A 「コールヒストリー」では、地元のひとがこつこつ集めていた地味な民間伝承というか都市伝説を、都会のアーティストが利用して、まったく関係ない外国の都市伝説と並列・接続して見せるわけ。

B うわー、「接続」しちゃうんだ。

A で、そういうふうに「外部」と「鮮やかな手つき」で「接続」されることは、地元のひとたちにとっては新しい回路が開かれることでもあって、単純にフックアップされる晴れがましさもあるのね。

B 深く考えさせられる問題系だなあ……。

A そう言えばいいと思ってるでしょ。

B 一概には否定できない。

A あと、「外部」と「接続」するためには、その対象としての福島が、「外部」に向けて、わかりやすくひとつにまとまってないといけない切なさ、もあったな。「わたしたちは震災で知らない誰かと手をつないだ」みたいな語りがあって、はっとさせられるんだけどさ。そもそも福島って日本で2番目くらいにでかい県で、浜通り、中通り、会津、ってわかれてるでしょ。

B 「会津」ってなんて読むの。

A あいづ、だよ。

B さざえ堂があるところはどこ?

A 会津。まあそうして、メンタリティも気候も米の味も、もちろん地震の被害も違う各地方が、福島の名のもとに一緒くたにされて、憐れまれたり忌避されたり、あるいは支援を受けたり、は、たぶんあったと思うんだよね。

B 結局、東京のひとがなかなか親身になるのは難しいってことかな。

A これは推測だけど、佐々木監督、取手(だっけ?)から赤羽を経て、いまでは鳥取を拠点に活動してるでしょ。たぶん鳥取あたりは文化に著しく乏しいから、だもんでそういうことに敏感になって、あらためて考え直したりとか、した結果も入ってるんじゃないかなあ。

B 鳥取県に失礼でしょ。石見銀山とか出雲大社とか、いろいろあるじゃん。

A どっちも島根。

B すみません。あとなんだっけ、松江哲明は関係あるの、この映画?

A ないよ。ただ、これ見るちょっと前に、松江哲明と加賀賢三の件が、再燃、っていうか、ようやく初燃焼したので、関係あるものみたいにして見ちゃったってだけ。

B アートのひともドキュメンタリー映画作家も、もちろん全員じゃないにせよ、人間を「材料」として見ちゃうひと、一定の割合でいそう。

A 話の流れで松江哲明の話に入るけど、いろいろ微妙で複雑だから、簡単にはまとめられない。自分が「童貞。をプロデュース」を見たのはだいぶ前で、それでも最初に公開?されてから何年かたってた頃で、普通にめっちゃ面白いなと思ったけど、ゼロ年代の空気とテン年代の空気は、もう違うんだよね。事実として。で、加賀さんがシネマ・ロサで逆襲した2017年ともいまとでも、まただいぶ違う。

B そういえばキミも、2017年の夏、子供のころに受けかかった性被害についてカミング・アウトしたんだったよね。

A まったく話題にならなかったけどね。またいつもの口から出まかせだと思われたに違いないさ。どちらかというと、ぼくがシンパシーを覚えるのは松江のほうで、なんでかっていうと、あのひとは反省の仕方がわからないひとでしょう。糾弾されている理由も、正確なところは理解できていないんじゃないかな。そういう気持ちは、というか気持ちのなさは、すごくよくわかる。

B キミが言うと説得力あるなあ。

A ただ、と同時に、それほど反省していなくても、きちんと形式にのっとって謝ることはできるでしょ、普通。それができないっていうのは、やっぱりしたくない、ってことなんだろうけど。まわりもなんとか言ってやれよ、と思うね。あの誰だっけ、直井とか。別に心がこもってなくてもいいし、他人が書いた文章でもいいから、普通のひとが見て普通だと感じられる程度の謝罪文を出して、そのうえで「童貞。」を封印しますって宣言すればいいじゃん。それで加賀さんと話をしてさ。そんなに難しいのかな。そういう、「型」がわからないやつは、なにやらせてもダメなんじゃないの、結局のところ。

B ああ。わかった。それでさっき、島根を連想したんだ。

A 「コールヒストリー」に戻ると、それまで話を聞いていなかったひとが、目の前の相手に向かって、話を聞かせてくれるよう頼むシーンがあるのね。

B なんか限りなくネタバレくさいな……。

A 自分なんかは素朴な観客=人間だから、ああ、反省して話を聞くつもりになったんだな、相手に向き合ったんだな、と思ったけど、考えてみたら、あそこは新たな悪夢の始まりでもありえる。

B そんな濃い人間風味の映画なのか。

A さっき、鳥の話が出たじゃん。「コールヒストリー」は、猪苗代湖の湖畔の白鳥とか鴨とか、鳥を見るのが楽しい映画でもあるんだけど、あ、赤べこも出てくるか、エンド・クレジットが、鳥が飛んでる映像なのね。ちょっともう忘れちゃったんで実際は違ったらごめんなさいなんだけど、飛んでる鳥に接写っていうかズームしてるのか、すぐにフレーム・アウトして、見た目の感覚では、鳥が映ったり映らなかったりする、目まぐるしくてスピード感のある画面なのさ。

B あんまり佐々木監督っぽくない?

A 2010年1月からツイッターをやってるらしい佐々木監督は、プロフィールに「取手→赤羽→鳥取(鳥に縁があるようです)」って書いてるくらいだから鳥が好きなのは間違いないとして、あのエンド・クレジットの、見えたかと思うと消えてしまって、じっくりと個体を認識することを許さない鳥たちは、現代のツイッターの、分散して迷走する言論たちの比喩なのかなと感じた。

B 鳥が嫌いなひとなんていないと思うけど、たしかに、テン年代初頭なんて最近のことだと思ってたのが、もう10年近く前になるんだもんなあ。

A 「コールヒストリー」の登場人物のひとりは、2011年の4月だか5月だかに福島から上京したって言ってた気がする。2011年の5月っていうと、ヤングシネフィルとミドルシネフィルの初めての中規模な顔合わせ、池袋でカラオケ行って、そのあとどこだっけ、飯くった頃だよ。その年の夏が、渋谷の文化村の屋上のビアガーデンに25人くらいヤングとミドルが集まったやつ。

B もうあの頃のヤングシネフィル、全員30超えてるんだよなあ。同じペースで映画見てるのは、とっとりくんくらいかな?

A そんなふうに、自分のテン年代を振り返らせてもくれる。2019年の年末にこの映画を見ることができたのは、そういう意味でもラッキー、グッド・タイミングだったな。

B キミの、というか実質的にはオレの、でもあるけど、テン年代はどんなだったかい。

A 食っていくのに精一杯だったね。余暇が少なすぎた。2020年代はたぶんほぼ全部子育てで忙殺されるだろうし。できることをできる範囲でやるしかない。

B 「コールヒストリー」、また見られるんだよね?

A 今度の日曜日、12月22日(日)17時から、イメージフォーラム・シネマテークで上映されるよ。あ、シネマテークってのは上映企画の名前で、会場は3階の「寺山修司」ね。(→☆)
 
B ありがとう。国立映画アーカイブで「東京オリンピック」見てから、行ってみようかな。

A ボクは下北でディスクユニオン行ってから中村まりを見に行くから、会えないと思うけど、楽しんで。

B うん。ところでこのページの上のほうに載ってる写真はなに。

A 「コールヒストリー」を見た帰りにヒカリエの近くのショウ・ウィンドウにいた鳥と、大塚駅の近くで死んでいた鳥だよ。

映画
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性懲りもなくリトル・プレスを作る
Posted by: 鈴木並木 SUZUKI Namiki (→Profile)

6月の終わりに「トラベシア」の4号を発行して、あっというまに4か月がたったところだし、そろそろ今回の号についてのまとめを書いておこうかな。リトル・プレスを作る前と、作ってる途中と、作ったあとの話を。リトル・プレスが好きなひと、自分でも作ってるひと、これから作りたいひと、などなどのみなさんの参考になる部分があれば幸いです。

同じような記事は、すでに2016年の創刊号のとき(→☆)と、2018年の第3号のとき(→☆)にも書いているので、繰り返しもいろいろ出てくるだろうけど、あまり気にしないことにする。

あと最初に言っておきたいのは、過去のふたつの記事のときは、参加者に払ったギャラの金額以外はなんでもかんでも書いてやるぜ、と勢い込んで書き始めたものの、いざとりかかってみるとそうもいかず、たびたび筆が止まってしまったのでした。

たとえば、やらかした失敗や改善したい点についてだとか。純粋に自分ひとりが責任を負うべき事柄ならそのまま書けばいいけど(休日に西荻に納品に行くときに間違えて快速に乗っちゃった、とか)、仮に編集上でこんな失敗をして……みたいに書いたとしたら、執筆者の中に「それって自分の原稿のこと?」と思って気にやんだり激怒したりするひとはいるはずで、それでは申し訳ない。一事が万事そんな調子でありまして、自分の金で好き放題やってるように見えても、100%そうではない。

○収支の話

まず恒例の、収支の話から。A5判、90ページのものを400部作りました。支出のほとんどは印刷費、そして参加者とスタッフ(デザイナーとイラストレーター)への謝礼。これが合計で29万円。この額が、直接の制作費になります。

現物ができたあとにかかるお金は、主にできたものを取扱店や通販購入者に送る郵送費(いままでのところ11500円)。直接納品に行くときの交通費とか、納品しに行ったときにその本屋でなにか買う費用とかまで「かかった金」に勘定するのはなんとなくセコい気がするので、そのへんはとくに記録してません。

入ってくるお金。これはかっちり決まっています。定価は600円、卸値は7掛けの420円。それが売れた分だけ。稀に、定価以上の額を振り込んでくれるひとがいなくはないけど、当初の想定より大幅に儲かることはありえない。

いまのところ売れたのは、直売で約70部=約42000円、店舗への卸しで約120部=約50400円。合計92400円。現時点でだいたい、20万円超の赤字。家にはあと150冊くらい残っているので、それが全部定価で売れたとして90000円。そこでようやく、赤字が10万円くらいにまで減る。あらかじめわかってます。どんぶり勘定。

○まだ作り始めない

こちら(→☆)で書いたとおり、今回の号のテーマを「日本語」にしようと思い立ったのは、前号の編集が最終段階に入っていた、2018年の5月でした。

そのとき私用でニューヨークにいたわたしは、ブルックリンでおこなわれた和モノのDJイヴェント「ニッポン・リーグ」に遊びに行きました。山下達郎や杏里なんかで外人(と、雑にまとめますが)が楽しそうに踊っているのを見るのは、予想していた以上に新鮮な感覚で、そこでゲストDJとして回していたのが、今回「あるガイジンの回想」を寄せていただいたヴァン・パウガムさん。菊池桃子『オーシャン・サイド』のレコードとかを見せてくれました。で、たしかその翌日か翌々日に訪れたのが「イースト・ヴィレッジにおける啓示」だったわけ。

思い付きを形にするのには、それなりに時間がかかります。「トラベシア」の毎号のテーマは「顔」「労働」「おかあさん」と、もともときわめて漠然としてはいるのですが、それにしても、「普通に読める日本語の雑誌」と銘打っていて、それで今度の号のテーマは「日本語」って、それじゃあまりにもなにも言ってなさすぎじゃないだろうか、との懸念はありました。それと、またしても雑な言い方になりますが、これだとあまりにも、SNSのプロフィールに「言葉が好き」とか書いてしまう系のサブカル女子みたいだなとも思いました(*1)。

わたしがイメージしていたのは、何度でも言いますが、永川玲二『ことばの政治学』のようなもので、そういえば3号のときのある方への原稿依頼にも、この本を引き合いに出した気がします(その方には結局書いていただけなかったのですが)。ところが、と受けるのが適切かどうか心もとないですが、ネットで「わたしの好きな日本語」とかで検索すると、「誰そ彼時」とか「うたかた」とか、そんなのばっか(でもないけど)出てくるのね。あんたはそうかもしれないけど、俺のあれしたい日本語はそういうんじゃないんだよね、と、とくに普段は意識してないけれどもずっと潜在的に考えていたあれこれが頭に浮かんできて、そうしてなんとなく、このテーマでいけるんじゃないか、と考えがまとまってくるのでした。

2018年春から始めた就職活動は夏を過ぎても終わる気配がなく、正社員になるのは諦めて派遣で探し始めたらようやく、秋になって仕事が見つかりました(*2)。たまたまですが、日本語から英語を経て多言語へと展開される文章を作る制作進行管理の仕事でして、いわゆるクリエイティヴ要素のない、実務だけする編集者みたいなもんです。結果的には、いろいろ役に立っています。

いまの仕事を始めたのがきっかけで日本語をテーマにしようと思い付いたわけではなく、それとこれとはまったく独立した話、と自分では思っていました。いまこうして振り返ってみると、むしろ話が逆で、「トラベシア」のテーマを日本語にしようというアイディアが、就職(≒人生)に影響を及ぼしたと言ってもいいのかもしれません。

○作り始める

原稿の頼みかたはひとつしかなくて、知り合いだろうがそうじゃなかろうが、相手が有名だろうが無名だろうが、書いてほしいひとにメールか口頭でお願いする、それだけです。創刊号あたりでは(直接存じ上げないひとたちには)おっかなびっくり声をかけていましたが、別に断られても、ただ断られただけで別に恥ずかしくない、と気付いてからはだんだん図々しくなり、頼みたいひとたちに気軽に依頼をしてみた結果、今回の号では国内外の10名様弱からお断りを頂戴しました(返事がなかったものも含む)。

理由としては、わたしの態度が悪かったとかタイミングが合わなかったとか、そんなところでしょう。それとたぶん、みなさんそれほど日本語に興味があるわけじゃないのかなと。でもほんとは、日本語に興味がないなんてそんなことありえる〜?! と思っています。だからやっぱり、頼みかたが悪かったのに違いありません。反省。

お引き受けいただけなかった方の詳細は失礼にあたるので詳細は書けませんが、海外のティームでのプレイ経験のある元プロ・スポーツ選手にお願いしたのは我ながら面白い発想だった、と自画自讃しておきます。

初めて書いてくださった方(の一部)について。

「非文の遊び」を書いてくださった佐藤麻弥さんはもともと知り合いで、自発的かつ日常的に大量の文章をブログで書いてらっしゃるので、わたしがわざわざなにかを頼まなくてもいいか、と思っていました。たまたま、岡俊彦さん主催の(本当の意味での意識高い系)上映イヴェント「サム・フリークス」のあと、松濤のベローチェで話していたら(ちょうどわたしがストレスで声が出なくなっていた「ゴッドファーザー期」)、佐藤さんの生活のうえでの日本語のかかわりについての話題になって、じゃあそれ書いてくださいな、とその場で原稿を依頼しました(そのかかわりのことは、書いてくれた原稿には直接反映はされてないようですけど)。

「親しんだり親しくなかったり」の王小葵さんとは、近所の日本語サークルで知り合いました。このテーマで作る以上は、非ネイティヴのひとによって書かれた日本語は絶対に必要で、じゃあ誰に頼もうか、となったときに、身の周りでは思い付かなかった。最初は日本語学校へ取材に行くことを考えてみたものの、得体の知れないリトル・プレスの取材をこころよく引き受けてもらえる予感があまりせず、躊躇していました。それでもうちょい調べてみると、豊島区のホームページに、半公認みたいな区内の日本語の会話サークルが10近くも紹介されていて、その中の、うちからいちばん近く、大塚駅近くでやってるものに連絡をとって、顔を出したわけです。

一度様子を見に行って、日本語が書けるひとを誰か紹介してもらって……というのが当初の構想でしたが、実際に行ってみると、そういうわけにもいかないとすぐわかりました。わたしにとって都合のよい奴を紹介してくれ、と言いにいくようなものですから。そこで、何度かかよっているうちに、いろいろな日本語学習者と話すのが面白くなり、いまも参加し続けています。思わぬ副産物でした(*3)。

もらった原稿への正しい反応の仕方は、いまだによくわからない部分が多いです。

理想的には、
(1)すぐ返事をする
(2)多少おおげさに褒める
(3)そのうえで改めてほしいところを指摘する
あたりでしょうか。(1)はいいとして、もらった原稿がいいものなのかどうかすぐにはわからないとか、直したほうがよさそうだけどどこをどうすればいいのか判断できないケースは、わりとよくあります。

今回だったか前回だったか忘れましたが、毎号書いてくれているある方から、「鈴木さんの反応が薄かったので、今回の原稿はダメなのかと思いました」と言われて、ハッとしました。実際はまったくそんなことはなく、単にわたしのケアがおろそかになっていたに過ぎません。プロの書き手ならともかく、「トラベシア」の書き手の大半はアマテュアのみなさんですから、そういうひとたちに対してこそ、即座に美点を見抜き、正確に指示を与えないといけない。

ただし言い訳をさせてもらえるならば、わたしとて編集者としての職業的訓練を受けているわけでなく、見よう見まねでやって失敗したら改善する、という方法でやっています。そして、20人くらいの執筆者を同時に担当して、全員に完璧なケアをするのは正直難しい(執筆者が多いのはわたしの意向なので仕方ないけど)。

この件について執筆者様にわたしから言いたいのは、繰り返し原稿を頼まれているとしたら、それはわたしがあなたを評価しているがゆえにほかならないのだから、少なくともそこについては自信を持ってほしい、ということ。

編集者としての仕事について反省する点があるとしたら、これぞと見込んで原稿依頼したひとの潜在的な力を、必ずしも充分に引き出せない場合があることです。もちろんタイミングとかその他もろもろあるので、すべてわたしのせいとは思わないものの、プロの文筆家でないひとに頼む以上は、おろそかなものを世に送り出すわけにはいかない。プロのひとは、言い方は悪いですが、ご自分の力と責任で書いていただけたら、それでよろしい。

○村松さんと畑中さん

デザインの村松道代さんと、イラストの畑中宇惟さんは、創刊号からずっとお願いしているおふたりです。このコンビがいないと、「トラベシア」はできあがりません。わたしにも当然、雑誌の見栄えに関するある程度の好みはあります。ですが、それを自分で実現するスキルもないし、それを無理にやるよりは自分のやりたいことに注力したい。信頼してお任せできるおふたりに出会えて、ラッキーでした。

村松さんには今回、いつも以上に変わった組み方をお願いする箇所が多くて、余計なお手数をいろいろかけてしまいました(お読みになったみなさまにはおわかりのとおり)。きっと面倒な作業を楽しんでもいただけたに違いない、とポジティヴにとらえています。ある原稿などは、村松さんの組み方によって、それまで文字データで読んでいたときの味わいというか意味合いが大胆に刷新されて、ほとんど別のもののように立ち上がってきさえしました。こればっかりは、自分で編集の作業をしてみないと決してわからなかったので、いい経験でした。

畑中さんにお願いするようになったのは、たしか、我が家でのホーム・パーティでポートフォリオを見せてもらったのがきっかけでしたかね。だから、イラストレーターでもなんでも、なにかを目指しているひとは自分の作品を(持ち歩いて)他人に見せるのは大切だと思います。もちろん村松さんのデザインもですが、表紙と裏表紙は雑誌の顔です。もしほかの顔だったらどうなっていたか、は、いまでは想像すらできません。畑中さんのイラストによって、未知の読者様との出会いの機会は間違いなく増えている、と確信しています。

○できあがる

さてまあ、こうしてこの文章も、できあがった最新号を各方面にお届けする段階にまで話が進みました。買ってくださったみなさま、本当にどうもありがとうございます。

店舗様への卸売りについて。さまざまなご縁で、新たにお取り扱いいただいた店舗様がいくつかあります。と同時に、いままで扱っていただいていたのに今回の号の案内にはお返事がなかった店舗様もいくつかありました(残念)。今回初めて、四国と沖縄の店舗様に扱ってもらうことができました。とはいっても、「トラベシア」が買える地域は、全国で10都府県にも満たないので、もう少し増やしたいですね。

直接販売について。わたしに知り合いが何百人もいれば、あるいは、直接の手売りだけでやっていけるのかもしれませんが、そうもいかない。今年は新たな試みとして、発売日に我が家でホーム・パーティをして、それを「リリース記念の即売会」と銘打ってみました。ホーム・パーティ自体はときどきやっているので特別なことをしている感覚はなくて、これの目的は、未知の執筆者同士の交流と慰労、そして初動で勢いをつけて売ること、です。

2018年の第3号のときは、リリース直後にイヴェント「渋谷並木座」をおこなって、そこでみなさんにけっこう買ってもらった気がします。自分がお客さんだった場合、リリース日とイヴェントが近いと気分的にもなんとなくいい感じがするわけですけど、主催者としてやってみてわかったのは、編集作業とイヴェントの準備を同時に進めるのはかなりしんどい。編集が滞って、イヴェント当日にリリースが間に合わないことだけは避けなくてはならないですし。

今年も「渋谷並木座」はおこなわれますが(後述)、開催がリリースから約5か月後なので、それまでに動きがあったほうがよいわけです。

で、即売会の話に戻りますと、一般のご来宅者さまには問答無用で押し売らせていただくことができて、また、執筆者様にはできあがったばかりの「トラベシア」を直接渡せる(送らなくていい)のがメリットです。デメリットがあるとしたら、せっかくみんな集まったのに感想が聞けないこと。なにしろまだ手に取ったばかりで、読んでないもんね。

今回初めておこなったことがふたつ。

ひとつめ。発売前、各執筆者に、ご本人様の部分だけでなく本文全体のゲラをPDFで見せました。これは単にいままで思い付かなかったのでやってませんでしたが、思い付いたのでやりました。やってよかったと思っています。

ふたつめ。献本。ツイッターなど、というか、ツイッターを見ていると「ご恵投いただきました問題」をときどき出てきます。「トラベシア」は、誰にも献本はしない姿勢を明確にしていて……と威張って言うことでもないんですが、普通に、たとえば自分があるひとの大ファンだとして、だからといってどうしてもそのひとに「トラベシア」を読んでほしい、みたいな図々しい発想にはなりようがない。もしそのひとの活動なりなんなりが「トラベシア」と関係あるとわたしが信じているとしたら、ただ献本するのではなく、原稿を依頼しますよ。

あわよくば宣伝してもらえるのでは、との純粋な下心で献本するのは、というかそれが献本の本質ではあるのでしょうが、なんか心がすさみそう。そんなんだったらPDFで献本しますけど、得体の知れない奴から100ページ近いPDFが来て、はいそうですかと読むほどヒマなひとはそうそういないでしょうし、いたとして、そんなひとがわたしが期待するほどの対世間的な影響力を持っているとは思えない。

いま思い出したけど、過去にたぶん一度、半分はずみみたいな成り行きで献本したことはあったわ。もっとも、その時点ではそういうつもりはありませんでしたが、そのひとには将来的になにかを頼む可能性はあるので、そうなるとわたし内部での基準には抵触しないことになります。

今回、自分として、これじゃ「献本」だなー、「献本」ってやつだ! と感じつつ進呈したのは3名様です(*4)。読んでくれてないひともいるだろうけど、それはまあよいとする。

○まだ出会っていない

こうして長々と書いてきた理由は、買ってくださったみなさまへのご報告と、まだお手に取ってくださっていないみなさまへの宣伝です。

買ってもらえてないみなさまの中にも、内容を知ったら欲しくなるひとがいるかもしれない。ということで少しばかり。文章の構成というか順番がおかしい気もしますが、ここまでの文章で話題になっている「トラベシア」とは、わたしが編集・発行・その他いろいろをしているリトル・プレスです。

普通に読める日本語の雑誌、というキャッチフレーズでやってます弊誌は、2016年に創刊され、いままで毎年1回ずつ発行されています。「日本語について」を特集テーマとして今年発行された最新号のデータ的なことは、こちら(→☆)をご覧ください。

このキャッチフレーズ、ひとによっては、挑発的であるとか、意味がわからないとか、各種の反応をもらうのですけど、作っている側の意図としては、こんな感じです。
・なにかの専門誌ではない。
・読むための前提があまり要求されない。
・なにかの体系的な知識は得られない。
・なにかのフォーマットにのっとっていない。

つまり、ここ数年のインターネットでバズりそうな要素とほとんど正反対のようなものである、と。

執筆者の選定にはわたしの嗜好が色濃く反映されていますから、いままでの号の案内をここいら(→☆)(→☆)(→☆)で見て、あなたの知っている名前があれば、それはそういうことです。あなたの知らない名前が多いとしたら(たぶんそうでしょう)、この雑誌の執筆者のかなりの部分が、自分の名前の露出度が収入とは関わっていない、いわゆる一般人だからです。もし万が一、あなたがいずれかの号についてすべての執筆者の名前を知っていて、なおかつまだ「トラベシア」を持っていないとしたら、きっとなにかの間違いでしょう。いますぐに買ってください。

ときどき誤解を受けることとして……「トラベシア」の執筆者のみなさまがある種の文化的/政治的総体を構成しているとかは、一切ないです。「カイエ派」みたいな意味での「トラベシア派」みたいなものは、存在しません。わたしと、わたしがお願いして原稿を書いてくれたひとたち、がいるだけです。

それでも、いままで一度でも登場したことのあるひとは、わたしにとってのある必然性のハードルをクリアしているのですし、一般人の中で複数回出てくれているひとたちについては、なおさらです。なおさら、というのは、「トラベシア」以外からもすぐにでも原稿依頼が来るべき、と思っている、という意味です。

本当に不思議なんですが、いままで、「トラベシア」に書いてる誰それさんにうちの媒体でも頼みたいから連絡先を教えてくれ、的な引き合いが来たことは、一度もないです。当然わたしはわたしの審美眼に自信を持っているので、この問題については、プロの編集者ってのも意外と見る目がないんだな、といつも思っていますし、これがいままでやってきた最大の心残り。

さて、じゃあ「トラベシア」に載っているのは実際にはどんな文章なんだよ、と言われると思いますが、各自どこかでどうにかして立ち読みしてください(取扱店は後述)。第3号に掲載された、小西康陽さんの「初期のサザエさん」は、小西さんのヴァラエティブック『わたくしのビートルズ 小西康陽のコラム1992−2019』(朝日新聞出版)に収録されていて、比較的容易に読めます。ただし「トラベシア」掲載のものとは、若干ヴァージョン違いです。

「トラベシア」の全体のクウォリティや傾向とどのくらい関係があるかは自分ではわかりませんが、主宰のわたし自身の書いた文章は、このブログに転載してあります(→☆)(→☆)。ただし自分では、今回の最新号に書いた「米と油」が、いままで自分がこの雑誌に書いたものの中でいちばん面白いと自負しています。これもブログに載せるつもりだったんですが、ルビや写真が多くてうまく再現できないので、やはり誌面で読んでもらうのがよい、と考えています。冒頭部はこんな感じです(→☆)。

○これから出会うひとへ

宣伝の続きです。11月23日(土・祝)の昼間、渋谷のライヴ・ハウス、ロフト・ヘヴンで、「トラベシア」リリース記念イヴェント「渋谷並木座」Vol.3があります。詳細はこちら(→☆)(*5)。

「渋谷並木座」は、なるべく盛りだくさんな感じにしたいのと、いらっしゃったみなさんと執筆者のみなさんとの歓談の時間を設けたいのと、このふたつの意図で、映画上映+DJタイムという構成になっています。

11月23日は、映画は内村茂太監督の激レア短篇「猿! ゴリラ! チンパンジー!」を、このイヴェントのためにディジタル化してお届け(原版は8ミリ)。瞬間風速的には「オルエットの方へ」を超えているガールズ・わちゃわちや・ムーヴィです。おたのしみに。

それともう1本、参考作品(約100分)が上映されます。詳細は当日発表。昔の洋画(劇映画)ですが、いわゆる旧作邦画をある程度ご覧になっているひとが見たら、こんなところにも「日本映画」があったのか、とびっくりされるのではないかと思います。というかわたしはそういうふうに見ています。

その紹介ではあまりにも茫漠としているので、もう少しヒント的なものを。わたしがわざわざ時間と手間をかけて字幕を作るのですから、以下のようなジャンルや傾向やキーワードのものではありません。(こういったものがお好きな方を揶揄する意図はありません)
・狂気
・乾いた暴力
・推理もの
・ホラー
・スプラッター
・SF
・耽美
・ゴシック
・エロス

また、わたしが好きそうな、人権、コメディ、労働組合、教育問題、などとも、直接はかかわっていません。レンタル・ヴィデオ屋のジャンルでいうと、たぶん「ヒューマン」。

映画の上映のあとはDJタイムです。過去2回の「渋谷並木座」では、はるばる栃木県から、キッズDJデュオのmiro & nikaをお招きしました。今回はもうちょっと遠く、アメリカはイリノイ州シカゴから、ヴァン・パウガムさん(→☆)(*6)にご参加いただきます。

韓国、台湾、東南アジア各国で日本のシティ・ポップが再評価というか初評価というか一種のブームになっていることは、誰かの仕掛けとか話題先行とかじゃなくて事実であることは間違いないようですね。アメリカにおけるそのシーンを先導するひとりがパウガムさんだと思っています。削除されてしまったYouTubeは10万人を超えるチャンネル登録者を持っていました。いまではSoundCloud(→☆)などで精力的にミックスを発表しているほか、アメリカ国内外でDJをなさっています。

もともとアメリカのソウル、ディスコ、ファンクなどに強く影響されてできた日本のシティ・ポップが、アメリカ人のDJによって渋谷でプレイされるのは、わたしなんかにとっては異常に興奮させられるシチュエーションです。また、日本(語)の音楽に対してわたしが持っているようなアンビヴァレントな感情を持ってらっしゃらない健全な精神のみなさまには、ひたすら気持ちよい時間になるものと確信しております。

パウガムさんは11月の最終週は東京に滞在して、何度か各所でプレイなされるようです。「渋谷並木座」にお越しいただけないみなさまは、スケジュールをチェックして、ぜひどこかに聴きに行ってみてください。

「渋谷並木座」は、会場のロフト・ヘヴンのホームページにて予約受付中(→☆)。わたしに直接連絡いただくのでもOKです。

○ついに出会える

さて、ここまで読んで「トラベシア」が欲しくなった場合はどうすればよいか。11月23日の「渋谷並木座」では、最新号「日本語について」だけでなく、第2号「労働」も販売します。ほかの号は品切れです。ほかにも、以下の方法で買えます。

◎実店舗
最新号「日本語について」を卸した店舗の一覧です。売り切れているところもあると思います。各自ご確認ください。ただし、開店直後や閉店直前に電話するのは迷惑な場合もありますので気を付けましょう。

乃帆書房(秋田市)
PEOPLE BOOKSTORE(茨城県つくば市)
古書 アベイユ・ブックス(千葉県佐倉市)
ディスクユニオン北浦和店(さいたま市)
ディスクユニオンJazzTOKYO(東京・御茶ノ水)
ブックユニオン新宿(東京・新宿)
古書往来座(東京・南池袋)
Title(東京・荻窪)
タコシェ(東京・中野)
H.A.Bookstore(東京・蔵前)
本屋B&B(東京・下北沢)
古本と肴 マーブル(東京・東陽町)
本屋ロカンタン(東京・西荻窪)
ノラバー(東京都西東京市)
恵文社一条寺店(京都市)
Calo Bookshop & Cafe(大阪市)
blackbird books(大阪府豊中市)
1003(神戸市)
本屋ルヌガンガ(高松市)
ブンコノブンコ(那覇市)

◎通販
・BOOTHにて
「トラベシア」はこちらです(→☆)。pixivのアカウント登録が必要です。入金方法はPayPal、クレジットカード(VISAかマスターのみ)、楽天ペイ、銀行決済、コンヴィニ決済があります。

・直接わたしへ連絡する
メール(suzukinamiki@rock.sannet.ne.jp)か、ツイッターのDM(@out_to_lunch)で連絡ください。入金方法はPayPal、銀行振込(三菱UFJ、みずほ)、アマゾンギフト券、LINEペイが可能。

◎文学フリマ
11月24日(日)に開催される文学フリマ東京(→☆)に、伊藤螺子さん(→☆)との共同ブース「ホテルニューオバケとトラベシア」(→☆)として出店します。ブースの場所は「ウ−38」。

「トラベシア」(最新号Vol.4とVol.2「労働」)、伊藤さんの短編集『UFOを待っている』、そして、わたしや伊藤さんが寄稿していたりしなかったりする批評誌「ビンダー」が販売されます。

「トラベシア」をお金を払って買ったり、「渋谷並木座」に有料入場したりしてくださるみなさまとお会いできるのを楽しみにしています。

−−−

*1→ 偏見かもしれないけど、そういうことを言う男子はあまり見かけない気がする。

*2→ 樫田那美紀(なみき!)さんが作っている「生活の批評誌」第3号「ひとりで無職」(→☆)に、無職時代を振り返った文章を寄稿しました。わたしのもの以外のも面白いので読んでみましょう。

*3→ わたしが行ってるのは、毎週土曜日の14時〜16時にやっているやつ(→☆)。お金などはかからず、申し込みも不要で顔を出してかまわないので、興味のあるひとは一緒に行きましょう。

*4→ 偶然ですが3名様とも名字のイニシァルがK。

*5→ ニュースサイトに載ってるほうがちゃんとしたイヴェントっぽく見えて、そういうことで安心したいひとは安心だろう、と思ってナタリーに掲載依頼を出しましたが、返事がないのでたぶん載らないんでしょう。イヴェントの中身自体はちゃんとしてますので安心してください。

*6→ Paugamというやや珍しい気がする名字、カタカナでどう書くのがよいのかを確認しようと思ったら、ご本人のサイトに「パウガム」とあったのでそれを採用しちゃいましたが、ポウガムとかポウギャムのほうが原音に近いのかもしれません。会ったときに訊いてみます。

◎写真は、ハワイ島コナで見かけた日本語と、池袋の火鍋。

雑記
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普通に読める日本語の雑誌「トラベシア」Vol.4 リリース記念イヴェント「渋谷並木座」Vol.3
Posted by: 鈴木並木 SUZUKI Namiki (→Profile)

普通に読める日本語の雑誌「トラベシア」Vol.4 リリース記念イヴェント「渋谷並木座」Vol.3

【日時】
2019年11月23日(土・祝)
開場 11:30
開始 12:00
終了 15:00(予定)

【上映】
12:00〜14:00
・内村茂太「猿!ゴリラ!チンパンジー!」(1995年/16分/デジタル上映)
・参考上映作品(約100分/詳細は当日発表)

【DJ】
14:10〜15:00
The original City Pop DJ from Chicago
Van Paugam
https://www.vanpaugam.com

【会場】
ロフト・ヘヴン
渋谷区渋谷2-12-13八千代ビルB1F
TEL:03-6427-4651
http://www.loft-prj.co.jp/heaven/

・渋谷駅東口から六本木通りへ。渋谷2丁目交差点すぐ。徒歩約8分。
・表参道駅から青山通りを渋谷方面へ。青山学院大学を左折して六本木通りへ。渋谷2丁目交差点すぐ。徒歩約8分。
・セブンイレブンとすき家のあいだの地下です。

【料金】
大人 1500円
高校生以下 1000円
(+別途ドリンク代600円)
*全席自由

【予約】
予約・当日とも料金は同じですが、予約が多ければ多いほどそれだけ安心して当日に臨めますので(わたしが)、よろしければぜひ。メール(suzukinamiki@rock.sannet.ne.jp)かツイッターのDM(@out_to_lunch)にて、お名前、人数をお知らせください。当日精算となります。お店のサイトからも予約可能です(→☆)。

【内容】
普通に読める日本語の雑誌「トラベシア」(→☆)による、映画の上映とDJのイヴェントです。

たぶん7年ぶりの上映となる「猿!ゴリラ!チンパンジー!」は、内村監督のパブリック・イメージ/トレードマークである日記/エッセイ映画とはひと味違う、3人の女子の脱力冒険譚。誇張でもなんでもなく、最大瞬間風速的には「オルエットの方へ」を超えています。ほぼ最初から最後まで画面にあるものが映っていることとか、あまりにも特異な音楽の使い方とか、ともかく前回見たときから(比喩的には)ずっと忘れることができず、あるとき、「あっそうだ、自分で上映すればいいんじゃん」と気付き、このたび、上映することにしました。オリジナルは8ミリですが、今回は当イヴェントのために特別に製作されるデジタル素材による上映。テレシネはおそらく大西健児監督がやってくれるようです。

もう1本の「参考上映作品」の詳細は、当日のご案内とさせてください。日本語字幕付きの昔の外国語映画、白黒の劇映画です。東京ではここ15年間で2回くらいは上映されたことがあるので、めちゃくちゃレアというほどではないですが、たぶんこの監督の作品は日本盤のDVDは出たことがないので、貴重な機会ではあるかなと。

今回これを上映する理由は、自分がまた見たかったからなのはもちろんで、これは「並行世界で存在しえたかもしれない日本映画」だと思っているから、ということがあります。結果的にいままで日本ではこのような題材というか背景の映画は撮られてこなかったようですが(もしあったらご教示ください)、それでも可能性としては、充分に存在しえたと思っています。旧作日本映画ファンのみなさまのうちどのくらいの割合のみなさんが、わたしがしているようなやりかたで架空の日本映画史を楽しんでらっしゃるかはわかりませんが、たとえばこんなスタッフとキャストによって外国語で撮られた日本映画みたいなんですよ、と申し上げておきます。

監督……小林正樹 または 木下惠介
主人公(男)……久保明
主人公(女)……考え中
主人公(女)の父……月形龍之介

映画のあとは、「トラベシア」にも執筆してくださっているシカゴのヴァン・パウガムさん(初来日)による、メロウでバブリーな80年代日本のシティ・ポップDJをお楽しみください。たぶんすべてヴァイナルによるプレイです。昨年の5月、ニューヨーク、ブルックリンでの和モノ・イヴェント「ニッポン・リーグ」で彼とその他何人かによってプレイされる日本の音楽を聴いたときの不思議な感覚が、今回の「トラベシア」Vol.4の特集「日本語について」のインスピレイションの源泉の一部になっているのは間違いありません。SoundCloudにいろんなミックスがあがっているので聴いてみてください(→☆)。

当日はもちろん、「トラベシア」も販売いたします(最新号と、Vol.2「労働」のみ)。たくさんのみなさまにお会いできますことを。

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『コテコテ・サウンド・マシーン』&「トラベシア」発刊記念・共同自主企画「日本語と相撲と能とコテコテ」
Posted by: 鈴木並木 SUZUKI Namiki (→Profile)

『コテコテ・サウンド・マシーン』&「トラベシア」発刊記念・共同自主企画「日本語と相撲と能とコテコテ」

【日時】
2019年09月28日(土)
開場/開演 11:30
終了 15:00(予定)

【LIVE】
一噌幸弘(笛)
http://issoyukihiro.com/

【DJ】
浦風親方(DJ Sikisima)
鈴木並木(「トラベシア」発行人)
原田和典(『コテコテ・サウンド・マシーン』著者)

【会場】
LOFT HEAVEN
渋谷区渋谷2-12-13八千代ビルB1F
TEL:03-6427-4651
http://www.loft-prj.co.jp/heaven/
・渋谷駅東口から六本木通りへ。渋谷2丁目交差点すぐ。徒歩約8分。
・表参道駅から青山通りを渋谷方面へ。青山学院大学を左折して六本木通りへ。渋谷2丁目交差点すぐ。徒歩約8分。
・セブンイレブンとすき家のあいだの地下です。

【料金】
当日・予約 2000円
高校生以下 1000円
*ドリンク代が別途600円かかります。
*全席自由(椅子席)

【予約】
お店のサイトから予約可能です(→☆)。また、鈴木のメール(suzukinamiki@rock.sannet.ne.jp)かツイッターのDM(@out_to_lunch)に、お名前、人数をお知らせいただくのでも大丈夫です。どちらも当日精算となります。

【説明】
ジャズ・グルーヴ、ファンク&ソウルの名盤・奇盤を約300タイトル、フル・カラーで紹介する『コテコテ・サウンド・マシーン』(スペースシャワーブックス)の著者・原田和典さんと、普通に読める日本語の雑誌「トラベシア」の発行人・鈴木並木(わたし)が、発刊を自分たちで記念するための催し。音楽で気持ちよくなっていただいて、財布の紐をゆるめていただいて、ご来場の記念にわれわれの本を買っていただくのが目的です。

内容は、ライヴ、DJ、トークの濃厚3本立て。ほかではなかなか実現しない顔合わせかと思います。

ライヴは、安土桃山時代より続く能楽師の血を引く重要無形文化財総合指定保持者の一噌幸弘さん。セシル・テイラー、デーモン閣下、石川さゆりなど幅広い共演歴を誇る、ジャンルを飛び越えた存在です。当日はデュオでの演奏を予定。他に類を見ない和洋融合の音曲世界をお聴き逃しなく。笛独奏でのバッハ。2分半と短いものですのでぜひお試しを。→☆

ゲストDJは、浦風親方(DJ Sikisima)さん。「渋谷系力士」の異名をとった元・敷島関です。『コテコテ・サウンド・マシーン』では原田さんのトーク相手として登場、帯でも「俺はやっぱりこっち側のジャズが好きだなあ!」と発言しておられる親方。脂っこ〜いプレイを聞かせてくれることでしょう。当日は歌わないと思いますが、ブギを歌っておられる動画がありましたのでご覧ください。5分半。→☆

また、この催し限定でタピオカドリンクも販売される予定。ふだんのロフト・ヘヴンのメニューには載っていないところ、わざわざ外部からタピオカの方をお呼びします。これは原田さんのアイディアでして、原田さんが最近大きな刺激を受けている存在のひとつがタピオカであるのが理由(もうひとつはソレイユ)。

詳しいタイムテーブルはいま考え中ですが、長丁場でも疲れないように途中にトークの時間をはさんだりしますので、そのあいだにフードやドリンクのおかわりを注文したりしてください(←こういうのライヴのMCで聞くと、余計なお世話だよ、と思ってしまいますが、今回は自分が主催者の立場なので言わせてネ)。もちろん、原田さんの『コテコテ・サウンド・マシーン』とわたしの「トラベシア」も随時お買い求めいただけます。

みなさまにお会いできるのを楽しみにしています!

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普通に読める日本語の雑誌「トラベシア」第4号発行のお知らせ
Posted by: 鈴木並木 SUZUKI Namiki (→Profile)

普通に読める日本語の雑誌|トラベシア|Vol.4|日本語について

2019年06月29日発行|400部
A5判|ヨコ書き(一部タテ書き)|90ページ
600円(税別)

対談|小原秀一×ジョー長岡|テレビ版 「まんが日本昔ばなし」の中の“にほんご”

伊子|日本語との縁
いしあいひでひこ|書いてる言葉(キーボードで)
伊藤螺子|休戦協定
ヴァン・パウガム|あるガイジンの回想
王小葵|親しんだり親しくなかったり
木村有理子|アラン・カミングの瞳
小松夏子|踊り場でてんてこ舞い
佐久間朋子|リップ練
佐藤柿杵|あることば(かなでなおしてでなおす)
佐藤麻弥|非文の遊び
城定秀夫|ことばのこと
鈴木並木|米と油
田口真希|川床亭日乗
寺岡裕治|書かれなくてもよかったのに日記
中野さやか|素甘考
原田和典|蒲田(専売所)行進曲
深堀骨|獅子河馬部考(素骨)
真付巳鈴|白いスリップが見えたら
豆田妙子|1995年のこと
水下暢也|詩の在り方に関する横書きの反散文詩
ムチコ|型抜き
若木康輔|翔太と美咲
渡邉寿岳|聞いた時から

イラスト・ロゴ原案|畑中宇惟
デザイン|村松道代
編集・発行|鈴木並木

【おわび】制作進行上の手違いによって、表紙および裏表紙イラストの解像度が、本来意図していたものよりも低くなっています。あしからずご了承ください。

◇社会を明るくする運動|鈴木並木
実家に帰ると家の内外の至るところに「社会を明るくする運動」のポスターがはってあって、長くなるので経緯は省くとして、ま、「そういう家」だと思っていただいて差し支えないわけですが、なんてひねりのないネーミング、とずっと思っていたのが、あるときから、「社会を明るくする運動」ね、いいじゃんいいじゃん、と感じるようになりました。

で、「トラベシア」、Vol.1「顔」、Vol.2「労働」、Vol.3「あかあさん」に続く第4号のテーマは「日本語について」です。

いちばん最初の原稿依頼メールは昨年の12月には送られていたので、結局今回もまた、つくるのに半年かかってしまいました。誇張でなく毎日、いろいろなやりかたで日本語について考えていて気付いたのは、この雑誌でやろうとしてきたのは言ってみれば「日本語を普通にする運動」であり、……くだくだしいので大幅に中略……、それはつまりわたしにとって「社会を明るくする運動」とほぼ同義なのだ、ということでした。

もともと、3号でいったん終わりになるつもりでいて、続けるとしたら違ったやりかたを考えないとな、とは感じていました。今回、本質的にはいままでと変わっていないようでありながら、わたし自身の意図と不可抗力とによって、細かい部分でちょこちょこと変化がもたらされています。物事なかなか思いどおりにはいかないものだなと痛感させられつつの編集でしたが、同時に、お読みくださるみなさまからの反応はいつもどおり、とても楽しみです。

発売初日には、我が家での即売会兼ホームパーティも予定されています。いくつかの書店様でも扱っていただくことになると思いますし、通販もおこないます。みなさまと日本語との新たな出会いのきっかけになれたら幸いです。

◇購入方法
○通販(本人から)
日本国内の場合、5冊くらいまでは何冊でも、送料一律180円です。それ以上は別途計算。国外は送料実費で対応します。ご住所、お名前、冊数、ご希望のお支払い方法、行ってみたい場所(任意)を、メール(suzukinamiki@rock.sannet.ne.jp)またはツイッターのDM(@out_to_lunch)でお知らせください。折り返し、手続きについてご案内します。

支払い方法は下記からお選びください。前払いでお願いします。送料込みの合計振込額は、1冊→780円、2冊→1380円、3冊→1980円、です。

・三菱UFJ銀行口座への振込み
・みずほ銀行口座への振込み
・Amazonギフト券(メールタイプ) ←Amazonのアカウントお持ちでしたら、手数料かからず支払いできます。受取人を「suzukinamiki@rock.sannet.ne.jp」と指定してください。
・LINE Pay ←わたしのIDを追加していただく必要があります。お問い合わせください。
・PayPal ←宛先のメールアドレスについてはお問い合わせください。

わたしの銀行の口座は昨年から変わっておりません。ご存知の方は、わたしからの連絡を待たずにさっさと振り込んでいただいても大丈夫です。あと、これはむろん強制ではないので読み飛ばしてくださってぜんぜんかまわないんですけど、既定の額よりいくらか多めに振り込むことによって、応援する気持ちを示すことが可能です。

○通販(サイト経由)
クレジットカードやコンヴィニ払いなどで購入したい場合は、BOOTHをご利用ください。知らないひとにメールなどを送ったりするのが生々しくて抵抗があるとか、面倒、という方も。結局わたしが家から発送するので同じことですが。「トラベシア」のブースはこちら →☆

○まとめ買い割引 Sale!!
Vol.2「労働」とVol.4「日本語について」を合わせて2冊以上お買い求めいただくと、送料無料となります。「労働」1冊と「日本語について」2冊、とかでもOK。ただしこの割引の趣旨は「労働」の在庫を処理することですので、「日本語について」だけ複数冊お求めの場合は適用されません。普通に考えてご理解ください。 BOOTHでは、「労働」と「日本語について」各1冊ずつのセットのみ販売いたします。それ以外の組み合わせをご希望の方は、わたしまで直接ご連絡ください。

○実店舗での購入 Tempo!!
11/10現在、以下の各店舗でお買い求めいただけます。お店によってバックナンバーを取り扱っているところもあります。詳細はそれぞれのお店にお問い合わせください。ただし、開店直後や閉店間際に電話するのは失礼なのでやめましょうね。

乃帆書房(秋田市)
PEOPLE BOOKSTORE(茨城県つくば市)  
古書 アベイユ・ブックス(千葉県佐倉市)
ディスクユニオン北浦和店(さいたま市)
ディスクユニオンJazzTOKYO(東京・御茶ノ水)
ブックユニオン新宿(東京・新宿)
古書往来座(東京・南池袋)
Title(東京・荻窪)  
タコシェ(東京・中野)
H.A.Bookstore(東京・蔵前)
本屋B&B(東京・下北沢)
古本と肴 マーブル(東京・東陽町)
本屋ロカンタン(東京・西荻窪)
YATO(東京・両国)
ノラバー(東京都西東京市)
恵文社一条寺店(京都市)
Calo Bookshop & Cafe(大阪市)
blackbird books(大阪府豊中市)
1003(神戸市)  
本屋ルヌガンガ(高松市)  
ブンコノブンコ(那覇市)  

◇取り扱い希望のお店のみなさまへ Notice!!
「トラベシア」は取次などを通さない完全独立出版物となります。ありがたくも取り扱いご希望の場合は、suzukinamiki@rock.sannet.ne.jp までご連絡をお願いします。基本的には7掛けでの買い切りでお願いしております。送料当方負担、もしくは直接搬入で納品します。 なお、いわゆる書店様以外での取り扱いも大歓迎です。こちらの意表を突くような業種のお店からのご連絡も、お待ちしております。ご検討用の、内容サンプルもご用意しています。お気軽にお問い合わせください。

また、一応書いておきます。発売記念イヴェントをやってくださる奇特な書店様なども募集中です。こちらからの持ち出しさえなければ、ギャラの多寡は問いません。遠隔地で、交通費や宿泊費が発生するような場合も、全額負担してくれとは申しません。まずはご相談ください。ただしわたしの名前での集客はさほど期待できませんので、どなたか(執筆者やスタッフなど)との組み合わせ、あるいはわたしが司会進行的な役割のもののほうが、金銭的なダメージは少ないと思います。リトル・プレスをつくること、みたいな話ならいくらでもします。

◇リリース記念イヴェント Event!!
たぶんそのうちやります。なにかの映画を上映する予定。

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2018年の映画など
Posted by: 鈴木並木 SUZUKI Namiki (→Profile)

2018年に見た映画のなかで、よかったもの。並びは見た順。

ポール・キング「パディントン2」(2017/英語)
草野なつか「王国(あるいはその家について)」(2017−2018/日本語/150分版)
ラウル・ペック「私はあなたのニグロではない」(2016/英語)
ジョナサン・デイトン&ヴァレリー・ファリス「バトル・オブ・ザ・セクシーズ」(2017/英語)
ブラッド・バード「インクレディブル・ファミリー」(2018/英語)
三宅唱「きみの鳥はうたえる」(2018/日本語)
チャン・ジュナン「1987、ある闘いの真実」(2017/朝鮮語)
英勉「3D彼女 リアルガール」(2018/日本語)
ジョン・M・チュウ「クレイジー・リッチ!」(2018/英語など)
川口勉「彼らの原発」(2017/日本語)

☆スペシャル・メンション
ベストODS:花組 東京宝塚劇場公演『ポーの一族』千秋楽 ライブ中継@TOHOシネマズ新宿(3/25)
主演男優賞:ドウェイン・ジョンソン(「ジュマンジ/ウェルカム・トゥ・ジャングル」「ランペイジ 巨獣大乱闘」「スカイスクレイパー」)
ベスト・トーク:映画『三里塚のイカロス』DVD発売記念イベント「永続敗戦レジームと新左翼運動」@紀伊國屋書店新宿本店9階イベントスペース(出演:白井聡×代島治彦、8/2)
ベスト特集:戦後映画史を生きる 柳澤寿男監督特集@シネマヴェーラ渋谷

☆ほんとはこっち
エドワード・ヤン「一一」@香港・百老匯電影中心
只石博紀「季節の記憶(仮)」@新宿・ケイズシネマ
アラン・ベルリナー「The Sweetest Sound」@渋谷・ラストワルツ「渋谷並木座 Vol.2」

グッド10が新作だけになったのはたまたまです。日本語映画の2018年は、少なくとも21世紀に入ってからいちばん充実していた年のひとつだったと思うので、自分の属している場所以外にも目配りできる超人的な誰かに、きちんと振り返っておいてほしい。たとえば揶揄されがちな少女マンガ原作ものひとつとっても、5年前といまとではぜんぜん状況が違うはずで、となると、ここ10年くらいの動きを概観する必要があるわけだから、まあたいへんな作業ですよね。

個人的には、2018年のほとんどを無職として過ごすことになり、時間はあったもののお金はなく、あげくのはてには電車賃ももったいないという気持ちになったりもして、その結果、自分が楽しめなさそうな予感のするものは積極的に見送るという、とうの昔にできているべきだった習慣がようやく身につきました。しかしイーストウッドは何人かにそそのかされてうっかり見てしまったので、2019年以降は見ないことにする。

それとは別に、見たい気はするけど見逃してしまったものもそこそこあって、そうしたなかで、やっぱり見ておけばよかったなと思っているのは「心と体と」「サーチ」「ア・ゴースト・ストーリー」くらいかな。後者の2本はこれからどこかで拾えるだろうけど。

「ほんとはこっち」枠の3本について。

エドワード・ヤンの「ヤンヤン 夏の想い出」はたぶん3回目か4回目で、やはり彼の映画ではこれがいちばん好き。初めて訪れた香港、日曜の21時からこの3時間弱の映画を見て、外に出てみると、年に1回か2回あるかないかの、特別な経験だったんだなとわかった。どうやら自分は、母語以外ではエモくなれないというか、オンリー日本語キャン・ブレイク・ユア・ハート的な思いを無意識のうちに持っていたようなんだけど、呉念真とイッセー尾形の英語での対話を聞いていたら、それがくつがえされた。ここでふたりが英語で話すのは、たとえばハリウッド映画でアフリカの土人までもが英語で話すのとはぜんぜん別の必然性に基づいているわけよ! とか考えながら、旺角の宿まで歩いた。ビルの外壁工事の足場は、2018年になってもまだ竹で組まれてた。

「季節の記憶(仮)」については、すでにさんざん話したり書いたりした気がする。たった1週間のあいだ、1日1回、合計7回だけとはいえ、映画館の設備で上映された意義というか迫力というか破壊力は、これまたやはり、体験してみないと絶対にわからないこと。

「The Sweetest Sound」は自分で字幕を付けて上映(たぶんジャパン・プレミア)したので、少なく見積もってもトータル10回くらいは通しで見た計算になるはず。めちゃくちゃ勉強になった。普段、わたしも含めた映画ファンって、自分がわかるところだけ、生半可な知識でもって、戸田奈津子の字幕を笑いものにしたりしますが、1本の映画のすべての言葉を理解するって普通に大仕事だよ。小津とかの伝説でフィルムを1コマ切っただの切らないだとかの話があって、もちろんその境地に近づけるはずもないんですが、それでも、1秒の無限の長さだとか、字幕1文字2文字をめぐる攻防だとかを体で覚えられたのは財産になりました。それはもちろんこの映画が、そうしたシヴィアな時間(=編集)の感覚を持った作品だから、というのも大きい。結局のところ自分にとって、映画とは編集(=時間をどう操作するか)なんですよ。ほんとはこれが2018年のベスト。

「季節の記憶(仮)」と「The Sweetest Sound」の上映活動をめぐっては、宣伝の重要性についてもなにかと考えさせられました。たいして面白くもないひとたちや作品が、宣伝によってさも大層なもののような印象を与えるのに成功しているのを見るのは、負け惜しみではあるんだけど、正直言って腹立たしかった。2019年はなるべく、実力以上に評価されたいし、身のまわりの面白いひとたちを盛り立てていきたい。ただ有名人とつるみたいだけのつまらないひとたちは、反省しながら虚空へと消滅していっていただきたい。

普通に読める日本語の雑誌「トラベシア」は、今年も発行される予定。ただしいままでとは若干顔ぶれが異なってくるはずです。

本年がみなさまとわたしにとって、楽しいこといっぱいの、よい年になりますように。

映画
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トーキョー・ワーキング・クラス・アンサンブル
Posted by: 鈴木並木 SUZUKI Namiki (→Profile)
不意の出費がわりと頻繁に、それでいて毎回確実に不意を突いて出現するその不意打ち具合と比べると、臨時収入なんてのは字面以外ではほとんど見かけない希少事象で、そもそも実在するのかすら疑わしい。あまりにもレアであるがゆえに、わたしはたぶん、21世紀になってから自分の身に降りかかってきた臨時収入をすべて思い出せる。悲しい気がするときなどは、それらのいくつかを反芻もする。

東銀座、明治通りの交差点を渡りきったところの路上であわてて拾った1000円札2枚。渋谷の嵯峨谷の自販機の釣り銭口から回収した、まだ店内にいるであろう誰かが取り忘れたお釣り、そしてその金で食べた蕎麦の、味(がしない)。大阪、1万円札で地下鉄の切符を買ったら、お釣りコーナーから出てきた1000円札9枚とは別に、入れたばかりの1万円札が挿入口からそのまま戻ってきた、通称「南森町の奇跡」。ある夏の夜には、コンヴィニのコピー機の下に落ちていた120円によって、当初買うつもりだった安アイスがハーゲンダッツに格上げされた。ところでハーゲンダッツの、どことなくオランダかデンマークあたりらしさを持つ名前の正確な由来を知らないひとは、知った瞬間にたいてい一度は驚いて、いまわたしがこうしているように、誰かに伝えたくなるはずだ。

つらつら書いてみて、そんなバカなことがあるものか、と一笑に付したくなるのが臨時収入の性質で、逆に不意の出費は、笑い飛ばすのも難しいし、そもそも思い出したくもない。直面したくない事実に直面しないためには最大限の努力はいとわないつもりでいるものの、己の不始末によって自分がいま現在、かなりのマイナスをかかえてしまっているのはたしかだ。幸い、返済期限は区切られていないから、日々少しずつ貯蓄すれば、いつかその額に達するはずではある。

とはいえせっかくだから、この困難に力強く立ち向かい、大胆に乗り越えてみよう。こまめな節約、単発のアルバイト、不要な残業、などなどで、どのくらいの期間で負債額をまかなえるだろうか。普段の収支とは独立した形の架空の出納帳をひとつ立ち上げ、そこに貯金をして、目標額に近付いていきたい。

−−−

☆某月某日
思い立つや否や、職場でひとり、急な欠勤。夜勤の人間が来るまでのあいだ、誰かが居残らなくてはならない。普段ならこうした打診はほぼことわっているところ、今日ばかりは、怪しまれない程度のふたつ返事で引き受ける。顔で泣いて心で笑って。地味で着実な滑り出し。

・残業代 +3200円
・映画に行けなくなった分 +1100円
・気が大きくなって予定外に食べた牛丼 −390円

☆某月某日
昔すこしだけやっていたバイト先に、数年ぶりに電話してみる。詳細を書くのにはさしさわりがありすぎるのだけど、昔と同じように社長が直接出た。物体Aをなに食わぬ顔で地点Bに届けるだけなら、5000円。届けた先の地点Bで物体Aを物体A'(見た目はほぼ同じだが、体積が10倍くらいある)と交換し、地点Dに届けるまでやるほうが、割がいい。しかし地点Bでの交換は必ずしもスムースに進むわけでもなくて、そうなると半日近くつぶれるし、その不可抗力的な不始末が原因で社長の機嫌が悪くなり、正当な賃金(そもそも正当な類のものではないが)を値切られたりする。面倒なので堅実に5000円だけ稼ぐ。社長が、これもやるわ、と500円のクオカードを手裏剣のように投げてよこした。帰り際、コンヴィニで使おうとしたら、残高140円くらいしかなかった。

・バイト代 +5000円(クオカードはカウントせず)

☆某月某日
新宿で駅員を怒鳴り付けていると、加藤くんに声をかけられる。ひさしぶりなのでマクドナルドで近況を交換。いい歳して、往年のバイト仲間とバンドを始めるそうだ、おめでとう。しかし名前が決まらないのだとか。「バイトってあの松屋でしょ? 五反田の。カトー&ジ・MGズとかでいいんじゃない。いや、ケイトーのほうがいいかな。ケイトー&彼のオーケストラとか」と提案すると、それじゃまるで毛唐みたいじゃないか、もうちょっとほかにないのかと、顔を真っ赤にマニエらせながら鬼のように身を乗り出してくる。

「ほーなぁ、いい大人がトンカチ叩いて働いたあとの楽しみにって集まるんだから、うーん、トーキョー・ワーキング・クラス・アンサンブルは」「それ、いただきます」。後日、加藤くんからLINEが来た。ご尊父にバンド名を教えたら、「労音のコンサートに出てきそうな名前だなあ」と言ってたそうだ。

・命名料 +220円(コーヒーと三角チョコパイをおごっていただきました)

☆某月某日
基本歩かない都市の一隅を例外的に歩いていたら、誰かから金を借りてFXでふやして返すのはどうだろうと思いついた。万が一ふやせなかった場合は、紙幣を水にひたしてふやかして返そう。そうして駅まで来ると、Uちゃんがチラシ配りをしていた。てっきりまだ美容師をしている前提で立ち話。しかし、いつの間にか右手にあったチラシを見ると、Uちゃんはお好み焼き屋に転職していたらしかった。今度食べに行くよーだなんて誰でも言いそうなあいさつをしながら、掌を上にした形で左手を前に突き出し、さっき頭に浮かんだアイディアを伝えると、憐れむようにしてそこに5000円を乗せてくれた。さっそく家に帰ってはみたものの、5000円はふやすこともふやかすこともできず、あっというまに溶けてしまう。

いくらなんでも気がとがめる。ドライフルーツ類の輸入が軌道に乗って羽振りがまあまあいいらしいNを拝み倒して8000円借りて、次の日、Uちゃんのお好み焼き屋に食べに行って3000円だけ返した。気まぐれで2000円分スクラッチの宝くじを買ったら、ありゃま、19000円当たった。

その中から6000円をNに返しに行ったら、律義さを褒められてミックス・ナッツの小袋をくれた。やたらとしょっぱくてのどが渇くそれを食べながら池袋から歩いていると、新文芸坐の帰りの上田に会ったので今日は自分がおごるからと大口叩いて飲みに誘った。最終的には3600円不足。

ここはオレの馴染みの店だからと上田が言うので、渡りに船、と足りない分は後日払いにしてもらったものの、どうもそもそもの会計が水割りというか水増しというか、水で割れば不可逆的に透明に近付いていくはずなのに、なぜかどんどん不透明になっていく感じでもあった。店を出ると靴の裏というか底の部分に1000円札が1枚、罪ほろぼしのように貼り付いている。酩酊して完全に金銭感覚が狂っていたのだろう、その免罪符でもってタクシーに乗って帰ろうと明治通りに向かって異常な低速で進んでいると、途中で文鳥に会った。

文鳥は馴れ馴れしくこっちの肩に全体重を乗っけてきながら、ポーカーがしたい、と言う。まさかこんな小さな鳥が相手では負けるはずもなかろう、せいぜいしこたま巻き上げてやれ、と急にシラフに近い状態にまで戻り、明治通りを渡って右手でタクシーを呼び止めながら左手で文鳥を上着のポケットに押し込み、ゴールデン街のゲイの五郎ちゃんの店に行って朝までポーカーをした。結局5000円負けてしまった。

翌日、Aに会ったとき、貸していた6000円、少しだけでも返してくれまいかと言うだけ言ってみたところ、思いのほか3200円戻ってきた。

・収支の計算が難しいが、いくらかマイナスになっている気がする。

☆某月某日
意外と貯金できない。手近で手っ取り早く稼げないものか。やや誇張して言えば、一定時間その場から離れずおとなしく座っていればとりあえず食うに困らぬ金がもらえるいまの環境がいちばん架空であり、荒唐無稽ですらある。これ以上は高望みというものか。

現時点ではなんとなく各自の得意分野を分担している家事労働を少し多めに引き受けて、妻から賃金をもらえばいいんじゃないかと思いついたが、さすがにおこがましい。そういえば井上ひさしは夫婦間での口論のたびに、勝ち負けに応じて何万円だか何千万円だかの架空のやり取りをしていたはずだ。いま妻にトータル6億円貸している、みたいな一文に爆笑した記憶がある。

・妻の部屋の引き出しで500円玉を拾う +500円

☆某月某日
学生のころに住んでいた街のショッピングモールのフードコートで、半日、アンケート調査のアルバイト。

駅の近くに、戦後の闇市がそのまま延命治療をほどこされたような一画があった。近くの工場の女子労働者、都心から戻ってきた仕事帰りのサラリーマン、地元の商店主らが分け隔てなく安酒を飲み、無内容、非生産的な会話を交わす。住んでいた当時はそこを通り抜けるのも嫌で、ブナはおろかぺんぺん草すら生えてないくせに、なんだよ「ぶなろ〜ど」って、と名前にすら毒づいていたものだったけど、いまならいろいろ合点がいく。はたして昭和92年のぶなろ〜どは、四半世紀前とさほど変わらぬ姿で同じ場所にあった。労働者の群れに埋没して、ホッピーを1杯だけ飲んで帰る。

・バイト代 +6000円
・酔っ払ってひと駅寝過ごす −133円

☆某月某日
ケン・ローチ「わたしは、ダニエル・ブレイク」見る。このひとのものに限らず赤っぽい映画はよく見るんだけど、その手の作品にありがちな、働くことのすばらしさ! 勤労の喜び! みたいな思想には、心の底からは賛同できない。

だからここだと、主人公の隣人であるスニーカーのブローカーに自然と目が行ってしまう。ケン・ローチはあのキャラクターについて、どう思っているのだろう。なんとなく、怠け者は彼の救済の対象に入っていないのじゃないかな。それは山田洋次や佐藤忠男先生についても同じだ。いまお読みのこの号に、当然いるべきこのおふたりが寄稿していないのを不思議に思う方もいらっしゃるかもしれませんが、そういう理由での気おくれから、依頼しそびれてしまったのです。

ところでこの映画の舞台であるニューキャッスル・アポン・タインといえば……と、同地を代表するフォーク・ロック・バンド、リンディスファーンの『フォグ・オン・ザ・タイン』をひさびさに棚から引っ張り出す。「ミート・ミー・オン・ザ・コーナー」がケン・ローチの映画に使われていてもおかしくなさそうな曲だと発見できたのはよかったものの、このアルバム、まったく同じエディションをダブって持っていたのに気付いてしまう。落胆する間もなく、うち1枚を部屋の隅っこ、同じような境遇のダブり盤の山に積み重ね、次の瞬間、山ごと持ち上げて業務スーパーのエコバッグの中に放り込む。そのまま最寄りのディスクユニオンに持っていって、売り払った。

・買い取り金額 +1120円(悲しくなるので、売った枚数はひみつ)

☆某月某日
なんやかんやで貯金が目標額に達した。妻の口座に15万円を振り込む。

・振込手数料 −216円(直接渡そうとしたところ、拒否されたため)

*「トラベシア」Vol.2に掲載(2017年6月)
雑記
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仁義の誕生
Posted by: 鈴木並木 SUZUKI Namiki (→Profile)
まだかろうじて新婚と呼ばれる夫婦であればおそらく世界中どこでもそうであるように、この家でも、配偶者以外との性交渉はどの程度まで認められるべきかについての話題が食卓に登場することがある。とはいえ、そうそう頻繁にそんな話をするはずもない。せいぜい2日に1回くらいのものだ。

もし許されない理由があるとしたら、結局のところ、仁義に反するからだとしか言いようがないだろう。この家では、夫がそのような事態を引き起こしてしまった場合、固い板の上に置かれた指に向かって刃物を下げおろすことはしなくてもよい。そのかわり、夫が妻に15万円を現金で払いさえすれば、すべて水に流される決まりになっている。しかしほんとのところなにが起きるのか、あるいは起きないのかは、その段になってみないとわからない。

いずれにしてもそのとき、妻の顔は、比喩的な意味でつぶされることになるだろう。もともと、物理的には比較的平たく、たいしてつぶしようもない形状であるからこそ、せめて真ん中でフルヘッヘンドしている部分くらいはつぶさないよう、よく気をつけないといけない。とはいえ肝心のその部分があまりフルヘッヘンドしていないのが妻の積年の悩みであって、だから妻と話をするとき、夫はいつも、親指と人差し指でもって妻のそれをつまむ。そしてまず手前に向けて引っ張り、次に垂直に下げおろす。しかるのちに手を離し、またつまんでは引っ張り、下げおろす。この繰り返しの動作によって、仁義は日々、確認され続ける。

−−−

ここから先は本当の話。仁義と聞いて考えるのはある種のロック・バンドのこと。曲ごとにピンポイントで適材適所、ゲストを招くよりも、気心の知れた仲間と音を鳴らすことを優先する集団。それが夫の考えるロック・バンドの定義だ。そうやって出てくる音が最高であれば申し分ないし、最高の何歩か手前だったとしても、さしあたりよしとしようじゃないか。たとえばNRBQ。ラモーンズ。エレファントカシマシ。スピッツ。ローリング・ストーンズ……は少し違うか。

しかし最近いちばん仁義を感じさせてくれたのは、前述のバンド連中ではない。では誰か。カール・ロスマンだ。それ誰だ。ストローブ=ユイレの映画「階級関係」の主人公である。どうして“&”ではなく“=”なのかは後述するとして(ふたりの階級=関係?)、女中を妊娠させて故郷を追われたカールくん、船の中からして、たしか他人の傘かなんかを心配して自分の荷物の見張りがおろそかになっているし、アメリカで働き出してからも、折に触れてやたらと不思議な義侠心を見せている。単なる親切の段階を超えた、弱い立場の移民同士のシンパシー。労働者たちの連帯。武器なき民の闘争。

昔は「アメリカ」と呼ばれていて、いまは「失踪者」というタイトルになっているカフカの原作は、だいぶ以前に何度か読んだだけなので記憶はあいまいだ。こんな人情ものだったっけ? たしかにロード・ノヴェル=股旅ものではあるだろうけど。むしろ原作は長谷川伸ですよと言われたほうが腑に落ちる。

夫=妻の今後のよりよい結婚生活のためにも、説明不可能な仁義の謎をいくらかでも解き明かしたい。もしかしたらカフカが長谷川伸を読んでいたってことはないものか。調べてみる。カフカの生まれは1883年7月、長谷川伸は明治17年3月。現代日本風に言えば、ふたりは同学年にあたる。ここで勝手に合点がいって、なにかを証明したつもりになって調べるのをやめてしまう粘りのなさが悪い癖だ。しかし言いたいことだけを言いっぱなしにするために、わざわざ私財をなげうってつくったのがこの冊子なのだから、これ以上フォローするつもりはない。逆に、独学でいろいろ本を読むタイプの勉強家だったらしい長谷川が、老眼鏡をかけて股火鉢でカフカを読んでいる図を想像してみる(難しい)。

−−−

結婚前から妻が夫にしばしば言う台詞が「○○(←家庭内でのみ使われる夫の呼ばれかた)は自分のことをおびやかさないような女が好きなんだもんね」であった。それに対して夫は、拗ねたように黙ってみたり、「そんなの当たり前じゃん!」と逆ギレしてみたり、無言で腹パンチを喰らわしてみたり、いつも困窮している妻のサイフにいっそこっそり2000円くらい足してみたりする。そうした夫の反応を総合して振り返ると、自分自身のことながら「かわいい」以外の形容をすることはきわめて難しい。

しかし、己のかわいさやけなげさにうっとりしているだけでは、夫として能がない。同じ台詞を繰り返すばかりの妻の芸の乏しさも糾弾されるべきとはいえ、その言葉を発するたびに、妻の顔は、比喩的に、少しずつしかし確実に、つぶれつつあるのではないだろうか。ふたりには今一度、仁義が必要だ。

夫から妻に対するリクエスト、あるいはいちゃもんは、基本的にはあまりない。ときおり一緒に出かけて、アース・ミュージック&エコロジー系統の店の前を通りかかるたびに、バカのひとつ覚えで「こういう服は着ないのか」と訊くくらいである。そう訊いたときの、夫をバカにしきったような妻の顔が好きなのだ。顔だけではない。「古い!」と口に出して言いさえする。妻本人はといえば、隙あらばZARAなどに立ち寄りたがるのだが、あれは顔の彫りの深い西洋人向けの服なので、顔の真ん中がかろうじて薄ぼんやりとフルヘッヘンドしているだけの妻は、薄ぼんやりとした色や形の服をふんわりと着ていればよいと思うのだ。

兄貴分と姉貴分に立会人の血判をもらった紙で杯を折り、酒を酌み交わして、ふたりは夫婦になった。それから2年がたって、兄貴分は下総国は柏の在に、姉貴分は相模の藤沢郷へ、それぞれ処払いになって江戸を去って行った。もっとも、休みの日になれば電車に乗っていつでも会いには行ける。

紙っ切れ1枚でなにかが変わるのかと妻になる前の妻は訊いた。ほんとのところなにかが変わるのか、あるいは変わらないのかは、その段になってみないとわからない。わたしはこう答えた。紙に書かれた文字やパソコンの画面上の文章や液晶画面の音や光が原因で、一喜一憂したり、わけもなく興奮したり怒り狂ったり落ち込んだり、友達ができたかと思えば絶縁したり、お客様同士のトラブルの原因となったり、そういうのが現代人の振る舞いってもんだ。もっと信じてもいいんじゃないのか。俺をじゃなくて、言葉を。口からでまかせを言うときの夫の顔は、たぶん生き生きとしているはずだ。

−−−

ザ・コレクターズのライヴに通っていたのはもう20年くらい前の話だから、なにか言う資格はもうあんまりない。それでもドラムス阿部耕作の脱退には驚いた。本人のコメントの中の「私のバンドに対する情熱、創造性、技術の不足等々、足並みが揃わないこと、心が揃わないことが原因だったのではないでしょうか。」の一文に、さすがにしんみりとした気分になる。25年も一緒にいて、いまさら熟年離婚みたいなことを言わなくてはならないってのはどんな状況なのか。検索していたらベース小里誠の行状についての各種のタレコミも出てきた。事実かどうか知らないが、これこそ知らなくてよい情報の最たるものだった。

どんなロック・バンドだって岩のごとく磐石ってわけにはいかない。ましてや紙の仁義を交わしただけの男と女においておや。などと考えながら、妻の顔の真ん中のフルヘッヘンドをまず手前に向けて引っ張り、次に垂直に下げおろす。手を離し、またつまんでは引っ張り、下げおろす。

*「トラベシア」Vol.1に掲載(2016年8月)
雑記
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反射する
Posted by: 鈴木並木 SUZUKI Namiki (→Profile)

A ひさしぶり。

B そうでもないでしょう。ていうか、その格好は何。「その格好」ってのを説明すると、下半身はパンツすら着用しておらず、上半身には極小サイズの赤いTシャツを無理やりかぶっているもんだからBMI40超えの腹の肉の上にそれがまくれあがっている状態で、そんな破廉恥な身なりで濱口竜介特集のユリイカを読んでいるという。

A くまのプーさんの格好をして、「プーと大人になった僕」を思い出しながら、濱口竜介について考えているところだよ。

B なんで? 関係なくない?

A え? ていうか、逆に、本当に関係ないと思った? しょっちゅう「鬱だ死のう」って言ってるロバ、ダウナー系のドラッグをキメてるような覇気のなさでやたらと哲学的なセリフを繰り返すクマ。そのまま「親密さ」の世界に混在しててもおかしくないほどのおかしくなさじゃない? 途中からずっと、プーのセリフを佐藤亮の口調に脳内吹き替えしながら見てたんだけどね。「なにもしないことが最高のなにかにつながる」だとか。クリストファー・ロビンの「ぼくはもう“なにもしない”ができなくなった」とか。

B そういえば、列車の窓から見えるものを全部口にして言葉に変換していくゲームなんてのもやってたね。

A そゆこと。

B ユリイカにはそんなようなことも書いてあるのかな。

A もちろん、ユリイカはユリイカだから、そういうことは書いてないよ。ぼくやきみが、読む前に想像したような書き手たちによる、彼(女)らの最良の、あるいはそれなりの、仕事が載っているだけだよ。

B でも読んだら、あらためて「寝ても覚めても」を見直したくなったりするんじゃないの。

A 不思議なことにまったくそうはならないんだな。それはそれとして、またしばらくしたら見直すとは思うけど。それよりか、こういうんじゃない想定外の濱口本が存在すべきだろう、と、やや力強く感じたのさ。あ、そういえばユリイカ読んで、なるほどあれはそういうことだったか、と気付いた箇所があったな。仲本工事が唐田えりかを駅まで送って行って、バカなことをしたな、男はほかの男のちんちんが入った女を絶対に許さないんだぞ、みたいに言うでしょう。

B そんなこと言ってた?!

A 言ってたと思うよ。たぶんわざとノイズがかぶさって、聞き取りづらくなってたけど。でも実は、朝子と麦は、セックスはしてなかったんだと思うよ。

B あの略奪の場面から、たぶん翌朝の堤防の場面までの一夜のあいだにってこと?

A それだけじゃなくて、大阪時代の、付き合ってた頃も。

B いやーそれはないでしょう。たしかにハマリュー作品で濡れ場が見られるのはまだ先になるだろうけど、それにしても。名前呼ばれてぽーっとなってただけってこと?

A シネフィルならもちろんここで、蓮實重彦が「男はつらいよ」シリーズのさくらと博について、このふたりがセックスして満男を産んだとはとても思えない、みたいに言ってたことを想起してほしいんだけど、それだけじゃない。ユリイカの冨塚くんの論考を読むと、東出昌大の演じるふたつのキャラクターである麦と亮平のうち、麦は境界線を乗り越えない男、亮平は乗り越える男、みたいに書かれてたよね。

B 冨塚くんの下の名前が亮平なのは偶然なのかな。

A あれは、麦は越境してない、つまり貫通も姦通もしてないって意味だとぼくは受け取ったんだ。

B なるほど、それですべての辻褄が合うね。で、こういうんじゃない濱口本って、たとえばどんなの。

A たとえば鷲谷花が、カンフー映画を引き合いに出してあの気まずい場面のことを書いてたのは、いかにもあのひとならでの視点って感じがするよね(→☆)。あと、andre1977さん。このひとは誉めるにしても貶すにしても、一度なにかに引っかかるとずーっと引っかかってる。粘りがあるというかさ(→☆)。そういうひとたちが書いた濱口本があったらいいな。

B どっちも、トラベシアのひと、じゃん。

A いや、トラベシアに書いてるひとではあるけど、「トラベシアのひと」は、ぼくひとりだけだよ。トラベシア派、みたいのも、ないよ。……ついでだから言っておくと、すでに活躍されてる鷲谷さんはともかく、andre1977みたいなひとの文才、というのが言い過ぎであれば独自のグルーヴ、に誰も注目しないって、プロの編集者ってなにやってるのかね、と思うんだけど。いつも新しい才能を探してます、みたいのは建前でさ、すでに実績のあるひととか、それこそ自分の「派」に容易に取り込めるひとしか、登用されてないじゃん。

B 義憤に駆られているのかな。

A 義憤に駆られているよ。今後、自分のことはわりとどうでもよいので、頼まれもしないのに誰かのことを売り込んだりするよ。待ってろよ。

B わかったよ。

A それでハマリューの話に戻ると、「寝ても覚めても」は自分にとってはそれほど好きじゃないほうのハマリュー作品、との評価に落ち着くかもなんだけど、それとは別に不思議な作用をぼくに作用させてきててさ。見る映画見る映画、これをハマリューが撮ったらどうなるだろう、って思うようになった。

B 「プー」以外にもあるの。

A いろいろあるよ。たとえば「スカイスクレイパー」とか。

B ロック様の?

A 遅ればせながらドウェイン・ジョンソンのよさに今年は打ちのめされてるとこなんだけど。ロック様の立ってそこにいるだけでよいよさ、悪く言えば木偶の坊感、東出昌大に通じるものがあるなあって思ってしまうともうそこで、アクションを封印したドウェイン・ジョンソンが、ハマリューの撮るアメリカ資本のロマコメに出たらどんな演技をするだろうとか、そんなことばかり頭に浮かんでくるわけよ。

B ほかにはどんなの。

A あとは「累−かさね−」かな。

B なんて読むの。

A 「かさね」だよ。この映画は最初のほうの、土屋太鳳と芳根京子が出会う小劇場の場面がほんとひどくて、どんなキャラクターであろうと初対面の相手にその口のききかたはないだろう、って思うんだけど。ない、っていうのは別にそいつの人生を心配して言ってるとかじゃなくて、こんなセリフじゃ、こんな会話では、いくらなんでも見ているこっちが映画に入っていけない、って理由で言うわけだけど。

B ハマリューが言ってた、役者に恥ずかしい思いをさせないのが脚本の仕事とかそういうこと?

A そう、それ。いくら原作がマンガだからって、これでは演じるほうもしんどいだろうなと思う。

B そのへん、たとえば増村保造とかどう思ってたんだろうね。あれこそ、しょっぱなから非現実的なセリフとテンションの高さでもって役者と観客に負荷をかけて、映画をドライヴさせていくわけでしょ。

A この書き方だととくにこの場で結論を出す必要はないから、その問いは問いとして問いのままにしておいて、「累」の話に戻るね。

B うん、いいよ。

A ふたりの主人公のうち土屋太鳳は、顔はいいけど演技がいまいちで伸び悩んでる女優。芳根京子は天才的演技力を持ってるけど顔に大きな傷があって人前には出られない。このふたりがある道具を使って顔を入れ替えながら、お互いのアイデンティティを侵食してく話なんだ。

B 面白そうだね。ポスターだとつまんなそうだったのに。

A うん。天才小説家であることを奇嬌な言動と周囲の反応でしかあらわせなかった「響−HIBIKI−」と違って、「累」のクライマックスでは、土屋太鳳が本当に目を見張るような演技とダンスを見せるからね。そこに至るまでに、土屋が芳根の演技力を利用しているような部分もあれば、逆に芳根が土屋の外見を借りてというか土屋の皮の中に入り込んでいるような部分もあって、そういうのを経たこのクライマックスは、もはやふたりが融合した第3の人格としてしか見れなくなっちゃう。そこに至る途中でも、ふたりの顔が……とは単純に言い切れないな、画面上でのふたりの存在がごっちゃになっちゃって、あれ、いま見てるのはどっちのキャラクターなんだっけ? というのがとっさにわからなくなる瞬間がある。ふたりの顔は似てないのにね。

B ああ、きみが言ってた「二人二役」って、そういうことか。土屋太鳳も芳根京子も、中身が自分、っていうかもともとの外見に対応した人物であるときと、相手と顔を入れ替えている時間とがあって……ってことはあれ? 二人四役ってこと?

A いや、そんなに多くはなくない?

B ああそうか。

A でもって、そういう話なもんだから、劇中劇として「かもめ」と「サロメ」がふんだんに使われていて、しかも黒沢清ばりのドスン落下もあるし、「恐怖分子」みたいに壁一面が写真になってるところもある。これはハマリューにもぜひ見てほしいよね。というか続篇はハマリューに撮ってほしいよね。

B これ、監督誰だっけ。

A 佐藤祐市。前作が「脳内ポイズンベリー」で、来月は「ういらぶ。」が公開されるよ。

B 「キサラギ」のひとかあ。見たのが昔過ぎて覚えてないや。「シムソンズ」……加藤ローサってかわいかったよね。

A そうそう。ぜんぜん関係ないけど、遠藤さんっているじゃん。

B あの、いつも映画見てる、バンドやってたひと。

A うん。遠藤さんがとっとりくんに、最近話題の新作邦画何本かについて、「わたし好きそう?」って訊いたんだって。そしたらとっとりくんが、好きじゃなさそう、って答えたんだって。たぶん「寝ても覚めても」と「きみの鳥はうたえる」のことなんだろうけど、それこそ遠藤さんには「累」を見てほしいんだよね。増村が撮った「Wの悲劇」みたいな映画ですよ、ってだまくらかしたら見てくれるかな。

B 怒られるよ。

A 「3D彼女 リアルガール」の話もしていい?

B 相変わらずそういうやつばっか見てるんだね。監督は誰。

A 英勉。

B 中国人?

A 日本人だよ。はなぶさ・つとむ。

B あー「トリガール!」。あれつまんなかったなぁ。ただ土屋太鳳がかわいいだけで。「あさひなぐ」も見逃しちゃった。

A うん。「トリガール!」についてはそのとおりで、だから監督も土屋太鳳も発奮して、それでこその「累」であり「3D彼女 リアルガール」なんだろうな、と思ってる。

B そんなによかったの。

A 2次元にしか興味がなかった主人公を演じる佐野勇斗が、角度によっては松村拓海に似てるんだよね。こいつのキャラが批評的なオタクでさ、やたら早口なの。いやいやいくらなんでも戯画化しすぎじゃね? と思ったけど、考えてみたらnoirseさんもそういう、氾濫する情報の速度に必死で追いつこうとするような口数の多さだよなあと思った。すなわちリアルっていうか。彼とアニメの話で猛烈に意気投合する後輩の女子役の上白石萌歌もいい感じに地味でやっぱり早口だし、そうだ、佐野勇斗の周りには彼が好きな架空のアニメ「魔法少女 えぞみち」のキャラがときどき登場してくるんだけど、そのえぞみちの芝居がほんとに表現力豊かで。自分が声優の名前を覚えても仕方ないんだけど、なんてひとなのかなと思ってクレジット気をつけて見てたら……

B じゃじゃーん。

A 神田沙也加なんだよ!

B かんだ……? SAYAKA! 「エヴァー・シンス」の?

A いや、それ知らないけど。佐野勇斗にはアニメ好きの友だちがいてさ、常時猫耳をつけてるゆうたろう。そいつとか上白石萌歌とか、佐野の彼女の中条あやみ様とか、みんなで山小屋みたいなところに行くわけよ。そこで、中条以外はほぼ全員がいるシチュエーションで、ある重大な話がされる。ここ見てたら、場がそのまままるごと撮られている感じっていうか、「寝ても覚めても」の例の4人が最初に会う場面とは別に似てないんだけど、いま、少女漫画原作の映画、すごい多いじゃん。そうした映画が量産される中からそのうちブレイクスルーがあるだろうとなんとなく予感しつつも、だからっていちいち全部見るわけにもいかないってのが普通の態度だから、10本に1本くらい適当に見に行くくらいの感じで、でもなんかその、コッテージの場面を見ながら、「もしかしたら日本映画はすごい鉱脈を掘り当てつつあるのかもしれない」って、このままの言葉づかいで思って、静かに興奮したんだよね。中条あやみ様目当てで見に行ってよかったよ。

B 結局そういうことかよ。

A 中条様はともかく、いまの若い役者さんたち、男も女もおおむねみんな上手だし、見ていて楽しい。日本映画の未来には希望しかないね。

B 芝居とかわからないって、前、言ってなかったっけ。

A いまでもまあ、わかんないっちゃわかんないんだけど、自分にとって見ていて気持ちいいかっていうのはあるのと、あと、ずっと就活してたじゃん。

B ああ。

A いままでの経歴をなんども言わされるのよ。面接ではもちろんだし、あるいは派遣会社に登録する際にも。それこそエチュード的に、どういうふうに言うのが正解なのかわからないまま、繰り返すことになる。あ、ここから先は映画の話は出てこないよ。

B いいよ。

A ひとつ落ちると、うまくいかなかったのはなにかが悪かったんだろうと思って、次の機会では多少は意識的に微調整してみたりするんだよね。それで気付いたのが、こりゃあ簡単に紋切り型の演技になっちゃうよな、と。あるときはリラックスした雰囲気を出してみたり、はきはきした態度をとってみたりって。あとは、英語の面接だと、しゃべることに意識がフォーカスされるからか、逆にリラックスしてしゃべれるんだよね、妙なもんだけど。それこそ、相手のアクセントとか口調を「反射」してしゃべるしね。たぶん、子供がそうするみたいに。相手が自分の言ったことを聞いて、それに対してなにか言う。自分もそれに返す。また相手が返してくる。そのことの予想外の気持ちよさっていうかな。

B けっこう長いこと就活してたよね?

A まるまる半年。150件近く応募して、面接に行ったのが15社。途中から派遣でも探し始めて、登録した派遣会社が10社くらい。

B どこがよかった?

A 最終的にアデコで紹介された会社に拾ってもらった。アデコは営業力が強いのか、たくさん紹介してくれたよ。あと、赤坂見附のキャリアデザインITパートナーズってところは、登録に行っただけで交通費としてアマゾンのギフト券1000円分くれたからおすすめ。

B なんかいろいろ変わった仕事にも応募してたらしいじゃん。

A うん。田旗さんに教えてもらった、ピンク映画のプロデューサーとか。面接はたのしかったな。もし入れたら、草野さんにレズ映画撮ってもらおうとか考えてた。捕らぬ狸の、だったね。あと、大企業のウェブ社内報の編集とライティングの求人。これだったらできるだろうし、もしかしたら適職ですらあるんじゃないかって確信もあったけど、落ちた。

B 残念だね。

A それがさ、応募するとき、編集とかライティングの実績を証明するものを出せって言われるの。ウェブに書いたもののURLを適当に送ったけど、もし採用されたとして、こいつはこういう活動をしてるのかって上司とか同僚が最初から知ってるとしたら、ちょっとイヤだな。

B ま、落ちたんだしその心配は不要。

A 無職期間の最末期、阿久津さんの本を読んでた(→☆)。読書日記っていうか半分以上、労働文学じゃんって思いながら切ない気分で読んでた。自分はフリーランスとかお店やるとかは絶対無理だから、尊敬する。村松さんも独立して1年たったんだね。思えば村松さんの独立と、ぼくと宮崎さんの退職がだいたい同じ時期だったんだよな。

B 先月はバイトもしてたんでしょ。

A してたよ。当座の金にも事欠くありさまだったから。日雇いの会社に登録して、軽作業に行ったり、低温倉庫でコートを着たまま、鼻水たらしながら、業務スーパーに運ばれていく食品の配送の準備をしたり。閉店後のスーパーで朝まで棚卸とか。いきなり働き出して無職から週5になるのはしんどいから、そのまえに週に2〜3日働くのは、慣らし運転みたいなもんでちょうどよかったかも。

B これで暮らせるなーとか言ってなかった?

A もろもろ計算したら、月に30〜35日くらい働けばまあまあ余裕ができることがわかったよ。基本的にその日、その場で言われて覚えられる程度のことしかやらされないし、もし怒られてもその日限りで、次はその現場に行かなければいいわけだから、気楽だよね。

B きみはほんとうに労働に対する覇気とか向上心みたいなものがなくていいよなぁ。

A もちろん、ぼくなりに学びはあるし、仕事しながらいろいろ思索もしてたよ。人間の想像力って案外貧困で、知らないものは知らないままだから、スーパーで品物見て、へぇこんなのがあるんだ、って感心したり。

B たとえばどんな。

A 川越の轟屋って会社が出してる、鶏削り節。まだ買ってないから味はわからないけど、鰹節みたいに、乾燥した鶏肉を削ったふりかけみたいなやつ。めっちゃうまそうだな、就職して初任給が出たら買おう、と決意した。

B 思索とか決意とか、いちいちおおげさ過ぎやしないか。

A あとは、採血と採尿だけされて1万円もらえるボロいバイトとか、AIの学習用に日本語の音声を提供するための、民話を5分くらい朗読するバイトとかね。そうそうこれも、抑揚はつけなくていいからなるべくフラットに読んでくれ、って言われる。でもそれが意外と難しくて、キツネとかタヌキの声色が、つい出ちゃう。その演技がまた、しょせんはその場で渡されたものを読むだけだから、紋切り型以上のものに到達できるわけもない、って具合。

B 5分じゃしんどいわ。

A 大学の1年と2年のときにやってたのが、同じような日雇いのバイトでさ。土日とか長期休みになると事務所に行って、そこで仕事を斡旋されて働いてきてって感じの。同じところでずっと同じ人間と働くのは耐えられないだろうなってなんか、そんなことを思って、そういう働き方をしてた。いまは、暮らして遊ぶ金のためだったら多少はなんだってするつもりがあるよ。

B 25年ぶりに日雇い生活をしてみて、どう。

A 腰が痛かった。25年前の話をすると、毎日違う現場に行くとはいっても、派遣されてる元は一緒だから、何度も顔を合わせるひとってのはいるのよ。別にたいして話もしないとはいえ、「ああ、このあいだも」みたいなあいさつくらいはする。大学3年になって、新宿駅でそのころの顔見知りとばったり会ってさ。ぼくはもうあのバイトは辞めちゃいましたけどまだやってるんですか、なんて訊いたの。そしたら、俺もやめたよ、今度バーを始める、って言うから、へえーすごいですね、とか適当にあいづち打ってた1週間後には、そのバーに週2回、手伝いに行くようになっていたのさ。国分寺の南口。ピーター・キャットがあったのはこの近くだよなんて話も聞いた。ぼくは学芸大だから国分寺の北口はよくうろうろしてたけど、南口はあんまり行ったことがなくて、新鮮だったな。国分寺崖線、大岡昇平の「武蔵野夫人」に出てくる「はけ」ね。ああいうのを見て歩いたりもしてた。

B 初めて聞いた。

A うん……ぼくの武蔵野時代とバーテンのことは、いまよりももっと年老いたら、忘れる前に話しておきたいとは思ってる。楽しい話ばかりじゃないけどね。いずれまた。

映画
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